私には絵心がまったくない。
色彩学の先生に、「おまえは色盲か!」 と怒鳴られるレベルである。
そんなドアホウが言ってる事なので
どうか、天高くから見下ろして気の毒がってくれ。
にしても、その怒り方も、本当に色盲だったらどうするんだよなあ。
てか、うちのパソコン、色盲の漢字も変換しやがらねえ。
もしかしてこの言葉、人権とやらに差し障るのか?
ともあれ、最初に言い訳をせねばならないこんな世の中なんて
何て びょ・う・ど・う (笑) ← 火に油
そんな私は、もちろん有名画の価値もわからない。
特に抽象画。
抽象画の範囲すら知らないんで、ザックリいくけど
ゴッホの言いたい事は何となくわかる。
ああいう画風でいきたかったんだろう。
だけどシャガールになると
何で空中にいきなり馬の生首が浮くのか、さっぱり理解できない。
映画 “月の輝く夜に” に出てくるオペラをする建物
ごめん、音楽の知識も見事にないんで、アホウ丸出しの説明だけど
あの天井か壁かがシャガールの絵じゃなかったか?
それを、「シャガールはこの赤が見事なんだ。」 と誰かが言っていたので
ほお、シャガールはあの赤が見事なんだな、と丸暗記している次第である。
・・・何か、ものすごく勘違ってるような気がせんでもないんで
今までのところを確認しに行ってくる。
えーと、シャガールは壁画で
ニューヨークのメトロポリタン・オペラハウスだって。
あれ? リンカーン・センターって話もあるけど・・・。
ああ、わかった。
アメリカのニューヨーク・リンカーン・センター内にある
メトロポリタン歌劇場 (オペラハウス) だってさ。
このリンカーンセンターには、芸術的な施設が集まってるらしい。
私んちで言えば、ゲームソフト収納庫といった位置付けか、なるほど。
私の記憶、割と当たってたよな。
でも、シャガールの壁画は2個あるらしい。
・・・ええ? そうだったっけ?
さて、うちの家はマンガ禁止であった。
理由は、「マンガなんて読むとバカになる」 である。
マンガを読まずとも存分にバカである事実を告げなかったのは、親孝行。
だが、TVでアニメはやっていて
何故か “サザエさん” は必ず観ていた、うちのとうちゃん。
関係ないが、うちのとうちゃん、カツオのちゃっかりさが嫌いで
あの男子がいらん事をすると、かあちゃんに怒っていた。
いや、カツオ、うちのかあちゃんが育てたわけじゃないし。
“サザエさん” のような絵は、実物の略画として
うちの親系の頭の固い人々も、すんなり受け入れていたが
少女マンガになると、途端に怒り出す。
“ベルサイユのバラ” を観て
「何であんなに目が大きいのか!」 と
とうちゃんは、今度は私に怒り出したが
「私が描いてるわけではないので、わかりません。」
と答える以外に、どうしろと?
てか、うちのとうちゃん、TVで気に入らない事があると
すぐ家族のせいにする、それは何の芸風なんだよ?
“頭が固い” 以上の、判断障害があるとしか思えんぞ。
今、私はあの時のムチャな父親の年齢をも越したわけだが
マンガ、大好きである。
絵柄に何の疑問も抱いてない。
が、さすがにコナンが出てきた時には驚いた。
すぐに見慣れたけどな。
しかし、特に外国人が日本のマンガにケチを付けてた時代があった。
何だあの絵は日本人には人間がああいう風に見えるのか、的な
まるでうちのとうちゃんの再来であるかのように。
しかし、慣れと言うのか、何でも日本が一番!の私には
アメリカンコミックの方が違和感がある。
妙に写実的で、2次元の夢を見る事が出来ない。
まあ、お国柄か? とか流していたけど、ふと思った。
とうちゃんや昔の外国人が言ってた事は
私が抽象画に対して言ってる事と同じではないのか?
そこで私はひとつ、結論を見出した。
数ある絵の中で、一番理解できないのがピカソなんだ。
“画風” にしては、突飛すぎる。
もし、こういう絵を描く人が身近にいたら
皆も当たらず触らずで、やり過ごすだろ?
ピカソの鉛筆デッサンの絵を見た事があるけど
もんのすげえーーーーーー上手いんだよ!!!!!!
素人目にもわかる程、上手い。
なのに絵筆を持たせると、目があっちゃ行きこっちゃ行きだろ?
心、大丈夫か? と心配しちゃうよな。
だけど、そういう私の芸術的センスのない感想も
頭の固い人が言う、マンガへの感想と一緒なんだよ。
「人間があんな風に見えるの?」
よって、日本のマンガはピカソレベルの大芸術!
という結論に至ったわけだ。
この考えになった事で、抽象画に対しても
敬意を持って見るようになったけど
やっぱり1mmも理解できず、付いてる値段でしか価値がわからない私は
芸術を語る資格は1ミクロンもない。
て言うか、今はその値段ですらも信用ならんよな。
“欲しい人” たちの中で、一番高く買える金額なんだもんな。
絵に何億も何十億も出せる世界とか、想像も付かないよな。
あ、一応擁護しておくけど
ピカソは1枚の絵を描くのに、何百枚もデッサンをした
という話を、どっかで見たか聞いたかした事がある。
そしてすぐに擁護台無しにするけど
それ、ピカソの話だったか、確信がない。
たとえピカソの話だったとしても
あの凄いデッサンが、色を塗ったら何でああなるのか?
という、凡人の疑問は消えないがな。
“ミリ” の下の単位は “ミクロン” で良いんかな、と調べたら
それって何かえんらい昔の言い方で、50年ぐらい前には廃止されてるんだと。
今は “マイクロ” と言うらしい。
時代の移り変わりについていけねえ!
・・・てか、ついていけてた時があるのか・・・?
評価: 田島昭宇 飛鳥新社
(2011-06-04) コメント:20世紀の頃に、“マダラ” というマンガを描いていた人。 今は “サイコ” という漫画を連載してるはず。 造詣が浅すぎてすまんが、“マダラ・赤”の頃の絵が、ものすごく好みだったんだ。 |
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