殿のご自慢 30

一方の伊吹も、決して舞い上がっているわけではなかった。
ただ単純に、青葉に喜んで欲しかっただけなのだ。
そして店にもお礼をしたかった。

「・・・では、おねだりしても良いですか?」
青葉が伊吹に訊く。
何を与えたら良いのかわからない伊吹はホッとした。
「おお、何でも言ってくれ。」

しかし、それは意外なものであった。
「わたくしたちに子が出来た時に
男の子には緑、女の子には赤の着物を作ってくださいませ。」

 

青葉のこのおねだりは、実によく出来た回答であったが
結婚できたのも不思議な伊吹には、子供の事など考えてもいなかった。
「あ、ああ・・・?」

「それではご主人、よろしく頼みます。
今日はこの人の着物をお願いしますね。」
「は、はい、しかと承りました。
それではお武家さま、どうぞこちらに。」

主人の呼び方に、伊吹は慌てた。
「あ、俺は伊吹、敷島伊吹と申す。
こちらは、つ、妻の青葉だ。」

真っ赤になる伊吹に、その場の全員が照れる。
伊吹さまのこういうところが好きなのだけれど
時々つらいのよねえ・・・

青葉も赤くなりながら、うつむいていると
おかみが座布団を出した。
「ささ、奥さま、お待ちしている間、こちらでお茶でも。」

 

ありがとう、と言って座る青葉に、おかみが言う。
「奥さまは高貴なお方なのですから
あたしどもに優しくしてくださる事はないんですよ。」

今まで町人という人種に接した事がない青葉にとって
その言葉には驚かされた。
「いいえ、わたくしもこれから普通の暮らしになるわけだし・・・」

乳母からの言葉をそのまま言い掛けて、ハッとする。
「あら、このような言い方は伊吹さまにとても失礼だわ!」

おかみの方も、そんな青葉にビックリした。
何の苦労もなく、裕福に過ごしてきたお姫さまだから
無邪気に気持ちを言葉を出し、素直に詫びる。
それが嫌味に思えないのは、本当に純粋だからなのだろう。

これから御苦労なさらないと良いけど・・・
おかみは、青葉の美しい白い手を見ながら案じた。

 

のれんの隙間から、町人たちが覗いているらしく
外が騒がしくなってきた。

おかみは外に出て、見物客を追い払う。
「さあさあ、静かにしとくれ。」

「おかみさーん、あたしは良いだろ?
お侍さんの奥さまにご挨拶させておくれよ。」
あの時に呉服屋に伊吹を連れて来た小物売り屋の娘である。

「しょうがないね、礼儀正しくするんだよ。」
「やったあ!」

 

伊吹が採寸を終えて戻ると、女が三人キャアキャアとはしゃいでいる。
「何だね、おまえ、奥さまに騒がしくするんじゃないよ。」
主人に怒られて、おかみが罰が悪そうである。

「お侍さん、おめでとうございます。」
伊吹は娘を覚えていた。
「ああ、おまえはあの時の・・・。
どうもありがとう。」

青葉が伊吹に、花の髪留めを見せる。
「伊吹さま、これなら短い髪でも留められます。
これを買ってくださいませんか?」

「おお、良いぞ、何でも買ってやる。」
青葉のおねだりに喜ぶ伊吹に、女二人は呆れた。

おかみは伊吹の目を盗んで、青葉に耳打ちをした。
「奥さま、財布の紐はきっちりと締めなさいませ。
男ってのは女がねだれば、考えなしに金を遣ってしまいますからね。」

その言葉に、青葉は真面目にうなずいたが
わかっているのか、いないのか・・・。

 

続く

 

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