投稿者: あしゅ

  • 年末進行

    年末はほんと慌ただしい。
    仕事は年始に持ち越せないような雰囲気だし
    どこに行っても、人でごった返しているし
    クリスマス前になると、ゲームソフトは全売り切れ状態。
    妙な訪問販売や勧誘電話は増えるし、無言電話も入る。

    そういう中、大掃除もこなさなきゃならないんだが
    今年は大掃除だけは順調に進められていた。

    一軒家から賃貸マンションに移って、何が嬉しかったかっちゅうと
    鉄骨で密閉性が良いので、冷暖房の利きが良いのと
    狭いので、管理がとてもラクになった事だ。

    その分、収納スペースも減ったわけだが
    人間、起きて半畳寝て1畳だな、と、つくづく思ったもんだ。

    一軒家にいた頃は、犬も家の中で飼っていたので
    毎日毎日、掃除に追われ、庭を放っときゃジャングルになるしで
    ほんと自分の人生が、掃除に支配されている気がするほどだったさ。

    マンションに移って、「掃除がラクー」 と浮かれつつも
    やっぱり毎日掃除をしてたわけだが、ひとりだとそう汚れないし
    どんどん手抜きになっていった。

    だから年末はやっぱり大掃除に奔走するわけだが
    何か、やってもやっても、そう見違えてキレイにはならないんだよな。
    こんな事なら年末の大掃除なんて、する必要はないんじゃないか?
    と、激しくやる気を失うが、習慣付けておかないと
    放置しといて、気付いた時はおおごと! とか、なりたくねえもんな。

    それに部屋が汚いと、人生がダメになる気がする。
    自分の衣食住を大事にするって、自己管理とともに
    感謝の気持ちを持つ事でもあると思うんだ。

    食べられる、着られる、住める
    こういう当たり前の事にありがたみを感じていないと
    人生が楽しくないと思わんか?
    だから私は1年のお礼を込めて、年末大掃除をしている。

    ・・・とか、立派な事を書いてるが、これ実際すんげえ面倒なんだよー。
    年末になると毎年、掃除のグチを書いているのがいい証拠。
    ただでさえ他の事で忙しいのに、掃除までー? とか思うぜ。
    でもニュースで神社仏閣の大掃除を見て
    あそこよりラク! と、自分を奮い立たせているわけだ。
    あんな広い敷地建物を掃除しろと言われたら、気絶するだろ。

    そうやって自分を騙し騙し、チミチミやってきたんだが
    あとちょっとの、ここに来て、風邪気味になってしもうたーーー。
    夜のポトで、イヤな汗をかいてるのが原因と思う・・・。
    夜のゲームプレイのせいで、寝付きも悪くなったし
    今、すんげえ疲れてるぞ。
    ポト、何で年末に終了をもってくるんだよーーーーー。

    ゴール前でこけたマラソン選手のような気分になっているが
    年始はとことんくだらなくダラけてやるーーー!
    という目標に向かって、とにかくあと10日、何とか頑張らねば。

    私の “大変” なんて、他の人に比べたら些細な事だろうけど
    苦難は個人の能力値に合わせて変わるものさ。
    お互い、無事に乗り切ろうぜ。

  • 写す

    知らないヤツに写真を撮られた事はあるか?
    私はしょっちゅうある。

    東京にいた頃に、街を歩いている時に
    カメラマン風情の男性に、何度か写真を撮られている。
    その当時は、ファッションに凝っていたので
    雑誌か何かのスナップ写真だろう、ぐらいにしか思わなかったが
    許可も取らずに撮られるのは、あまり気分の良い事ではなかった。

    あっ、必ず自慢を盛り込まねばならないんで
    海に泳ぎに行った時の話も忘れてはいけなかった。
    スーパーナイスバディの私が、黒ビキニを着ていたら
    そりゃあ、カメラ小僧の標的になるよな。

    その時は私も、純粋な娘さん時代だったので
    何で水辺にカメラを持ってくるんだろう?
    と、不思議だったが、高校生ぐらいの男子たちに望遠で追い回されて
    すげえ気に障って、イヤな気分だった。
    一緒に行った彼氏に訴えても、その彼氏アホだったんで逆に喜んでるし
    帰り道で大ゲンカになったぜ。
    あれ、流出してねえだろうな?

    あああああー、自慢した気分にならねえーーーーーっ。
    これって、痴漢に遭ったのと似たような心境だからか?

