チェルニ男爵領は、東国の北西の端にある。
北と西には、年中雪が溶けない高い岩山がそびえる。
閉塞感が溢れる、山あいの荒れ地の中
それでも人々は、大して作物も育てられない畑を耕し
家畜を育てて、何とか暮らしていた。
貿易できるのは、わずかばかりの羊毛だけである。
11月には、もう雪が降る。
東国自体が温暖な気候の地なので、それ程積もりはしないが
3月いっぱいまでは、悪路ゆえに交通が遮断される事も多い。
その上にさしたる産業がないのが、男爵領が栄えない原因であった。
公爵家の娘は、まるで翼が折れた鳥のようであった。
チェルニ男爵の配慮により、あまり人がいない湖畔の
静養地にある小さな城で、空ろな日々を過ごした。
日がな一日、揺り椅子に座って湖面を見つめる時も多かった。
あの時のあの湖を、思い出さなくて済んだのは
吹き渡る風が冷たく、湖面に映る山が白く尖っていたからである。
ここは、通り過ぎていった日々を、何ひとつ思い出さずにいられる。
だけど何故だかわからない悲しみが、とめどなく溢れ出てきて
いっそ気が狂ってしまえたら、と思ったりもする。
公爵家の娘は、時間のほとんどを
“何も考えないように努力する” 事に、費やした。
チェルニ男爵は、頻繁に公爵家の娘の居城へと来ていた。
しかし顔を出す事は、滅多になかった。
自分の顔を見たら、あの宮廷での日々の記憶に繋がるかも知れない。
今の公爵家の娘は、何がきっかけで傷を再確認するのかわからないのである。
チェルニ男爵は、城から見えない場所に馬を繋ぎ
歩いて裏口から城に入り、侍従長を呼ぶ。
姫さまのご様子はどうか、足りないものはないか。
時には一晩、城へと泊まり
気付かれないように、物影から公爵家の娘の姿を伺う。
そして静かに去って行くのである。
夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て
また夏が来て、また秋が来て、また冬が来て、また春が来て。
何度それを繰り返したのか、数えてもいなかった。
今はいつなのか、どうでも良かった。
公爵家の娘の時間は止まってしまった、と誰もが諦めた。
だからその日のチェルニ男爵は
“ヘマをやらかした” としか言えなかった。
いつも通りに、馬を離れた場所に繋いで
城へと歩いて行く途中で、公爵家の娘と出くわしたのである。
公爵家の姫の表情に、ゆっくりと自責の念が表われた。
続く
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