投稿者: あしゅ

  • 今更ながら

    私の毎日のブログ、長すぎ!!!!!

    昨日の 「口紅を買った」 のとこにレスをしようとして
    スクロールをどんだけしたことやら。
    我ながら呆れたぜ。

    たかが口紅を買っただけの日記に
    よくこんだけダラダラ書く事があるよな。
    文章をまとめる能力がないんだろうか・・・。

    同じ事を何度も書くのは年寄りの証しだから、しょうがないが
    脳内でグルグル回っている事を吐き出しているので
    つまりは、定期的に同じ事を考えているって事だよな。

    あああああ、とことんアホウだーーーーー!

    と言うか、マジで自分がキ○ガイに思えてきたわ。
    大丈夫か? 私。

    思いがけない長文に、かなりショックを受けたので
    (てか、書いてる時に気付け! って話だが)
    今後は短文を心掛けるぞ。

    そういや、キ○ガイで思い出したが
    ・・・・・って、こういう横道もいらん事なんだよな。

    今度から、細かくジャンル分けするか
    前中後編、上下巻、と分けて書くわ。
    (連載になりそうなうすら寒い予感が・・・)

    こんな長文をダラダラ書きまくって
    皆、読むのに大変だったろうに

    誰か途中で私を止めてーーーーーーーー!

    これに対する、ご意見、ご要望、マジで頼みます。

  • 口紅を買った

    涼しくなってから、デパート通いがひんぱんになってるが
    店員さんにおだてられて、イイ気になっての衝動買いは、貧乏人の敵!
    なので、買う物をはっきり決めて行くようにしたからである。

    目標、1回1品! (交通費度外視なのは、アホの片手落ち)

    過去に、口紅30本一気捨ての経験上
    口紅は絶対に使い切れないと身に沁みたので、グロスに移行した。
    (グロスとは、口紅に上掛けする、言わばニスの役目。
     昨今では、透明のみではなく色付きのも豊富。
     口紅より自然に仕上がるが、化粧してないように見える欠点も。)

    だが、グロスは口紅以上に腐れやすく
    16本一気捨ての憂き目に・・・。

    これに懲りて、腐れ系は手持ち3本まで、と決心。
    口紅は、ゲランとジバンシィとシャネルの3本のみで
    これも腐れかけてきたので (シャネルは昨日捨てたさ)
    数年ぶりに買おうと決意したのである。

    口紅を買いに行ったのに、何故か服売り場を走り回り
    (真冬用コートの入荷予定のリサーチ)
    化粧品売り場に辿りついた時には、もう汗ダラダラであった。

    実は私は、国産の口紅はほとんど買わない。
    日本人の肌色専用とか、機能とか、絶対に国産のが良いはずなのだが
    どうしても、容器や色出しでフランス製のになってしまうのである。

    フランス製の口紅は、どれも匂いがくっさいんだよー。
    特にシャネルなんか、塗ってると気分が悪くなってしまうほど。

    なので、今回はまず国産のカウンターに行く。
    いつもは、指名買いで 「これください」 で済ませる。
    テスターは、色んな人がお試しするので、気持ち悪いし
    色味は 「混ぜりゃいいや」 と、思っていたからだ。

    だが、口紅というのは、混ぜるとノリが悪くなる。
    ムラになってしまうので、何度も重ねるのだが
    紅筆で塗り塗りしてるだけで唇が荒れてくる。
    (私の塗り方がガサツなんだろうか?)

    ピッタリの1本を慎重に選ぶためにも
    今回はテスターも厭わない覚悟さ。

    国産2店舗を回り、試し塗りをしたが、どれも色が気に入らない。
    3店舗目に行こうとしたら、店員さん全員がこっちを向いて
    待ち構えていたので、ビビって直前で90度ターンをして
    勢いあまって、ランコムのカウンターに入り込んでしまった。

    ランコムはフランス系の中でも、機能性が良いんだよなあ・・・
    でも、ルナソル (カネボウ系) をチェックしたいなあ・・・
    と、ボンヤリランコムの口紅を眺めていたら
    店員さんが 「何をお探しですか?」 と、やってきた。

    前の2店舗は混んでいて、勝手に試し塗りをできたのだが
    (といっても、店員さんに 「試してみて良いですか?」 の
     挨拶はちゃんとするべきだぞ)
    口紅1本ごときに、店員さんがわざわざ相手をしてくれるのなら
    腹をくくらにゃならん。

    「いつも日焼け止めにお粉のみなのですが
     それでも “化粧している”、って感じになる
     顔色を明るくする口紅を選んでいただけますか?」
    と、丸投げをした。

    自分の顔など、よくわからんし
    たまにはプロの言うなりになった方がいいと思ったからである。

    店員さんが選んでくれたのは、明るいドピンク2本。
    「ええ、こんなに鮮やかな色?」 と、驚く私に
    「じゃあ、このベージュとベージュピンクの4本を
     実際に塗ってみましょう」 と、言う。

    くああああーーーーーっ
    人にメイクをされるのって、間が持たなくてイヤなんだよー
    目はどっちを見てればいいんだよ?
    と、内心イヤイヤ椅子に座り、順番に塗ってもらった。