    でも何より一番図々しいのは、観光で来ている外国人だ。
    旅の恥はかき捨て、とでも思っているんか
    挨拶もなしに、いきなりカメラを向ける。

    こんなくだらん画に、そんな何枚もフィルムを浪費していいんか?
    と心配になるほど、何枚も撮るのだ。
    んで、最後にニッコリ笑えば許される、とでも言うかのように
    満面の笑みをくれて、去っていく。

    大体、旅行にきといて、一個人を何枚も撮るってどういう意味が?
    後年になって、見ず知らずのヤツの写真を見て楽しいかあ?

    目の前ですんげえドアップで、4~5枚撮られた事もあって
    多分その時の私は、あまりの仰天な出来事にあぜんとして
    ビックリ顔をしてたので、異国の地にその写真が存在するのが
    そんで、それを見て笑われてるかも知れないのが、すげえ悲しい。

    で、何で “私” なんだよ?
    言いたくねえけど、もっと美人を撮れば良いじゃん。

    こんな事は、日本人観光客にはされた事はなく
    男女関わらず外国人だけに、写真を撮られまくっているので
    もしかして、ある種の人々のツボを突く何かを持ってるんか?
    と、自分に疑問を持ってしまうから、ほんとやめて欲しい。
    そもそも、ものすげえ失礼だろ。

    観光地でカメラを構えている人は多い。
    そのレンズがこっち方面を向いていても
    自分の周囲を撮っているのか、自分を撮っているのかは
    すぐわかるんだよ。

    風景の一部として、自分が偶然映り込むのは構わない。
    映ってしまうのは仕方がないが、写されるのはイヤなのだ。

    かと言って、「撮ってもいいですか?」 と聞かれても、断る。
    このご時世に、知らない人に写真を撮られたくねえよ。
    どう使われるか、わかったもんじゃない。
    よくある、エロ目的だけじゃなく
    美容整形ビフォーアフターのビフォーにでも使われたら
    一生引きこもる!!!!!!!

    撮られる不愉快さがわかっているから、私は無闇に写真を撮らない。
    風景や建造物、無機物などは撮る事もあるけど
    赤の他人を主人公にした写真は撮らないし
    飯屋に行って出された料理を撮るのも、ちゅうちょする。

    今は携帯に写真機能が付いているので
    誰でもすぐ写真を撮る事が可能な状況にある。
    ブログにアップとかの理由からか、写真を撮っているのをよく見かける。

    しかし事故や事件の現場でそれは如何なものか?
    ニュースを観ている側としては、情報が得られてありがたいが
    それって、現場で撮った画像をTV局に売ってるって事だろ?

    これは証拠として残しておかないと、みたいな状況だったら
    私も事故現場の写真を撮っておくかも知れないけど
    それは警察に提出するだけで
    ブログに記事を書いた場合も、写真は載せない。

    事故の現場を撮って呪われた、みたいな心霊話もあるので
    やたらな物はウカツに写真を撮りたくねえし。

    事件事故の現場で、ただ見ている野次馬と
    携帯で写しているヤツとは、同じ他人事な好奇心でも
    モラルには雲泥の差があると思うんだが。

    撮られて文句を言った事がなく、全泣き寝入りしてるのは
    いまだにいきなり撮られる事に慣れず、パニくるからで
    後で思い出してムカムカするだけしか出来ない。

    無断撮影は暴力だ!

  • コーヒーの苦味

    知人にコーヒー好きの人がいる。
    会う度に、コーヒー屋を見かけたら豆を買っている。
    それは別に良いんだが、必ず私に支障が出るのが迷惑である。

    以前に書いたが、私はコーヒーを飲めなかった。
    アメリカン流行りの時に、飲めるようになったんだが
    昨今の濃いコーヒーは、飲むと気分が悪くなる。

    これは私の勝手な憶測なんだが
    アメリカンとは、単に薄めたコーヒーじゃないんじゃないか?
    その人んちでコーヒーを出された時に
    濃くて文句を言ったら (これが “私” だよな)
    じゃ水で薄めたら? と怒られたので (これもイヤミだったんかも)
    素直にその通りにしたんだが、薄くて苦いだけになった。

    そのシャブシャブの苦いだけの、おまけに量が増えてるし、な
    飲料物を嫌々飲んでいて、ふと思ったのだが
    この苦味というのは、豆の炒り方の違いじゃないんか?
    そういや缶コーヒーのCMでも、盛んに “深炒り” と言ってるし
    コーヒー豆は炒れば炒るほど、苦味が増すんじゃないだろうか。

