無宗教なので、色んな宗教に興味がある。
人が人生を掛けて崇拝するもの、というのが不思議なのだ。
教本などが入手できたら、そりゃもう熟読している。
どうも宗教っていうのは、人間の基本の道徳を教えているようだ。
なのに違和感が生じるのは、そこに神が存在している事で
しかも他宗教の神を、邪神扱いする宗教が多いところである。
神がいる → 自分を罰する存在がいる から
道徳を守らないといけないのか?
同じ人間同士の思いやり、って事じゃ弱いんだろうか?
他宗教だろうが、神なら偉い存在じゃねえの?
そこに憎しみや哀れみを感じて禁ずる、って畏れ多くねえ?
こういう事ばかり気になって、“教え” がすんなり心に入らないので
私はいまだに無宗教なのだろう。
そんな私でも、日本の八百万の神様は何となくあがめている。
宗教は本来、どれも同じ場所にたどり着くような気がして
その地その人種によって形を変えているからこそ
受け入れられているんじゃないかな、と思うんだが
やはり日本人には、日本古来の神道が合うような気がする。
八百万とは やおよろず と読んで
本当に800万じゃなく、それだけ多い数、という意味の言葉だが
これがものすごく、しっくりくるのである。
例えば縁側に座って、庭を眺めてみる。
すると足元には蟻がたくさん這い回っている。
気まぐれに、砂糖を与えたり、巣に水を流し込んだりして遊ぶのは
子ども時代の基本体験である。
この蟻たちを人間に例えると、八百万の神々と日本人の関係に似ているのだ。
人間はたくさんいる。 家もたくさんある。
そして庭の数だけ蟻の集団がいるのだ。
蟻と並べて考えた場合
人間は、まるでその土地その土地を守る神様のようである。
蟻はその存在に気付かず、自分の生活を一生懸命に送る。
時に天から食い物が降ってくる事もある。
巣を出たら、輪ゴムに囲まれている事もある。
(蟻はゴムを嫌う、と言うので実験してみたんだけど
フツーに輪ゴムの上をポンポン乗り越えられたよ。)
それは全部、人間がやってる事なのだが、蟻は気付かない。
靴の上をノコノコ横断する蟻もいて
こいつが私に気付いてくれるのなら
私はこいつを可愛がって守ってあげるのにな、と思う。
神と人間の関係って、これじゃないのかな。
何となくそう思ってからは、初詣は近くの神社に行って
祈願などはせずに、神様へ挨拶をするだけにしている。
たまにしか来ないくせに、来たらあれお願いこれお願いじゃ
すげえムカつくと思わんかあ?
神様の心の広さはわからないけど
自分がされてイヤな事は、神様にもしたらダメだと思うんだ。
外国の宗教のような唯一神は
産まれた時から教え込まれていないから、にわかには信じられないけど
空の青さや山の壮大さには、圧倒される畏怖心を持つので
そこに神様が宿っていると言われても、自然に祈りを捧げられる。
山の神様が見ていらっしゃるから、海の神様が怒っていらっしゃるから
畏れ敬い感謝し、正しくあろうとする。
これが日本人の信仰心じゃないかと思うんだ。
そういう意味で、私には信仰心がある。
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コメント:犯罪者の家は、ド汚いか超キレイかのどっちかだと思っている。 何事も程々が一番! 皆、年末大掃除強化期間は目前だ! 屋根がある家に住んでる事に感謝しつつ掃除しような。(えらいな低姿勢) おまけの “掃除の神様” ってのは、スポンジだってよ。 |
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