これは日本人なら、持っている気持ちだと思っていたが
自動車保険業の人から聞いた話によると
「謝ったら、自分の非を認めた事になるので、過失割合で不利になる」
と、事故を起こしても謝らない人が増えているらしい。
そういう最初の対応のマズさが災いして
モメんで良いとこでモメるケースが多いのだそうだ。
過失割合は法が適用されるので、謝罪とは関係ないのにだ。
だから、保険屋さんには常々
「こっちがブチ当てたら、ちゃんと謝ってください。
相手が 『どうしてくれるんだ?』 とインネンをつけてきたら
『すべて保険代理人に任せますので。』 と言ってください。」
と、くれぐれも自分の仕事 (交渉) の邪魔はしてくれるなよ
みたいな感じ丸出しで、きつくお願い (?) されていた。
この、“謝ったら、こっちが全面的に悪い” は
アメリカから来た感覚である。
アメリカは訴訟社会だというのが、クローズアップされすぎて
ぶつかって謝ったら慰謝料、みたいな都市伝説がゴロゴロしている。
日本でできたPL法も、そういう影響のひとつである。
ネコをレンジでチンは、実際の出来事ではなかったが
マックのコーヒーが熱くて、ヤケドして数千万の損害賠償は事実。
こういうのを聞くと、“自己責任” ってマジで大事だと思うよな。
謝罪というのは、自分の非を認め、反省の意を表す事だが
これは “全部残らず自分が全面的に悪い” というのとは違う。
日本では、トラブルをなるべく穏便に解決の方向に向かわせるための
“最初の一歩” の儀式なのである。
そして、当事者はその後も何度も何度も謝罪をしつつ
事を進めていくという、節目にも用いられる作法なのである。
だからといって、単なる手段と考えてはいけない。
謝罪である限り当然、厳しい判断をされる。
どういう個人基準であろうと、そこに誠意が感じられないと
謝罪とは見なされないどころか、逆に “逃げ” だと非難までされる。
その判断は何を基準にされているのかと言うと
罪の重さや状況によって、多少の違いはあるが
まずは謝罪するタイミングの早さに加え
言葉、態度、表情、服装、髪型、おじぎの角度と時間、といった
細部を総合した、全体の印象である。
(この世間の判断基準が、細かいのか、あいまいなのか
わかりにくいのが、謝罪側にとって最大の難関なのだ。
この辺が日本人特有の、なあなあ文化だと思う。)
もちろん、気持ちが最重要。
謝罪の場合に求められる誠実さとは、状況のすべてを正直に説明して
その上で自分の非を認める潔さ、これに尽きる。
これらをすべてこなした上で
どう対処していくのかを伝えるのだ。
最近の謝罪会見の多さと、世間の反応を見ていると
まさに、自分の立場と世の空気を読めるかどうかが
許してもらえるかもらえないかの分かれ目だと言えるだろう。
謝罪する側にも、色々と言い分はあるだろうが
それを言っていたら、まず受け入れられないと気付くべきである。
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