投稿者: あしゅ

  • 黒雪姫 1

    ここは、昔々にあったかも知れない、とある王国。
     
    大きなお城の立派な正門前には城下町が広がり
    そこから隣の国まで続く街道の両脇には
    深い深い森が広がっておりました。
     
    気持ち良く晴れ渡った真っ青な空に、白い雲がフワフワ浮かび
    そよ風に揺れる木々の枝に小鳥たちが愛の調べを歌う、その森
     
     
    ・・・を、黒雪姫は必死に走っていた。
     
    「姫様、いくら命令とは言え
     あなた様は王の血を引く高貴なお方。
     我々には殺す事なぞ出来ません。
     どうかお逃げください。
     人の目の届かぬ、この森の奥深くへと。」
     
     
    あのクソババア、おかしいおかしいと思ってはいたけど
    伝統的な継子イジメだと油断していたわ
    まさか命まで狙っていたとは・・・。
     
    どうすべきだろう・・・、何の用意もしていない。
    あの者たちも、どうせ逃がしてくれるんなら
    サバイバル道具一式ぐらい渡してほしいわ。
    どこまで気が利かないの?
    だからただの従者止まりなのよ。
     
     
    黒雪姫は立ち止まり、木に手をついて肩でゼイゼイと息をした。
    大体 “ピクニック” に、ドレスにハイヒールで行かせる?
    私の衣装担当メイドたちもグルなの?
     
    従者の “逃げろ” という言葉は
    王の唯一の嫡子、というこの私の地位をもってしても
    あの継母には敵わない、という事なのかしら。
     
    こうなるまで何故気付かなかったのかしら・・・。
    くそう、黒雪姫、一生の不覚!!!
    黒雪姫は、木をドスッとどついた。
     
     
    いえ、今更嘆いても、もうしょうがない。
    こうなりゃ出来るだけ遠くへ逃げよう。
    戦闘には自信があるから、ピクニックメンバーは倒せるだろうけど
    規模が見えない城内の敵相手のバトルは、犬死にの可能性が高い。
     
    とりあえず、追っ手が来られないところまで逃げて
    落ち着いた後に、状況を充分に調査してからだわ。
     
    黒雪姫は、一歩一歩、足を前へと踏み出した。
     
     
    「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
    「それは黒雪姫です。」
     
    「な、何とな!!!」
     
     
    驚く継母に、鏡が呆れ口調で答える。
    「えええー? こっちがビックリですわー。
     そこ、驚くとこですかあ?
     フツーに考えても、年齢的にあっち有利でっしゃろ。
     てゆーか、とりあえず “この国で” って話で聞いといてー。
     世界、結構広いから、そこまで責任持てんわあ。」
     
