この言葉は、故かあちゃんが言ってた言葉で
皆で食べるもの、大皿の料理とかお菓子とか
その最後の1個は、遠慮して手を出さないのが礼儀なんだそうだ。
この解説、私の記憶なんで、もちろん怪しい内容で
“いっちょ残し” じゃなくて、“ひとつ残し” かも知れん。
かあちゃんとこの家系は、誇りある熊本市民なんで
こういう風習は実在するんだろうけど、どこの地域の話かはわからない。
私は広島の父親と熊本の母親の間に
しかも他県で生まれ育ったので、何県人でもないのに
何故教えてもいない、この肥後のいっちょ残しをするのか
母親も不思議がっていた。
だけど私自身はその答を知っている。
遠慮や礼儀ではなく、単に少食だからなのだ。
この言葉をどういう時に言われていたか、っちゅうと
私、自分でもよくわからないんだけど
“最後のひと口” になると、途端に満腹になるんだよ。
それも、もう絶対に口に何も入れたくないぐらいのレベルで。
つまりキレイに食う事が出来ずに、行儀が悪い事この上ないんだが
自分ちで他に人がいないんなら、やりたい放題で良いだろ?
もったいないない、とかの問題は残るけど
それで無理に食うと、胸焼け吐き気など気分が悪くなるんで
健康がもったいないじゃん。
今でも、この最後のひと口残しはたまにやっている。
ただ親の前では怒られるんで、ハナから手を付けなかった。
そもそも母親ってさ、何であんなに大量に飯を作るんだ?
特にうちは異常だったんだ。
うちのとうちゃんは、晩飯は酒オンリーでつまみも食わないくせに
目の前に5品以上、料理が並んでいないと怒るヤツだった。
私なら、ふざけるな! と、フライパンで頭をかち割っとるとこだが
体が弱いので素手で殴る事はしないのが、私の流儀だが
うちのかあちゃんは料理自慢なんで、毎晩それをやっとった。
兄の友人など、かあちゃんの飯目当てで
1ヶ月以上うちに滞在するヤツもいたほどだ。
食費も入れんと。
父親やお客優先なんで、私の飯は肉のみ、とかだったが
ひとり暮らしを始めたら、帰省する度に
私にも優待券が回ってくるようになった。
2~3日は、豪勢なもてなし料理なんだ。
その後は放置気味になるんで、親の愛のテンション持続期間なんて
そう長いもんでもないんだな、と冷静に悟ったもんだ。
親も私も熊本に移住してからは、たまに食事の誘いがあった。
飯を作ってくれる時はもちろん
店に食いに行った時にもバンバン注文して、テーブル中に料理が並ぶ。
飯については、私にしては珍しくデリケ-トな性質なんで
皿に山盛り乗ってるのを見ただけで、満腹になるんだ。
同様に多くの料理を見ると、それでもう食べる気が失せる。
餃子の王将ってあるけど、あそこは持ち帰りしか利用しない。
一度行った時に、周囲の席のテーブルが凄かったんだよ。
おめえら、それを本当に全部食うんか? と訊いて回りたいぐらいに
店中の客が大量注文してたんだ。
王将って、どこでもいつでもこうなんか?
とにかくそれを見て、もうこっちは食えなくなってな・・・。
“料理は目でも食う” って本当なんだな、と思ったよ。
いや、この言葉の本当の意味は違って
“美しい盛り付け” の事なんだけどな。
大量に出されると、もうそれだけで食欲がなくなる。
頑張って食っても、まるでマラソンのゴールの手前で倒れるかのように
最後のひと口で、挫折する。
下方向を向いたらヤバい、ってぐらいに。
かあちゃん世代にありがちな、“大量の食い物が幸せ” 攻撃で
その最後のひと口残しグセが付いて
ヤクルトも飲み残すドアホウになってしまったんだと思う。
が、こんなん全部、言い訳だとわかっている。
多分、私は産まれた途端、こういう性質だったんだよな。
でも少食の人には、食関係でひどいトラウマ持ちが多いと思う。
こんぐらいグチっても、バチは当たらないだろうよ。
・・・食い物を残してきたバチは当たるかも知れん・・・。
てかな、食えないほどの量を出すヤツにもバチを当ててくれよ!
あっ、やっぱ今のなし。
かあちゃんにバチが当たるぐらいなら、私に当ててください。
せっかく成仏しているだろうに、地獄に落とされたら祟られかねん。
どう転んでも私も痛い目を見そうな気がするんで、せめてひとりで痛がるよ。
ほんとすいませんほんとすいません。
評価: 瑞鷹
コメント:熊本独特のお酒だと思うんだけど、トロミがあって甘いんだ。 これをみりん代わりに煮物に使うと、コクがあってまろやかな美味い仕上がりに。 つまり私レベルでも料理上手を装えるって事! これ、熊本以外の人には知られていないだろうから、今の内に! |
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