詳細な報道に犯罪抑止力はあるか?

過失致死とかじゃなく、猟奇的な殺人などで
実名をも含む、事件の詳細な内容を報道するのは
犯罪の抑止力になるか?

結論から言えば 「なる」 と考える。
ただし、これは “一般人” 限定である。

こう書くと、犯罪者が普通の人間じゃないと
言っているかのように聞こえるかも知れんが
まぎれもなく、そう言っている。

犯罪者は普通の感覚の人間ではない。
少なくとも、性犯罪者は変態である。

「何をもって “普通” と言うのか?」
という疑問は常々聞くが、くだらん事を聞くな。

この問いは状況によって、答の形が変わるもので
犯罪関係の場合は
「自分の欲望で他人に迷惑を掛けない」 という
最底辺のモラルにおいて、普通と異常を分ければいいだろ。

新潟少女10年拉致監禁事件が発覚した時に
ある本で、ロリ趣味のヤツらが
「あの事件は残酷だった。」 と、語っていた。

「10年も監禁など、そんな事が実際にできるんだという
 希望を垣間見せられて、辛い。」 と。
「もちろん、そんな犯罪はしないけど」 の注釈付きで。

これを読んだ時に、納得した。
なるほど! 特殊な嗜好を持たない者は
事件の詳細を聞くと、同情や怒りを感じるけど
同じ嗜好のヤツらは興奮するんだな!!

これでは詳細報道は、妄想をあおるだけで
まったく抑止力にはならない。

では何故、詳細報道に抑止力を認めるのか?
“一般人” なら、被害者の名前や顔、被害の状況などが
詳細にわかればわかるほど、他人事に思えなくなり
怒りや悲しみが増す。

こんな事件が起きちゃいけない、と、犯罪を憎む。
注意をする。 周囲に目を光らせる。
皆が防御姿勢を固めていったら、犯罪の起きにくい地域になる。

これには弊害がある。
犯罪者の更正を許さない社会になるのである。

一度罪を犯した者は、自分が “何者” かを知られたら、
周囲の白い目に耐えられず、更正のチャンスを逃すだろう。

だが私は、残虐な殺人や性犯罪を起こした者は
許されなくていいと断言する。

いくら白い目で見られようと、それは自業自得だ。
罪の大きさに比例して、他人の目の白さも激しくなるんだぞ。

それでも、自分の犯した罪を一生ひきずりつつ
大人しく真面目に生きるのが “更正” だろう。
普通に生きるのが更正じゃねえんだぞ。
何、全部水に流そうとしてんだよ。

そんなん再犯の言い訳にならんよ。
被害者は無理やり命を奪われたのに
しでかした自分が生きているだけ、ありがたいと思え。

よって、私は犯罪の詳細な報道を望む。
ほんとイライラさせられるが、昨今の凶悪犯罪のせいで
そこらを歩くガキどもを、注意して見守るようになったからだ。

不審者っぽいのも、怪訝な顔で見るし
不審車のナンバーをメモる事もするようになった。

でも、下着同然な格好で、夜遅くにウロついてる小娘ども
おめえらの事までは、いくら何でも面倒見きれんぞ。

Comments

“詳細な報道に犯罪抑止力はあるか?” への2件のフィードバック

  1. テタのアバター
    テタ

    詳細報道は確かに怒りや悲しみを喚起するが、同時に欲情や興奮も促す。「こんなひどい事許せない」ハァハァ、「絶対に真相を突きとめねば」ハァハァ・・・。そのエネルギーが変な方向へループして、一般人まで妄想に憑かれてしまったのがアメリカの事件かと。詳細報道が抑止力になるかどうかは、報道する側と〈一般人〉の自覚も必要かも。
     
    『ハンカチ王子』についてコメントを求められた荒木大輔さんが「そっとしておいてあげてください」としきりに言っていたのを見て、そう思った(野球興味ない人スマソ)。

  2. あしゅらのアバター
    あしゅら

    うん、そう思う。
    私が言ってるのも、ロクでもねえ犯罪限定だ。

    報道ってのは、絶対に必要なんだけど
    下世話と紙一重で、線引きが難しいと思う。

    でもそれも、TV局だけのせいじゃねえよな。
    近所の噂話など耳にしたら
    ほんと、いらん世話が多くてさー。

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