出だしに結論を書くが、私は中退はお勧めしない。
ドバカ学校で勉強のべの字もなく、学校中で乱闘騒ぎの
何のヤンキーマンガの舞台? というような学校なら
さっさとやめて、塾に通い大検でスキップした方が良いが
それ以外なら、中退するべきではない。
何故なら、高校は3年間で終るからである。
終わりがあるとわかっているのが、どんなに救われるかは
社会に出た人なら皆、実感していることだろう。
昨今はイジメという犯罪は、学校の専用用語のように思われているが
会社勤めでも、近所付き合いでも、家庭内でも、それはある。
いい大人が・・・と思うのだが、どこに行っても鬼畜はいるもんさ。
しかもこれらの環境は、“辞める” 事が、高校より遥かに難しいのだ。
生活がかかっているだけに、自分ひとりの問題ではなくなる。
そして終わりが見えない。
転勤、引越し、離婚などの選択肢もあるが
そこに至るまでには、大抵が3年どころじゃない葛藤を強いられる。
こういう事を書くと、人生に何の希望もなくなるだろうが
希望は見つけられるか見つけられないか、だけの違いなのだ。
不幸というのは、幸せがないと存在できない。
いつも幸せなら、その人は幸せを普通の人生として捉えるだろう。
人は不幸になって初めて、あの時は幸せだったと気付くものである。
不幸の経験を知らないと、幸せの価値はわからない。
そして、その幸せの価値を覚えている人だけが
何もない事自体が幸せだと、実感できる術を持ち
人生の幸せをあちこちに見つける事が出来るのである。
幸せになれない人は、何もない事に価値を見出せない。
不幸になった時に、あの頃は・・・と、以前を振り返るだけで
そういう人にとっては、幸せは思い出の中にしか存在しない。
これが幸せになれるか、なれないかの違いなのである。
基本、生きていくことは辛いもの、と腹をくくれば
些細な事でもすげえ嬉しいもの。
期待値の高さは、ほとんどの場合、自分の首を絞めるだけである。
大抵の人は、成長過程でこれを学ぶ。
だから辛い事もあるのに、「フツーに幸せ」 と言う事ができるのだ。
何故、高校を中退すべきではないのか?
それは学歴社会の仕組みが、人生に大きくのしかかってくるから。
大検で大学進学をしても、高校中退は履歴に残る。
正味な話、これはデメリットになるだろう。
社会は、“皆やってる事をしていない” というのには厳しい。
だけどそれより何より大事なのが
集団の中で自分を見つめられる事が、ものすごく有益なのである。
自分が人にどう接するか、接されるか
自分の集団の中での立ち位置はどこにあたるのか
これらのデータを収集、分析できたら
それは自分の人生において、一生のマニュアルになる。
そんなんどこでも出来る、と思うなかれ。
社会に出たら、同じ種類の人間に囲まれる事が多い。
学校は、あらゆる種類の人間が集まる場所で
こういう所はありそうで、そうはないものである。
これを生活に責任のない学生時代にやっておくべき。
とは言っても、逃げ出したい時もあるだろう。
そういう時には、逃げ場を作ること。
学生にとって、学校は生活のほとんどを占める。
それが苦痛の原因でもある。
他に自分の居場所を確保しておけば、意識が分散できる。
塾、習い事、遊び場、ネットもそのひとつである。
1箇所で上手くいかなくても、他の場所で楽しければ
上手くいかない1箇所が、そう気にならなくなる。
嫌な場所をオンリーワンにしとくから苦しいのだ。
そもそも、1つに集中していると
その1つが自分の中で大きくなりすぎて
支配されて振り回されるハメになるのは、よくあるドツボ。
自分の世界をいくつも持っておくのは、人生のコツである。
生きていくには、いくつかのコツがあって
それは自分のテリトリー内だけでは学べない事も多い。
何気なく見聞きしている事でも、自分にどう役立つか、という点に
もっと貪欲になると、見えなかった事が見えてくることもある。
視界ってのは、ある日突然開けるものだから。
コメントを残す