長老会メンバーたちが苦悩している日々の中
グリスもまた、悩んでいた。
あの日、早目にバイト先に向かっていたグリスの目に
見慣れない光景が飛び込んできた。
黒塗りのリムジンが、対向車線に停車している。
このあたりでこのような車を見るのは珍しい。
特にこのあたりは車の往来も人通りも少ない場所である。
グリスはナンバーを見て、一層怪訝に思った。
軍の車・・・?
運転手も乗ったままである。
グリスは警戒しながら、足早に通り過ぎようとした。
その時、後部座席の窓がスーッと開いた。
グリスは我が目を疑った。
乗っているのは、主である!
頭が真っ白になったグリスは、そのまま立ちすくむしか出来なかった。
主は無表情で自分を見つめている。
車が行ってしまった後も、グリスは立ち尽くしていた。
「ね、グリス、どうしたの? 大丈夫?」
声を掛けたのは、バイト先の近くの本屋の店主だった。
バイト帰りにたまに寄るので、顔馴染みである。
グリスはその声で、現実に引き戻されたのだが
動揺していて、まともに話せる状態ではなかった。
それでも気力を振り絞って、答えた。
「カフェの店長に伝えてくれませんか・・・。
突然で悪いんですが、今日のバイトは休みたいんです。」
「ええ、それは構わないけど、すごく顔色が悪いわよ?
体調が悪いみたいだから、寮まで送りましょうか?」
「ありがとうございます。 大丈夫です、ひとりで帰れます。
すみませんが、急ぎ伝言をお願いしたいのです。」
店長は、公園のフェンスに寄りかかるグリスを気にして
振り返りながらも、カフェの方へと歩いて行った。
その姿が角を曲がると、グリスは公園の茂みへと身を隠した。
グリスは、学校に入って最初の1年は帰省していたのだ。
だけど館で主の側にいると、もう出て行きたくなくなる。
それでも我慢して寮に戻っても
その後何週間も、寂しくて寂しくてたまらない。
そんな事を繰り返す自分が、とても情けなく
また学業にも支障が出るので、帰省しなくなったのだ。
そうやって耐えて、考えないようにして3年
もう大丈夫だと思っていたのに、成長したつもりだったのに
一瞬!
たった一瞬で、主はぼくの積み重ねてきたものをブチ壊す!!!
ニコリともせず、ただチラリと見るだけで
ぼくの過去も未来も現在も、すべてその手中に収めてしまう!
ひと気のない公園の茂みの中で、グリスは声を殺して号泣した。
グリスが寮に戻ってきたのは、夕方暗くなってからだった。
泣き腫らした顔を見られないよう、うつむき加減で自室に急いだが
その姿を見かけた者は、ひと目で異変に気付いた。
「おーい、グリス、どうしたんだー?」
呼び掛ける声にも振り向かず、ただ片手を上げて通り過ぎた。
自室に戻ってすぐ、ベッドに潜り込み布団をかぶって泣いた。
自分が自分のものじゃない事への失望感からだった。
翌日も、講義もバイトも休んで部屋に閉じこもったグリスを
あまりの事だと心配した友人が、ドアをノックする。
「グリス、ぼくだよ、アスターだ。
皆も心配しているよ、顔を見せてくれないか?」
グリスはドア越しに答えた。
「ごめん、大丈夫だから。」
「きみがぼくなら、それで引き下がれるかい?」
アスターのその言葉に、グリスはドアを少し開けた。
グリスのずっと泣いていたであろう様子に、アスターは驚いたが
刺激を与えないように、優しく言った。
「言いたくない事を訊くつもりはないけれど
ぼくはきみを親友だと思っているんで、このまま放ってはおけないよ。
良かったら、少しでも話をしてはくれないだろうか?」
アスターは、グリスより4歳年上だったが
グリスが寮に入ってきた当初から、優しく接してきてくれて
何かと頼りになる存在であった。
もの静かで落ち着いているけど、面倒見が良いアスターを
グリスも兄のように慕って、信頼を置いていた。
そんな友人が出来ただけでも、この大学への入学は価値がある事だった。
グリスは無言のまま部屋の奥に引っ込み、ベッドに腰掛けた。
アスターも無言で部屋に入り、ドアを閉めた。
その手には、お茶と水とサンドイッチの乗ったトレイがあった。
トレイを机の上に置き、アスターはグリスの横にソッと座った。
グリスが話す気になるのを、気長に待つつもりだったが
ふと見ると、膝においていたグリスの手の甲に涙がポトポトと落ちている。
グリスの顔を見ると、長いまつげを伝って涙の粒がこぼれ落ちている。
アスターはグリスの背中を優しく撫ぜた。
グリスは耐えられずに、両手で顔を覆って肩を震わせ始めた。
それでもアスターは無言のままだった。
どれぐらいの時間、そうしていたのかわからないが
少しは落ち着いたのか、グリスがつぶやくように言った。
「ごめんね・・・。」
その言葉にもアスターは無言だった。
グリスは頬を拭うと、ポツリポツリと話し始めた。
館の事は極秘事項なので、差し障りのないように言葉を選びつつ
簡単に自分の生い立ちを喋った。
自分が外国の孤児で、まだ幼い頃にこの国に引き取られた事
その引き取り先の跡継ぎになる予定である事
そして “主様” と呼ぶ女性の事
アスターは、ただ静かに聞いていた。
続く
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