    それをコーヒー好きに訴えたんだが
    こういうこだわりの人ってのは、頑固なヤツが多くて
    自分が誇りを持って淹れたコーヒーにお湯を注ぎ足されて
    しかもそれも不味いとか言ってる時点で、険悪な雰囲気になってるので
    返ってきた答は、自分で産地まで行って炒ろ、みたいな罵倒だった。
    でも、この炒り方説、真剣にアリだと思うんだがなあ。

    こういう経緯があったせいか、その人が豆を買う時には
    いつも私の事を引き合いに出すようになった。
    「この人、この豆でも苦いって飲めないんですよぉー。
     薄めに淹れてあげたのにねえ。(失笑)」 みたいに。

    コーヒー屋というのは、コーヒー好きな人が働いてるんか知らんが
    その話に知人と一緒になって、爆笑するのだ。
    こっちには何がそんなにおかしいんかわからんよ。
    ものすげえ失礼な態度を取られてる気分にしかならねえ。
    (その前に、オノレが最大級に無礼だったわけなんだが)

    どこの店に行っても、それをされるので
    私の中では、一定の法則が出来た。

    コーヒー好きは、飲めないヤツを半端者扱い!

    まあ私は人格のどの部分においても半端なんで、それは良いんだが
    (良いんか!) ほんと最近のコーヒーの苦味はどうにかして欲しい。
    言っとくが、私がこうやって嫌う時はな
    偽装とか、いらん事をやってる場合が多々あるんだよ。
    おめえら、まとめて騙されてろ!

    と、知人にケンカを売ったんで、農水省さんお願いします!!

  • インフルエンザ予防接種

    義務教育時代以来、一度もした事がないインフルエンザの予防接種。
    思い返せば、小中学の時って、しょっちゅう注射されてなかったかあ?
    生徒たちは、何の注射かもわからんの。
    いや、私だけが説明を聞いてなかったのかもだ知れんが。

    そういや小中学ん時は、インフルエンザになった記憶はない。
    その代わり、普通の風邪とか気管支炎とかにはマメになってた。
    予防接種が効いていたんかな、とも思うが
    学級閉鎖も何度かあったんで、それは定かではない。

    で、毎年インフルエンザが流行るわけだけど
    違う型が流行ったり、副作用とかが言われていたりで
    何となく予防接種はしなかった。

    いつもの診察の時に、何気なく
    「予防接種って必要ですか?」 と、質問をしたら
    「今年は絶対に受けた方が良いですよ!」 と、力説され
    待合室の長椅子にグッタリ横たわっている人や
    トイレを往復しているやつれたサラリーマンなどを目撃してたので
    んじゃあ、一応やっとこか、と軽く思ったのである。

    一旦、受付けに行き、書類を書かされ、処置室で注射をされる段取り。
    私と一緒に、サラリーマンっぽい男性が入ったのだが
    そのおやじが、何のレディファーストぶっとんのか
    私に 「お先にどうぞ」 と、順番を譲ってくれた。

    大人の対応として優雅にお礼を言い、椅子に座ったが
    腹の底で、おめえ、注射が恐いだけだろ! と、突っ込んでいたら突然
    うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!
    と、叫びたくなるほどの激痛が襲った。

    インフルエンザの予防注射、むっちゃくちゃ痛いぞ!
    TVでガキがギャアギャア泣き喚いていたのを
    鼻で笑って、ほんとすまんだった。
    私も地位と名誉さえなかったら、泣き喚きたかったよ。

    と言うか、それまでは上品なレディのフリをしてたのに、我を忘れて
    「いってえええええええええっっっ」 と、叫んでしまったほどだ。
    あの雄たけびは、待合室まで響いたぞ・・・。
    いや、マジでそんだけ痛かったんだって!

    その様子を見て、順番待ちのおやじがものすげえビビっていた。
    「そんなに痛いんですか?」 と聞かれ
    「生涯で一番痛い注射でしたわ・・・」 と答えてあげた。

    自分だけ痛いのはムカつく、という妙な平等思想で
    おやじの苦悶の反応が見たくて、退室せずに観察していたら
    何? その爬虫類みたいな無反応は?
    と、種族を疑いたくなるほど、おやじ、自然体。

    あぜんとしている私に、打ち終えて
    「針が刺さったのもわかりませんでしたよ?」 と
    逆に不審がられる始末。

    あげくが、「痛みに弱いんですね」 とか、半笑いされ
    ふざけんな! 採血とか大好きなんだぞ! と、見栄を張りたかったが
    注射を打った途端、インフルエンザにかかった気分になって
    ちょっと体がダルいー、風邪っぽいー、と自己暗示に陥って
    弱っていたので、すごすごと帰ったさ。

    あれ、私の時に痛いツボに間違って入っちゃって
    こりゃいかんと、おやじの番で修正を掛けたか
    おやじはメタボ体型だったので、神経が肉に埋もれてたのか
    絶対にこのどっちかだぜ。 と、思わんとやっとられんわ!

