意外にも乾行は、“師” に向いていた。
青葉用の槍を選ぶところから、丁寧にやってくれた。
“見込みがない” と笑われた青葉の腕は、みるみる上がっていった。
戦場でも青葉には余裕が出てきた。
自分の周囲だけではなく、前方の様子を見て
先読みが出来るようになった。
そして味方を励ます。
美しい姫の激励は、兵の士気を高めるのに効果的であった。
そんな青葉を見て、八島の殿の側近たちも少し見直してくれた。
「青葉姫は本当に舞うように戦えるようになってこられましたな。」
だが八島の殿には不満だった。
「ふん、つまらなくなったな。」
青葉は乾行に訊いた。
「人を斬るのに慣れる時がきますでしょうか?」
乾行の答は、“わからない” であった。
「ただ、姫さんよお、こんな時代に生まれてきて
人を斬りたくない、と思うのなら、自分が斬られるしかねえんだ。
好き嫌いで判断しちゃ危ない場合もあるんだぜ、気を付けな。」
青葉は、乾行のこの割り切りが好きだった。
側にいて、とても楽であるからだ。
「わたくし、この稽古が好きです。」
青葉がそう言って微笑んだ日の夜は、
乾行は必ず町へと飲みに出掛ける。
馴染みの女の膝枕に、つい心が漏れる。
「俺が一番の幸せ者かもなあ・・・。
何の責任もなく、ただ美しさだけを近くで愛でていられる。」
乾行が何の事を言っているのか、女にはわかっていた。
あの美しいお姫さまの事だね。
赤染めの鎧が城門から出る時には、見物人が耐えない。
いつも緑の鎧と並んで馬を進める。
あの緑の鎧のお侍さんは、旦那の親友でお姫さまの夫だと聞いた。
女は膝の上の乾行の頬を撫ぜながら、優しく言う。
「どうです? もう一本つけましょうか?」
乾行は いや、もういい と答え、女の手を掴んで引き寄せる。
「旦那、浮気しちゃ嫌ですよ。」
女の言葉に、乾行は笑うだけで返事はしなかった。
青葉の稽古は、乾行の住む八島の城で行なわれた。
最初は人目の少ない伊吹の屋敷に、乾行が通うつもりでいたのだが
八島の殿が、教えに来てもらうとは何様だ、と意地悪を言ったからだ。
八島の殿は、ふたりの練習を覗き見たかっただけだが
一目見て、“絵にならないふたり” に失望した。
八島の殿にとって、乾行は “つまらない” 男でしかなかった。
ひょうひょうとして、イジメどころがないからである。
しかし青葉の美しさを眺めていたい城勤めの者にとっては
この、槍の稽古日が楽しみのひとつとなった。
稽古は馬小屋の近くの、人通りの少ない裏庭で行なわれたが
その時刻に限って、馬小屋に “用事” がある者が多く
邪魔はされないのだが、集中しにくい状況であった。
「ま、しょうがねえよ。
あんたはどこに行っても、こうやって見られるだろうから、
平気だろ?」
乾行の気軽な言葉を、青葉は自然に肯定した。
「ええ。
見られない方が不安でございます。
そういう時は、ひどく憎まれている事が多いのですもの。」
乾行は青葉のこの、お姫さま気質も気に入っていた。
無邪気に恐い事をサラリと言う。
だが憎めないのは、嫌味がないからだ。
自分が優遇されている事を、普通に口に出来るのは
恵まれた環境で育ってきたからだな。
ふたりの稽古は、乾行が時折笑い話を交えながら進められる。
楽しくないと、身に付かないもんな。
これは乾行の主義であった。
乾行が青葉に槍を教えているのを、通りがかった伊吹が見つめる。
雑談に笑顔を咲かせる青葉。
つい、うっかりしていた。
今日は稽古の日か・・・。
それを遠くから、目ざとく高雄が見かけて睨む。
あいつはああやって、無防備に感情を出す。
あいつを妬む者たちには、それが大好物だというのに。
それよりも、あの “青馬鹿姫” の無神経さには腹が立つ。
だが私が護衛など、もってのほかだったし
何より乾行の教え方が上手いお陰で
青馬鹿姫の戦闘に、大殿が興味を失くしたのは大きい。
これが最善だったか・・・?
いや、いずれにしても、あの青馬鹿姫のせいで
私たち皆が、しなくて良い気苦労をせねばならぬ。
まったく、これ以上になく邪魔な存在よ・・・。
高雄は、ここを通らなければ良かった、と後悔し
きびすを返した。
続く
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