この話は、私の死生観を元に書いていたのだけれど
連載している時に、東北大震災が起こり
亡くなった人が大勢いるのに
死がテーマの物語を続ける気にはなれずに
中断した、という特異な経緯がある。
その間、私の死生観が変わったかと言うと、変わらなかった。
自分でも思うけど、私のそういう感覚は特殊だと思う。
実母は、私が殺したと思っている。
兄も親族も、誰も母の生命維持装置を止められなかった。
止めたのは私。
何のちゅうちょもなかった。
心の中で母に、“お疲れ様でした” という言葉を掛けながら
むしろ私は、母の死を祝福していた。
院内感染という “事故” ではあったけど
母は人生を全うしたと思えるのだ。
母が死んだのは、今でも寂しい。
幽霊でも良いから、ずっと側にいて欲しい。
出てこられるのは恐いけど、いる、とわからせてほしい。
私はいつ誰とどこで何をしてても、孤独を感じるようになってしまった。
まるで世界でひとりきりのような気がするんだ。
愛してくれた親の死というのは
こんなに感覚に影響するものなんだろうか。
だけど、だからこそ、自分で母の命を止めて良かった。
こんなに愛してくれた母だから、私が殺せて良かった。
ただひとつ、悔いがあるとしたら
それをすべき資格があるのは
母の晩年に一緒に住んで、入院した母の面倒をみた兄である事。
だけど兄にその決断は出来なかった。
兄は、愛ゆえに母の命の行方を決められなかった。
私は、愛ゆえに母の命の行方を決めたかった。
きっと多くの人は、兄の感覚に共感すると思う。
私の感覚はおかしい。
それは認めるけど、恥はしない。
念のために解説するけど
母は、兄も私も同じように愛してくれた。
少なくとも私は、母の兄と私への愛情の違いを感じた事はない。
“亡き人” の最後には、異論が多いと思う。
がっかりした人もいるだろう。
私には私の言い分があって、小説を書いている。
と言うか、私の感覚ではない事を表現するのが、どうも苦手で
そんな事では、話の幅が広がらないので
何とか、私にない考えも取り入れていこうと頑張っている最中なんだ。
だから今のところの、私が書いた小説全部に
私なりの意味を含ませている。
実はどの話も、意味のない展開はひとつもないんだ。
だけど映画やドラマや小説は
観た読んだ人が、それぞれの感覚で解釈して
自由に想像を膨らませていくのが面白さのひとつだろ?
そこに、「これはこういう意味なんだよ。」 と
たったひとつの答を言うのは
いくら書いた本人とはいえ、興醒めもはなはだしい。
だから “亡き人” の解説はしない。
最終話のあの場面は、現実なのか、夢なのかあの世なのか
誰が誰とどこで会ったのか、それがどういう意味を持つのか
私の中には私の物語がある。
このシーンを、あいまいに書いたのにも理由がある。
だけど告白すると
ひとつだけ書けなかったのが、長野の未来。
この小説の “ゼロ” は、私が書いた小説の登場人物の中で
実際の私の性格に一番近いキャラなんだよ。
私を必要としたのに失ったヤツが、どうなるのか
私には、どうしてもわからなかったんだ・・・。
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亡き人 後書き
Comments
“亡き人 後書き” への11件のフィードバック
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おひさしぶりです。
亡き人、楽しませて貰いました。
ありがと~。やっぱり"ゼロ”はあしゅさんでしたか。
なんか本筋に不似合いなお説教が出てくることがたびたびあって、
あしゅさんの本音を代弁させてるのかな?
とか思っていました。あと、あしゅさん、自殺を考えることがあるの?!
「あなたが一番かわいい」って、
お母様の最後のお言葉、忘れちゃだめだよ?…って妄想入りすぎ、踏み込みすぎですね。
ごめんね、あつかましくて。ではまた~。
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イヴリン、ありがとうー。
うん、私は太郎を成長させたかったんだ。
だからゼロは説教、助言、指導の嵐さ。だけど、ゼロの素性が生霊だと知った時点で
その想いが叶わない、とわかってしまったら
太郎の行く末も見えなくなって
“長野” になってしまった・・・。私は生きるのが辛いよ。
正直、死にたいとよく思う。でも自殺は考えた事がない。
殺してほしい、と思った事は昔あるけど
それもバカな考えなんで
とにかく今を生きる事に専念しているよ。死んでラクになれるとは限らない。
と言うか、生きるのを放棄したヤツに
安らぎが待っているわけがないじゃん。生きていくのは人間の義務。
それを果たさないヤツには、何の権利もないと思う。私は、この小説でそれを言いたかったんだけど
力不足だったのが悔やまれる・・・。
もうちょっと文豪になってから書くべきだったよな。 -
生きていくのは人間の義務。
ではないと思うんだけどなぁ…。
義理かな?
本能を優先させて生きられたら楽しめる。
生きることが辛い人の多くは正義に縛られている。阿修羅神は正義の神様。
宿敵の帝釈天は力の神。
正義は力に勝てないってことかも。
仏教ってほんと哲学的。戦いをやめたらきっとラクに生きられる、
ってわかってるんだけど、難しいな。
せいぜい楽しいことを考えて生きよう。あしゅさん、いつもレスポンスありがとう。
少し安心しました。 -
イヴリン、安心はまだ早いぞ。
私は自殺は病気だと捉えているんだ。
計画的でも突発的でも。そうじゃない人もいるだろうけど
私の場合は性格的にも思想的にも、そうなんだ。
正気ならば、絶対に考えない事。人間、いつ病気にならないとも限らないだろ?
