「何事も経験」 と言うけれど、歳を取ってくると
“する必要のない苦労” ってのがある、とわかってくる。
この、“何事も経験” とかいう、一見正義ジャンルの言葉は
何かヤバそう、って時に、奮起や諦めを呼び起こす呪文だったのだ。
必要なようでいて実は必要じゃなかった、と気付かないための・・・。
実際に、不本意な経験が後々役に立つ事もあるんだが
それはその時点では判断しようがない。
と言うか、実際に経験して痛い目に遭わなくても、習い聞けば済む話である。
周囲であれこれ起こるから、どう生きていても
長生きしているだけで、経験豊富にはなれる。
よって、年寄りの知恵ってのは
同年代老人なら、すべからく持っているものなので
偉そうに披露できるのは、主に若い者に対してのみ。
経験をどこでどう生かすかの判断は、個人の力量によるものだが
それを真に発揮できるのは、大概は老齢になってから。
つまり我々人類は、生き字引きとなるために
日々コツコツと経験を重ね、精神の鍛錬を繰り返して生きているのだ。
こう考えると、人生イヤになるよな・・・。
その “罠苦労” とは、役に立つ苦労のフリをして
何の吉事ももたらさないどころか
ヘタに関わると、人生の汚点になってしまう事になるもの。
たとえば、シワだらけのシーツはまだ良い。
ウォッシャブル加工だと言い張る事も出来ないでもない。
しかしそこに1個でもシミが付いたら、途端に全体が薄汚れて見える。
“人生の汚点” というのは、こういうもの。
人生に汚点が付いてしまうと、もう、寿命全部がワヤ!
大開きしていた天国の門も、鼻先で閉じられる予感がしてくる。
そこで、それ以上愚行を重ねないように、年寄りは慎重になる。
年寄りの頭が固い、と思われるのは、多分このせいだ。
道に倒れている人を介抱したら、それがB国の兵士で
私、関係ないA国人なのに、B国C国2国間の戦争に
いつのまにか介抱した兵士の側として参戦しちゃってた
みたいなトラブルって、多々あるだろ。
こういう、巻き込まれ事故に遭わないためにはどうするか?
倒れている人を素通りするのか?
っちゅう人道問題になるのだが
積み重ねてきた経験を基に、脳細胞を総動員させ
“倒れている兵士を、本人に気付かれないように
いかに隣国の敷地内に戻すか”
という解決法を取れるのが、知恵袋称号を持つ年寄りの真価である。
何を手放せるのか、いかに損失を最小限に抑えられるか
あらゆる方向から分析判断して、正しく逃げろ。
逃げたらみっともない、とか、予定調和の世界のみの話。
成功したからこそ、「逃げなくて良かった」 と言えるんだろ。
上級者ともなると、自分に正義があるかのように錯覚させて
しかも華麗に逃げる。
突っ込み玉砕は誰にでも出来るが、これは難しいだろうー?
相手に 「逃げた」 と気付かせないのは、もはや神の技。
仕事においても付き合いにおいても、無敵!
思えば人生って、「如何に逃げられるか」 を最終目標にした
シミュレーションゲームのような気がする。
生き字引きだの、逃げチキン推奨だの
ほんと “生” に夢がなくなる表現ばかりしているけど
そんだけ現実には、落とし穴がいっぱいあると思う。
“逃げるという選択肢がないと思われる状態でも
頭の片隅で逃げる算段を、一応は取ってみる”
そういう保険的な思考のクセを身に付けておけば、割に安泰だぞ。
年を取れば、全員フル装備できるはずの逃げスキルなのに
ドアホウな私は、年寄り初心者になっても
まだまだ見極めが甘く、生き字引きの称号も持っていない。
とりあえず降りかかった火の粉も、落としどころがわからず
及び腰に挑んでいる真っ最中である。
穏やかな老後を迎えようと、キイキイひとり騒ぎしているところに
いらん行事を組み込むなよ、万が一が危ねえだろ。
縄1本かろうじて残っている足場の上で、はしゃぐ余裕があるかよ。
このような、神にも悪魔にも決して評価されない姿勢でいるので
天国への階段すら見つかっていない状況である。
教訓: 逃げる事の大事さを、知っているのと知らないのとでは大違い!
評価: 浩生
コメント:毎回、記事のひとことをキーワードに商品検索をしとるが、今日は “逃げ”。 ちょ、この商品、本当? うちの地域、鳩がどんどん勢力拡大してるんだよ。 鳩、恐えよ、平和の象徴が何であんな無機質な目をしてるんだよ、てか現に図々しくて凶暴だぞ。 鳩、お願い、来ないで! |
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