私の作る煮物は不味い。
いや、自分で料理も出来ん過保護なオトコが
「肉じゃがが食べたいな (はぁと)」 などと、安易な事を
ぬかしてきやがったら、そりゃあもう美味いのを作ったるさ!
しょっぱなから何を荒れ狂っとんのかっちゅうと
私の私による私のための肉じゃがは、非常に不味いからだ。
その理由は肉。
ベジタリアンなどという高尚な思想ではなく
単に煮肉が好きではないのである。
シチューもカレーも肉じゃがもすき焼きも、肉はいらねえ。
だが、悲しいかな、肉抜きの煮物は炭酸抜きのコーラと同じ。
ないと、何だか間抜けな味になる。
シチューやカレーは良いが、煮物系は全部似たような味になるんだよ。
食ってて、「何だかバカみてえ・・・」 と、虚しくすらなる。
うちの家は、何故か肉食いがいなく
すき焼きなどしようものなら、肉の押し付け合いになる。
バカ兄が、「肉など出汁だ!」 と、宣言したが
やはり高級肉を煮干し扱いは出来ず
「何でこんなに大量に肉を買ってくるんだ!」 と
怒りの矛先はかあちゃんに向けられる。
かあちゃんは、“牛肉さえ出せばご馳走” の世代なんで
牛肉をドカ買いするのだが、自分はまったく食わず
とうちゃんは、“酒と呼べるものさえあれば何もいらない” 酒乱なので
鍋に箸を付ける事すらしない。
結局、兄と兄に睨まれた私で肉を食うしかないのである。
煮物を作るたびに、この思い出が脳裏に蘇るのだが
ときたま、無性に肉じゃがやすき焼きが食いたくなる。
されど肉なしのすき焼きは、単なる味の濃い煮物でしかないし
肉じゃがにいたっては、肉抜きだとただの “じゃが” じゃん!
と気付き、渋々肉を入れるのだが、やはり肉の消費に困る。
そこで牛じゃなくて鶏なら、出汁扱いでも良いんじゃないか? と
鶏を軽んじて、ササミを切らずに丸ごと筑前煮に入れた。
鶏、“好きじゃない” どころじゃなく、大っっっ嫌いなんだよ。
親子丼も鶏をよけて食う。
触るのも嫌なんで、皮のないササミにしたんだ。
丸ごと入れたのは、よけやすくするため。
鶏肉入りの筑前煮は、とても美味しゅうございました。
久々に本物をいただいた気分でございます。
しかしササミは、当然食えずに捨てるハメになり
これがもう、何とも表現しがたいほどの罪悪感で
何でかつおぶしは捨てられるのに、“肉” と付くと無理なんだ?
「クジラは頭が良いから食べちゃダメ」 とか、たわける
某団体のような心理か? と、延々と脳内を自己嫌悪が回りに回る。
結局、ここまで悩むのなら、不味い肉抜き煮物を食ってた方がマシ
という結論に至り、私の私による私のための煮物は不味いままである。
やっぱ食えないとわかってるものを料理に使うのは悪だぜ。
いいか、煮物は肉が決め手だ!
煮肉を食わない味覚音痴の私ですら、心底そう思えるのだから
これぞ1分の狂いもない宇宙の真理である。
煮物の肉を甘く見ちゃダメだぞ!!!
牛丼もどんな味か非常に興味があるんで、1度食ってみたいが
こんなこっちゃ無謀な挑戦に終るだろうから、手を出せないままである。
コメントを残す