人に教える

覚えんヤツに教えるには、秘策がある。

 バカには、“わかったバカ” をあてがえ

私は教え方が割に上手い。
それは自分がバカだから、バカのツボがわかるのだ。
だから自分が理解した事なら、それはもうピンポイントで伝授できる。

覚えないヤツは、枝葉にこだわるタイプが多い。
Aを教えるため、まずBの仕組みを教えた、といった場合
肝心のAに目が行く前に、Bに執着するのだ。
しかもAを直に教えた場合は、疑ってくれるという
非常に面倒くさい性質もあわせ持つヤツが多いので、やっかいである。

このタイプには、「A。 何故ならばB。 要点はA。」 と
出来るだけ簡潔に教える必要がある。

人は、ひとつを教えようとする時に、わかりやすくと配慮して
例え話や、付属の説明なども交えて説明する。
その脇役の説明が多すぎて、知らないヤツは逆に混乱するのである。

いらん例え話は式典の長い祝辞と一緒で、うっとうしいだけである。
物事の要点をボカしてしまう。
文章も箇条書きが一番読みやすいのと同様。

教えてる最中に、わかっているのか不安が生じたら
「何でこうなるかわかる?」 と、質問で確認すべきである。
アホウは、意外な部分に着目するのが常だから
脳内で、常人の予想もつかない変換をしてる場合が多々あるぞ。
(・・・私だが・・・)

私は普通に口頭で教えて覚えてもらえない場合は、必ず紙に書かせる。
この方法は時間も掛かるが
何度も同じ間違いをしてくれるなら、しょうがない。

ノートを1冊用意し、最初の数ページを目次にし
本文をひとつ書く度に、目次ページにタイトルを付けさせる。
たとえば、「○月○日 プリンター設定法」 みたいに。

本文は、1行目にデカくタイトルを付けさせ
1.○○○・・・・・
2.○○○○・・・・・
と、箇条書き。
何かあったら、そのノートを見るという習慣を付けさせるのである。

一見、えらく手間が掛かるような気がするが
何度教えても覚えてくれず、その都度1から説明を繰り返すのを
未来永劫繰り返す方が、余計に手間も時間も心的疲労もデカいだろ。

この方法は、自分が明らかに教える立場なら有無を言われないが
同等の場合、ヘタをすると 「何様?」 になるので
もっていき方に気を遣わなければならない。
あくまで親切ごかしで、「ね? ね? 便利でしょ?」 と 
“善意” を装う必要がある。

特に目上の人には、初手から反発されて出来ない。
そういう場合は、自分で書き、壁に貼るか
「困った時ノート」 というのを
“勝手に” 書いて、相手のところに置いておく。
自分もそのノートと同じ内容を作って手元に持つ。

電話で質問された場合、「ノートの何ページ目」 と答えていれば
自然にそのノートに頼ってくれるようになる。
質問する側も、楽しくて何度もしてるわけではないからだ。
(構ってもらいたいヤツも中にはいるが)
年寄り相手には、文字を3倍大で書いておくように。

何かというと、ノートを見る癖がついたら
自分で調べるという段階に、1歩進んだ事になる。
私はこれで、親の 「家電わからん。 してくれ」 攻撃をしのいだ。

これは仕事では無理だろう、と思うかも知れんが
充分に応用できるんだ。

ひとつ、人間の心理として、手書き文字の威力を利用してほしい。
仕事上では印刷した文字だけしか使用しないが
手書き文字の方が、不思議と頭に入るのだ。
バカは、教科書とか説明書とかが大の苦手なので
印刷文字というだけで拒否反応が出るのかも知れない。

だから、教えるにはまず手書き。
しかも読みやすい文字間と行間と文字の大きさで、箇条書きメインで。
子供の絵本が良いお手本である。
覚えない、というのは、私のように長文が読めない可能性もある。

あと、教える時は優しく、まで希望はしないが
ごくごく事務的に淡々とした態度を一貫するように。

怒ったりすると、感情面に気を取られるし
「自分に都合のいいように動いてくれよ」 という
傲慢さに解釈されたら、反感を買うからである。

「こいつの言ってる事は、当たり前の常識なんだー」
という錯覚を起こさせる方が、言う通りにしてくれるってもんだ。

何にしても、覚えないというのは
そいつの性格の何かに原因があって、吸収を阻害していると感じる。
“理解” と “納得” は、似ているようで違う。
覚えないヤツは、これを混同している場合がよくあるので
ある意味、洗脳みたいな技も必要になってくるわけだ。

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