    「うぬぬぬぬ・・・、特殊能力を持っていなければ
     おまえのような無礼物なぞ、即座に割ってしまえるのに・・・。」
     
    怒りに震える継母に、鏡が更に追い討ちを掛ける。
    「凡人は大人しく天才の言葉を聞いとれ、って事ですわー。」
     
    「おのれーーーーーーーっっっ!!!」
    ガッシャーーーーーーーン
    継母は、鏡の横に積み上げている皿を1枚壁に叩きつけた。
     
    「そうそう、そうやってザコでも割って気を晴らしとき。」
    継母は鏡をキッと睨んだ。
    鏡の中には、怒りに歪んだ自分の顔が映っている。
     
    「おお、いけないいけない
     シワが固定されてしまうわ。」
    眉間のシワを指で伸ばす。
     
     
    継母が黒雪姫を殺す決心をしたのは、この日であった。
    その2年後に、黒雪姫はピクニックイベントに行かされる。
     
     
     続く
     
     
    関連記事 : 黒雪姫 2  10.7.7 
     
           カテゴリー 小説・黒雪姫シリーズ
           
           イキテレラ 1 10.5.11  

    音声ブログ : 黒雪姫 1 10.10.27 by かいね   

  • ストレスと怒り

    意外に思われるだろうが、私は怒りの濃度が薄く沸点も高い。
    他人のためになら、怒りは湧くのだが
    自分のための怒りが湧きにくいのである。
     
    これは “優しい” とか解釈されそうだけど
    そんなキレイな動機ではない。
     
    他人に起きた理不尽な出来事なら
    他人が悲しい想いをしている、という名目があるので
    自己流正義感に基づいて、ギャアギャア怒れる。
     
    しかし同じ事が自分の身に起きた場合は
    「もしかして、自分が悪いんじゃないだろうか」 と
    まず自分を責める方に考えるので、迷い、自省などで
    悩み悲しみが先に立って、率直に怒る事が出来ないのだ。
     
    つまり自分に自信がないと、“自分がイヤな想いをした” という事だけを
    堂々と理由にする勇気がなく、怒りが湧かないのである。
     
     
    怒れない人というのは、結構な数いる。
    もしかして日本人の大多数はそうじゃないか?
     
    日本人にストレスが多いのは、怒れないからだと思う。
    ストレスは怒る事で発散するのが、一番簡単そうだから
    怒れない日本人には、ストレス発散が難しいじゃないだろうか。
     
     
    怒りは、和を尊ぶ日本では悪い事のように扱われているけど
    個人にとっては重要な、生きるパワーとなる。
    怒りを向上心ややる気に変換できる人は、健全な精神力を持っている。
    表立っては怒れなくても、内面に正当な怒りを抱えられる人も大丈夫である。
     
    問題は、怒りを上手く発生させられない人である。
    そういう人は、大抵が自分を責める傾向にあり
    エネルギーを内へ内へと潜り込ませていく。
    ものすげえ鈍感な人や、心の広い人でも
    知らず知らずに、心の奥底にストレスを溜め込んでいる。
     
    その溜まったものが、汚染されて自らを蝕むか
    発酵して出たガスに引火するか、どちらも悲劇である。
     
    そうならないためには、こまめに怒って発散するべきだが
    それが出来ないゆえの貯蔵なのであって
    出来るものなら、とっくにやっているわけだ。
     
     
    そこで私的には、亡き事をいいことに親に怒る。
    “私が悪いのかも知れないけど
     それはしつけが悪かったうちの親のせい。
     自分では常識的な判断ができないのよ
     なんせ、親に習わなかったものだから。
     もう、うちの親はまったく!”
     
    親、ほんとごめん、と思う。
    人生の3分の2は自業自得だとわかっている。
     
    でも自分がそんなロクデナシだとは、認めたくないんだ。
    てか、普段から充分に自分を責めているんで
    少しぐらい引き受けてくれても良いだろ?
     
    お空から見守ってくれる千里眼があるのなら
    私のこの苦悩と葛藤も見透かしてくれているだろうし
    何でもかんでも親のせい、というのも、半分は本気ではないし
    そういうのを受け止めるのも親の務めだろう、という
    過大解釈による、防衛策なのだ。
     
     
    こんな甘えは、現存している人には出来ない。
    どう組み合わせても親のせいに出来ない事は、霊の仕業にしている。
     
    “私がこんなにイヤな目に遭うのは
     きっと先祖がいたらん事をしたせい。”
    “こんな不幸は霊障だわ!”
     
    とんだ逃避活動だが、自分の中でいびつな種を発芽させたくないので
    これでも必死で試行錯誤をしているのだ。
     
    現に、精神的なもので足が動かなくなった、とかの経験があるので
    ストレスに気付かずにいたら
    自分の体は何をしでかすかわからん恐怖がある。
     
    もちろん今でも自分の苦悩に気付かずにいるのだが
    とにかく密かに何かを溜め込んでいるはず、という設定で
    自滅を回避しようとしている。
     
    しかし、ないとしか思えんものを発散するのは困難だろ。
    だから見えない人々に頼っている有り様なのだ。
     
     
    全然タメにならん解決法しか出せんで申し訳ないが
    ひとつだけ、確実にわかった事がある。
     
    怒りというのは、クセ付けする事が出来るようだ。
    怒りっぽい人っているだろ、あれは怒りを習慣化できているんだよ。
     
    これに気付いたのは、ヘルドッグ・アフガンハウンドとの
    激しい戦いが終わった時だった。
    何で戦いの最中じゃないかっちゅうと
    アフガンが暴力的なのも自分のせいかも、とか思っていたんだな。
     