    注射を打った直後あまりの痛さに、うずくまって
    その部分をギュッと握り締めたので
    「あっ、触らないで!」 と、看護婦さんに怒られたんだが
    そういう、いらん対応をしたせいなのか、数日経った今でも
    注射を打った部分が、赤く硬く腫れてるは、痛いは、かゆいは
    何かもう、副作用レベルで辛い。
    インフルエンザの予防注射って、こういうものだっけ?

    以前、注射の痕が脂肪の塊みたいに、ポッコリ残ってしまった人を
    見た事があるが、まさか、ああはならんだろうな?

    これで違う型のインフルエンザに掛かったら、天を呪うぞ。

  • 髪の分け目

    髪型はちょくちょく変えても、髪の分け目は変わらない場合が多い。
    それは、自然に髪が分かれる位置ってのがあって
    多分つむじの位置で、どっちに流れるかが決まるんだろうが
    それが髪全体の “クセ” になってるからだと思う。

    この髪の分かれ目を軽視してたら、大変な事になるぞ!

    男女ともに、髪の分け目からハゲてくるのは
    カツラのCMで、もうおなじみだと思うが
    何故そういう悲劇になるのかはわかるか?

    とか言ってて、私も医学的根拠に基づいた知識は皆無なんだが
    ひとつには紫外線の影響があるらしい。
    ご存知、紫外線には細胞を破壊する威力がある。
    髪の分け目の頭皮に、余計に紫外線が当たって
    他の部分よりダメージを受けてしまい
    それで毛根がヘタるのは、充分にありえる事である。

    これが分け目ハゲの一番の要因かも知れない。
    が、私にはもういっちょ心当たりがある。
    それは、毛根に掛かるテンション、これ、ものすごい圧だと思うぞ。
    これに気付いたのは、私の頭髪が太くて硬いせいだ。

    ヘナ後にいつも頭皮が、ズキズキといった感じで痛く
    ヘナが合わないんだろうか? と、不安だった。
    しかし、それ以外には支障がないので、気付かないフリをしていた。
    (ここらへんが、私のユルユルなとこだが)

    ある朝、いつものように寝癖満載で起きたら、すげえ頭皮が痛い。
    ほんと、いってえーーーーーーー! って感じで痛い。
    これが脳みそだったら、脳腫瘍とかを妄想して大騒ぎだが
    頭の皮が痛いのがわけわからんので、辛いけどなかった事にした。

    数週間後、TVで薄毛のCMを見て、未来に不安を感じ
    とりあえず分け目を逆にして、1日を過ごす。
    夜のシャンプーで、また頭皮に激痛が!

    この3つをちょくちょく繰り返し、やっとこの頭皮の痛みは
    髪の分け目を変えた事によって、髪の毛根部分が痛いんだ、と気付いた。

    寝癖など大昔からしょっちゅうなってるのに
    何故今になって痛くなるのか、と推理したら
    ヘナによって髪のハリやコシが出て
    より元気一杯になってるせいじゃないか? という結論になった。
    草が踏み倒されるより木が倒れる方が、地面に衝撃的だろ?

    これに気付いてから、家では分け目を必ず逆にしている。
    あの痛みはただごとじゃねえよ。
    髪の流れで、かなりの力が毛根に掛かってるって事だ。
    そりゃハゲるのも無理はない。

    必ず同じようなとこで髪が分かれるというヤツ、注意した方がいいぞ。
    髪の流れって、ヘアスタイルで付く場合もある。
    私が貞子ヘアだった頃、家ではずっと左耳のところでまとめてて
    ショートにした時に、左耳のとこだけ髪にクセがあると言われたから。

    そこ、元々はないクセだったんだよ。
    結んでたゴムの根元の部分に、余計に力が掛かってたんで
    そこだけ毛根の向きが変わったか、皮膚自体がヨレたか、だ。
    この人工クセは、4年ぐらい掛かってやっと取れたぜ。

    髪を分ける事が既に、毛根に余計な力を与えてしまうと思うが
    それが常に一定方向というのは、もっと悪いと思う。
    外気や紫外線にさらされ続けてる部分が偏るのは
    髪や毛根のヘンな老化をうながす事になりかねない。

    将来泣かないためにも、家では分け目を変えるぐらい
    してあげた方が良いと思うぞ。

  • 自分の外見への疑問

    12月は大掃除強化月間っちゅうマイ規則で
    毎日コツコツと、普段なかなか掃除しない場所を掃除している
    という、わたくしも意外に家庭的なのよ、ほーっほほほほほ
    なアピールをしてから、話は本題に入るわけなんだが。

