ジジイは痴呆を発症していた。
この事は、長老会や館へと速やかに通達され
手配された専門医によって、適切な処置も取られたが
年齢も年齢なので、屋敷で余生を自然に過ごしてもらおう、となったのである。
ただひとつの問題は、この事を誰がグリスに言うか、であった。
ズルズルとなすりつけ合いをしていたら
グリスが先に気付いてしまったのである。
グリスのショックは相当なもので
誰もが、自分が伝えなくて良かった、と思ったほどであった。
「おじいさまには、館へ帰って来てもらいます!」
グリスの泣き顔での、この訴えを退けられる者はいない。
館で過ごせるのなら、それはジジイにとっても良い事に思えた。
館では住民を集めて緊急総会が開かれ
ジジイの状態と、その対応について話し合われた。
しばらくの間は外部からの訪問者、観光客も断ろう、となった。
住民たちにも、ジジイの出戻りは何の異存もなかった。
かくてジジイは、館へと凱旋を果たした。
ジジイは館で自由に振舞えた。
歩き回りたい時に歩き回り、食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。
おぼつかない足取りで、ゆっくりゆっくりと歩くジジイの後ろには
いつもSPが控えていた。
彼らは街の屋敷時代からの護衛で、望んで任務を引き続けた。
皆が自分の生活をする中、さりげなくジジイを見守っていたので
事故もなく、快適な生活を送れていると思われた。
ただ一点を除いて。
ジジイはすれ違う人を捉まえては、訊いた。
「アッシュはどこじゃ?」
これを訊かれた人は、微笑むしか出来なかった。
「さあ? どこでしょう?」
そしてジジイが再びウロウロと探し始めるのを見て、目頭を拭うのだ。
ジジイが、朝、目が覚めたら、ベッドに朝食が運ばれる。
世話係、時にはグリスが食べるのを手伝い
身支度を完璧に整えられると、ジジイは館を歩き回り始める。
昼になると、主の演説映像が流され始める講堂に行く。
真ん中あたりの列の長椅子の、中央付近に座って
首を少し左右に振りながら、主の映像をニコニコと観る。
それが終わると、執務室へと行ってお茶を飲む。
そして主がいない事に気付き、探し回るのだ。
ジジイは、グリスもリリーも誰の事も一切覚えていなかった。
ジジイの記憶にあるのは、“アッシュ” だけであった。
この事は、グリスをひどく悲しませたが
同時に、その気持ちも痛いほどにわかるので
グリスはヒマを見つけては、主探しを手伝った。
「ぼくも主様を探したかったんですよ。」
後年になって、グリスはそう言って微笑んだ。
ジジイは、主の墓の前で倒れた。
葬儀は館関係者のみで行われた。
長老会メンバーも全員出席した。
しかし館最後の生き証人として、有名人になっていたので
国中から見物人が集まり、館の門の外は人で埋め尽くされた。
報道ヘリまで飛ぶ有り様だった。
続く
関連記事 : かげふみ 57 12.5.15
かげふみ 59 12.5.21
かげふみ 1 11.10.27
カテゴリー ジャンル・やかた
小説・目次
コメントを残す