店を出た後ふたりが向かったのは、あの丘であった。
「ここからは馬は無理だから、ここに繋いでおくのだよ。」
供の者もそこで待たせる。
丘を上り空が見えてきた時に、伊吹が振り返って嬉しそうにつぶやいた。
「・・・二人分の足跡だ・・・。」
頂上も草が青々と茂っているのが、余計にあの時の侘びしさと対比し
思わず青葉を抱き締める。
「まさか、ここにそなたと夫婦となって来れるとは・・・。」
伊吹は、ずっと疑問に思っていた事を訊いた。
「あの時に何故ここにいたのだ?」
青葉はサラリと答えた。
「戦場の下見です。
伊吹さまもでしょう?」
「何故、俺の姿を見て逃げた?」
「敵の侍かも知れない、と思いました。」
「何故、次の日も来た?」
それまでスラスラと答えていた青葉が、言葉に詰まった。
「何故、かんざしを落とした?」
「何故、巾着を置いた?」
「何故・・・。」
伊吹は問うのを止めた。
一歩間違えば、もう二度と出会えなかったかと思うと
未来ですら恐くなってくる。
青葉は伊吹の胸に顔を埋ずめた。
青葉にとって、この場所は後悔の地であった。
「逃げた後に、後悔しました。
どうしてお話をしなかったんだろう、って。
だから次の日に、また会える事を願って来たのです。
あなたがいない事に、悲しみを感じました。
かんざしは、私の代わりにあなたの元に届けば、と思って置きました。
受け取ってはもらえなかったけど、手拭いが嬉しかった・・・。」
青葉は、伊吹にギュッとしがみついた。
「いつも組み紐を髪に巻き、手拭いは胸元に入れていたのです。
たとえ頭と体を切り離されても、どちらにもあなたがいてくれるように。」
その言葉に、伊吹はゾッとさせられた。
“出会えない” どころではなく、目の前で死なれていたかも知れないのだ。
「姫・・・、俺は恐い・・・
失えぬものが出来て、心底恐い・・・。」
情けない事を言っているのは、自分でもわかっている。
だが、恋がこれほど恐いものだとは・・・。
伊吹の不安がる姿に、青葉は思った。
好きな相手と一緒になれる、って
楽しいものじゃなかったのかしら・・・?
そう言えば、お母さまを亡くしてからのお父さまも
まるで生きていないかのようだった。
散る花に落ちる陽に、ご自分を重ねていらした。
殿方って弱いものなのね・・・。
青葉は自分を抱きしめる伊吹の背中を、優しく撫ぜた。
伊吹さま、ごめんなさい
わたくしのために、あなたを苦しませてしまって・・・。
気持ちの良い日差しが降り注いでいるというのに
伊吹も青葉も、地に映る影にばかり気を取られていた。
夏がやってくる。
続く
コメントを残す