通常の状態なら、犬は犬の子を猫は猫の子を育てるわけだが
人間だけは、自分と同種族の子を育てていないような気がする。
トンビの親が鷹の子を育てながら
うちの子は本当に良い子で、と喜ぶのは目出度いだけなのだが
カバの親が豚の子に、何故おまえは泳げない?
と言うようなのは悲劇である。
この子は何でこれが出来ないのか、こういう風に育たないのか
これを言い出すと、親も子も悩み苦しむだけになる。
中には、白鳥の親が亀の子に向かって
“私たち皆” には出来るんだから、あなたも出来るはず
と、空を飛ばせようとして、転落死させるような事もある。
比喩だらけで何が言いたいのか、わかりにくくなっとるが
いくら自分の実の子でも、同種族という保証はない、って話。
美しい親から産まれた醜い子供、賢い親から産まれた愚鈍な子供
親は自分の子なのだから、自分の血を受け継いでいるはず
美しいはず賢いはず器用なはず優しいはず強いはず
そうやって、血の繋がりに呪いをかけてしまう。
ここで一番恐ろしいのは、これに真の愛情が含まれるとこである。
信じられないであろうが、どんな親にも無条件の愛が存在する。
親の愛は、自己愛が混ざっていようが、歪んでいようが、本物なのだ。
何が足りなくても何が出来なくても、親の愛に揺らぎはない。
だからこそ、思い通りにならない子供を見て親は苦しむ。
その姿を見て、子供も苦しむ。
実は、愛とはそんなに正しい事でもないんだろうな。
世の親を見ていて、そう思う。
すべての親子関係がこうではないだろうが
賢い父親と美しい母親の間に産まれた、バカでブサイクな子供は
親の愛に縛られ続けるのである。
真にバカだったんで、親の言う事を聞きはするけど
理解出来なかったのが逆に幸いして
愛のみで育ったつもりになっていたけど
今になって思い返すと、親は悩んだんだろうな、と、とても申し訳ない。
もし子供の頃に、この関係に気付いていたら
違った性格になっていたかも知れない。
良い方にか悪い方にかもわからんけど。
親の存在は、一生消える事はない。
たとえ親が死んでもだ。
というか、死ねば死ぬほど強くなったりする。
いや、何度も死ぬって意味じゃないが。
いくら自立しても、親の呪縛に苦しみ続ける人もいる。
親の思惑に気付いていた、賢くも愚かな子供である。
そういう子供に、重要な事はほぼすっ飛ばして生きてきて
最後のそのまた後になって、ようやくふと気付いた私が言いたい。
親の期待はごく自然なものなのだ。
親は我が子を同種族にしか見られない。
愛で目が曇っているからだ。
親の目は、ある意味腐っとるのさ。
だから親の希望を気にする必要はない。
親と同種族だったら、おめえにその望みは叶える事が出来ただろう。
獅子に 「飛べ」 言っても無理だろ。
気にせず、狩りでもしとけ。
親の目は覚めない。
覚める事が出来るのなら、託卵は不可能だから。
子供を “神様の贈り物” とか言うのは、案外的を射てるかも。
ミニ知識: 託卵 (たくらん)
カッコウが有名。(てか、私はカッコウぐらいしか知らない。)
カッコウは、他の種類の鳥の巣に卵を産む。
親鳥がいない隙を狙って産みつけるのだ。
こっから、ちょっと怪しい記憶なんで断言は出来ないけど
カッコウのヒナは、よそんちの巣で孵化した後
他のヒナたちを巣から蹴り落としたりして、次々に殺していくのだ。
ちょっとしたホラーである。
何故こういう事をするのかっちゅうと
エサを独り占めして、自分だけ成長したいからで
血縁もねえ他のヒナなど、知ったこっちゃないらしい。
親が親なら、子も子である。
その間、親鳥はカッコウの子が我が子ではないと気付かず
しかもその他人の子に、実子たちが惨殺されてるのも知らず
この不法侵入の連続殺人鬼に、せっせとエサを運び続けるのである。
気付かないからこそ、幸せだという話かも。
私たちはカッコウなのか?
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