意外に思われるだろうが、私は怒りの濃度が薄く沸点も高い。
他人のためになら、怒りは湧くのだが
自分のための怒りが湧きにくいのである。
これは “優しい” とか解釈されそうだけど
そんなキレイな動機ではない。
他人に起きた理不尽な出来事なら
他人が悲しい想いをしている、という名目があるので
自己流正義感に基づいて、ギャアギャア怒れる。
しかし同じ事が自分の身に起きた場合は
「もしかして、自分が悪いんじゃないだろうか」 と
まず自分を責める方に考えるので、迷い、自省などで
悩み悲しみが先に立って、率直に怒る事が出来ないのだ。
つまり自分に自信がないと、“自分がイヤな想いをした” という事だけを
堂々と理由にする勇気がなく、怒りが湧かないのである。
怒れない人というのは、結構な数いる。
もしかして日本人の大多数はそうじゃないか?
日本人にストレスが多いのは、怒れないからだと思う。
ストレスは怒る事で発散するのが、一番簡単そうだから
怒れない日本人には、ストレス発散が難しいじゃないだろうか。
怒りは、和を尊ぶ日本では悪い事のように扱われているけど
個人にとっては重要な、生きるパワーとなる。
怒りを向上心ややる気に変換できる人は、健全な精神力を持っている。
表立っては怒れなくても、内面に正当な怒りを抱えられる人も大丈夫である。
問題は、怒りを上手く発生させられない人である。
そういう人は、大抵が自分を責める傾向にあり
エネルギーを内へ内へと潜り込ませていく。
ものすげえ鈍感な人や、心の広い人でも
知らず知らずに、心の奥底にストレスを溜め込んでいる。
その溜まったものが、汚染されて自らを蝕むか
発酵して出たガスに引火するか、どちらも悲劇である。
そうならないためには、こまめに怒って発散するべきだが
それが出来ないゆえの貯蔵なのであって
出来るものなら、とっくにやっているわけだ。
そこで私的には、亡き事をいいことに親に怒る。
“私が悪いのかも知れないけど
それはしつけが悪かったうちの親のせい。
自分では常識的な判断ができないのよ
なんせ、親に習わなかったものだから。
もう、うちの親はまったく!”
親、ほんとごめん、と思う。
人生の3分の2は自業自得だとわかっている。
でも自分がそんなロクデナシだとは、認めたくないんだ。
てか、普段から充分に自分を責めているんで
少しぐらい引き受けてくれても良いだろ?
お空から見守ってくれる千里眼があるのなら
私のこの苦悩と葛藤も見透かしてくれているだろうし
何でもかんでも親のせい、というのも、半分は本気ではないし
そういうのを受け止めるのも親の務めだろう、という
過大解釈による、防衛策なのだ。
こんな甘えは、現存している人には出来ない。
どう組み合わせても親のせいに出来ない事は、霊の仕業にしている。
“私がこんなにイヤな目に遭うのは
きっと先祖がいたらん事をしたせい。”
“こんな不幸は霊障だわ!”
とんだ逃避活動だが、自分の中でいびつな種を発芽させたくないので
これでも必死で試行錯誤をしているのだ。
現に、精神的なもので足が動かなくなった、とかの経験があるので
ストレスに気付かずにいたら
自分の体は何をしでかすかわからん恐怖がある。
もちろん今でも自分の苦悩に気付かずにいるのだが
とにかく密かに何かを溜め込んでいるはず、という設定で
自滅を回避しようとしている。
しかし、ないとしか思えんものを発散するのは困難だろ。
だから見えない人々に頼っている有り様なのだ。
全然タメにならん解決法しか出せんで申し訳ないが
ひとつだけ、確実にわかった事がある。
怒りというのは、クセ付けする事が出来るようだ。
怒りっぽい人っているだろ、あれは怒りを習慣化できているんだよ。
これに気付いたのは、ヘルドッグ・アフガンハウンドとの
激しい戦いが終わった時だった。
何で戦いの最中じゃないかっちゅうと
アフガンが暴力的なのも自分のせいかも、とか思っていたんだな。
それがブチーーーッときて、アフガンを制圧できた後に
次は君主としての、平定が義務になって
あれダメこれダメ私に逆らうのは許さんモードで
日々暴君しまくっていたら
瞬時に怒りスイッチを入れられるようになったんだ。
本当は怒ってなくても、義務で!
怒りは、きっかけさえあれば、スムーズ発射できるようになる。
多分、他の感情も習慣化できると思う。
ただし暴力もクセになるので、何を短縮ダイヤルに入れるかは
よく考えた方が良いと思う。
アフガン騒乱以来、怒りの出し方がちょっとは上手くなったつもりだったが
関西に来て、関西人の見事な怒りっぷりに
自分はまだまだだった、と自信喪失気味なのが痛い。
関西人、うわてを行ってるのお・・・。
自分のためだけの単純でクリアな怒りは、自分にとって必要な事である。
代わりに怒ってくれる自称正義の味方が、いつでもいるとは限らない。
自分を大事にするというのは
喜怒哀楽をバランス良く持つ事が、第一歩のような気がする。
ストレスと怒り
Comments
“ストレスと怒り” への3件のフィードバック
-
自分のための怒りが必要、というところにすごく共感する。
怒れなかったり、怒りを発散できなかったりすると、だんだん心の中が凍りついていって、自分を傷つけたくなったりする。
自分も、怒ることで過去のトラウマや環境に挑戦状を送って、うつ状態やPTSDから少しずつ立ち直るきっかけを得た。
怒ることは自分に対する肯定、自尊心の受入だと思う。そういう自分をポジティブに受け入れる気持ちが「生きるパワー」につながっていくのだと思う。
社会人の末端にいて大人として振る舞っていると、怒りかき立てるのが難しくて、最近心が窒息しそうだ。
今の仕事自体が、怒りたくなることの対象で、怒りを抑えているから何とか勤めていられるような、そんな気がする…。
恐くなってきた。また心が崩壊し尽くす前に、怒る力を磨き直した方がいいかもしれない。
-
怒りについてそんなに深~く考えたことなかったなぁ~。
ってか、ストレスを知らないアタシはよく怒ってる?(笑)うん!確かに、すぐ怒れる!(笑)
思ったことを一旦頭で考えて口に出すタイプじゃないから、
(ようはただのアホか?(笑))
即、噴火ってことがよぅ~あるわぁ~(ガハハ!老後を考えて・・・
ストレス貯めんと、金貯めよ♪ -
なつ、ああ、そうか、そう言われるとわかりやすいな。
自分を肯定できたら
自分のために怒る事が出来るんだろうな。
なるほど! 補完をありがとう。怒りを抑えている内はまだ良いけど
悪い状態になると、怒りも湧かなくなるだろ。
怒り、気力がないと起こらないもんな。
こうなる前に、手を打つ必要があるよな。酔花、おめえは長生きするような気がする。
なのに私も長生きするような気がする。老後のための貯金、すんげえ大事だけど
その日暮らしじゃ無理!
とか言いながら、化粧品とか買ってるんだよな。ガハハ、って、おめえどんどん突き抜けてねえか?(笑)
コメントを残す