    順に塗ってもらった後 「どうですか?」 と、聞かれる。
    ・・・・・・・・まったく、わからん・・・・・・・・
    どれが良いのかすら、さっぱりだ。

    「どれが一番良いと思いますか?
     選んでください、それにします。」
    と、白旗を揚げたら、3番目に塗ったドピンクを勧められた。

    ええええええ? よりによってこれ?????
    と、鏡を凝視していたら
    「そんなに近付いてはダメです。
     メイクチェックは1m離れて見るべきですよ。」

    1m離れて見せられたが、全然わからん。
    「正直、ピンクって似合わない気がするんですが・・・」
    「似合ってます、 見慣れないだけです。」

    この前のジーンズの時といい
    丸投げすると、店員さんって何でこうゴリ押ししてくるんやら。

    「唇だけ浮いていませんか?」
    「浮いていません。 肌が明るく見えますよ。」

    うーーーーん、選んでもらおうと決めたんだから
    大人しく言う事を聞こうと、それに決めた。

    お直しサービスで、顔中をパフパフされながら
    「チークをもうちょっと強めに入れた方がいいですねえ」
    とか、メイク指導をされるが
    その店員さんのまつ毛は、ガタガタに太い。
    まるで昆虫が仰向けに転がってるような目だ。
    そんな厚化粧の人の言う事が果たして正しいんだろうか?
    と、疑念も湧いてくる。

    口紅1本しか買わなかったのに
    押し売りも一切なしな上に、あれやこれやサンプルを大量に貰って
    とても感じの良い接客をされ、気持ち良くカウンターを後にした。

    帰りに未練がましく、ルナソルに近付いたら
    またしても店員さん全員が並んで待ち構えていたので
    再び90度左折して、出口に向かった。

    1回1品、1回1品・・・・・

    口紅1個のみの収穫を手に下げて
    帰り道に周囲の女性のメイクを観察すると、確かに皆、濃い。

    うん、今まではベージュ系ばかり塗っていたんだが
    店員さんを信じて、このドピンク口紅を使ってみよう。

    ところで、帰宅後、買った口紅を自分で塗ってみた。

    すげえ!!!!!!!

    数年前の口紅より、明らかに質が向上している。
    ひと塗りでムラなくキレイに付くし
    ティッシュで押さえても、色味がちゃんと残っている。

    うおーーーーーーー、数年でここまで進化するか!
    と、とても驚愕したぜ。

    鮮やか過ぎる色は、グロスを重ね塗りすれば抑えられるので
    慣れるまでは、淡く塗っておこう。

    ここまで口紅が進化してるなら
    パウダーもアイシャドウも期待できるかも。
    手持ちのメイク品は、どれも数年来の使用品。
    メイク用アイテムって、ほんと減らないんだよー。

    ジワジワ買い換えようと目論む、秋の夜だった。
    次の買い物日記は、真冬用コートを目標で!

  • 化粧品の説明書

    海外化粧品を輸入して使っていると
    フランス語が少しわかるようになる。
    (しょせん、英語の偏差値40のヤツの言う事だ。
     過剰な期待はすな)

    というのも、ほとんどの海外販売化粧品の説明書に
    日本語は書いてないからである。

    あらゆる言語で説明書きがあるのに
    日本語だけがないのは不思議だったが
    その理由は、日本人には専用ロットが用意されているからである。

    主要海外ブランドの日本販売製品は、ほとんど日本の工場で生産される。
    それは厳しい日本の薬事法のせいでもある。

    だがそれ以上に、日本人の几帳面さ・正確さ・清潔好きが
    商品生産に大きな影響を与えていると思われる。

    日本人感覚は、製品の基準に厳しい。
    同じシ○ネルの化粧品でも、日本で販売されているのと
    外国で販売されているのとでは、製品の出来に大きな差がある。

    外国販売のは、容器がちゃちい、作りがザツ。
    容器の境目に隙間があったりする。
    これを日本で売ったら、シ○ネルの価値が下がるってシロモノ。

    そして、日本人は、実に真面目にお手入れをし、メイクをする。
    これが日本が、世界一の化粧品購入大国になっている理由である。

    海外在住経験者に聞くと、外国人は実に大らからしい。
    詳細は、また別の機会に書くとして
    毎日入浴する女性と、週1しかしない女性とでは
    おのずと使用する化粧品の量は変わってくる。

    しかも、外国人はナチュラル好き。
    メイクどころか、お手入れ用品を塗ったくる事にもズボラらしい。
    毎日必死こいてお手入れしまくっている私など
    化合物扱いをされかねない。

    日本人女性ひとりが購入する化粧品の量は
    外国人女性の数十人分ぐらいに匹敵するんじゃないだろうか?
    こんな巨大な市場を、メーカーが放っておくはずがない。
    わざわざ日本基準の別製品を生産しても、充分に元が取れる。

    関係ない方向に話がいったが、私がバイリンガルって話に戻そう。
    フランスの化粧品には、2種類の表示がある。
    フランス語と英語である。

    それを長年見ていると、両者の違いや類似点に気付く。

     (注: 偏差値40の独学には、つづりの間違いが絶対にあるので
         突っ込むのはいいが、真に受けて覚えないように)

    例えば、LIPは、仏語でLEVRES (レーヴル)。
    ROUGE (ルージュ) というのも
    元は “赤” って意味で、これらは口紅の意味で使われる。

