アメリカで開催された野球大会の事だ。
私が応援しなかったから、日本は優勝できた。
おめでとう!!!!!
準決勝で敗退した韓国が、自国のニュースで
「日本は漁夫の利で優勝した」 だの
「幸運にも優勝した日本」 だの言ってるのを見て
ほんに見苦しい、と思っていたんだが、韓国野球界が
「日本は韓国に2敗したのに優勝した。
これでは日本も納得できないだろうから、秋に再戦しよう。
気候の問題がないように、ドームのある日本で。」
と、言い出した時には、呆れる以外にどうせえと?
今回の大会は、ベスト4をリーグ戦によって決め
その4強でトーナメントをして、優勝を決めるというルール。
つまり、リーグ戦で全勝する必要はない。
極端に言えば、リーグ戦は、ベスト4に残る事が目的で
何勝しようが意味はないのである。
この大会のルールを把握して参加してたんじゃねえのか?
日本、絶対にこの申し出を受けるなよ。
いくら 「日韓友好」 とか、付け加えたとしても
“再戦” と言ってるんだから、受けたら
開催国、参加国、WBC関係者全員に失礼だぞ。
そもそも 「恨みを晴らす」 とかいう感覚でスポーツをするべきではない。
球場にも、竹島問題の垂れ幕を張ってたアホウがいたが
いくら国交に問題があっても、スポーツの世界に
それを持ち込むのはタブー、まともな人間のする事ではない。
ましてや、負けた後に文句を言うなど愚の骨頂。
どんなスポーツでも、たとえ何連勝していても
次も必ず勝てる保証はないし、負ける覚悟も背負ってやっている。
人は悪い時に本当の人格が出ると言うが
反省のないヤツに進歩はない。
すべて自分以外のせいにする相手と試合をしても
勝っても負けても、不快感しか残らないだろう。
こんなんなら、スポーツの価値はない。
そんなヤツらは相手にしないでほしい。
昔、テニスの天才だが、審判によく抗議するマッケンローを評して
ある選手 (誰か忘れた) が言っていた。
「我々はテニスの世界トッププレイヤーである。
その我々の目と、審判の目では
当然、速球を瞬時に追える我々の目が、より正確である。
マッケンローの気持ちはわかる。
多分、彼の見た球筋の方が正しい。
だが、それでもほとんどのプレイヤーは、審判のコールに従う。」
北の湖という横綱が、故貴乃花と対戦した。
土俵の中で両者は抱き合い、貴乃花が背中から倒れた。
そのまま倒れれば、北の湖の勝ちである。
だが、北の湖はとっさに右手を突いて
まともに倒れるのを避けた。
行司は故貴乃花に軍配をあげた。
そこで物言いがついた。
話し合いの末、出た結論は北の湖の勝ち。
あのまま倒れていれば、小柄な故貴乃花は
重量級の北の湖の下敷きになって、大怪我をしたであろう。
それをとっさにかばった北の湖の行為は、試合放棄ではない。
故貴乃花はすでに死に体だったので、北の湖の勝利に問題はない。
これが理由であった。
北の湖は優勝した。
スポーツの世界は、勝ちがすべてである。
だが、その中に確かに、立派な勝ち、立派な負け、というのが存在する。
これこそが、スポーツをやる意味である。
審判がどうの、気候がどうの、そういう環境も運も
すべて含めてが、“実力” 。
スポーツとは、そんな潔さを持ち、挑むものなのだ。
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