これが何なのかが、よくわからなかった。
モヤモヤした気分のようなもの? とか、想像していたのだが
今回の頭痛の件で、何となくわかったかも知れない。
私の言おうとしているのが、本当に “ストレス” なら
なるほど、説明が難しいわけだ。
ストレスの真の姿とは、症状ではなく、“現状” なのだから。
「いつも普通にやっている事をできない」
私の場合、一番ストレスが溜まるのは、この状態になる事。
理由としては、突発的事項増加による多忙や、病気などが多い。
ブログを毎日書いてるくせに、他の事は出来ないの?
と思われるだろうが、そういう時はもちろんブログも書けない。
万が一書けない時のために、書ける時にストックをしておくのだ。
(話題が古くなって消すのも多く、とても非効率的だが・・・。)
「ああっ、掃除、無理」 とか、「惣菜でいいや」 とか
生活はいくらでも (我慢さえすれば) 簡略化できるが
それに流されてたら、本当に自分がクズに思えてくるので
絶対にする! という砦を、ひとつは置いておきたいのである。
その砦を、ブログのアップにしているのは
他の人も関わっている部門だからである。
(ぷらち、いつも面倒かけてすまん。 ぐへへ)
そんで、ストックさえあれば、アップだけで終わり
やってる事が後々も、ひとめでわかるから励みになる
という、実に見事な作戦なのである。
私の誇りは、堕ちればどこまでも堕ちられる状態にあっても
(もう、こういう事を言う時点で、クズ認定されそうだが)
自分なりにきちんとした生活をしている、という
とてもレベルの低い事で、それが自分を支えている。
元々きっちりした性格なので、こういう事にこだわるのだろうが
人に何を言われようが、傷付くだけで砕けないのは
自分の枠は、自分で作り上げたものだという自尊心なのだろう。
私の枠など、ロクな枠じゃねえのはわかっとるが
人に掛ける迷惑も、最小限で済んでるし
“私” にしては、上手くやれてる方なのさ。
これが崩されたのが、今回の頭痛事件である。
多分、途中からの頭痛は、半分以上がストレスによるものだと
冷静になれた今は思う。
眼科に行った後に、死にたい! と、思った時
初めて、「もしかして、これがストレス?」 と、気付いた。
でもその時は、ストレスだったとしても、それがわかっても
それからがどうすればいいのかわからない。
多分、以前にも似たような事はあったんだろうけど
その時は最後の最後まで、何が問題なのか気付かなかったんで
私のストレス実感は、これが初めてと言ってもいい。
ま、意外な救いの手で、ガラリと気がラクになれたんで
私ってほんと幸せ者だと、今では逆にハッピーだぜ。
転んだから、差し出された手の暖かみを知る事ができた、みたいな。
しかしストレスって、ほんと恐いよな。
あのゲロまで吐きそうな激痛を起こすんだもんな。
ブログで泣き喚いて、アドバイスを貰って以来
頭痛、すんげえ微弱になってるよ。
それまで毎日毎日、蒼ざめて動揺してたのが
何かスーッと冷静になれた、っちゅうか。
ストレス防止って、もしかして
“冷静” とか、“客観的” がキーワードかも。
この、“普通にやっている” のは
私の場合だと、生活管理に重点を置いているのだが
他の人は、これが仕事だったり、人付き合いだったりするんだろう。
一番良いのは、「出来ない時は出来ない!」 と
開き直る事だろうが、それが出来たら無問題だよな。
ストレスに対する対応ってのは
多分、溜まり易い人ほど出来ないと思う。
あと、鈍感なヤツ。
気付かず 「ストレス満タン入りましたー」 って感じ。
趣味とか現実逃避で発散できるなら
それはストレスじゃない、と思えるんだよなあ。
一番効くのが、他の人の理解じゃないのか?
これも、「それが得られれば苦労は・・・」 な話だが。
そういや、私の主治医が言ってた。
「寝る前、布団に入ってからの5分が勝負です!」
寝る時に、すんげえ幸せな事を空想するんだとさ。
スポーツ選手のイメージトレーニングみたいに。
これが一番、ストレスを取るのに効果的だって断言してたぞ。
だから寝る前に、ゾンビ映画の空想とかやってたが
いまいち実感が湧かない。
ゾンビが夢に出てくる事が多くなったのは良いが
どうも見ている最中はうなされてるみたいだし
好きな事 = 幸せ じゃないのかも。
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