    EYEは仏語でYUEX (ユー)。
    美容語で肌色を表すTINT (ティント) は
    仏語では、多分つづりはTANT (タン)。

    HYDROってのは、仏ではイドラとかイドロとか言って
    英で言うところの、AQUAみたいなもので、和では水分の意味。

    今、手元に説明書が残ってないので
    他にも面白い例があったのを、全忘れで一切説明できなく
    何のためにこの記事を書くのか、自分でも途方に暮れている。

    が、このように、英語と仏語ではつづりの微妙な類似点があって
    欧米人が 「○ヶ国語を喋れる」 など
    「俺は熊本弁と青森弁を喋れる」 程度の違いだろ、と思った。
    (偏差値40のひがみ)

    輸入化粧品の説明書に日本語記述がない時に
    とりあえず、英語で何とか読もう、と探す。

    ところが、1ページ1ヶ国語で、何ヶ国語もの表示が並んでいて
    どれが英語なのかすら、わからないのだ。

    アラビア語は、とりあえずさっさと候補外に認定できる。
    アルファベットに余計な点や、文字上の横線があるのも、英語ではない。

    でも、それ以外のどれが英語だよ??? と、なる事が多い。

    そういう時に、ふと目に付いたのが中国語。
    読める漢字をピックアップしていけばいい!

    ・・・・・しかし、これが大間違いだった。
    どう探しても、使用量や、注意点などが見当たらず
    「これを塗るだけで、途端に絶世の美女に変身よ!」 みたいな
    ジャロ大激怒の誇大売り文句の羅列にしか読めないのである。

    試しに、日本で買ったデ○オールの、塗るだけで痩せるボディジェルの
    説明書の日本語表記と、と中国語表記を見比べてみた。

    日本語は薬事法を守って 「お肌にハリを出します。」 だけで
    痩せる化粧品じゃねえんかよ! と、肩透かしのような
    控えめすぎる表記だったが
    中国語のは 「脂肪溶解!」 「肥排出!」 のような文字が。

    他の説明書でも、「肝斑瞬間消滅 (シミ取り美容液)」
    「顔面薔薇色光輝 (肌色補正メイク下地クリーム)」 みたいな
    どこまで大きく出る? という雰囲気ムンムン。
    (これらも説明書がないので、あやふやな記憶が元)
    頼もしいんだが、ありえねえよ。

    中国女性って怒りが激しそうだが、この通りにならなくても
    「ウソつくな!」 と、暴れないんだろうか?

    今は、滅多に海外販売の化粧品を買わないので
    (容器の汚さにウンザリなのと、中身への信頼度がなくなったから)
    説明書がどうなってるのかはわからない。
    日本販売の外国ブランドの説明書も薄くなってしまった。

    てか、今、ニベアに移行しようとしてるんだよ、マジで。
    使用中の化粧品がカラになったら、ニベアを試してみるぜ。

  • 宗教の存在

    それはズバリ、飴と鞭だろう。

    色んな人間が雑多に生きている世の中で
    揉め事が起きないように、法律ができた。

    だが、それは規制でしかない。
    規制には反発がつきものである。
    そこで宗教で補っているのだと思う。

    人には、心の支えが必要であり
    指針になる存在があると、生きる道もわかりやすい。
    「あの人の言う通りにしていたら間違いない」
    と、思わせる、言わば指導者がいたらラクなのだ。

    生きてくだけで、色んな悩みや苦労があるのに
    倫理でまで悩みたくねえもんな。

    そこで神様の登場である。

    元来は、生活に苦しい平民の間で宗教が広まり
    国王や君主は、それを民衆の統制に利用していたのだが
    今では自ら信仰しているほどのカリスマぶりを誇る神様。

    キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教が4大宗教で
    各々別個の神様がいるが
    これは元はひとりなんじゃないかと思う。
    教えが、すげえ似ているからである。

    もしかして、神様が各地域の人種の特性を考慮して
    代理人を配属して、信仰を広めたんじゃないかと思うのだ。
    「こいつらは頑固だから、こういう教えで
     こいつらはアホだから、こういう教えで・・・」 って。

    キリスト教は、神がナザレという土地にイエスをつかわされた
    という話だったと思うが、実は
    「あー、ユダヤ教は地域限定っぽくなっちゃったから
     あんた、ちょっと行ってやり直してー」
    とかいう会話だったりして。

    現在は交通や通信手段の発達で、交流が活発になり
    各地域の距離感が近くなってしまい
    各人種を正しく導くための宗教が
    逆に紛争のネタになってしまっている。

    世界の統一は、宗教観の統一もセットで
    「ふざけんな、そっちがこっちに合わせろよ!」 てなもんで
    古来よりある宗教の目的も、本末転倒になっている。

    そこに登場してきたのが、現代人の感覚にマッチした新興宗教。

    日本人は宗教観に大らかな人種なので、まだ平和なのだが
    それでも新興宗教が次々に生まれているようである。
    (新興宗教の定義は、1700年? 1800年? 忘れたが
     確か、“ある年代以降に設立されたもの”、だったと思う。)

    宗教観が強い諸外国も、新興宗教は盛んで
    多分、生活の変化で、昔ながらの宗教は無理が出てきたのだろう。

    新興宗教の仕組みを観察してみると、実に興味深い。
    どうやったら人心を取り込み、儲けられるか
    実に斬新なアイディアがいっぱいで、すごく勉強になる。

    宗教というのは、そもそも、いかに清く正しく生きるかの提案で
    それは一生を掛けて、地道に積み重ねるべきものだと思うが
    今の世の中、それは受け入れられないようだ。

