橋下大阪市長には呆れたぜ。
自分が間違ってる、とわかった時には
速やかに軌道修正するのが良い事だ、と思っていそうだけど
それは私も賛成だけど、ひとつ訊きたい。
信念ってあるんか?
私はTVニュースで観ただけの情報しかなくて、それで批判するけど
桑田元投手の話を聞いて考えを改めた、って本当?
それが本当なら、そんな特殊なケースを聞いて
大勢の一般人にも影響するような事を決めるなよ。
私のように、ブログにでも書いておけ、な?
桑田元投手と言えば、PL学園野球部。
甲子園で勝つ事だけを目標にした、“野球留学” で
全国から有望な選手を集める系の学校。
そうやって入学した野球特待生は、部活さえやってれば良い
という時代だったので、野球で挫折したら退学もありえたんだと。
だからレギュラーになれない生徒は、グレる事も多かったらしい。
そういう学校の部活が普通か? 一般的か?
ただでさえ強豪校の特待生など、優遇されているんだから
増してや、まだ思春期なのに “違い” を実感させられるんだから
必要以上に厳しく接するのは、しょうがない。
天狗になられて、鍛錬を怠られるのが一番困るからな。
このように特殊例を聞いて、通常事項を決めるのは
感情的に物事を動かしている、と思われる行為である。
と、ここまでは橋下市長への文句。
こっからは、体罰のありよう。
私の体験談を例に話そう。
まあ、これも特殊じゃあるんだけど。
私はド田舎の生まれだけど、小中とひどい暴力を振るわれてきた。
私の時代は、“体罰” という言葉はなかった。
教師が生徒を殴るのは、ごく普通の事だったのだ。
そういう環境にあっても、私の殴られ度は異常であった。
何かあれば、私が前に引きずりだされて殴られる。
それも体が吹っ飛ぶほどの力で。
それで背骨をイわした事もあるし
ビンタで中耳炎か何かを起こし、3か月間ぐらい
耳がまったく聞こえなかった事もある。
母親が私の訴えで、一度 “話” に学校に行ったけど
当時の教師は “聖職”
私は我がままで甘やかされた子。
教師に言いくるめられて、そっから親は教師の暴力を放置。
私も頭が悪いガキだったので、意味が分からず放置。
私が悪い事もあったけど、冤罪も多かった。
友人たちは、「何であんたばっかり怒られるんだろうね?」
と、不思議がっていた。
私も不思議であった。
だけどある教師が発した言葉で、今ならその仕組みがよくわかる。
「リーダーがちゃんとするべきでしょう。」
私は落ち着きがなく、うるさい子だったので目立っていたらしい。
友人たちは言った。
「うちのグループにリーダーなんていないよね。」
私はむしろ、人に付いて行く方だったのだ。
では何故、教師たちが私を標的にしたのか?
私の場合、うちの親が村の有力者だったからだ。
つまり、日教組教員たちから
“権力に屈しない私” の登竜門にされていたわけだ。
これは関係者から直接聞いた話である。
でも権力者は私ではなく、うちの父親。
しかもその父親は、半端な日教組よりも
強い信念を持つ、真の共産主義者。
“子供は全員で育てるもの” という思想で
我が子と他人の子を、母がイラ付くほど同等に捉えていた。
て言うか、子供自体が嫌いだったっぽい。
だけどそんな事を知らない教師たちに
私は、“見せしめ” にされたのだ。
教師は強いんだよ、誰であろうが逆らえないんだよ、と。
まあ、集団を束ねるなら、これもありかな、と思う。
でも同じように殴る蹴るをやって、生徒たちから好かれていた教師がいた。
何が違うのかというと、これまた “信念”。
学校は勉強をする場で、俺は教える立場、
よって学力を上げるためにはどんなムチャもするぞ、と宣言していた。
勉強以外では、ふざけた我がままな大人で
生徒からも、「もう、しょうがないなあ」 で失笑されていた。
だけど授業になると、クラス中が震え上がる。
その人は、「集団でしか何も出来ない弱虫め!」 と
職員会議で日教組批判をし、敵を増やしつつ自由に振舞っていた。
私は、見せしめも愛ある体罰も、両方経験した。
子供当時に、一部の人の同情により明かされた “大人の事情” も
バカガキだったので意味がわからず、最近になってようやく理解できた。
だからこそ言う。
体罰は必要である。
暴力はいらない。
この2つ、似ているけど全然違う。
暴力を体罰と言うな!
体罰必要論には、もうひとつ理由がある。
私は毎日、殴る蹴る投げ飛ばされる、をされていたので
どんなに暴力を振るわれても平気になっていた。
だけど他の子は、男の子でもちょっとゲンコツぐらいでヒイヒイ泣く。
殴られた事がない子は、打たれ弱いのだ。
そして、“殴られた” という事に過剰反応をする。
さあ、ここでよく考えてみてほしい。
今、問題になっている体罰教師。
こいつにも親がいる。
こいつはどういう育てられ方をしたのか、それを調べるべきである。
そうやって、ドグラのサンプルを集める事で
子供の教育の方向性が見えてくるはず。
今起こった事だけをギャアギャア言っても
せいぜいが “体罰禁止” という
体罰も暴力も一緒くたにした、浅い答しか出てねえだろ。
この問題に隠れた真の重要点は、“子のしつけ” だと思う。
現在が大人になってるから、見逃されがちだけど
どんな人間も、親に育てられているんだから。
有識者が机上でどう言おうと、ドグラは聞いちゃいない。
そして人をバシバシ殴り、踏みつける。
ドグラに育てられた子もドグラになり、人を殴る。
体罰はダメ、を守ってきた善良な人の子は
叩かれずに育つので、打たれ弱い。
せっかくのその良識も、一発ガツンとやられたら心がポッキリ。
よって、世はドグラの天下。
人間もしょせん動物だから、力が物をいう事もある。
犠牲者を悼む心は誰でも持っている。
だけどその対策には、同情が邪魔になる場合もある。
今後も犠牲者を出さないためには。
ほれ、私を見てみろ。
小中と、あんだけはちくり回されたお陰で
どんなに非難、罵倒を浴びてもくじけず
10年以上、好き勝手にブログで言いたれとるだろ?
傷付くけど、心も打たれ強くなっているもよう。
バカ無双を発揮してるだけかも知れんが。
“ドクラの子はドグラ” という理論を、私は持っているけど
これに、まんま当てはまらない場合もあるぞ。
でもやっぱり、どっかで 「あの親にしてこの子ありだなあ」
と、良くも悪くも思う事が、圧倒的に多いので
この持論を変える気はないな。
これは誰もが、いつかどこかで気付いて愕然とするはず。
自分、親から色んなものを受け継いでる・・・、って。
それをどう使うかで、また違うので
“蛙の子は蛙” は、そう悪い意味でもない場合もある。
悪い事のが目立ちやすいけどさ。
評価: 大阪屋製菓
コメント:雀の卵はこれが一番美味い! 数十年も食ってきた雀の卵ソムリエの私がベットリお墨付き。 ちなみに、“じゃんのらん” じゃねえぞ、“すずめのたまご” だぞ。 中はピーナッツが入ってる甘辛い醤油味の駄菓子だ。 初の5つ星! |
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