皆が皆そうじゃない

私は誰が何を言おうと、バカにしたりはしない。
そもそも、“人をバカにする” 事があまりないのだ。
だって、その人にはその人の事情があるだろ。
 
軽蔑する事はあるぞ。
嫌う事もある。
それは私の拒否反応であって
私にも好き嫌いで付き合う相手を選ぶ権利はある、っちゅう事だ。
 
でも、バカにはしない。
「バカじゃねえの?」 とは言うけど
それはバカにしているわけではなく、侮辱しているのだ。
この2つ、似ているようでかなり違うと思う。
 
ふざけた言動をしているので、誤解されやすいけど
私は大真面目にふざけているのだから
そういう事で、言い訳などしない。
 
 
そんな菩薩のような私が、唯一バカにする言葉がある。
 
「皆が皆、そうじゃありません」
「全員そうじゃない」
「あなたの狭い世界で決め付けないで」
 
ブログを書いていると、この言葉を日々言われ続けるけど
これを言う人だけは、バカにする。
 
 
皆が皆、そうだったのを見た事があるか?
世界中のあらゆる事を網羅する一般人っているのか?
 
“皆が皆そうじゃない” というのは
物事を考える上での、不動の大前提である。
 
「もう、全員こう!」 とか言っても
全員そうじゃないのは、わかりきったお約束。
あえて言うまでもない事を、わざわざ持ち出すのは
真のバカだと、私は断言する。
 
でも、これも時と場合によるので
皆が皆そうじゃない、と思っているさ。
 
 
人は自分の稼動範囲で見聞きして、思考力を養って
TV、本、ネットなどの意見を読んで、自分なりの意見を持つ。
 
それを言って何が悪いんだ?
有名人や専門家や公人が、それをするなら問題だけど
一市民の言葉が社会に流布されて、皆が従ったとしたら
それはもう、“人々の総意” だろ。
 
 
“個人の意見” ってのは、無責任で当たり前なんだよ。
データだのソースだのも、本当か検証できないだろ。
“専門家だって保身のためにウソを付く” と、この前わかっただろうて。
 
そもそも、おめえは人の話を鵜呑みにするんかよ?
ああ、こういう考えの人もいるんだな、と
自分の脳のデータを増やせば良いだけではないか。
 
 
あまりにもバカな事を言ってるヤツは
叱責されたり、死ねと言われたりしてるよ。
 
私はそれなら納得できる。
間違いを訂正したり、そんなんじゃダメだよ
と言ってくるのは、親切心からの怒りだし
死ねバカアホ等は、怒って感情をぶつけてきているのだから
どっちも、とても理解できる反応である。
 
 
だけど 「皆が皆・・・」 と言うヤツには
バカを晒しに来てどうするんだよ、と思ってしまう。
 
これを言う人は、論理的でいるようで
感情のみで言ってる事に気付いていない。
 
自分が正義、そういう傲慢な思い込みによる使命感が気色悪い。
そういう人が、“人権” だの “平等” だの言って
この世の中をゆがめたんだと思う。
 
そういう言葉は、自分に向けて言ってほしい。
皆が皆、おめえのような考えを持ってるわけじゃないんだよ
おめえ基準も、おめえの脳内での感覚でしかないんだよ。
 
 
ツイッターや掲示板なんかで
「個人的な意見だけど」「ごく一部の人だろうけど」「自分の周囲では」
こういう単語を付けているのを見る度に、悲しくなる。
 
色んな方面に気を遣わざるを得ないよね
“言論の自由” や “表現の自由” は
特定の人々しか許されないもんね・・・、と。
 
 
私は10人見て6人そうだったら、「全員こう!」 と言いたい。
そんな私の感覚を真に受けるのは、犬でもしない。
 
ほんっと、犬も自分で判断してるんだぞ。
「はあ・・・、こいつがこう言い張るんなら
 もう逆らわずにおこう、めんどくせえしな。」 って。
元飼い犬のこういう表情を、何度見た事やら。
 
 
・・・いや、別に 「犬にも劣る」 とは言ってないぞ。
えらい洗脳されやすそうで大変だな、とも
感覚外の事を受け入れられない固い脳みそで大変だろうな、とも
決して言いたいわけじゃない。
 
思っても言うと、また会話が続いて面倒くせえから
ただ、私に関わらないでほしい、それだけだな。
 
 
この記事、結構な踏み絵だよな、ふひひ
 
 
 