    マンションの通路側の窓の外枠を掃除してたら
    住人とハチ合わせをしてしもうた。
    挨拶をしたら、すげえにこやかに返してくれて、マジ驚いた。
    何故ならその人は、いつもものすごく無愛想な人なのだ。

    これはどういう事だろう? と、掃除を続けながら考えたが
    ひとつ嫌な心当たりがある。

    その人と会うのは、いつも外出時にマンション前で、という状況。
    今日はスウェット上下にスッピン。
    これが何の因果関係があるかを列記してみると

    結婚してた時、普段は愛想の悪い通行人が
    (知らない人なんだが、近所をウロついてるという事は
     多分、近所のオヤジなんじゃないかと思う。
     近所の人の顔は、全滅で覚えていなかったもんで、定かではない。)
    こっちが家周囲の掃除をしている時に限って
    あーだこーだ、やたら話しかけてきていた。

    駅までの道に公園があるんだが、そこでたわむれてた男子児童3人が
    私の方角を指差して、「恐いー」「恐いー」 と、叫んだ。
    ヘンなヤツでもいるんか? と、あたりを警戒したが、いたのは私ひとり。
    これを正確に認めると、引きこもりに追い込まれそうなので
    ガキどもは数人集まるとトチ狂うよな、と無理めな脳内変換をした。

    紫外線が弱くなったので、普通のメガネで外出したが
    途中で目が辛くなってきたので、サングラスにかけかえたら
    友人が 「ヤクザ出動ね」 と笑い、即行、帰宅したくなった。

    これらを客観的に総合して判断すると
    外出武装をした私はかなり感じが悪い、という結論になるのだ。

    アンダー・ザ・ワールドのコートは、ちょっとアレだが
    それも、このナイスバディで着こなしていると信じている。
    他の服は、シンプルで基本的な物ばかりでカジュアル風味。
    メイクも薄め控えめを心掛けている。

    問題はサングラスなのだが、買い換えるには5万は掛かる。
    気にしてはいるんだけど、経済事情が追っつかないし
    どういう形のを選んでも、ガラが悪くなりそうな気がする・・・。

    と言うか、正味な話、自分では真剣に
    上品でおとなしめの雰囲気だと思っているのだが
    これは途方もない勘違いなのだろうか?

    だとしたら、他人の自分との感覚の違いは相当なもので
    こういう感性で、果たしてマトモな人生がおくれるのだろうか
    と、ものすごく不安である。

    とりあえず、自覚できる損はしていないので
    そう支障はないかとも思うが、浮いてるかも知れないのが、すごくイヤ。
    私は “他人と同じ” が安心できる小市民な性格なのだ。
    とにかく、“変わってる”“人と違う” ってのが嫌いなんだよ。
    これは他人だと、個性だと褒め称えたいんだけど
    自分の場合は、まず良い方向では言われてないのでトラウマなのだ。

    改善しようとしてるのだが、どうもズレズレのようで
    もしかして人間性の基本からして、おかしいのか?
    と、落ち込む事もしばしばである。

    こういう時に、容認してくれる周囲の人々の思いやりに感謝できて
    そう悪い事ばかりでもない、と自分を誤魔化してる真っ最中だけど
    ものすげえ迷惑を掛けてないか、ほんと恐い。

    どう周囲に溶け込むかを模索しているが
    もう迷彩服でも着て、草むらにひそみたい気分だよ!

    絶好調の時は、自分は “これ” でも良いんだ、と
    自信満々でいられるけど、今日はちょっとヘコみ気味。
    このコロコロ変わる気分屋なとこも何だかなあ・・・
    と、自分全否定に走ってしまう。 あああーーーーー

  • ホットメール大概にせえ!

    ホットメールは以前から、メールが行方不明になる事件が多発していた。
    送ったメールが数ヵ月後に届くなんて事もあったんだぞ。

    フリーメールだから、仕方がないのかも知れんが
    そんなロシアンルーレットみたいな仕様なら、存在の意味ねえじゃん。
    バージョンアップする以前に、正確な配達をほんと頼むよ。
    おめえは年賀状を捨てる年始バイトかよ?

