世の中には贈り物をしょっちゅうされる職業というのがある。
多くの人に接し、世話をする専門職とかである。
私の知ってる限りでは、会社経営者、企業の重役、お寺の住職
“先生” と呼ばれる職 (議員、医師、弁護士、一部の教師、塾講師 等)
地域の名士、有名人、芸能人、文化人 などなど。
そういう職の人は、普段からお礼で贈り物をされるけど
お中元お歳暮にもなると、その量がものすごいのである。
部屋1室が贈答品で埋まるほどである。
うちは “地域の名士” 系だったが、とうちゃんが酒乱だったので
地元の人は、「あそこには酒さえ贈っておけば良い」 と
認識していたようで、とうちゃんも一晩で2升飲むので
楽勝かと思われただろうけど、・・・酒蔵を増設した・・・。
時々酒屋に極秘裏に引き取ってもらうのだけど
それでも酒蔵は酒で埋まっていた。
遠方の人は、そういう事情を知らないので
食品類を贈ってくるのだけど
それだけを食って、数ヶ月は飢えがしのげるレベルである。
甘いものの類が多かったので、それだけを食ってるわけにもいかず
賞味期限もあるので、“お裾分け” をするのだけど
「あそこは貰ったものを人にやる恩知らず」 とか
悪口を言う人も中にはいて、もうどうしたら良いの?
という状態だったようである。
この悪口、もっともなようだけど
“人にはそれぞれ事情がある” という “人権” は
この場合には適用されんのかな。
信用の置ける人に、密かに貰ってもらっていたけど
田舎だから、どうしても漏れるようで
うちの親は、悪口を言われるのを諦めたようである。
同じデパートから大量にくるのなら、引き取ってもらえるらしいし
贈答品買い上げ業者というのも存在しているようだけど
生ものとか、食品の種類によってはそうもいかない。
以前、堺正章 (字がわからず) の元奥さんが、離婚の時に
「貰い物が多すぎて迷惑」 と言って、えらく叩かれたが
そんな事を、贈った相手も見聞きする状況で言った事は
非難されてしかるべきだけど、これ、隠された真実だと思う。
貰い物が多い家は大抵がお金持ちなんで、舌が肥えているんだよ。
そしてどんなに美味しいものでも、大量だと迷惑。
私の母と叔母と、その周囲の知人たちは
遠方に住んでいる人ばかりだったが、互いに年中、贈り贈られしていて
「この前のあれ、見栄えは良いけど味がいまひとつだったわよ」
みたいに、冷静な評価のし合いをしていた。
もちろんこれは、親しい友人間でしか出来ない事だが
人へのお返しの時のために、練習をしていたようである。
というのも、彼女らは皆、贈り物を沢山貰う家の主婦で
その迷惑さをも、身をもって実感しているらしく
「量より質」「値段より気持ち」 を信条にしていたのだ。
この場合の “気持ち” とは、いかに相手の事を考えるか、である。
老人の家庭に、“○○牛の霜降りステーキ ○kg“ とか
マンション住まいで近所付き合いがない家庭に “生牡蠣ダンボール1箱”
など、いくら高価でも相手の状況を考えて贈れ、という話。
ご近所にお裾分けするにしても、それがしょっちゅうなら
分けて貰う側も、お返しなどで気を遣って負担になるし
食べきれずに捨てる事になったら、それこそ贈ってくれた人に申し訳ない。
贈り物は、宅配爆弾になる場合も多いのである。
これを読んで、貰う側の感謝の気持ちが感じられないだろうけど
私が貰ってたわけではないからな。
私はド貧乏なんで、今使っている家具とか人から貰ったものが大半だし
ボロボロのタンスとカラーボックス、TVラックは
捨てようとしてた人から貰って、以後10年近く大事に使っている。
何か、拭いても拭いても汚れが取れねえ。
うちには、インテリアる余裕はねえ。
それに、食うに困ってるんで、食料品とかとてもありがたい。
現に私の友人は、安いレトルト食品とかを送ってくれる。
安いからお返しはいらない、お返しをするならもう送らない、と言って。
私の事を本当に考えてくれるこの行為こそが
“思いやり” ではないか?
私はお返しはしていないけど
彼女が私の助けを必要としたら、何でもするよ。
犯罪行為でさえ。
そんな彼女が、私に犯罪行為をそそのかすとは思えないから
断言しているわけで、私はそれだけ彼女を信頼しているんだ。
私の望む喜びを与えてくれる人だから。
この記事は、過剰な贈り物に困っている家もある、という情報である。
うちのかあちゃんは、「せっかく貰ったものだから」 と
捨てるのはしのびないんで、私に押し付けていた。
これは贈った人への感謝の気持ちからだろ。
捨てる役目の私は、迷惑でしかない。
好みもあるだろうけど、不味いものってあるんだよ。
んで、どうでも良い、よくある味のは食い飽きる。
そういう “銘菓” の大箱など
老人ふたりの家庭に贈らないでほしい。
相手の状況を考えれば、贈り物が多い家だとわかるだろうに
うちの親を知っているのだから、礼状1通だけでも喜ぶ、とわかるだろうに。
贈り主を知らない私は、そう怒りつつ捨てる。
・・・ああ、そうか、贈り主を知ってたら捨てられないんだ・・・。
だから、かあちゃんは私に押し付けてたんだな。
お中元お歳暮なんか、単なる習慣でしかないやり取りになっていて
経済の活性化以外に、価値を見い出せない。
経済の活性化は大事だけど、ゴミも増えるんだよな。
何度も言うけど、“ほんの気持ちだけ” というのを
“とにかく何か物を贈る気持ち” ではなくて
“高価なものではないけれど
喜んでもらえるように、あなたの事を考えましたよ” に、してほしい。
とうちゃんが死んだ時に、私はかあちゃんに提案した。
もうお中元お歳暮のお気持ちは辞退いたします、と
葉書を送ったらどうか? と。
現に、そういう葉書をくれた人もいるんだよ。
その時のうちの両親の反応が
「お金に困っているのだろうか?」 という心配だった。
・・・そこんち、歩くのが年々辛くなるから、と言って
東京の目黒区の一等地の一軒家! を売って
確か、同じ目黒区の駅真ん前のマンションに引っ越したんだよ。
ものすごい大金持ちだっつの!
そこんちも、過剰な贈り贈られに疲れ果てたんだと思う。
で、この脱落、かあちゃんは拒んだ。
食うに困っても、止めないわ! と。
兄も私も、やれやれ、と思ったけど
この贈り物の呪縛、解くのには勇気がいるんだろう。
私の意見は、貰い過ぎる家庭を間近に見てきた者の意見。
贈ってくる人を知っているわけではない。
贈る側としての言い分もあると思う。
けど、酒乱の父を持ったんで、飲酒を一切しない私の結婚家庭に
その事情を知っているにも関わらず
毎年お中元お歳暮にビールを贈り続けた人を、私は好きになれなかった。
貰い物に文句を言うなんて、という今までの常識は
今こそ、くつがえるべきではないのか?
不況にあえぐ日本で、エコエコ言うのなら
“とにかく何か贈るのが気持ち” じゃなく
相手に負担をかけずに、必要なものを適量で。
贈り物も、頭を使うべき。
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評価: 山本海苔店
コメント:海苔だきゃあ、お中元お歳暮用の高級海苔が美味い! それを食べてた時は、スーパーで売ってる海苔が不味くて食えなかったぜ。 今食ってるの? スーパーで売ってるただの海苔じゃないぞ。 大安売りの海苔だぞ! 貧乏暮らしも長くなると味覚も落ちぶれるんだよっ。 |
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