人生相談の恐さ

ここで人生相談をやり始めた理由は、ネタとしてで
見るからに 「おまえアホか?」 な事を言うヤツを
思う存分、上から見下ろしてコキおろせる楽しさからだった。

そういう私の邪心を見抜いてか
ほんと人気のないジャンルとしての不動の地位を築いてしまったが
実は相談自体は結構きているのである。

知らない人からメールが着て、やりとりをするうちに
悩みを打ち明けられる。

それに対して、率直な自分の意見を返していく途中で
あ、これは人生相談じゃねえ? と、気付くが
真面目なメールのやり取り中に、こんなアホなブログに
それをネタとして書いて良い? などとも言い出せず
このブログの人生相談コーナーは、閑古鳥すら冬眠している。

人生相談コーナーのネタにならないのは、正直どうでもいい。
たとえ、「書いていいよ」 と言われても、多分書けない。
それほど深刻な悩みが多いのである。

見ず知らずの私にそんな大問題を? と、思うかも知れんが
自分の心の奥底に眠る傷の話など、逆に周囲の人間には言えないだろう。
今までもこれからも、自分の人生には関わる事のない私に
通りすがりに何気なく言ってみる、これ、実に正しい選択のひとつだ。
(よりによって何でこいつ (私) に? という疑問は当然だが
 通常じゃない時は、人選も狂いがちになるものさ。)

知り合いなら、後々の付き合いに支障が出る可能性もあるが
見ず知らずの私に何を言われようが
イヤなら無視して、記憶から削除もしやすい。
でも偶然にも解決の何らかのヒントにでもなれば、ラッキー。

そういう方向が理想的だよな、と思っているのだが
実際に受け答えをしていると、時々ものすごい恐怖に襲われる。

もし私が、この人のNGのツボを知らずに突いたとしたら
この人は自殺をしてしまうかも知れない
そう思える状況が何度もあった。

何かNGになるのかわからないので
相手の立場を出来る限り推察しながら
メールの文章を、書いては消し、書いては消し
送信をクリックする時に、手が震える事もあった。

自分のひとことで相手の人生が変わるかも知れない
という可能性が、恐くて恐くて
でも訊かれたからには、全力で考えなければならない。
夜もその事で頭がいっぱいで眠れない。

しかもな、相手は携帯メールの場合が多いのだ。
限られた文字数で、どうやって要点を明確にさせるか
これ、えらいこと難しいんだよ。
(私が携帯メールの仕様をいまひとつ理解できてないのもある)

人生相談というものを、軽く考えていたのだが
相談を受けるという事は、その苦しみの一部を引き受ける事なのだろう。
もちろんほんの一部ではあるが、それでもかなり辛い。
相談してきた人は、もっともっと辛いんだろう。

その苦しみをちょっとでもやわらげるきっかけになったら
と思って、すんげえ考えて返事を書くけれど
波風が立たないように、当たり障りのない言葉を選ぶ事はしない。
相手にとってこれが良い! と、本当に思った事しか言わない。

“私” に訊いてきたからには、私の考えを答えないと
私である意味がないだろう?

メールをくれる人は、このHPを読んでくれた人だろうから
私の思考パターンをわかってくれているとは思うけど
それでも、我ながら自分の脳みそにまったく自信が持てないので
これでいいんだろうか? と、激しく悩むのさ。

相談してくる人のほとんどは、突然連絡が途絶える。
結論めいた流れになってからなら、こっちも安心できるが
途中でプッツリとメールが来なくなると、心配でしょうがない。

私に失望して接触を断ったのなら、私が残念なだけだけど
相手に何かあったかも知れない可能性もあって、それが恐い。
皆、元気にやってくれていると良いんだが・・・。

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