    そこで、ひとつ何かをしたら、対価に何かを得られるという、
    結果が早く、目に見える形の報酬システムになってきた。

    たとえば人を勧誘すると、“魂の格” みたいなのがひとつ上がる
    その宗教団体の試験に合格すると、クラスがひとつ上がる
    (マルチの、シルバー会員がゴールド会員にランクアップ、みたいな)
    など、人の名誉欲に付け込んだ、実に上手い方法なのだ。

    これは、商売として見ると、とても優れていると思うぞ。
    宗教団体の幹部って、凄い商才だと感心させられる。

    私の父は、元バリバリの共産主義で科学信奉者だったが
    「宗教が必要な人もいるのだから
     それを否定してはいけない。」 と、言っていた。

    それは一見、正論のようだが、今の宗教のトラブルを考えると
    団体に所属する必要は、まったくないんじゃないかと思える。

    人間、徒党を組むと、必ず一部が腐れるようだ。
    その腐れた部分は、えれえなパワーで全体を引っ張り
    世の中、汚いものの方が強いんだな、と、つくづく絶望する。

    人体がある程度成長すると、細胞死にまくりで老化するように
    人類も腐敗が進む終末期に入っているのかも知れない。

    その中での宗教の存在は、もはやガン細胞にしか思えないが
    それでも宗教が必要な人っているのだろうな。

  • TVレポーター

    TVレポーターって、仕事柄しょうがないのかも知れんが
    礼儀知らずが多いように思える。

    これ、言われ過ぎて、なかば都市伝説化しているが
    葬式に言って、遺族に 「今のお気持ちは?」 と
    聞いているのを、実際に見た時には
    子供心に 「悲しい以外の何があるんだ?」 と、呆れた。

    この 「今のお気持ちは?」 という定番の問い、
    聞かれたら、どんな場面であってもすんげえ困らんか?
    「嬉しい」 「悲しい」 みたいな単語しか思い浮かばんけど
    何か気の利いた事を言わなければ、と、絶対に悩む。

    イチローや中田が切れた気持ちも、すげえ理解できる。
    えれえ脳みそを使わせられる、あいまいな質問も困るが
    「今答えてたろう? 聞いてなかったんかい!」 みたいに
    ほんのちょっとだけ形を変えた、結局同じ意味の質問を
    続けて繰り出してくるヤツって、確かにいるんだよな。
    どんだけ創意工夫な作文をさせるんだよ? って感じ。

    まあ、誰だって、初対面の素人には
    何を聞いていいのかわからんよな。
    でも、つまらん定型文のやり取りをするぐらいなら
    他の取材をせえ、と、言いたい。

    見ていて一番きついのが、外国の有名人のインタビューである。
    ああああああ、日本の恥ーーーーー! と、赤面させられる。

    特に “少林サッカー” のDVDに収録されている
    映画公開挨拶のインタビューはひどかった。

    「ワールドカップはどこを応援しますか?」
    「少林チームが出たらどうなると思いますか?」

    監督・主演の星何たらは、気を遣ってお世辞を答えていたが
    それって、映画の宣伝と何の関係があるんだよ。
    どーでもいいような事ばっかり聞かんと
    もっと意味のある事を聞いてくれよ。
    インタビューをするなら、ちっとは予習してから聞け!

    あと、インタビューの際に、土産物を渡すシーンも多いが
    中途半端に安い和風グッズなんか
    不気味なこけしレベルに、貰いたくねえと思うぞ。

    相手が女性だったら、安定した品質と評判の
    日本国内販売の化粧品とかのが嬉しくないかなあ?

    男性だったら・・・うーん、よくわからんが
    電化製品でもあげといたら? (投げやり)

    常々疑問だったのが、違法駐車だの、河川敷ゴルファーだのの
    ドグラ取材のレポーターは、何で皆、あんなに弱腰なのか?

    相手がロクでもねえ事をしてるんだから
    ここぞとばかりに、正義感ぶって糾弾すりゃいいものを
    小学生のホームルームレベルの 「~したら悪いと思います」 だ。

    「思います」 じゃねえんだよ! 明らかに悪いんだよ!
    ガンガン追求せえよ!
    「あんたそれで自分の子供に恥ずかしくないの?」 ぐらい言え!

    飲酒運転の取材で、無視して乗っていくヤツなんか
    通報していいんじゃないのか?
    それってタブーなんか?
    それとも、ちゃんと通報してるのか?

    と、いつも怒り狂って見ていたが
    アメリカの放送局のレポーターが暴行を受けた事件があって
    それを見て、普通のヤツじゃそういう取材は無理とよくわかった。

    白人マッチョハードメタルゲイみたいな
    ボディガードを大勢連れて行くべきだよな。

    インタビューは、一方通行の無条件質問会なので
    普段慣れている “言葉のキャッチボール” とは違う。
    “会話” ではないのだ。

    これは確かに、常人には難しいと思う。
    だから、レポーターという専門職があるわけだが
    もちっと、どうにかならんもんか?

    それとも私は、レポーターとインタビュアーを
    ごっちゃにしてるんかな?

