読んでくれた人のコメントで、時々言われるこの言葉。
私には本当に身に覚えがないんで、いつも不思議に思っている。
でも結構な頻度で言われるんで、自分なりに考えたりしていた。
それで 「もしかして?」 と思った事がふたつある。
ひとつめは、色んな事を面白がる性格。
“面白い” という感情の対象外な事も、私には面白く思える。
これは、ほんと部外者の単なる好奇心なので
リアルではあまり人には言えないのだが
下世話にならないよう、気付かれないよう
細心の注意を図りつつ、隠れて面白がっている。
ブログでは、その気をつけるべき一線を低く設定しているので
ピキッと引っ掛かる人もいるのではないだろうか。
私の場合、リアルとネットで言う事はそう変わらないのだけど
ネットではより一層、心のままに表現をしている。
(それでも自重はしているぞ。)
だけどネットでも、そういう無礼講は通用しないのかも知れない。
でも、そしたらここでも本音が言いにくくなるよな。
これは悩ましい問題だ。
もうひとつは、何度かブログに書いたはずなんだが
私の好き嫌いには、欠点はあまり関係ないんだ。
もちろん支障が出るのは、とても困るんだけど
それが自分の容認できる項目だと、ネタにはしても嫌う事はない。
面白おかしく受け取って、笑い飛ばしているつもりなんだが
その基準が、多くの人とはズレているのかも知れない。
笑い事じゃねえだろ、って話のような?
これ、他の人の感覚も訊いてみたい。
好きなものに許せない欠陥があったら、嫌いになるのかな。
嫌いになれないとして、その欠陥の存在はどうするんだ?
無視か? 矯正の強制か? (上手い掛け言葉を言うたつもり!)
私の場合は、まずは矯正を考える。
相手の行為か、もしくは自分の受け取り方のどっちかを。
それが無理っぽいなら、出来る限り笑いのネタにする。
笑えなければ、きっとちょっとずつ嫌いになる。
嫌いになりたくないから笑うんだと思う。
これが “笑いどころのズレ” で
「バカにしてる?」 と、なるんじゃないだろうか。
今のところ、私のふざけた態度に対する考察は
こういう答しか出ていないんだけど、思考の方向性がズレてるかな?
ちなみに私は、他人も自分もさげすんだりしない。
もちろん、バカにする事など一切ないわけではないけど
自己評価が低いせいか、そんな心境にはあまりならないのだ。
自分に自分の言い分があるように、他人には他人の事情がある。
その法則に基づいて、理解できなくとも尊重するようにはしている。
これがたまに悪の擁護になって、モラルに反する事もある。
そこらへんのユルさが、違和感を感じさせるのかも知れない。
て言うか、私がバカにしたり皮肉を言ってる時は、すぐわかると思う。
普段の軽い言い草より、もっと最低でひどい言い方をするからだ。
そりゃもう、いつもの軽口が優しく思えるぐらいに。
・・・今、書いてて気付いたけど
つまり私は全体的に、暴言吐き野郎だと言う事か?
うわ、やっぱり 悪いのは私 のいつもの結論なのか・・・。
私のこの感覚に、不快感を感じた人がいたら
そりゃもう、すいませんすいません、と謝るしかない。
決して自分が “正義の人” ではない、と自覚があるからだ。
今回、考えてみてわかったのは
笑えない部分を茶化すのは、どうも私の一種の防御策みたいなんだ。
そんなん一人で壁にでも向かってやっとれ、と言いたいだろうが
それを実際にやってると、狂人じゃないか?
えらいな迷惑だろうけど、私が狂わないためにも
くだらん軽口に付き合ってくれ。
話しかけられたら、必ず振り向くからさ。
結局この長ったらしい、くどい文を要約してみたら
「とにかく耐えて忍んで私に付き合ってくれ」 の1行だった。
あら・・・。
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コメント:“矯正” で出たこれ。 歳を取ると腹筋背筋が弱って、猫背になる人が多いそうな。 猫背で脊椎が湾曲してしまいそうで恐いよな。 そこでこれで、大リーグボール養成ギプス飛馬しろ。 日本の未来を担う若者に希望を与えるためにも、年寄りには胸を張って生きて欲しいから。 |
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