    それがブチーーーッときて、アフガンを制圧できた後に
    次は君主としての、平定が義務になって
    あれダメこれダメ私に逆らうのは許さんモードで
    日々暴君しまくっていたら
    瞬時に怒りスイッチを入れられるようになったんだ。
    本当は怒ってなくても、義務で!
     
    怒りは、きっかけさえあれば、スムーズ発射できるようになる。
    多分、他の感情も習慣化できると思う。
    ただし暴力もクセになるので、何を短縮ダイヤルに入れるかは
    よく考えた方が良いと思う。
     
    アフガン騒乱以来、怒りの出し方がちょっとは上手くなったつもりだったが
    関西に来て、関西人の見事な怒りっぷりに
    自分はまだまだだった、と自信喪失気味なのが痛い。
    関西人、うわてを行ってるのお・・・。
     
     
    自分のためだけの単純でクリアな怒りは、自分にとって必要な事である。
    代わりに怒ってくれる自称正義の味方が、いつでもいるとは限らない。
    自分を大事にするというのは
    喜怒哀楽をバランス良く持つ事が、第一歩のような気がする。

  • 美と愛

    美しいものは、ついつい許してしまう。
     
    いかにもエロオヤジの言うような言葉だけど
    こんな感情を実際に味わったのは、アフガンハウンドとの生活でだ。
     
    噛み犬アフガンハウンドとの暮らしは、とても辛いもので
    毎日毎日、早く死ねだの行方不明になってほしいだの
    本気でそう願っていたのだけど
    アフガン・・・、美しいんだ!
     
     
     
    画像の上部がおかしいのは、何かファイルの破損?
    もう、私の画像、こんなんばっかりだよ・・・。
     
     
    私は獣の王として、きちんと君臨したので
    最後までアフガンハウンドと馴れ合う事はなかったけど
    本当はアフガンにデレデレしたかった。
    あんなにひどい事ばかりされたのに、である。
     
    私は性格上、実用性、合理性を重要視する。
    美しいものであっても、そのどちらかを兼ね備えていないと
    評価に値しないものだと思っていたので
    この気持ちは、自分でも意外だった。
     
    美は愛を生み出すのかも知れない。
    世の人々が、美しいものに魅了される気持ちが少しわかった。
     
     
    私の友人に、とても美人な女性がいる。
    大人しめだけど、性格も良い。
    ヘアメイクやファッションにも敏感で、おしゃれをしている。
    だけど一緒にいて、その人が美人だという事を忘れるのだ。
     
    何だか、凄くもったいない気がするんだけど
    問題も原因もわからないので、ずっとモヤモヤしていた。
    けど、今思い返してみると答が出せる。
     
     
    まだ若い時にその子に、嬉しそうに言われた。
    「ねえ、彼氏に 『何でこんなに可愛いんだ』 とか言われない?」
    その時に、私は ムッ & ??? を同時に思った。
     
    え? この子に 『可愛い』 ?
    この子は可愛いとかそんなレベルじゃなく、“美人” だろ!
    この子の彼氏、何なの? その評価!!!
    これが 「ムッ」。
     
    え? 彼氏って、そういう事普通に言わない?
    何でそんな事が嬉しいの?
    これが、「???」。
     
     
    で、その時は友人の彼氏の文句など言えないので
    「うん、そうだね。」 で済ませたんだけど
    今になって考えてみると、その子
    自分が美人だという自覚がなかったんじゃないか、と思うんだ。
     
    よくわからんけど、迫力がなかったんだよ。
    私は美人よ! っていう。
    だから、美人なのに美人に見えなかったんだと思う。
     
     
    あんなに美人なら、自分で真っ先に気付いて誇って良いはずなのに
    性格が良いのが災いしたのか、大人しいのかいけなかったのか・・・。
    おまけに、ちゃんとした美人なので
    周囲もわざわざその事実を、本人に伝えなかったんだと思う。
    私もその子に言った記憶がないんだ、おめえ美人だよ、って。
     