  • ワイルド・スピード

    せせくりまくった愛車レビンを手放してから
    憑き物が落ちたかのように、車に興味が失せた私。
    今では、車種の見分けすら付かん有り様。

    映画 “ワイルド・スピード” を観たのは3回目。
    はっきり言って、面白くも何ともねえ。
    何で観るかっちゅうと、単に裏番組が面白くないからである。

    アメリカには、“コンパクト・カー改造マニア” な
    若者たちがいて、彼らに人気なのは、日本車。
    この映画は、そういうヤツらの話らしい。

    出ている車も、ほとんどが日本車らしいが
    どれがどれだか、さっぱりである。

    ボディの強度も考えず、無理矢理パワーアップさせて
    最高時速のみを競うバカモノどもを観つつ、ぼんやりと考えた。

    日本車メーカー、バカじゃねえ?

    世界の車と、何の競合をしたいのか、よくわからんが
    日本人と外国人では、車に求めるものが違うような気がする。

    日本人は車がステータスなので、大事に手入れし
    燃費やフォルムや居住性、利便性など、きめ細かく要求する。
    が、あいつらは、そんな事は1mmも考えちゃいねえぞ。

    車内にはコーラの空き缶やポテチの袋が散乱
    ダッシュボードにはカートリッジガン
    シートにはコーヒーのシミ
    ハンドルはドーナツの砂糖でベトベト

    窓は手で拭い、洗車は近所の高校生のバイトお願い時のみ
    塗装の色あせも、傷も、ヘコミも、錆びも、模様と認識

    荷物をボスボス投げ込み、ドアをガーンと閉め
    バンパーはぶつけるためにあるので
    ビッチリ縦列駐車をした前後の車を
    自分の車でガッツンガッツン押しのけて走り去る

    ギアボワボワの、サイドブレーキゆるゆる
    ブレーキのフットパネルはパッコンパッコン
    走行中は、ドアバネル内部のどっかでボルトがカラカラ鳴り
    グレート肥満が乗るので、左のスプリングだけヘタっている

    米大使館経由で苦情がきそうだが
    それが私のアメ車のイメージ。

    日本メーカーにゃ、この味は出せんだろうーーー。

    そこで、海外で日本車を生産する時は
    同じ土俵で戦わず、日本独自の個性を出す方が良いと思う。

    単に車名を日本風にしとけばいいのだ。
    バイクではあるだろ、カタナとかニンジャ。
    それプラス、タトゥーで人気の漢字にして
    筆文字のエンブレムを付けるのだ。

    “富士山” “芸者” “寿司” “天麩羅” と
    生半可日本ツウにおなじみの車種名にする。

    マニアには “願堕夢” “婦離宮亜” “聖羅亜無雲”
    “宮崎兄目” “似次元萌絵” “大田区” “冥土” など。

    車自体を真面目に作っていれば
    こういう単純な戦略で通用すると思うが、物足りないヤツには
    白黒の塗装で、“霞ヶ関警視庁” と、両サイドに入れ
    車種名は “百十番” ってのは?
    海外なら規制には引っ掛からんだろ?

    想像すればするほど、すげえ良い案に思えてくる。
    絶対に話題になるって! (どういう意味でかは保証できんが)

    言い出したのは私だから、もし実現化する時は
    粗品のひとつも持ってくるのが筋だぞ、メーカー。

    肝心の映画の内容は、何故か何度観ても覚えない。
    えーと、カーアクション?
    日本車好きにはお勧め。 (あからさまに無責任)

    こんだけ興味が薄いのに
    何故か2も観たので (こっちも覚えてない)
    多分、3も観るんだろうなあ。

  • 香水探し

    犬猿の仲だった、飼い犬アフガンハウンドと
    (という事は、私が猿か!)
    唯一、気が合ったのは、香りの趣味であった。

    私の場合、外見のみだとスズランや百合などの
    単品フローラル系が好みだろう、と、誤解される。
    まったく、どんだけ清楚に見られてるんやら、困ったものである。

    私の性格を知ってるヤツには
    「シトラスやグリーンの、あっさり爽やか系が好みかと思った」
    と、よく言われるので、過去にプレゼントされた香水は
    ほとんどがルームコロン、もしくはトイレの芳香剤になっている。
    (今、サラッと恩知らずな事を告白した気がする)

    私の好みの香りは、ムスクなどの動物系や、白檀などの宗教系。
    今では珍しい、重い香りなのである。
    簡単に言えば、大抵の香水のラストノートで香る類の匂い。

    シトラスやフルーツの香りが嫌いなのだが
    今のほぼ全部の香水のトップノートに、これらが使われている。
    最初から重苦しい匂いの香水は、今の新製品ではほとんどない。

    最初の頃は、ゲランの夜間飛行を使っていたが
    これもトップは爽やかなのが不満で、あれこれ物色していて
    ここで役立ったのが、アフガンハウンドだった。

    嗅覚というのは、体調によってまったく変わってくる。
    香水を試す場合に、この微妙な体調が問題になるのだが
    鈍なので、自分の体調がどうなのかがわからない。

    そこで、香水のサンプルを貰い、アフガンに嗅がせるのである。
    嫌いな匂いだった場合、ブシュブシュくしゃみをしながら逃げる。
    好きな匂いの時は、シンナー吸引者のように
    いつまでも鼻をくっつけて、スーハーやっている。