評価:

フリッチャイ(フェレンツ),ベートーヴェン,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ユニバーサル ミュージック クラシック


¥ 2,020

(2001-02-07)

コメント:念のための解説。 これは音楽CD。 有名な“歓びのうた”は、1時間以上ある曲のラストなんだぞ。 でもBGMに良い。 このわたくしがクラシックで、しかもCDを買うほど好きな曲があるなど、上品さダダ漏れみたいで、いやあん。 “皆” で検索して何故かこれが出て。

Comments

“皆が皆そうじゃない” への4件のフィードバック

  1. なかりのアバター
    なかり

    こんにちは。
    確かに踏み絵のような記事ですね。

    私もネットの界隈でよく耳にする言葉で嫌悪しているものがあります。
    【同じ××として‥‥】という言い方には何故か虫酸が走ります。

    【同じ女性(男性)として哀しい】【同じ○○ファンとして情けない】
    といった具合に使われているようですが、「何でも十把一絡にするな!」と
    1人憤慨しています。

    【あなたの狭い世界で決め付けないで】
    私この台詞は実生活で何度言われたかわかりません。
    決めつけているのではなく、ただ発言をしただけなのに食って掛かる方の多いこと多いこと‥‥
    それに世界を広げ過ぎた人間が幸福かと言うとそうでない場合も多い。
    使い古された言葉ですが【人は人、自分は自分】これが実践出来ない社会は窮屈過ぎます。

  2. ayuのアバター
    ayu

    わかるわかる、なんとなくわかる!逆に"みんな言ってる"とかゆうやつには"みんなとはどこのどいつか。何人に聞いたのか"などと相手の嫌がりそうなことを聞いてみることにしている(爆)。

  3. ひまわりのアバター
    ひまわり

    最近流行りの言葉狩りですね。

    しかしネット上のただの無責任な発言だったにしろ、「一緒にするな!私は違うぞ」と言いたくなるときって無いですか?
    血液型にしろ国籍にしろ、人はレッテル張りをしながら集団を区別したがりますが、
    それが原因のトラブルも少なからずあり(最近では“福島産”の風評被害とかですね)、
    そういう不利益を被った人がレッテル張りをアレルギーのように嫌うのも仕方ないのでは?
    と、思わず踏み絵に引っ掛かってしまいました(;´д`)

  4. あしゅのアバター
    あしゅ

    なかり、“同じ○○として” は
    私は 外国vs日本 の時に思うよ。

    日本人が外国に行って、ヘンな事をした時。
    あああーーー、何て事をしてくれたんだー、って。

    これでもう、日本人全員が
    こうだと思われてもしょうがねえだろ。
    「日本人として、そういう事はやってほしくなかった・・・」
    って具合に思うなあ。

    でもさ、正味な話、割にグループの特性ってあるよね。
    “日本人”“九州人”“○○県民”“男性”“女性”
    “19○○年生まれ”“長男”“末っ子” 等。

    割と皆、色んなカテゴリーに属してて
    同じような気質をいくつも持っていると思う。

    “一緒” って安心できて良いと思うんだけどなあ。

    ayu、もっと怒らせる言い方を伝授しよう。

    真面目な表情で言うんだ。
    「自分の頭で考えてみようよ。」

    その時に、指で自分の頭を突きながら
    「脳みそ・・・、持ってるんでしょ?」
    で、確実にゴングが鳴る。

    こういう人の心をえぐる言葉は
    歳を取るごとに学んでいくけど
    ・・・あまり言わないようにな。
    嫌われるぞ。

    ひまわり、私は区別を重要視してるんだ。
    何故ならば、ここは狭い島国なんで
    “配分” を考える必要があるから。

    トラブルを起こすのは
    「皆が同じじゃない!」 と言いつつ
    集団を作りたがる人々と
    「同じで良いじゃん」 と言いつつ
    輪からはみ出る、私のような存在だと思う。

    不利益ゆえに毛嫌いする人の心理はわかるよ。
    それも、“経験したから決め付ける” んだし。

    踏み絵に引っ掛かってくれて、嬉しいよ。
    議論はケンカじゃないから
    どんどん、したいよ。

    日本じゃ議論も、なかなかしてもらえないよね。
    小さな言い争いが、大きな諍いになるのを恐れる。
    島国だから。

    その場に合うように、生き物って進化してきたと思う。

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