殿のご自慢 10

敵味方両軍の片翼が静止する、という、とんでもない事態に
後ろに控える高雄が、やむを得ず乾行のところに馬を走らせた。
 
「おい、乾行、伊吹はどうした!」
乾行にも推測しか出来ないが、事は急を要する。
 
「多分あれは、伊吹の女じゃねえかと思う・・・。」
「何っ?」
 
敵軍の先頭にいるのは、真っ赤な甲冑を着た女性で
伊吹を見て、明らかに動揺している。
 
伊吹も伊吹で、どうする事も出来ずに
ただ馬上で呆然としている。
 
 
我らの三角が・・・
 
高雄は舌打ちをすると、馬の腹を蹴った。
馬が前足を高く掲げ、走り出す。
 
「乾行、この場を頼む。
 安宅、来い!」
呼ばれた安宅が素早く反応する。
 
 
時の流れが止まった空間を、高雄の馬が蹴り破る。
高雄は伊吹の前に割り込み、娘を抱えた。
 
伊吹には、その動きがえらくゆっくりしたものに見えた。
すべてが止まった世界で、目の前を誰かが横切っていく。
目の前にいたはずの娘が連れ去られていく。
 
娘がこちらへと伸ばした手を、伊吹は掴もうとしたが
ふたりの手は、あと少しの間を残して空を切った。
 
 
「待て!」
伊吹が叫ぶ。
「待ってくれ、その娘は・・・」
 
伊吹の声を背に、高雄は後ろから来る安宅に命じた。
「姫を預かったゆえ一時休戦、の伝令を出せ。」
「はっ。」
安宅は、真っ直ぐに走り去る高雄から分離するように馬の方向を変えた。
 
 
「あなたは龍田家の姫ですね?」
自分に目もくれずに問う高雄に、娘は戸惑いながらも答える。
「は、はい、次女の青葉 (あおば) と申します。
 あの、さっきのお方は・・・?」
 
高雄はわざとわからぬフリをした。
「誰の事でしょうか。」
 
青葉には、それが嫌がらせだと、すぐわかった。
女だてらに先駆けをしたあげくの立ちすくみなど
失態もいいとこで、軽蔑されても仕方のない事。
 
黙り込んだ青葉に、高雄がつぶやくように答えた。
「あれは伊吹。 私の友だ・・・。」
 
 
伊吹さま・・・
名を知る事が出来て、涙が出そうなぐらいに嬉しかった。
 
いくさで敵方に捕らえられた女性は
良くて、見知らぬ男の所有物になる。
多くは乱暴狼藉を働かれ、売られるか殺されるかのいずれかであった。
 
それをわかっているために、いくさに関わった家の女たちは
逃げるか、立てこもって自害をするのである。
 
青葉は人質となった。
身分ある人質は勝負の駒となるが、安全の保証はない
しかも自害も許されないであろう、最悪の事態である。
これによって、龍田家の犠牲と不利は決定した。
 
 
乾行は実に上手く立ち回った。
まず、高雄を追おうとする伊吹を馬上から叩き落し
伊吹の隊の槍兵たちに命じた。
「おまえら、伊吹を押さえとけ!」
 
そして敵兵に向かって叫んだ。
「待て待て待て待てえい!
 おまえらの姫さんは預かった。
 姫さんを助けたいなら、引けえい!」
 
そして自軍に向かっても叫ぶ。
「今日のところは休戦だ。
 元の持ち場まで戻って待機!!!」
 
 
両方の兵が、どうするべきか迷いながらも、ジリジリと後ずさりをする中
使い番の馬が、八島陣から龍田陣へと駆け抜けて行った。
 
 
 続く 
 
 
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