    ただし、どんだけ我がままなんか
    嫌いな香りを嗅がせた途端、逃げ出し
    「ちょ、待て、もう1個あるんじゃあ!」 と
    タックルして嗅がせるも、既に機嫌が悪くなってて
    ヘタすると、そっからバトル勃発したりして
    一度に1種類しか鑑定してもらえない事も多々あり
    効率はひどく悪かった。
    仲もより一層、険悪になるし・・・。

    しかし、アフガンが好む匂いは、必ず私の好みなので
    こいつを利用して、定番の香りを3つ見つけられたのである。

    この利き香水? は、アフガン固有の技だったようで
    ゴールデンレトリーバーの方は、私が何をしても
    初手から被害者ヅラでフリーズしてくれていたので
    まったく役には立たなかった。

    ちなみに、私の定番の香り3つとは。

    まず、Y.S.Lの “Y (イグレッグ)”
    GUCCIの “No.3”

    上の2つは好きだが、私の清純なイメージには合わないと思うので
    外出用に、柔らかいフローラルブーケ系の
    ポーラの “コンペフレグランス 1994”。

    ポーラは、世界の調合士を集めて
    香水のコンテストをやってた時期があって
    1994年の題は、“ファム・ファタル (運命の女)” だった。

    この香りは、知る人ぞ知る (早く言えばまったくの無名) 香りで
    デパートのポーラカウンターでも、取り寄せないと買えない。

    ものすごく良い香りで、誰も付けてないので
    本当は、自分だけの秘密にしておきたかったのだが
    あまりにも誰ひとり知らないので (でも褒められるぞ)
    売れずに廃番になるのが恐いから、ここに書いたのである。
    でも、もう既に売ってないかも・・・。
    どこを探しても、画像すらないし。

    かろうじて、イグレッグとNo.3は、まだ細々と売られているが
    正直、時代遅れの香りだし、私のお上品なキャラとは合わないので
    家の中のみでしか使えない。

    他に探そうとは思っているが、今売られている香水には
    まず私の好みはない、と断言できるので
    いまいち探索の旅に出る気がしないのである。

    今回は、いたるところにさりげなく自賛を散りばめられて
    とても気分良く書けた。
    楽しい週末が迎えられそうだ。

  • 飲酒運転

    飲酒運転による事故の多発が問題になっているが
    私も過去に一度だけ、飲酒運転をした事がある。

    当時の彼氏が、「先輩に呼ばれたから」 と言うから
    一緒に付いて行ったのが、居酒屋だった。

    「車で行ったから飲まない」 と言っていたのに
    彼氏はちょっと飲んだだけで、いきなりベロンベロン。
    (私はお酒が嫌いなので、一緒に飲んだ事がなく
     彼氏がお酒に弱いと、その時初めて知った)
    どう見ても、運転は危なすぎて無理。

    その頃は、代行の存在を知らなかったので
    「運転する」 と、言い張る彼氏を制止し
    やむなく、私が運転して連れて帰ったのだが
    私も乾杯の時に、ビールに口をつけていたんだ・・・。

    車で行ったくせに飲酒するなんて、信じられねえ
    ついて来なきゃ良かった、と、頭にきたのを覚えている。

    もちろん飲むのを止めたのだが
    先輩たちも全員、車で来ていてガンガン飲んでいる。
    そんな中で私が口を出すのは、彼氏の顔を潰す状況だったのだ。

    でも、どんな状況であれ、飲酒運転をしたのは事実で
    これは私の人生の汚点になっている。

    もひとつ、飲酒運転に関する体験。

    友人の結婚式が田舎であった。
    会場は公共交通がなく、車で行かないと無理な場所。
    タクシーは地元には1台しかない。
    呼ぶなら離れた町からで、そこも台数は少ないのだ。
    私も出席する友人を数人乗せて、運転して行った。

    私はジュースを飲んでいたのだが
    対面に座っていた同級生 (女性) が、私にお酒を勧めた。

    「運転しなきゃいけないから」 と、断ったら
    「でも、皆、車で来てるんだし
     お祝いだから、飲まなきゃ失礼よ。」 と、言った。

    あああああああああああああーーーーー?

    絶対に飲まなきゃいけないのなら
    何でこんなヘンピな場所で披露宴をするんだよ?
    飲酒運転で何かあったら、代わりに責任を取ってくれるんか?
    モラルのないヤツに、「失礼」 なんて言われる筋合いはない!

    と、ものすげえ腹が立ったので、無言でジロリと睨んだら
    そいつも黙り込んだので、そのまま流したのだが
    あれ以上言われていたら、噛み付いただろうな。

    一応ついでもらい、口をつけるマネをすれば良かったのだろうが
    とてつもない怒りで、それすらしたくなかったのである。

    両隣に座っていた、私の車に同乗した友人たちは
    私の頭上に燃え盛る、激しい怒りの炎でも見えたんか
    自分たちも飲むのを止め、「抑えて・・・」 と、小声で言った。

    お祝いの席で、ついうっかり激怒オーラをボウボウ出したのは
    どんな言い分があれ、まことに失礼だったと反省している。

    “飲ませた人も刑罰の対象になる” と、改正されたのは
    こういう風潮からではないのだろうか。

    九州では、「飲まなきゃ男じゃない」 というような感覚があり
    男性同士の付き合いには必ず飲酒が付きもので、泥酔は日常行為。
    それを妻や彼女が注意しようものなら
    “男の付き合いに口を出す女“ と、悪評が立ってしまうのだ。