    私はよっぽど時間がない時などの、特別な事情がない限り
    きたメールは読んだ直後に返信をする。
    「私めぐみ (顔文字)。 ステキな出会いが欲しいな (星)」
    とかのメール以外は。
    人の呼びかけに返事をするのは当たり前。

    いつも私が即返事をするので、まるで激しい球の打ち合いみたいに
    自分も即返事をしなければならない、と誤解しなくていいぞ。
    即返事をするのは、「後で書こう」 とか放置すると
    私の脳みそだと、一瞬で忘れてしまうからなんだ。

    そんな必死の攻防戦など、やってたら身が持たないだろ。
    相手には自分のペースでメールを書いてほしい。

    ホットメールの行方不明で、一番恐いのが
    「返事がこない・・・迷惑なんだろうか?」 と思われる事だ。

    これだけは覚えといてくれ。
    私は返事は必ず出す!

    そもそも、ネットで嫌いなヤツなどいないし
    メールを迷惑だと思った事もない。
    普通、メールをくれるなんて、とてもありがたいと嬉しいだろ。

    それに、迷惑なら迷惑だと言う。
    私の性格上、無視などありえねえ。
    その証拠に、私に文句を言われたヤツは何人もいる。
    (悲惨な事に、その逆はもっと多い)

    だから、安心してメールを送ってきて良いから。
    返事がこない場合は100%、メールの行方不明。
    催促メールも届いたか怪しい場合は、掲示板に書き込んでくれ。

    こんな手間をかけたくねえ、というヤツは放置してもいいが
    くれぐれも私の無視だと、誤解をしないでほしい。

    ホットメールのトラブルは、気付いただけで相当数あるんで
    気付いてないやつはどれだけの数なんだろう? と不安だぜ。
    1匹見たら、30匹いると言うじゃん。

    フリーメールはいかんな、とは思うが
    ホットメールはメッセもあるし
    いざという時にトンズラしやすいんで、手放せないんだよなあ。
    ( ↑ 一体何をする気なんやら)

    で、何度も書くが、何もない場合は
    私は土日祝祭日は、PCに触りもしない。

    これは生活のメリハリのつもりだったが
    最近は目の休養日として、必須になってしまっている。
    ババアカミングアウトしてるみたいで、言いたくねえが
    PCのモニターが、ほんと目にきっついんだよ・・・。

    だから土日祝祭日以外で、私からのリアクションがない時は
    ネットのどっかの事故か、私側の何らかの事情である。

    あっ、携帯電話は携帯してない事もちょくちょくあるから
    (“携帯” の意味はわかってるよ! W52T重てえんだよ!)
    メールの返事が遅れる場合もしばしば。
    これは、ほんと私が悪い。 すまん。

  • 高校中退

    出だしに結論を書くが、私は中退はお勧めしない。
    ドバカ学校で勉強のべの字もなく、学校中で乱闘騒ぎの
    何のヤンキーマンガの舞台? というような学校なら
    さっさとやめて、塾に通い大検でスキップした方が良いが
    それ以外なら、中退するべきではない。

    何故なら、高校は3年間で終るからである。
    終わりがあるとわかっているのが、どんなに救われるかは
    社会に出た人なら皆、実感していることだろう。

    昨今はイジメという犯罪は、学校の専用用語のように思われているが
    会社勤めでも、近所付き合いでも、家庭内でも、それはある。
    いい大人が・・・と思うのだが、どこに行っても鬼畜はいるもんさ。

    しかもこれらの環境は、“辞める” 事が、高校より遥かに難しいのだ。
    生活がかかっているだけに、自分ひとりの問題ではなくなる。
    そして終わりが見えない。
    転勤、引越し、離婚などの選択肢もあるが
    そこに至るまでには、大抵が3年どころじゃない葛藤を強いられる。

    こういう事を書くと、人生に何の希望もなくなるだろうが
    希望は見つけられるか見つけられないか、だけの違いなのだ。
    不幸というのは、幸せがないと存在できない。

    いつも幸せなら、その人は幸せを普通の人生として捉えるだろう。
    人は不幸になって初めて、あの時は幸せだったと気付くものである。
    不幸の経験を知らないと、幸せの価値はわからない。
    そして、その幸せの価値を覚えている人だけが
    何もない事自体が幸せだと、実感できる術を持ち
    人生の幸せをあちこちに見つける事が出来るのである。

    幸せになれない人は、何もない事に価値を見出せない。
    不幸になった時に、あの頃は・・・と、以前を振り返るだけで
    そういう人にとっては、幸せは思い出の中にしか存在しない。

    これが幸せになれるか、なれないかの違いなのである。
    基本、生きていくことは辛いもの、と腹をくくれば
    些細な事でもすげえ嬉しいもの。
    期待値の高さは、ほとんどの場合、自分の首を絞めるだけである。
    大抵の人は、成長過程でこれを学ぶ。
    だから辛い事もあるのに、「フツーに幸せ」 と言う事ができるのだ。