よって、自分でも安心はしていない。
気持ちが不安定になったら
すぐ内科医に言って、治療をしてもらう。
更年期とか、老人ウツとかあるから
油断は出来ないお年頃でさー。またまた不安にさせてごめん。
でもイヴリンは、私の中に危うさを感じたんだろ?もしそうなら、原因はちゃんとあって
何とか解決しようと頑張ってるから
今のところは大丈夫だよ。
ありがとう。だけど安心は・・・以下エンドレス、ふはは
ごめん、心配してくれてるのに
空気を読まない冗談を言って。 -
亡き人は私が読んだ最初のお話です。
というか、それ以外をまだ読んでいないので。一時凍結となっていたのが久々に見たら
後書きがあるじゃないですか。
終わったのですね。ゼロの言う事は言葉や口調は荒いけど
真実だなぁって思います。このお話、好きでした。
これから他の読み物も楽しませていただきますね!
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あしゅさん、はじめまして。
私の親の臨終の際、医師と看護師さんが一斉に
蘇生グッズ(?)を持って病室に飛び込んできましたが、
「このまま自然に逝かしてあげてください」と
蘇生処置はお断りしました。、、、むずかしいんですよね、一度、生命維持装置を付けてしまうと。
色々な意味で、むずかしい。病院関係者曰く
家族は蘇生処置はしないでください、、、と前もって言うけど
いざ心拍停止状態になると、蘇生処置・生命維持処置を望む方が多いそうです。私の母は死の数時間ほど前、しっかりと眼を開き
なにか欲しそうにしていたので
「水、飲みたい?」と聞いたらうなずいた。
スプーン一杯の水を飲ませて、その後意識は戻らなかったのだけど、
今考えると、それは「死に水」だったのだな、と思います。 -
まあり、ありがとうーーー!
この話は、後半に太郎が出てこないだろ。
名前も “長野” になってる。・・・途中で、太郎の育成に失敗した!
と、気付いたんだ。登場人物に自分を投影する事も
書いてる側としては、してはいけない
と学んだよー。どうしても、どの話にも
私の感覚が出るものだけど
自分の分身を出すのは
私にとって、良い事ではないみたいだ。んで、悲惨な展開になって
読んでくれる人を失望させてしまう。この小説は、そういう意味で
私にとっては意義ある話になったよ。まさか、好きだと言ってもらえるとは思わなかったよ
私の成長を喜んでもらってるみたいに思えて、嬉しいなあ
成長、したよ、多分。本当にありがとう。
tora、ようこそーーー!
生かすと殺さなくてはならなくなる、
それが、苦悩のひとつでもあるんだろうね。というか、生命時装置を外すのが
殺人になる場合もあるもんね。私は親の死については
子供の頃から覚悟をしてたけど
それでも信じられなかった。
今でも親が死んだと信じられない。
けど、事実としては受け止めている。覚悟をしてたのに、してたはずなのに
このような複雑な気持ちがある。
身近な人の死は、人の数だけ想いがあるんだろうね。体験談をありがとう。
私には、toraの言ってる例どれもが
良い話に聞こえる。「やっぱり生かして」
「装置を外せない」
「このまま自然に」すべて、家族の本当の想いだから
何が正しいか悪いかじゃないんだよね。 -
亡き人すんごい面白かったです。
予想以上に面白かった。
でもやっぱり長野のその後も読みたかった。必要とする存在をなくした人は、直後しばらくは何もできない腑抜けになるでしょうけど、食べないと生きていかれないし家賃を払わないと住む場所がなくなるし飼ってる猫にごはんあげないと死ぬし仕事しないと家賃も食費も生活費も払えなくなるからまたそのうち徐々に普通の生活に戻ると思います。表面上は。
でも心の中にあいた穴は一生埋まらないと思います。
時間がたてばなくしたことを受け止めることはできても、受け入れることは難しいんです。長野は猫飼ってなかったから、、守るべきものもなく自分ひとりならゼロの後を追っちゃったかもしれないですね。
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una、ありがとうー。
ゼロがいなくなって、
太郎は長野になってしまった。それぐらい、どうなったかわからない登場人物なんだ。
でも山口がいるから、それに期待だな。あと、気になるのは、スピリチュアルだよなあ。うへへ
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あしゅちゃん、こんにちは。 亡き人、すっごく面白かったよー。しいていえば、中盤のゼロの活躍をまだまだ見ていたかったよ。
最後は(どんなとらえ方でもいいと言っていたけど)、成仏しに行って、白い人は、先に来ていた血まみれちゃんかな~なんて、またはなぜかわからんけど、母親かも、なんていう風に理解しました。 生霊の時は20代の姿なんですね。 -
momoちゃん、ありがとうーーー。
そう言ってもらえて、ほんと嬉しいよー。霊の世界については、よく知らないんだけど
何となくゼロは自分を、若いと思っていそうで。そうか、この話を受け入れてくれるんなら
スピンオフも可能か・・・。と、いらん皮算用が始まりました。
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