    夜、自宅に遊びに来た客にお酒を出すのは当然。
    交通が不便な場所では、車で移動するしかなく
    飲酒運転も普通に行われる。

    というか、車社会の地方は、繁華街以外の場所にある店は
    たとえ居酒屋でも、駐車場完備じゃないと客が来ないのである。
    代行があっても、昔からそういう習慣なので
    「車があるのに何でタクシーなんだよ」 と、思うようである。

    奥さん側も、そういう環境に育っているので
    「男だから飲酒は当然」 と、思う女性も多く
    そういう人は、同じ穴のムジナで夫を放任しているし
    飲酒を苦々しく思っている奥さんなら、なおさら
    わざわざ夫の飲み屋通いに、送り迎えなんてしたくもない。
    ましてや、タクシーを使ってまで、と思うのも仕方がない。

    私の場合は、父親が酒乱だったので
    飲酒をする人自体が嫌いだから、仕事関係の飲み会以外は
    家であろうが、外であろうが、日常の飲酒は一切禁止、と
    鬼な態度を取らせてもらっていた。

    ま、これは、うちの家とその周囲が異常な飲み方をするだけで
    普通の人の飲み方は違う、と、最近知ったので
    今後付き合う人には、飲酒は禁止しないけど
    「あなたが飲むなら、私も飲みます。
     ただし私の酒量は凄いから。」
    と、肝臓を張ってでも、けん制したるわ。

    飲酒が習慣の人には、どうしても嫌悪感がある。

    それに、するなと法律で禁止されている事をする、という
    モラルのなさにも、とても腹が立つ。
    しかもそれが、私の嫌いなお酒絡みなので、余計に。

    何で飯の時に酒を飲まにゃならん!
    飯だけ食えよ、何が不満なんだよ!
    と、ワインですら腹が立つほど、お酒が嫌いなので
    飲酒目的で、しかもそれで車で行くなど言語道断。

    おう! 私怨だよ!
    だが珍しく法と適合してるんで、胸を張って正当化したるぜ。

    飲酒運転をしたら、無事故であっても、無条件で免許剥奪でいい。

    昔、夜勤専門の人が、寝る前の飲酒のせいで通勤途中に捕まって
    裁判を起こして、無罪を勝ち取った事例があったが
    そういう事情なら、休日前にのみ飲めよ。

    血液中に少しでもアルコールが検出されたら免許剥奪。
    養命酒であろうと、運転前に飲むな!

  • ジーンズを買った

    関西に来て、何を思いっくそ気を抜いてるんだか
    ジーンズばっかり履くようになってしまったわけだが
    洗濯を繰り返していたら、色がかなり薄くなってきたんで
    そろそろ新しいジーンズが欲しくなってきた。

    ジーンズにこだわりはないので、と言うか、詳しくないので
    そういう時は、デパートに直行。

    デパートのジーンズ専門ショップに来て、ひと回りしたが
    何が何だかさっぱりである。

    そこで、近くにいた店員さんをとっ捕まえ
    「今履いているようなストレートのシルエットので
     色を落としてない、何て言うんですか
     ケミカルウォッシュなし? で、クラッシュなし?
     よくわからないけど、とにかく濃い色の普通のが欲しいんです。」
    と、的を射ない要望だけ伝えて、初手から全任せをする。

    どこまでポヤンか、サイズもわからないので
    店員さんが、私の履いているジーンズの腰のとこを
    わざわざめくって確認してくれた。

    で、持ってきてくれたジーンズを履いたのだが、これがきっつい。
    店員さんに、苦しいよー、と訴えると
    「このサイズでいいんです。
     今までのが大きすぎるんですよ。」 と、ピシャリ。

    「じゃ、せめてストレッチ素材ので頼みますー」 と
    泣きついたら、えれえ細いヤツを持ってきた。
    スパッツのように、パッツンパッツンなのだ。
    これじゃ、尻も足もラインくっきりじゃん。
    ボディコンだろ、こりゃあ。

    この店員さん、自分もほっそりしているからか
    すんげえスリム信仰みたいなんがあるようで
    「ジーンズのシルエットは、流行があるけど
     今は比較的、色んな形がアリなんですよ。
     細いのを履ける人は履くべきだと思いますよ。」 と、力説する。

    メイクもネイルもばっちりの若い姉ちゃんに
    そう言われると、何かそういう気もしてくるが
    あまりに細いのも、貧弱でみっともないと思うんだよな。

    「ほら、ここなんか余ってシワが寄ってるでしょう?
     せっかくだからジャストサイズを履きましょうよ。」
    と、自信満々の店員さんを振り切って
    「でも、私の場合、年齢的にまずいでしょうーーー」
    と、実に不本意なセリフを言ってまで
    ワンサイズ大きめのジーンズにした。

    ここで自慢をイッパツ。
    「足が長いから、あまり裾直しはいらないですねえ」

    ほーっほっほっほほほほほ

    でも、今回の買い物では、そんなに褒められなかったので
    虚栄心を満足させてはもらえなかった。 チッ・・・。

    もっと、ふんぞり返って高笑いできるほど
    褒めて、褒めて、褒めてまくってくれよ。
    こっちはそれで、1か月は天狗になってられるんだよー。
    幸せも売ってくれよーーー!

