TVを点けたら、ちょうど水戸黄門が印籠を出すところだった。
子供の頃に観たきりなんだが、今観るとまた違う感想を持った。
子供だった時には、わざわざアラ探しに全国を回り
最後は威張りくさって、ヤなジジイだと思っていたが
今観ると、ふはははは、ひかえろ、地べたに頭をこすりつけてひれ伏せ!
と、黄門の気持ちにシンクロする。
黄門ちゃまはそんな事を思ってない! と、怒るヤツ
あのシーンに他にどんな意味があると言うんだよ。
結局は地位と権力のゴリ押しで解決じゃねえか。
最後まで最小限のヤツにだけしか身分を明かさなくても
問題は解決できると思うぞ。
だから物の価値のわからんガキだった時には
黄門に反感を持っていたんだなあ。
薄汚れたオトナになった今じゃ
あの、札束で横っ面をはたくような力技が、逆に痛快だぜ。
結論: 黄門はオトナの夢
うちの両親は、時代劇ドラマをよく観ていた。
とうちゃんは連続大河ドラマなどの出演者の区別が付かず
毎回始まる前に、かあちゃんの解説する
“前回までのあらすじ” を熱心に聞き
準備万端で放映に望むんだが
出演者がちょっと席を外すと、もうそれですべてがワヤ。
次に登場した時には 「これは誰じゃ?」 と、聞く始末。
2時間ドラマの出演者がいつも同じ理由なのは
ジジババたちが観ていて、誰が誰だか区別がつくように
というのを聞いた事があるが
そういう親切も、うちのとうちゃんにかかれば台無し。
そんなんで観てて楽しいんだろうか? と、思っていたが
かあちゃんの方がウンザリしていたと、今ならわかる。
話に集中したいのに、登場人物が出入りする度に
「こりゃ誰じゃー?」 「こりゃ誰じゃー?」 (広島弁)
と、横からしつこく聞かれ、さぞうるさかった事だろう。
その証拠に、隠居後引っ越した家にはTVが2台置かれ
お互いが寝込んだ時用に、それぞれの寝室に1台ずつ
最終的には4台まで増え、一体どんだけ増やせば落ち着くんだと。
自分専用のTVを所有でき、かあちゃんは思う存分ドラマを観た。
2時間もののサスペンスドラマが好きで
またそれが再放送再放送で、何かほぼ一日中やってて
それを延々観続ける母親というのは
TVゲームに熱中するガキとどう違うのか?
そんなに面白いんだろうか、と、私も観てみたが
最後の最後に 「あんた誰!」 という人物が突然出現し
そいつが犯人だった日にゃ、観てるヤツに何の推理の余地も与えん手段に
うーん、これはある意味、とても面白いかも、と感心させられたもんさ。
水戸黄門の真価もわかるようになったし
ちょっと時代劇も観てみようかな、と思う今日この頃。
(時代劇って、主人公が文字通り何様だよな)
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