投稿者: あしゅ

  • 今年はこのまま梅雨入りかも・・・と天気予報で言ってた。
    えええ? エルニーニョーーーーーーーーーーッッッ!!!
    (念のため言っとくが、自分でも意味不明)

    関西は九州と比べて、雨が多い気がする。
    最近は九州並みにズワーーーッと降る事も多く
    温暖化か? と、ひそかに環境問題に心を傷めている。

    が、そんなシリアスな私は、持って数秒。
    今回は雨にまつわる思い出を搾り出そう。

    小学校の時、体育で水泳の授業がありプールに入っている時に
    突然の豪雨に見舞われた。

    普通ならそこで一時中止になるはずなんだが
    「どうせ濡れてるんだから」 と、教師おかまいなし。
    上下水攻めで、生徒たちは地獄を見つつ泳いでいた。

    そんな中、目の前の山に雷が落ちた。
    小さい雷だが、電光がピピピと走って
    皆 「おおお」 と、感動して眺めていた。

    途端に、体中に激痛が走った。

    一体何事だ? と、一瞬みんな 「???」 だったのだが
    落ちてくる雨粒1個1個に電気が入って?て
    それが皮膚に当たるとピリピリして痛いのである。

    プールは阿鼻叫喚の修羅場になり
    教師は 「皆プールから上がりなさい!」 と叫んだが
    プールから上がっても、屋根がある場所がないので
    傘を差している教師以外は、全員のた打ち回るしかない。

    その後、だだっ広い校庭を死に物狂いで横切って校舎に避難したけど
    えれえ目に遭ったよ、よく死人がでなかったもんだ。
    散弾カメハメ波をくらった気分だったぜ。

    結婚してた時、飼っていたアフガンハウンドが逃亡した。

    このアフガン、隙あらば脱出し、その度に
    「誰か良い人と巡り合って幸せになってくれ」 と、放置してたんだが
    思う存分散策しまくったら、汚れまくって帰ってくる。

    その日は豪雨だったので、今度こそ野生に戻ってくれ、と願いつつ
    実家に行って帰宅途中、バッタリと遭遇。

    私は車で、離合しにくい狭い道の向こうには対向車も来ていて
    その真ん中にアフガンがひょっこり出現している。

    「ああ・・・」 と、その最悪の状況に落胆したが
    離合のために停まっている対向車に迷惑をかけるわけにはいかないので
    すぐ車を降り、どしゃぶりの中、アフガンを捕まえ
    対向車に 「すみません、すみません」 と、謝りつつ
    アフガンを助手席側に乗せた。

    ところが、アフガンは開いていた運転席側のドアからまたも逃亡。
    車内は助手席から運転席に一直線に
    ドロドロのアフガンが通った後が付いていて私もドロドロ。

    「革張りシートなのにこれ、どうするんだよーーー」 と
    その場で気絶して現実逃避をしたかったが
    とにかくこれ以上、対向車を待たせるわけにはいかず
    「すみません、すみません」 と、土下座しつつ離合。
    対向車の運転をしていた女性はあっけにとられていて
    とても恥ずかしかった。

    二度と無事な姿を見たくない! と怒っていたが
    アフガンはいつにもまして元気一杯、汚れ一杯でご帰還なさって
    はちくり回したくなったが、ものすげえ忍耐でふみとどまったさ。

    犬って15分経てば忘れるから、現行犯逮捕じゃないと意味ねえんだよな。

    雨の日のロマンチックな思い出?
    はて、そもそも私の人生にロマンがあったっけ・・・?

  • やる気を出す呪文

    風邪を引いてしもうた。

    何か寒いじゃん。
    まだコタツを出してるんだぜ。
    この時期にありえねえーーーーー。

    私の引く風邪は、症状がほとんどなく
    1~2週間ぐらいダラダラと微熱が続くパターンである。

    高熱など数年に1度ぐらいしか出さないのに、微熱はしょっちゅう。
    丈夫なんか病弱なんか、よくわからん体質である。

    元々の体温が低いので、37度も出たら結構きついんだが
    お医者さんに行ったら、微熱は下げようがないんだとさ。
    風邪薬も、諸症状を “改善” させるための補助なんで
    症状が軽いなら、飲んでも意味なし、と。

    ここまで言われちゃ、放置しかねえよな。

    という事で、フツーに暮らすんだが
    微熱っていうのは、RPGでいうところの毒みたいなもんで
    ジワジワと気力体力が削られていくのだ。
    ああ、何かやる気出ねえーーー、ってなる。

    そこで最近あみ出した呪文がある。

    かあちゃんが死んだ時は、即行で納得できたんだが
    今になって思うと、「親はいつかは死ぬ」 と
    常々覚悟していた割には、心のどっかでビックリしてるのだ。
    「えええ? 本当に死んだんか?」 って感じ。