    大体さ、今回の店員のお姉ちゃんは要求が厳しいんだよなあ。
    全身タイツ並みのフィットジーンズなんか、年齢制限があると思うぞ!

    買ったばかりのジーンズを履いて、デパートをウロついていて
    ジーンズを履いている女性をチェックしまくったのだが
    比率的に、ダボダボのを履いている女性の方が圧倒的に多い。

    売っているって事は、時代遅れではないという事だろうが
    定番のファッションでも、微妙に流行ってあるじゃん。

    これで良かったんだろうか・・・と、不安だぜ・・・。

  • “書く” という事

    毎日毎日、ブログに、よくこんなに書けるもんだというほど
    はた迷惑な自信満々で、くだらん事を書きまくっているが
    「書きたくない」、「書けない」 って時もある。

    書けない時はどういう時か?

    私の脳みそは、起きている時はノンストップフル稼働なのだ。
    外見は、ボーッとしているように見えるが
    実は脳内では、延々と思考が流れている。

    これは自分の意思ではない
    というか、すげえ迷惑。

    何せ、本を読んでいる時も、映画を見ている時も
    関係ない思考が割り込んで、途中で筋がわからなくなるので
    その思考をストップさせたいがために
    雑誌を読みながらとか、片付けをしながらとか
    他の事を同時にしなければならない。

    こう書くと、一種のキ○チガイに思えるが (伏字になってねえ!)
    「そうではない!」 とは、否定できない自分が不思議。

    この “思考” というのは、どういうものかと言うと
    タメになる考えなら、ちっとはありがたいのに
    これがまた、見事にくだらん事ばっかりで
    しかも、ひとつの種類が続くのではなく
    次から次へと別の話に飛んでいくので、手に負えない。

    なるべく余分な事を考えられないように
    日常では、合間合間にパズルやゲームで、脳を休めている。

    しかし、この思考を何とか繋ぎ合わせて、ブログに書くと
    その書いた種類の話が、しばらくナリをひそめるので
    脳内に流れる思考の数が減って、まだラクになるのである。

    現在の私にとって、ブログを書くのは一番の脳休めになっている。

    ところが最近、年を取ってボケたせいか
    とめどない思考の河が、ゆるやかになる時が出てきた。

    そういう時は、脳みその動きが全体的に鈍くなって
    生活的に支障が出るのが難点だが
    頭が疲れないだけでも、とてもありがたい。

    だが、こういう時は、ブログが書けない。

    それでも何とか書こうとする事で
    せっかく穏やかに休息している脳を疲れさせてしまい
    どっちに転んでも、結局は疲れて、ちょっと不幸。

    こういう状態の時の文章は、多分読んでてわかると思う。
    いや、元々マトモな文を書けてはいないのだが
    それプラス、散漫にとっ散らかした話題、
    やる気を何ひとつ感じさせない文章、強引な終わり方、
    結局ひとつも出ていない結論、と、いたれりつくせりで
    ようするに何が言いたいんだよ? というような内容である。

    では、書きたくない時は?

    (読んでいるヤツが一番わかると思うが)
    真面目に真摯に、持論を述べているつもりだが
    読み返すと、「私、バカじゃねえ?」 と
    自分でも思う事が、多々ある。
    10のうち、8ぐらいそう。
    (2つはマトモなつもりなんかい! という突っ込みはすな)

    自分肯定で言えば、“ちまい事にこだわらない”、
    的確に言えば、“ザツ!” な性格なので
    いつもは、「ま、いっか。 しょせん “私” だし。」 で
    心のどっかの箱に、その疑念をほたりこんでいる。

    しかし、それが溜まりに溜まると
    さすがの私も、自己嫌悪に陥る時がある。

    いきなり、何か人間らしい気持ちになってしまい
    「私って何でこんなにバカなんだろう・・・」 から始まり
    「こんなのを公共の場に出して良いんだろうか?」
    「すげえ恥さらしじゃないのか?」 と、きて
    とどめが 「私、生きてる価値があるんだろうか?」 と
    心が風邪をひいたんじゃねえ? ってぐらいに、落ち込むのだ。

    こうなったら、書くのがとても恐い。
    無難な話題に終始しようと、逃げ腰になる。

    が、この “無難な話題” が見つからず、とても苦労する。
    美容話は、自画自賛をしなきゃ損をした気分だし
    時事系や犯罪系は、基本が鬼畜な意見なので、とても書けない。

    やむなく日記調になるのだが、微妙に自己批判が入って
    読み返して益々落ち込み、うっとうしい事この上なし。

    こういう状態の時も、読んでてすぐわかると思う。
    弱気だし、善人ぶっているし、えれえ卑屈である。

    この、書けない、書きたくない、の周期は決まっておらず
    いつ起こるのか、何日続くのかもわからない。

    元々気分のムラが激しいので、一日だけって時も多く
    ヘタすりゃ数時間単位で変わる時もある。
    行き当たりバッタリの綱渡り脳みそを持つと、とても辛い。

    落ち込み状態は少ないが、ボケは最近ひんぱんで
    私の文豪生命も、そろそろ終わりに近付いたかな? って感じ?
    (今日は、行け行けオラオラか? ほほほ)