このブログでの私の言葉遣いは悪い。
一見、10代のチャラ男がわめいているようである。
ところが現実は、あらビックリ!
ナイスバディで上品で知的でストイックな
淑女なのだよ、“あしゅ” 様はよー。
(自分を様付けで呼ぶヤツに限って、悲惨な死を遂げる。
参考文献 : 北斗の拳 )
使ってる言葉も言ってる内容も、ブログとリアルでは違う。
根本の思想を隠して、リアルではオトナな言動をしているのだ。
・・・最近までは、そう思っていた。
出るとこに出りゃ、キチンとふるまっている、とな。
だがな、正確な敬語が使えないどころか、日本語が不自由なあげく
空気が読めない、根回しする知能がない私が
それを出来るわけがなかった・・・。
この前、ちょっとかしこまった状況になってさ
しばらく話をしていて、打ち解けてきて
気を抜いたつもりはなかったんだけど、つい出た語尾。
「 ~ じゃなくないですかあ?」
言った瞬間、あっっっ!!! と思ったよ。
おめえはどこの女子高生なんだよ? と。
もちろん相手はジェントルマンなんで、気にしない風に
話を続けてくれたけど、もうこっちの心中は大パニックだよ。
こうなると私はモロい。
もうガラガラと崩れていったさ、大人の言葉遣い。
久々に大恥をかいた自覚がある経験をしたが
そこでちと考えてみた。
私の年代ってさ、同じ世代でも
何だかすごく老若が入り混じっているんだ。
生活や感覚の幅も、えらい様々っちゅうか
不思議なぐらいに統一感が感じられない年齢層なんだよな。
それでも友人同士の会話だと、お互いに素で話せるから
「えー、それはねえだろ、って感じじゃねえ?」
とか、普通に喋っていられるんだけど
これは、夫婦間とごく親しい友人ぐらいまで。
それより遠い関係になると、普通の大人の言葉遣いに
きっちり切り替えている。
敬語に動揺するのも私ぐらいである。
ネットで年齢極秘の理由は、ほんと書きたくないが、これなんだ。
「この歳でこの言動?」 と思われるのがイヤだからである。
本当なら、見てみい、この肌 このナイスバディ とか
実年齢込みの大自慢大会を開きたいんだが
そういうカラ威張り欲求より
“常識” という、世間の目への恐怖の方が強い。
“個人差”“個性” などというキレイ事で済まんほど
やる事なす事、あまりにもアホ過ぎるような気がする。
自覚はあるんだが、性格は中々直らんでなあ・・・。
ババアである事は、かろうじてカミングアウトしているが
具体的に明かせば明かすほど、非難の目も具体的になりそうで恐いのだ。
贅沢を言うようだが、反面教師にだけはなりたくねえし。
自分の実年齢と実情のギャップでの葛藤が激しく
毎年更新ゆえに年齢計算に困るけど、歳を取るのは嫌いではない。
またアホくせえ事を言うが、私の子供時代には
世界は1999年7の月で終わるはずだったのだ。
それがここまで生きている、という感動があるからである。
まだ、2012年とか色んな説は残っているが
何となく、世界の終末は個人的にしか来ない気がする。
病弱病弱言うヤツに限って、命汚く長生きするもんだしな。
・・・関係ないけど、弱弱 ← この字面、腸みたいじゃねえ?
それにな、おめえが言うな! な事をヌケヌケと言うが
リアルでは、年齢、大事だぞーーー。
都合の悪い事など、全部歳のせいに出来るようになるんだから。
嫌われる年寄りNo.1のようなドス黒い野望だが
何かのせいにせにゃ、やっとられん事って多いじゃん。
他人のせいにするのは、シャレにならんので
年齢って、丁度良い生け贄的存在なんだよな。
美容マニアとしては老化は敵だが
ロクデナシとしては絶大な切り札なんで
天秤にかけたら、歳を取ったら年寄りブる方がラクなのである。
全面的に確実にトボケを善意解釈してもらえる年齢に早くなりたい
と願うが、それまでにちょっとでも人格を整えとかんと
人々の許容範囲も底なしじゃないからな。
結局、私にとって年齢がどういう位置付けなのか
さっぱりわからん文章になってしまっとるが
心配すな、書いた本人にもまるっきりわからん。
年老いていくというのは、辛い事も多いが
それをどう受け入れるかの一例として
私のやり方も参考になるんかもわからんが
ひとつだけはっきりしているのは
マネはせん方が良い、って事かな。
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