    これをつきつめると、“寂しい” とか “悲しい” になるだろうから
    あえて深くは考えないのだが、これは自分にも当てはまる。

    誰でも自分が永遠に生き続けるとは思ってはいない。
    でも “死ぬ” って言葉の意味はわかっていても
    そこに現実味がまったくないのである。

    自分もいつかは死ぬだろうけど、それは今の自分に関係ない
    遠い未来の話、って位置付けであろう。

    もし、自分に残された時間に限りがあると本当に実感できたら
    何でもない日常の一瞬一瞬が、すげえ大切な物になる。

    呪文 「まあまあ、明日死ぬかもしれないんだし」

    こう思って、よっこらしょ、と腰を上げるのだ。
    「明日死ぬかもしれんから、今やっとこう」 だ。

    世の中、事件事故で人が毎日死んでいる。
    自分がいつその立場になるかもわからんのだから
    この呪文、まったく現実味なしじゃないだろ?

    こういう呪文は、マイナス方向に使ってはいけない。
    「明日死ぬかもしれないから、飯テキトーでいいや」 じゃなく
    「明日 (略)、うめえ物でも作って食おう」

    「明日 (略)、掃除はいいや」 じゃなく
    「明日 (略)、立つ鳥跡を濁さずでキレイにしとこう」

    だらける言い訳なんか、苦労せんでもいくらでも考え付くんだから
    やる気を出せる要素のある言葉を流用したらもったいねえだろ。

    言われてするより言われる前にした方が、人生ラクだし
    本当にしんどい時は、思いっくそ泣きつきゃいいんだし
    「おっしゃあ! やるぞ!」 と 「ああもうダメ・・・」 の
    メリハリがついてたら、周囲のヤツもわかりやすくて
    物事がスムースに動くような気がする。

    私は見て瞬時にわかるように、病弱な深窓の令嬢なので
    「もうダメ~」 の方が多いんだが、たまに動く時は
    「ほらほら見て見て、やってるよおー!」 っていう
    アピールが激しいから、何とかしのげている。

    そういや、この前、いいリアクションを発見した。

    コーヒー用のミルクのフタが開かず
    イライラしつつ、カリカリカリカリカリ爪で剥がそうとしてたが
    ブチッときて、「ああ、もういらね!」 と
    テーブルにバンとミルクを叩き付けたら
    友人がびっくりして 「何っっ?」 と、激しく怯えたので
    長州小力のように、ニカッと笑って、人差し指をピコピコして
    「切れてないっすよお~」 と、言った。

    途端、意外なぐらいに大爆笑された。

    ほんとは切れてたよ!!!!!
    まったく、どういった不良品だよ、すんなり開けよ!!

    こういう事が多い私には、長州小力のギャグはとても役立つと判明。

  • 指摘しろよ!

    美容院に行って、担当のおねえさんと
    自分の外見の過ちって自分じゃわからない、って話をした。

    ヘナの色がヘンかどうかを聞いたのが始まりで
    ヘナをしているお客さんは結構いるけど
    明らかにヘンな色になっている人もいるが、指摘できない。
    と、言いつつ、私には 「おかしい」 を連呼してくれたからだ。

    もうヘナ100%じゃなく、インディゴ配合にする。
    「真っ赤ですよ? 真紅ですよ?」 で、大ショック!
    叶美香の髪色をあざ笑えん立場に・・・。

    他にも 「顔色が悪い」 と言われ、「えええ?」 と、なった。
    「よく見てくださいよ、赤黒くないですか?」 と
    顔をドアップでよーーーく見せたら
    「ああ! 間近で見ると血色もわかるけど
     普通の対面距離だと、青白く見えるんですよ」
    と、言われ、すんげえ驚いた。

    この見え方の違いは何なんだ? と、しばしふたりで考え
    近眼なので、お手入れやメイクの時は
    鏡にへばりついてやってるせいだと判明。

    いやあ、目からウロコな事実だぜ。
    こういうのは、人から指摘されないと絶対にわからんって。

    私はお世辞は言わない。
    ってか、心にない事を言っても、嘘臭さ全開で
    余計にこっちの立場が危うくなるんで、いらん社交はせん。

    でも、特殊なジャンルのファッションとかじゃなく
    明らかにヘンな格好やメイクをしているのに
    指摘できない相手っているよな。

    特に女性のメイクは指摘しにくい。
    代表的なパターンが
    「眉、1本線!」 「アイライン太すぎ!」
    「チーク (ほお紅) がおてもやん!」

    見ちゃいけない、と思いつつ、どうしても目が行ってしまい
    それが良いと思ってるんだろうか? 家族は何も言わんのか?
    と、脳内でグルグル考えてしまい、やたら疲れたあげく
    「相手をこんなに気遣わせるなんて、とんでもねえ!」
    と、とんだ逆恨みをしてしまう。

    男性の場合は、髪型とか、香水のつけ過ぎが多い。
    妙な分け目をしてるヤツは、その感覚を聞いてみたくてしょうがない。
    香水のつけ過ぎは、おしゃれどころか逆に
    「おめえ、風呂に入らんヤツだろ」 と、疑うぞ。

    全身がすっとんきょうなら、電波風味って結論で分類ができるんだが
    他の部分はすげえマトモなのに
    何故か一箇所だけ、突拍子もない事をしてるヤツが一番戸惑う。
    これもある意味、“一点豪華主義” なんか?