    何故、高校を中退すべきではないのか?
    それは学歴社会の仕組みが、人生に大きくのしかかってくるから。
    大検で大学進学をしても、高校中退は履歴に残る。
    正味な話、これはデメリットになるだろう。
    社会は、“皆やってる事をしていない” というのには厳しい。

    だけどそれより何より大事なのが
    集団の中で自分を見つめられる事が、ものすごく有益なのである。
    自分が人にどう接するか、接されるか
    自分の集団の中での立ち位置はどこにあたるのか
    これらのデータを収集、分析できたら
    それは自分の人生において、一生のマニュアルになる。

    そんなんどこでも出来る、と思うなかれ。
    社会に出たら、同じ種類の人間に囲まれる事が多い。
    学校は、あらゆる種類の人間が集まる場所で
    こういう所はありそうで、そうはないものである。
    これを生活に責任のない学生時代にやっておくべき。

    とは言っても、逃げ出したい時もあるだろう。
    そういう時には、逃げ場を作ること。
    学生にとって、学校は生活のほとんどを占める。
    それが苦痛の原因でもある。
    他に自分の居場所を確保しておけば、意識が分散できる。
    塾、習い事、遊び場、ネットもそのひとつである。

    1箇所で上手くいかなくても、他の場所で楽しければ
    上手くいかない1箇所が、そう気にならなくなる。
    嫌な場所をオンリーワンにしとくから苦しいのだ。

    そもそも、1つに集中していると
    その1つが自分の中で大きくなりすぎて
    支配されて振り回されるハメになるのは、よくあるドツボ。
    自分の世界をいくつも持っておくのは、人生のコツである。

    生きていくには、いくつかのコツがあって
    それは自分のテリトリー内だけでは学べない事も多い。
    何気なく見聞きしている事でも、自分にどう役立つか、という点に
    もっと貪欲になると、見えなかった事が見えてくることもある。
    視界ってのは、ある日突然開けるものだから。

  • 病名の付かない不調

    世の中年女性たちの多くは、ものすごく我慢強いようだ。
    少々体調が悪くても、ギャアギャア騒がない。
    ただ、じっと我慢している。
    「ここが悪い、あそこが悪い」 なども言わない。

    何故かというと、年を取ると日々絶好調などなくなり
    毎日毎日、どっかこっか調子が悪い。
    こういう境遇のヤツの病気話など
    うっとうしい以外の何物でもないので
    人にも言えず、ひとりで耐えるしかないのである。

    それだけに、女性の体調の変化の情報は表立たない。
    周囲の経験者に尋ねても、「人それぞれ」 みたいに終わる。
    プロ以外からの情報がほとんどないのである。
    医師にはわかっている “ありえる変化” でも
    素人にはわけがわからないだけに、不安も大きくなる。
    気分的に落ち込むと、余計に症状がひどくなる。

    だから、知ってる人が伝えるってのが、とても大事だと思う。
    私はそれをしようとしているわけだが
    自分の狭い範囲で、見聞きした事だけだし
    素人なので間違ってる事も多いだろうから、参考程度にしてほしい。
    生理前後の症状も、百何十種類あるとか言うので
    きっと本当に、“人それぞれ” なのだろうから。

    中年女性の、ほぼすべての不調の原因が
    更年期障害に起因していると思うが
    それはまた今度にでも書くとして、今回は関節系の話。

    関節というと、よく聞くのが “40肩” や “50肩”。
    腕が痛くて、上がらなくなる症状になり、これが半年から1年続く。
    これは何もしなくても、ある日突然ウソのようにケロッと治るらしい。
    が、一般的に知られているのは、ここまで。

    実はこの40肩50肩、一旦治ったら永遠に終わり、じゃなく
    その後の人生、何度も繰り返すんだってさ。
    数ヶ月おきか数年おきか、そのサイクルは “人それぞれ” で
    同じ人の肩でも、サイクルが一定していないらしい。

    要するに、老化は関節にくる、って事だろうが
    何故40肩50肩という、クローズアップをされてるんだか。

    多分、ほとんどの人がなるから、呼び名が付いたんだろうが
    これは一過性のものではなく、“始まり” と
    取っておいた方が、慌てなくて済むと思う。

    私は10年ぐらい前から、ヒザが痛くて
    これにはコンドロイチンがムチャクチャ効いて
    飲まないと、痛くなって歩けないほどなのだ。

    昨今は、コンドロイチンだけじゃ効かないとか研究されてて
    グルコサミンなどが配合され始めたが
    何故か私には、コンドロイチンだけの方が効いていた・・・。

