「7代末まで祟ってやる」
祟られる時に、このセリフを言われるわけだが
先祖の中の、たったひとりのアホウのせいで
子孫にとっては、身に覚えのない事なのに
わけわからん不運や、えれえな苦労をしょいこまされ
ほんと祟りって不条理な事だよな、と思う。
が、これ、ものすごい真理を隠し持っている気がする。
たとえば、日本を知らない外国の地に日本人が初めて行ったとする。
そいつが日本でもありえないほどのドグラで
ロクでもねえ事をして、周囲の人々に嫌われたら
その地では、「日本人は最低だ」 という認識になってしまうだろ。
次にまた日本人がその地に行く。
そいつは平均的な日本人だとしても
普通の言動をしていても、周囲には信用されない。
何故ならば、その地域の人々には
最初に来たドグラが、“日本人” だと印象付けられているからだ。
2人目が頑張って、周囲に受け入れられても
「こいつは日本人なのに良いヤツだ。」
と、2人目個人の評価になってしまい
まだ “日本人” そのものの悪印象は拭えない。
3人目、4人目と行き、2人目と同じように
せんで良い努力までして受け入れられて、やっと5人目ぐらいで
「あれ? 1人目がヒドかっただけで
日本人は実は良いヤツらだったのか?
確かにうちの国にも、たまに悪いヤツもいるもんな。」 となるのだ。
途中、日本人が集団で行って
「日本人ってのはそうじゃない、良いヤツなんだ。」
などと説得を試みたりしたら、反感を買い
個人で頑張ってきた事は水の泡となるだろう。
数に頼って、一瞬で回復しようという気持ちは
お手軽な都合の良いものに映るので、余計に信頼を損ねるからだ。
努力というのは、実は地道じゃないと認められない。
これは例えようとして、私が創作した話だが
似たような話は、現実にもゴロゴロ転がっている。
つまり世間というものは、1発目がひどいと
そんだけの尻拭いをしなきゃ許してはくれないものだと思う。
親族の、民族の、仲間の、同類の、たったひとりがドバカだったせいで
そのジャンルに属するすべてのヤツが、同じレッテルを貼られる。
汚名を返上し、名誉を挽回しようとしたら
自分ひとりの努力では、どうにもできないのだ。
それこそ、7代末まで、のように。
やったのはたったひとりなのに、だ。
これを不条理として無視するか、変えようとするかは自由だが
自分の後の7代が、自分と同じ不幸を味わう責任は自覚すべき。
1代目がバカをして、2代目が償おうとする。
しかし3代目が 「知ったこっちゃない」 と無視をしたら
期限が延びて、9代目まで不幸になる。
純粋な祟りなら、途中の代でどういう態度をしても
有無を言わさず平等に霊障が襲い掛かるだろうが
失った信頼というのは、期限延長があると思うのだ。
だから何代目でも、元に戻そうと決心したヤツが
「自分から数えて7代目まで、一族の未来のために礎となってくれ。
誰かが犠牲になって頑張らないと、この不幸は永遠に続く。」
と、自分を含めた大勢が長期間に渡って努力しないと、解決はしない。
何が言いたいのかと言うと、時代劇系オカルト話も
現代に通用する教訓をはらんでいるものかも知れんな
と、TVを観ていて、ふと思っただけなんだ。
もちろん、片方だけが悪い争いなど皆無だから
こんな一方的な責めを負わにゃならん状況など、ありえないがな。
しかし7代ねえ・・・、300年ぐらいか?
最高級ランクに、「末代まで」 ってのもあるけど、すげえ持続性だよな。
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