    かく言うわたくしも、昔はとんでもない格好をしていた時期もある。
    パンクは行動範囲が激減したし
    スーパーロン毛の時は、オ○ムシスターズか貞子か、だし
    後年になっておかしさに気付いた時にゃ
    友人に 「指摘してくれよ!」 と、文句を言ったさ。
    (答はもちろん 「好きでやってたんでしょ」 で、ギャフン)

    怖いのは、その大間違いが現在進行中じゃないかという可能性。
    別に 「やってもたー」 な格好はしてないと思うが
    自分の “思う” ほどアテにならんものはねえ、と
    実感しまくってるので、不安特盛りである。

    それに、女性が相応に年を取るのは、すんげえ難しい気がする。
    どうしても、時間が過去のある部分で止まると思うんだ。
    これは悪あがきとかじゃなく
    自分が一番キレイな時代が脳に刻まれるんじゃないかなあ。

    私の場合、意外かもしれないが、美容面の老化は気にならないんで
    (健康面がすげえ切実で、シミシワは二の次)
    若作りはしてないつもりだが、万が一がやばい。

    痛いババアな将来だけは避けたいーーーっ。
    (自画自賛している時点で、ヒトとして充分にやばいだろうが)

    一応、回りのヤツに聞いてはみるが
    褒めるならまだしも 「あしゅららしい」 とか言われても
    それが良いのか悪いのか以前に、意味わからんっつーの!

    ほんと、人は本当に大事な事は指摘してくれない。
    人と接して、相手が自分の一点を凝視していたら、その部分を疑うべき。

    でも、思慮深いヤツは、見て見ぬフリが上手いんだろうなあ。
    そう思うと、やっぱり自分の判断する目を養うしかないよな。

    ・・・・・私の未来は暗い・・・・・

  • 荷物が多い生活

    「引越したい」 と、時々思う。

    たとえば、コーヒー牛乳をドバーッとこぼした時
    外から 「おかあさん助けて!」 と、子供の叫び声が聞こえてきた時
    住人の車が、有鉛でも使ってるんじゃねえの? というほど
    くっせー排気ガスを出している時
    必ず夜の12時過ぎに、どっかの部屋から中華料理の匂いがする時

    中でも、ここ最近の一番のストレスは
    一生懸命にドア掃除をしたら、そのドアが開閉の度に
    「メェェェェ」 と、ヤギの泣き声のような音を出し始めた事。

    いや、ヤギじゃなくヒツジか? とか悩んでいたが
    よく考えると、問題はそこではない。
    「キィィィ」 とか 「ギィィィ」 ならわかるが
    何で 「メェェェ」 なんだよ?
    こんなドアの音は聞いた事がねえ。 何かの霊障かよ?

    ほんと、イライラするーーーーーーっ!

    私は人生において、結構引越しをしている。

    引越しが決まった時に、改めて押し入れとかをチェックするんだが
    「この膨大な荷物はどうにかなるのか?」 と、途方に暮れるよな。

    「こんなに誰が集めたんだよ・・・」 自分だ。
    「これを一体誰が箱詰めするんだ・・・?」 自分だ。

    生活用品などは、ひとつ買うとひとつ捨てるんだが
    必需品じゃない物は、コマゴマした物が好きで、化粧関係はもちろん
    文房具系や、他くだらん玩具が多いのである。

    ゴチャゴチャと細かい物は、箱にキレイに収まらない。
    隙間ができて、その分余計に箱が必要になる。
    これら全部ひとつに圧縮したら、箱1個で済むのに・・・と
    考えてもしょうがないメルヘンな思考に走りつつ、荷造りをする。

    この時ばかりは、身ひとつで移動できるヤツを心底尊敬する。

    そういや、旅行とかでも異様に荷物が多くなる。
    普段使っているお手入れ用品を厳選して
    使い捨て容器に詰め替えても、大量になるのは当然。

    だって旅先で環境が変わった時に、違う化粧品を使ったり
    手抜きお手入れをしてたら、余計に肌荒れの危険性大だろ。

    兄なんか、数ヶ月いなくなる時も
    これじゃ下着ぐらいしか入らないんじゃないの?って大きさの
    中ぐらいのバッグを1個さげて出て行き、同じバッグで戻ってくる。

    こいつ、どっかに別宅があるんじゃないか? と疑ったが
    一緒に旅行をしてもその調子で
    しかもその中バッグからは愛用のコロンの現品とか出てきて
    すんげえ余裕を感じさせて、ムカつく。