    これは効く人と効かない人が、はっきり分かれてるようで
    私の友人が、最近ヒジが痛いと悩んでいたので
    飲ませたところ、あまり芳しくないようである。
    コンドロイチン、3人ぐらいに勧めたけど、全滅だったよ。

    年を取ると腰痛! だが、私も多少はある。
    しかし、どっちかと言うと、若い頃の方が腰痛は辛かった。

    どういう姿勢が良いかなど、まったくわからないのだが
    これから悪くなるんだろうかも、わからないが
    何よりそれより、意外な部分がダメージをくらう現実にビックリだ。
    私の場合、首とか背筋をヤりまくる。

    そんで一度傷めると、それが後々までひびくひびく。
    後遺症も同然って感じ。
    やっと治ったかと思って、いつもの日々を過ごし
    いつもの動作をして、再びグキッと同じ場所を!

    そういや意外と言えば、寝ている時の運動も減るようである。
    昔は眠ってて、どんだけ動いているんだ? ってぐらい
    移動、回転してて、起きた時の負傷は打撲がメインだったが
    最近は、中途半端に変な姿勢で動きが止まるのか
    寝違えが多くなってきた。

    「寝相が悪い方が、寝違えが少ないんですよ」
    という、お医者さんの言葉は真実だったわけだ。

    年を取ると、関節にヘタリがくるのはしょうがない。
    今は良いサプリもあるんで、昔の人よりはラクだと思うべき。
    とにかく、栄養と適度な運動しかないよな。

    自分の動きの無意識のクセとかが直らない限り
    こういう風に一度傷めた部分って、完治はしない気がする。

    何か負担かけてそう、って部分がきやすいって目安はあるけど
    そう四六時中激痛なわけでもないし、慣れるもんだし
    老化ゆえの関節痛は、他の症状よりは苦にならないと断言しよう。

    実はこの断言も、単なる気休めなんだが
    実際もっと他に、切羽詰ったあれこれが出てくるんだよな。
    年を取るごとに、医療費がものすげえ負担になってくるんだ。
    まさか自分がこうなるとは・・・と、愕然とするぜ。

    “予防” になんか、金を使ってられねえんだよ!
    治療だよ、ダイレクトに治療以外には、財布が追っつかねえよ!!!

  • 早起きのコツ

    私は寝起きが悪い。
    寝つきが悪い上にものすごく寝相も悪いので、熟睡できないせいか
    丁度起きる時間ぐらいに熟睡モードに入っている。

    たまにアラームが鳴ってるのさえ気付かない時もあるが
    目覚めても布団の中で正座で突っ伏し、30分ぐらいは動けない。
    小島よしおの、あの 「ヘタこいた~」 みたいなポーズは
    絶対に寝起きの時にあみ出した芸だと思う。
    私の無理やり起床が、まさにあの振り付け通りだからである。

    この寝起きの悪さが、長年の重荷だったが
    とうとうチャッチャと起きられるワザを発見した。

    それは、眠いのを気にしない事!

    眠いのって、どうしようもないだろう?
    おさまるまで待ってると、どんだけ時間が掛かるやら。
    だから眠い事をどうこうしようとせず、無視すりゃ良い。

    これに気付いてからは、さっさと起きられるようになった。
    ただひとつ難点なのは、寝ぼけてたり
    いきなり立つので、目まいがする事。

    壁やドアにゴンゴンゴンゴーンと、連続4回激突した時には
    目覚めるどころか、永眠するかと思ったぜ。
    その激突の激痛も、目覚める要素になるからいいけど。

    まるで参考にならない方法かも知れないけど
    “起きられない” ってのは、病気の場合以外は甘えだと思う。
    私は低血圧ではないし。

    ただ、ちょっと睡眠障害気味ではあるが
    それと、解決法を探して実行する事は、別の問題だろう。
    寝るのをどうこうする、良い方法が見つからないのなら
    とりあえず、起きる事に目を向けるのが建設的じゃねえ?

    もちろん、辛い、きつい、眠い、寒い、暑いなどでしんどいが
    それが何だってんだよ? と割り切れば、ラクになる。

    こういう話をすると、えらくドライに思われるようだが
    グチグチ悩んでるだけで良い方向に行くのなら、誰も苦労はしねえよ。
    自分の不平不満をどこで線引きするかが、幸せに生きるカギだと思うがな。

    とか言ってて、その内 「寝起きに骨折したー」 とか
    ここで書くハメになりそうで不安な気持ちも、実はある・・・。