たとえば、いじめられてる子がいる。
その子が自殺して、親は 「まさか!」 と、驚く。
親は何故気付かなかったのか
話をできなかったのか、そういう意見が出る。
もう、そっからして違うと思う。
子供は親には話さない。
話してくれる子だったら、親は楽だ。
親に話さないのは、ごく自然な事なのだ。
逆に聞くが、父親は会社の事を子供に言うか?
母親は近所付き合いのグチを子供に言うか?
聞かれても、当たり障りのない事しか答えないだろう?
家族であっても、自分だけの世界がある。
子供にも子供しか所属できない子供社会があって
そこに他種族を介入させるヤツは、卑怯者なのだ。
これは親子の絆うんぬんではない。
それどころか、親思いの優しい子ほど、「心配を掛けたくない」 と
聞かれても笑顔で平穏を装うだろう。
では、親は子を把握できないのか?
全部は無理だと思う。
親の質問に対する子の答は、ある意味、真実ではない。
切羽詰った答ほど、きれいな形に変えられる。
子供の自尊心を甘く見てはいけない。
子供は生まれた時から、大人と同じものをすべて持っているのだ。
ただそれがまだまだ不完全なだけで、存在はしっかりしている。
だったら親はどうすればいいのか?
語れ、と提案する。
普段の何気ない会話で、親は生きる術や信念を子に伝えるべきだ。
TVを見てる時や家事をしてる時などの、当たり前の生活の中で
親が何気なくつぶやいた言葉ほど、心に残っていないか?
自分に向けられた言葉じゃないものほど、記憶に残ってないか?
玄関に花を飾りながら、母親がひとり言を言う。
「お客さんがドアを開けて 『いい香りだな』『キレイだな』 と
気分が良くなってもらえると嬉しいわねえ。」
父親が酔いどれて、ニュースを見てつぶやく。
「人にはその人の領分というものがあるんじゃ・・・。」
延々と説教されても、その時はきちんと聞いて反省するんだが
その後はきれいさっぱり忘れてしまう。
いつまでも心に残る言葉は必ず、たったひとことだった。
親は子と義務のように話そうとしなくていい。
心を込めてつぶやいていれば
子はそれを自分なりに解釈して知恵にする。
それが “親の背中を見て育つ” という事だと思う。
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