    引越しに話を戻す。
    引越しで一番困るのは、荷造りをし始めてから
    引越し先で荷造りを解くまでの期間の、生活の落ち着かなさ。

    使う物は最後に同じ箱に。
    箱には入れた物を詳細に書く。
    同じ部屋に置く物は同じ箱に。

    など、いくつかの荷造りの基本があって、それをキチンと守ってはいるが
    片付いていない部屋にいるのが、何かよくわからんがすげえ動揺で
    「今せんでもいいだろ」 ってな事をコセコセやってたり
    積み上げられたダンボールを放心状態で凝視してたりと
    自分でもかなり挙動不審になるのである。

    だから、アワアワしつつ荷造りしまくり
    引越し先では、飯も食わずに徹夜でガッツンガッツン片付けまくる。

    で、“使わない物は引越しを機会に捨てる” という鉄則があるが
    この荷造り間のパニック状態で、どこまで逃避したいのか
    大量に物を捨ててしまうのが、私の悪いクセで
    引越し後に後悔した事、数知れず・・・。

    必要か必要じゃないかの判断は冷静な時に、って教訓。

    ・・・じゃなくて、ドアの音をどうにかしてくれ!
    オリーブオイルを塗ってみるか・・・。

  • ゲームソフトの形状

    実家からスーパーファミコンとロムを持ってきたので
    現在は古ゲーをしている。

    「ソウル&ソード」
    これは、私のBEST10に入るRPGなのだが
    今やると、見事に古い。

    私は画像の美しさやリアルさは重視していない。
    問題はシステムである。
    が、さすがにRPGでドット絵はきっついなあ、と
    改めて、今のゲーム画像に慣らされた自分を思い知ったぜ。

    せめてドラクエレベルは欲しいよな。
    (エニックス、妙な引き合いに出してすまんが
     おめえんとこの絵はそれほどでもねえだろ?)

    ついでにファミコン一式も持ってこようかとも思ったが
    スーファミでこれなら、やめといて正解かも。

    実家にはスーパーファミコンがあと2台ある。
    プレステ1も2台ある。

    これは最初、隠居したとうちゃんがボケボケしてたので
    マジで痴呆にならんようにと、囲碁と麻雀ソフトとともに買わせたもので
    とうちゃんの囲碁と、かあちゃんの麻雀で揉め始めたので
    ひとり一台ずつに増えたのである。
    プレステ1は、ジジババには見向きもされず、兄が占有した。

    家族全員が1台ずつ、ゲーム機を所有して各部屋で遊ぶなど
    何てイヤな家庭環境なんだろう、と思っていたが
    結局、遊んでたのは半年ぐらいで、その後は埃まみれになっている。

    ジジババには、TVのリモコンのスイッチをひとつ押すのが限界らしい。
    という私も、プレステの立ち上がりの遅さにはイラ立つ。

    その点、カセットロムの読み込みの早さは素晴らしい!
    電源を入れた途端、始まるんだから。

    ディスクタイプって言うの? CDとかDVDとか
    それが主流になったのは、すべて作る側の利便さなだけの気がするぞ。
    焼き増しが簡単とか、場所を取らんとか。
    容量の増加は不可能じゃない気がする。

    使う側としては、あの繊細な板は気を遣ってしょうがねえ。
    裏側の銀色も、いかにも 「触ると傷つくからね!」 と
    脅しているような青魚光りしてて、すんげえビビる。

    プレステ1を最初に兄にさせた時に、銀色面を容赦なくわし掴んでくれ
    思わず 「ヒイイイイイイイイイイイッ」 と、叫んだら
    「レコードより丈夫になったからCDなんだろ!」
    と、わけのわからん逆切れをされた。

    おめえのようなヤツがいるから、レンタルのDVDがボロボロなんだよ!
    と、飛び膝蹴りをしたくなったが、無言で銀面を拭いた。
    が、指紋が全面にベッタリで、なかなか取れず
    兄の膨大なレコードコレクションを同じ目に遭わせたくなったさ。

    CDとかDVDとか、ほんと得体の知れん物は
    腫れ物に触るように扱ってくれよ!!

    その後、兄から借りたCDは、全部
    銀面に何かの犯罪現場の証拠のごとく
    指紋がベタベタついていて、音が飛びまくりで
    あいつ、指導の甲斐もなく相変わらず全然気遣っちゃいねえが
    何でここまでレコードと差別するんやら。

    と、腹の底で怒りにまみれつつも
    黙ってキレイに拭いて、黙って返す私が健気。

    私はおめえのCD掃除係かよ!!!

    私のゲームスケジュールは
    「大神」 → 「ヤンガス不思議のダンジョン」 の予定。

    でも、大神を買いに行ったら売り切れで、店員さんが
    「カ○コンのゲームは、再販注文に1か月掛かるんですよー」
    と、嘆いていた。

    ディスクでそれはなかろうーーーーー。
    おめえんとこの販売実績がないからじゃねえのか?
    と、突っ込みたかったが、大人しく帰った。

    アマゾンで見たら、24時間以内に出荷OKだった。
    カ○コンは販売店に対して、何様な会社なのか?

