私は結構なブランド好きである。
しかも、ああ、やっぱ “私” だな、ってとこは
“あまり人が着ていないブランドを着る わ・た・く・し” なのだ。
でもこれも、今になって冷静に分析すると
奇抜なデザインのブランドを好んでいたんで
“人が着ていない” んじゃなく、“人が着たくない” だな。
何か色々と道を踏み外しているよな。
ババアになってからは、トラッドを心掛けたが
関西に来てからは、ブランド物など買えない身分になってしもうた。
正直、装備がロトのよろいから皮のよろいに落ちた気分だったが
ある日、友人が言った。
「その服良いね、私も欲しいわ、どこで買ったの?」
私の着ている服を褒めるなど、どうしたカモか?
「私が着てるから良く見えるだけだよ。」 と答えた。
ほーほほほほほぽほほ
友人は案の定、イヤな顔をしたが
その服は、亡きかあちゃんが15年ぐらい前に
3枚いくらでニッセンで注文したものだったからだ。
ブランド装備を出来ていた頃は、そんな服など見向きもしないから
ずっとタンスに眠っていたんだが
服が買えない今となっては、ハギレですら出動させにゃならん。
その何でもないヘンリーネックTシャツも
着てみたら、意外にイケるんじゃないか? と
平気で街なかで着ていたのである。
つまり友人は、ある意味私に騙されたわけで
この真相を聞いて、絶句していた。
事実、“私” が着てるから、良く見えるのである。
ナイスバディというのは、そういう事なのさ。
いや? 最近は実に穏やかな日々を過ごしていて、不幸など1個もないぞ?
好みのブランド物は、今でも欲しい。
しかし現実問題、衣食住の衣はやはり最後の最後、道楽なのである。
ましてや、何を着ても最高級品に見えるナイスバディなのだから
高いブランド物に頼る必要もない、と思うようになった。
今のファストファッションブランドだっけ?
デザインもシンプルで、品も結構良いのがあるしな。
と言うか、ブランド服の値段の基準がよくわからん。
“アート” とか “デザイン” って
法外な価格に思えるのは、私の目が腐ってるからかも知れない。
こういう事を何となく考えていたら
あるTV番組で、何だか答を見つけたような気がした。
それは、バブル時代に踊った男性とその息子の話で
父親は今でもバブルを引きずっていて
ブランドファッションで身を固めているのだが
息子はまったくファッションに興味がないのである。
バブル父が息子に、「女性と良い店に行け」 とか
「もっと自分の可能性を広げて考えろ」 とか言って
オシャレの方向に目を向けさせようとしているのだが
ちょ、そこのクジャク親父、おめえちょっと来い
と、父親を説教したくなった。
今の時代はどう見ても、息子の方が真っ当で好感が持てるのだ。
父親は、バブルの遺物にしか見えず
逆におめえがもちっと “他の事” に目を向けたら? と言いたくなる。
イイ大人が、服に血眼になるのは見苦しいものだと思えて
ああ・・・、ブランド好きのファッションは
こうなる危険性もあるんだな と、考えさせられた。
ま、ブランド物を買い漁れるようになるほど、復活できる芽もないし
好みのブランドのデザインも、ババアにはきっついんで
私の老後は、“たびびとの服”(ドラクエ最弱装備) で決定である。
この記事は何が言いたかったのか、というと
単にナイスバディな貧乏人の自画自賛さ。
繰り返し言うけど、決して不幸なわけじゃないぞ。
評価: トラッド
コメント:“トラッド” で検索したら、これが堂々と登場。 何と、45度と90度のみならず、水平垂直がこれで確保できるとなっっっ!!! しかも錆びにくく軽量なアルミ素材。 倉庫にでも置いておいたら二度と日の目を見る事のない逸品になること請け合い。 一家に1個、いかがかな? |
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