すべての関係者が想像していたのと違って
ゆっくりだけど、順調にきていた館の改革だが
やはり悲劇は起こってしまった。
不穏分子のひとりが、行動に出たのである。
数m前に立ちはだかった男が握った銃を見て
アッシュはそれが何か、すぐにはわからなかった。
本物の銃など、触るどころか見た事すらなかったからだ。 日本人だもの
「おまえさえいなければ」
歪んだ表情で怒鳴りながら、男がアッシュに真っ直ぐと銃を向けた瞬間
パンと爆竹のような軽い音が鳴り、アッシュは左肩に衝撃を感じた。
う、撃たれた? と、恐怖に目を上げると
ローズが男に駆け寄って殴り倒し、周囲の人間が男に蹴りかかり
それがすべてスローモーションで展開されていた。
女性たちが叫びながら、アッシュの元に駆け寄る。
デイジーが泣き喚きながら、アッシュを抱き起こす。
アッシュは花壇に倒れ込み、ブロックで左肩を強打していたのだった。
そしてアッシュの傍らには、顔面を血に染めたバイオラが倒れていた。
葬儀はしめやかに行われた。
館の敷地内にある墓地の明るい一角に、バイオラは埋葬された。
アッシュがこの館に来て、4年目が過ぎたという頃で
墓地は色とりどりの花々が咲き誇り、蝶が舞っている。
気持ちの良い風が吹く5月の正午の光が、バイオラの墓標を輝かせていた。
葬儀の帰りに、初めてグレーの墓にも寄った。
異国の相続失敗者なのに、こんな立派な墓石まで立ててもらって・・・。
目を閉じて両手を合わせて祈り
顔を上げると、隣にジジイとリリーが立っていた。
「わたくしは、この隣に眠らせてくださいね。」
当初リリーは、アッシュの地位が安定したら辞めるつもりだった。
それをジジイには言っていたので、この言葉にジジイは驚いた。
そうか、こやつもここに骨を埋める決意をしたんじゃな。
涙の跡が残るアッシュの横顔を見つめて、ジジイは心の中で励ました。
アッシュよ、あんたはひとりじゃないぞ
背中を優しくポンポンと叩いてくれたジジイの意を
アッシュは珍しく敏感にくみ取っていた。
その日の演説で、アッシュは怒鳴り狂った。
何故こんな悲劇が繰り返されるのか
それを止めるにはどうすればいいのか
これはひとりの罪じゃなく、皆の罪なのだ
涙を流しながら、心を絞るように叫ぶアッシュのその姿は
まるで鬼神のようで、見ていた者は恐怖すら感じた。
最後にアッシュは、静かに語りかけた。
「私に異がある時は、どうか言葉で表わしてくださいー。
意見が違うというのは、決して悪い関係ではないのですー。
色々な感覚がないと、この世界は止まってしまいますー。
どうか皆さん、自分の気持ちを大切にし
それを私にも伝えてくださいー。」
講堂はようやく安堵に包まれたが、アッシュの腹の中は煮えたぎっていた。
何が意見だよ! 無法者の自分勝手な言い草だろうが!
言いたい事があるなら来てみろよ、全力で洗脳したるよ!!!
罵詈雑言を脳内で叫ぶも、アッシュは楚々と涙を拭いつつ
弱々しげな被害者ヅラを演出しながら、壇上を降りた。
その夜、アッシュは眠れなかった。
こういう時は、いつもローズの部屋に行く。
護衛のローズの寝室は、アッシュの寝室とドア続きになっている。
ドアを開けると、目の前にローズが立っていて
お互いに驚いて、うわっと悲鳴を上げた。
「前にもこういう事があったよね。」
アッシュも丁度それを思い出したところだったので、ふたりで笑った。
「お茶とクッキーはどうだい?」
「食べちゃいけない時間ほど、美味いと思えるんですよねー。」
キャッキャとふたりではしゃいで、ベッドの上でお茶をする。
「まったく、行儀が悪いったらないねえ。」
「たまには良いじゃないですかー。」
ふたりで肩を寄せ合い、クスクスと笑う。
「でね、その時にバイオラが言ったのさ。
『あたしゃ鍋は作れてもパイは作れないんだよ』 ってね。」
真夜中なので大声は出せず、ふたりで腹を抱えて息を殺して笑う。
かと言えば、急にしんみりした気分になり、抱き合って忍び泣く。
妙なハイテンションで、爆笑と号泣を繰り返し、一晩中語り合った。
こういう時の月は、何故いつも丸くて美しいのか。
月明かりに浮かび上がるベッドの上のふたりの影は
まるで月にいるうさぎのようであった。
しばらくその月を見上げていたふたりだったが
長い沈黙の後、月を見つめたままローズがつぶやくように言った。
「これでもう、あたしの家族はあんただけになっちゃったよ・・・。」
アッシュも同じ気持ちだった。
ふたりの最後の血縁は、墓地に眠っている。
「あんたは、もうあたしの部屋に来ちゃいけないよ。
これからは、ふたりだけではいないようにしよう。
あんたは、皆の主にならなければいけない。」
「うん・・・。」
アッシュが素直に同意したのは、自信があったからである。
ふたりの関係は、今後何があっても揺らがない。
罪悪感に押し潰されそうになり、不安で眠れない夜は
いつもローズの部屋に夜中に行っては泣いていた。
ローズは起きているのか寝ているのか
何を言うでもなく、ただそこにいてくれた。
この時間があったからこそ、アッシュは人前で平静を保てていた。
だけどローズが生きてくれてるだけで良い
アッシュは、それだけでやっていける、と確信していた。
風に散る桜の花びらのように、光の粒が舞い降りる
そんな幻のようなきらめきの月の夜だった。
ふたりが最後に一緒に過ごしたのは、永遠を知った一瞬であった。
続く。
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