  • TVCM

    CMというのは、世の中に広く会社名と商品を認知させる手段である。
    商品の特徴を知らせて、興味を持ってもらおうというのと
    会社や商品のイメージを固定させようというのと2種類ある。

    生活用品には、商品の特性を伝えるものが多い。
    これは現実的で手堅い主婦がターゲットだからだ。
    他の商品との差別化で、「これを買うと得」 と思わせるのが第一。

    逆に車などにはイメージ優先のCMが多い。
    あまりに似たような作りのCMが多く
    どの車種のCMだか区別がつかない事が多いが
    車は衝動買いをせず、調べて買う物なので
    CMで性能をうたう必要はなく
    高級感やおしゃれさを消費者の脳にすり込んでおきたいのだ。

    私には、芸術的に最も優れたCMを作っていると評価する会社がある。
    それはキューピーである。
    ほとんど注目もされないほどの地味さだが
    このメーカーは、昔から美しいCMを作っていて
    そのレベルが落ちないのも不思議である。

    意識して見てみい、毎回すごく色使いや選曲が良いぞ。
    食物の美を表現しながらも
    ちゃんとキューピーだと印象付けているのが天才的。

    CM制作で一番大変なのは、クライアントの説得である。
    A社が広告代理店にCM制作を依頼する。

    制作したCMがA社に気に入られれば放映であるが
    これを決めるのはA社のお偉いさんたちだ。

    広告代理店がどんなに印象的なCMを提案しても
    何にでも口を出したがるくせに
    新しい事にはまず拒否反応を示す頭の固い年寄りどもは
    古臭い時代遅れを好み、なかなか納得しない。
    これを口八丁手八丁で口説き落とすのが最大の難関だと言える。
    だから、CMでその会社の方針、体質がわかるのである。

    ところで、今やたら昔のロック (クイーンとか) が
    TVで流れているのは何故かわかるか?

    これは、その曲が流行った時代に青春だった年代が
    順当に出世して、物事を決定できるようになったからである。
    お偉いさんの思い出の曲を使うとオッケーがでやすいって事だ。
    世の中を本当に動かしているのは、50代前後の年代だろうな。

    「これが流れるとチャンネルを変える」 というほど
    嫌いなCMってあるか?

    世の視聴者は想像以上にCMに厳しい。
    「CMが嫌いだから買わない使わない」 という意見も多い。

    あるメーカーは、苦情が数件きたらそのCMを打ち切るという。
    (ただし、ブラックリストに載ってるクレーマー以外の視聴者。
     クレームを趣味にしている顧客?も多い。
     リストに載りたくなかったら、クレームは厳選して言おう。
     自分の意見が正当でも、反映されなくなるぞ。)
    メーカーは自社CMの評判を結構気にしているのである。

    だったら何故あのCMがオッケーになったんだろう? というCMがある。

    それは小泉今日子の 「ジョジョービ ジョヴァー」 ってやつ。
    スポーツドリンク?のCMだ。

    あの歌声の気色悪さとともに、キョンキョンの姿が・・・。
    贅肉だらけの体なのに、何故キャミドレスを?
    しかも、だらしない立ち方で、あごをあげて歌うあの映像は
    不潔感たっぷりで、やさぐれた女に見えて
    初めて見た時は、脳内でガラス粉々イメージが展開したぜ。
    確かに、おめえの中の “汚いモノ” が即効で出てるよ。

    あれ、タレント的にナシだろうーーーーーーー。
    CMなんだからCGでどうにかせんかあ?
    それとも、次のCMで
    「これを飲んでたから、こんなにキレイになりました」
    と、キレイなキョンキョンが出てくるのか?

    すげえ印象的だが、マイナスイメージで強烈なのはNGだろう。
    あのドリンクも飲みたくないし、キョンキョンも見たくないし
    関わりを一切拒否したくなるCMだ。

    最後に、裏トリビアをひとつ。

    CMに自社社長が出てくる会社はロクでもない。

    これ、今までの大抵のCMに当てはまっている。
    因果関係はわからんが、歴史が証明しているぞ。

  • 連休中のわたくし

    ゴールデンウィーク中、電車男の再放送を観ていた。
    1回目の放送は、2回ぐらいしか観てなく
    実際のスレに出てない人物が多く登場してて
    よく話がわからなかったのだ。 (今回も数話見逃したが)

    ひとつ、いや、山ほど言いたい。
    何でドラマの登場人物は、人の話を最後まで聞かない?
    電話ブチ切りとか、話の途中で帰るとか
    こんなん現実じゃありえんだろう。
    それをやってるから、状況が益々ややこしくなるんだよ!

    自分が言いたい事を言い終わっても
    「何か言いたい事はある?」 と、相手に聞け。
    それが最低限の礼儀だ!

