初対面で相手を褒めなきゃいけない、って人は結構いるようで
自画自賛を生業としている私の
他人から褒められた時の正しい態度としては
“素直に喜んで浮かれていれば良い” である。
お世辞の内容について、深く考え込む必要などなく
それを言ってくれる気持ちに対しての感謝のみ、すべきだと思っているが
どうにも奥が深すぎて、動揺する事もいまだに多々ある。
お世辞というのは、外したらその後が悲惨な人間模様になるので
慎重に褒めるべき事柄を決定せねばならない。
一番ラクなのが、外見が整っている相手。
顔なり体型なりが良い場合が、一番楽勝である。
言われる側も、言われ慣れているので
実にサラッとスムーズに、初対面の儀式が終わる。
しかし、たまに意外な部分を突いてくる人がいて
思わず 「ええっ?」 と、聞き返した時もあった。
何を言われて 「ええっ?」 だったのかっちゅうと
「美人ね」「おキレイですね」 系。
その他の違う褒めパターンは、それもアリかな? と思わんでもないのだが
これはさすがに、あまりに意外な言葉すぎるので
この人は目が曇っているのか、感性が変わっているのか
顔のつくりが、じゃなく、また別の意味があるのか
その意は深いのか浅いのか、それとも悪意なのか
一瞬でこれだけの思考が脳内の駆け巡り、動揺して
とっさに 「ええっ?」 と返してしまったのだ。
私なんて、ナイスバディという、とてもわかりやすい長所を持っているんで
褒め場を探さなくて済む事を、ありがたがってほしいぐらいなのに
人と違う事を言いたいのか何なのか
そこをすっ飛ばして、違う部分を持ってくるのは
お互いの事を考えた礼儀ではなく
とにかく “お世辞” を言いたいだけなんだろうか?
社交辞令の儀など、奇をてらわずにさっさと終わらせれば良いものを
てか、そんなもん、なくても何の支障もないと言うに
相手の “まずは、とりあえず” に付き合わされた上に
びっくり仰天させられるなど、とんだ踏んだり蹴ったりだと思うぜ。
ところで、言われても真に受けない方が良い言葉は
「肌がキレイですね」 と、「お若いですね」。
この2つは、歳を取れば取るほど言われる回数が増える。
つまり、ババアの烙印を押されたも同然な諸刃の剣なのだ。
よーく考えてみい?
美人にあえてこういう事を言う必要もないだろ?
顔のつくりを褒めるついでならともかくも
しかも肌なんて、初対面じゃそうじっくりも見ないのに
つくりという主役を差し置いて、何で脇をまず褒めにゃならんのだ?
そんで、幼児を 「若い」 なんて思うか?
高校生を若いと褒めるのも失笑ものだぜ。
要するにこの2つの言葉は、他に褒める場所がない時に使われるのだ。
そりゃ、見るからに当てはまらない人は言われない
という救いはあるんだけど、人、結構ムチャ言うぜ?
それでなくとも普通レベルだと、大抵はこれで回避されるので
真に受けて勘違いするのは、悲劇の元だろう。
自画自賛にまみれている私だが、その自賛の冒頭には
かっこ付きで、“私にしては”“同年代の平均よりは” が隠れていて
実は割りかし冷静に自分を見ている部分もあり
最近は自分を褒めるネタを、無理矢理ひねり出さなければならない有り様で
お世辞を言う人の気持ちがちょっとわかってきたから
この2つの言葉が持つカラクリにも気付けたのだ。
男性の場合のチェックワードは、「優しそう」。
これは、箸にも棒にも引っ掛からん場合に
強引に、“内面の良さ” という印籠を出しているわけだ。
ものすげえ鬼のような言い様だけど
まあ、本気のお世辞なら、初対面に限っては外見のみの評価が多いから
「良い人」 系の言葉は、ガックリして正解だと思う。
と言っても、私は内面褒め系は一切されないので
性格の悪さがどんだけツラに出てるんか、我ながら恐ろしく
それに比べたら内面が褒められるのも、そう悪い事ではないのかも知れん。
お世辞自体は礼儀の一環として、否定はしないが
褒めるのがヘタな人は、無理にそれをする必要はないと思う。
お世辞に大した意味はない、とはわかってはいるけど
初対面であまりに妙な事を言われると
それ以降、その人の言動に何となく注意をするようになるからだ。
私は本気の褒めしか言わないようにしている。
後々のつじつま合わせで、絶対にボロを出してしまうであろう
という恐怖には逆らえんのだ。
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