    それに、どうでもいい事で見栄を張ったり、隠し事をしたり
    そんなんで付き合っても、後どうするんだよ。
    恋愛ドラマでやってる駆け引きなんか、実際には誰もやらねえよ。
    なあ?

    などと、個人的にイライラしつつ、連休は掃除片付けに専念した。
    ひとりホラー祭をするには、借りられた本数が少ない。
    だけど、人ごみの中にお出掛けはイヤ!
    (結局は出掛けてしまったが、案の定ロクな目に遭わんかったわい)
    そこで、気候も良い事だし、せっせと巣づくろいをしてたのさ。

    ストーブをキュッキュ磨いて押入れに入れ
    扇風機を分解して掃除し、防虫剤の入れ替えをし
    レンジ台をピカピカにし、床をコシコシ拭く。

    そして私に何が残ったか?

    無数の小傷とあざ。

    あれえ? 何か痛え・・・と見ると、あざやら切り傷やらが出来ている。
    いつの間に????? と、驚愕するわけだ。

    ミニ脚立に指をはさむ、とか
    ふすまで指をはさむ、とか
    開け損ねたドアにニーキックをかます、とか
    輪ゴムを飛ばそうとして、指にビシイ! とか
    そういう、とても痛い目に遭った事は覚えているし
    傷があっても不思議ではない。

    疑問なのは、いつどこで? という傷が多い事。
    左ひざの “ドアにニーキックあざ” と同じぐらいのあざが
    右ひざにあるんだが、これは何なんだ?

    ダンボールでガリッとこすって出来た左手首のリストカット風味の傷と
    同クラスの傷が左手人差し指に付いたのはいつだ?

    ニーキックもダンボールも、地べたに素手で穴を掘りたくなるほど
    激しく痛かったんだが (実際、転げ回ったさ)
    同レベルの傷なら、発生時の痛みも同じぐらいの衝撃なはず。

    もしかして、記憶が飛んだりしてるんじゃねえのか?
    と、とても不安になる・・・。

    ここで、もう1個不安なのが
    いっちょ何かすると、いっちょ傷ができるようになった事。

    私はおっちょこちょいではないし、ドンくさくもないので
    以前はこんな事はまったくなかったのに
    最近は労働量と負傷率が、右肩上がりってやつで見事に比例している。

    これは老化の兆しなんだろうか?
    この勢いでいくと、ババアになった時に
    ちょっと掃除機をかけただけで骨折、とかありえるんじゃねえのか?

    この前、寝ていて突然の激痛に目が覚めてのたうち回ったが
    どうやらタンスに頭突きをしたらしい。
    これが骨粗しょう症のババアだったら
    「寝相の悪さにより、頭蓋骨骨折で老婦人孤独死」
    とか、新聞の端っこに載るハメになるんじゃねえのか?

    人間、年を取ると落ち着く、と言われるが
    今の私と昔の私を比べても、落ち着いてる片鱗が1mmもねえ。
    このまま、勢いだけは幼児でいくと、ひじょーにまずい気がする。

    体はオトナ、頭脳は子供
    まさに 「じっちゃんになりかけて!」 だ・・・・・。

  • 人の意見

    私はしょっちゅう、人に 「どう思う?」 と聞く。
    事ある毎に聞いている。

    この問いで欲しい答というのはない。
    ただ、その人の意見が聞きたいのである。

    この、人の意見というのは
    非常識でズレている私にとって、社会生活の生命線にも等しい。

    これから先の自分の考え方の参考になるし
    人がどう感じるかを知る事は、思いやる心に繋がる。
    そういうのが “勉強” だと思ってる。

    だから皆、私に “自分の考えを言う” という親切をしてください。

    しかし、そうやって “勉強” をしているはずなのに
    何でいつまでたっても常識が身に付かないのかがわからない。
    いや、微妙に付いてるのかもしれんが
    自分の常識への不信感が脳裏に根付いているんだろうな。

    でも、私は世界一の常識人になっても
    人に 「どう思う?」 と、問い続けるだろう。

    人の物の考え方というのは、実に面白いからだ。
    自分とは相容れない意見でも、その人の個性がとても興味深く
    宝物を見せてもらっている気分になる。

    と書いてて、これってパンツを覗き見する変態に似てるんじゃないか?
    という疑念がわいたが、違うよな?

    こういう私が相談を受けた場合、ちょっと悩む。

    私は、相談=意見を聞く なんだが、そうでない人もいる。
    賛同してほしいとか、慰めてほしい、後押ししてほしい、など
    人は “相談” という言葉に色んな意味を詰め込むからである。

    私の場合は、目的がはっきりしている場合は、それを言う。
    「慰めろ」 とか、「安心させろ」 とか
    相手が 「解決策を考えるべきなんじゃないの?」 と、言っても
    「今はそういう気分じゃねえ。 いいから私を落ち着かせろ」
    と、ゴリ押しをする。

    動揺してる時にあれこれ考えても、良い案は出ねえもん。
    とりあえず、心の平穏を取り戻すのが先決だろ。

    友人たちは、私のこういうところを
    「手間が掛かる」 と、困っているみたいだが
    慣れればオッケー! (← ?)

    こんな単純バカが 「この人はどういうつもりで相談してるんだろう」
    と、人の心理を探っても、まず99%的を外している自信があるので
    相談を受けた時には、とにかく自分の意見を言う。

    なんか、ほとんどの人は 「ただ話を聞いてほしい」 というのが
    “相談” のようなんだが、ちゃんとそれを伝えんなら
    私にはわからんし、そもそも、私に相談するって事は
    ズバズバ言われて構わんという覚悟があるんだと解釈する。
    優しくされたいなら、優しい人を選んで相談するだろ。
    私のところには、生け贄になった気分で来ーーーい!

    相談された内容は、できるだけ客観的に見る。
    ただし、それは私が得る事ができる情報の範囲である。
    知り合い同士で揉めてる場合でも
    私は相談しているヤツの情報だけで判断する。

    相談するヤツは、当然主観で説明するので
    それは事実とは違う場合もあるかもしれんし
    相談者が知らない、気付いてない事もあるかもしれん。

    真に公平に判断するには、当事者全員の話を聞くべきだが
    私は、私に話を持ってきたヤツに一生懸命になるだけだ。

    たとえば、AとBがケンカをして、Aが相談に来る。
    Aの話では、Bはひどいヤツに思えても
    それはそのケンカの場合限定で、私とBの関係には何の影響もない。

    相談に来たAの意見だけで判断して意見を言うが
    一方的な話をされたくないなら、Bも私に言いにくればいい。
    そしたら、公平に考えるだけのことだ。

    相談ってのは信頼関係なので
    私は、私を信頼して話にきてくれたヤツに必死になる。
    頼まれでもしない限り、“聞き込み捜査” はしない。

    書いていて気付いたが、ほんと目の前の事しか対応してないよな。
    しかし自分の能力では、これが精一杯じゃないかと思う。

    私が仲裁に入ると、余計にグチャグチャになるだろうし
    そもそも私に相談しても、厳しい事をビシビシ言われるので
    ある意味 “敵” みたいなもんじゃねえのか?

    てか、この “厳しい” というのは確信犯ではなく、第三者の評価。
    「よく、あんな事を言えるね」 と、言われ
    「言ったらまずい事だったんか?」 と、驚くパターンが多いので
    多分、私はきついんだろうな、と、素直に受け取っているのだ。

    でも、きつい事を言う、言われるのって、愛だと思う。
    もちろん逆切れオッケーで、それも情愛の儀式のひとつじゃねえか?

    読み返して思ったが、私に友人がいるのが不思議だよな。
    いや、どこがどうなのかはわからんのだが
    全体的な雰囲気で何となく自分への疑問がー。

  • 神奈川5人遺体発見事件

    神奈川5人遺体発見事件
    この事件、私の琴線に触れず、まったく興味がない。
    だが、こんだけ連日連夜TVでやってりゃ、イヤでも耳に入ってくる。

    今時こんだけ悪評が高い容疑者も珍しい。
    アンド、これだけインタビューに応える身内も珍しい。
    容疑者の実母なんか、各局相手に一体何回喋ってるんだ?

    これが、何かの信念のために喋るのならわかる。
    が、この母親、恨みつらみを言いまくるのである。
    自分の子供から直接話を聞いていないのに
    犯人だと、殺人者だと決め付けて、己の不幸を嘆く。

    どんなにロクでもない子供でも
    人殺しまではするはずがない、と、思わんのか?
    一片の疑問もわかないのか?

    もう、これだけで容疑者の家族関係が良くなかったと想像できる。
    あの母親もまともには見えんよ。

    自殺した男性の母親もしかり。
    息子の死に対する悲しみが見えないほど
    息子をたぶらかした女への怒りや
    自分を裏切って出て行った息子への恨みを語る。
    だからあんな目に遭うんだと言う。

    このふたりの母親の気持ちはよくわかる。
    誰だって、そう思う部分はあるだろう。
    だが、カメラの前で言いまくる人は少ない。

    どんな事件でも、我が子が起こしたのなら
    親の自分が無関係だとは思えないからである。
    必ず、「自分の育て方に問題が・・・?」 と、悩む。
    そして多くの人は、自分を棚上げするのは恥だと知っている。

    この容疑者は、TVで悪女悪女と評されるが
    もし悪女ならば、もっと計算高くやってねえか?

    というのも、男性の選び方が悪女には思えないのだ。
    本当にNo.1ホステスなら、もっと条件の良い男性を捕まえんかあ?
    この女、単に “断れない女” じゃなかったんか?
    そういうヤツって、割に後先考えないんだよな。

    それに、娘を殺した事だけ自白して、あと黙秘ってのもヘンだよな。
    この容疑者、すげえ大ボラ吹きな見栄っ張りだったんだろ?
    そういうタイプはお喋りで、黙秘するどころか
    死人に口なしで、自殺した男性に罪をかぶせてもおかしくない。

    こんだけ多くの関係者が喋りまくる中
    大ボラ吹きと言われる容疑者だけが沈黙をしているのに
    すんげえ違和感を感じる。

    私が推理するに、この容疑者は自殺した男性をかばっている。
    この容疑者は実は、情の深い女だったのではないか。

    なぜならば、子供の遺体を常に側に置いていたからである。
    子供の遺体など、大人のより処分はラクだ。
    さっさとどっかに捨てれば済むのに、わざわざとっておくのは
    一緒にいたかったのではないのか?
    こういう感覚の女性なら、男性をかばうであろう。

    男性が自殺した理由は、色んな説が当てはまるだろうが
    自分が容疑者の娘を殺しちゃった、というのも考えられる。

    ・・・・・ああ、興味ない事件の推理はつまらん。
    もっとブチあげようと思ってたが、途中で面倒になってきたぜ。
    少ない情報での予想だから、外れている気もするし。
    ということで、いつもの途中放棄。 すまんのお

    ところでさ、容疑者の母親の青森弁
    さっぱりわからんと思わんか?
    ここまで理解できんとは思わんだったよ、まるで外国語だ。

    と、思いつつ聴いていて、ふと気付いた。
    青森弁って韓国語と響きが似ている!

    語尾の 「○○だー」 のイントネーションとか
    全体的にガチガチする発音とか
    ボソボソ喋るのに、語感ひとつひとつはカックンカックンしてるんだ。
    角のある音というか。

    これは何でだろう???
    他の東北弁も似た響きなのか?
    韓国から移民してるのなら
    九州弁の方が韓国語に近くなるのが自然じゃないか?

    うーん、これが最大の謎だ。

  • クレーマークレーマー

    友人知人が思う、“私の七不思議” のひとつに
    暴れ馬のような性格なのにクレームを付けない、というのがある。
    「何でそんなに甘いの?」 と、言われるほどである。

    どうしても困った時には、友人知人に
    「どう思う?」 と、お伺いをたて
    「それは即クレームだろ、言え、言え!」 と
    せかされないと、動かない。

    んで、言う時も、「恐れ入りますが・・・」 と
    あくまでも低姿勢。

    これは意外だろ?

    何故かな、と、自分でも不思議なので分析してみた。
    こういう時に良い答が出たためしがないが、今回も相変わらず。

    つまり私は、不当な扱いを受ける、不良品を掴まされる
    そういうので “自分が損をした” という感覚が薄いのである。
    とても目出度い脳構造である。
    だから、クレームを言うにも、言葉が出てこない。

    それに、トラブルが起きるとまず
    「自分が悪いんかな?」 と、思ってしまう。
    私じゃなければ、こういうトラブルは起きないんじゃないか? と。

    何かえれえ弱気だが、自分の常識にとことん自信がないのだ。
    そんな私が、働く人をわずらわせてはいけない、と、思ってしまう。

    こういうヤツは、ひとりで泣き寝入りしとけ、って感じだが
    ちょっと知恵がついてくると、思い出してムカつく事もあるので
    やはりどっかで支障は出ているもんだ。

    この前のトリビアでやっていたが
    料理に髪の毛が入っていたらどうするか?

    1本2本ならありえるし、しょうがない。
    「取り替えて」 と頼んでも、髪の毛だけ取って出されるかもだし
    さっさとよけて食う。
    会計をした後で、「気を付けてね」 と言うかも知れんが
    飯屋の厨房なんて、何をどうやってるかわからんもんだ。

    ただし、客から厨房が見えるつくりで
    シェフが鍋に指を突っ込んで味見をしていたら、即、席を立つ。
    「汚い!」 との感想付きで。

    つまり、見えない所で何をしてようが
    こっちの心身に異常が出なければいい、といった
    ズサンな心構えなわけだ。

    愛想が悪い店員にも怒らない。
    「何かあったんかな」 とか、いらん同情をする。

     (ただし、客を怒りまくる店主のいる店は許せない。
      これもある種のプレイかも知れないので
      わざわざ行ってケンカは売らないが
      たまたまそういう店に入ってしまったら
      ひと口も食わず、金を払って出る。

      サービス業じゃねえだろ、そんな店。
      商品さえ出せば良いとか考えているヤツには
      それこそ金さえ出せばいい。

      何で料理へのこだわりが客への罵倒に繋がるんだよ
      認めねえぞ、そんな頑固さは。)

    “サービス” ってのは、される側にもする側にも掛かる言葉である。
    両方が相手に敬意を払って、初めて成り立つのだ。
    どこぞの演歌歌手の 「お客様は神様です」 ってのは
    サービスする側の、謙虚な姿勢の大げさな表現であって
    客はそれを真に受けて、自分を神認定してんじゃねえぞ。

    って感覚かな。