    これは嫌がらせやヒガミじゃなく
    友人の長所をあえて褒めるのは、照れくさい、っちゅうか
    友人 = 身内も同然、で身内を褒めるのは下品、っちゅうか
    そういう硬派なヤツが多かったんだよな、私の仲間は。
     
    お陰で私も20代後半になって、やっと自分がナイスバディだと気付いたし
    彼女も自覚してれば良いけど、私が言えば良かった、と後悔してるよ。
     
    自分が美しいんだ、と気付くのは、自分を愛していないと出来ない。
    悩みもない日々を過ごしていると
    自己愛とかいらないから、自分の姿にも気付かない。
    それはそれで幸せなんだが、女性の作りには賞味期限があるしな。
     
     
    この2つの事例で、美と愛の関連性がわかる。
    美は愛を生み、愛は美を生む。
     
    美しいから愛してしまうし、愛してるから美しく見える。
    理屈とかじゃなく、無条件にそう思うプログラムが生物にはあるんだろう。
     
     
    さて、じゃあブサイクは愛に無縁か?
    ほっほっほ、それがまた不思議なもので
    度を越したブサイクは、これまた愛を引っ張り寄せる。
     
    うちのゴールデン・レトリーバー、見事なブサイクだったが
     
     
     
    もう、ここまでくると、むっちゃ可愛いんだよー。
    同情票かも知れんが、溢れ出す愛には
    属性などどうでも良いと思わせる力がある。
     
    美には黄金比があり、絶対的なものだと思うので
    このゴールデンを美しいなど、言うのは間違っている。
    だけどここにも、美の法則が存在しているような気がする。
     
    どうやら美は、ゼロか100かで愛を発動させるものらしい。
     
     
    今まで私は、美と愛を別個に考えていたんだ。
    “可愛いと思うのは親だけ” なのに、それは禁句なせいで
    ゴロゴロいる世の親バカから、すんげえ迷惑をこうむっていた。
     
    なので自分だけは客観性を持っていよう、と誓った。
    愛しているけど可愛くない。
    可愛くなくても愛してる。
     
    だから私を 「可愛い」「美しい」 という歴代彼氏を
    “男は愛情で目が腐る” と鼻で笑っていた。
     
    しかし、これは間違っていた。
    私は、愛を生みだしていなかったのである。
     
     
    ごめんね、歴代彼氏たち。
    でも私へのその愛は、美ゼロ発動だよね?
     
    あいつらーーー、もし会う機会があったら無礼討ちにしてくれるわ!!!

  • 外見コンプレックス

    下の中だと自己判断しているツラ構えの私だが
    外見のコンプレックスはない。
     
    ナイスバディなので、体の方は不満こそあれ
    深刻な悩みはないのは当然だが
    まごう事なき超ド級ブサイクなのに
    何故、顔にコンプレックスがないのか?
     
    それは私の、今は亡き母親が理由である。
     
     
    私のかあちゃんは、若い頃に難病にかかって
    腰が曲がり、背骨が岩のようにボッコリと飛び出していた。
    和服を着ていたら帯で隠れるのだが、洋服だとはっきりわかるほど。
     
    そして病気前は160cmあった身長も
    病気後は折れ曲がった腰のせいで、・・・なんぼだろう?
    並ぶと、私 (165cm) の肘の高さぐらいだったから
    もしかすると1mぐらいしかなかったかも知れない。
     
     
    そんでその病気のせいで、流産死産を繰り返し
    年老いてから、やっと私を授かった。
    (ほんと申し訳ないと思う。
     そんな待ち望んだ子がこんな娘で。
     でも親のDNAもかなり傷んでたはずだから、お互い様で良いよな?)
     
    年老いての子と、曲がった腰で
    一緒にいると、知らない人が 「おばあさま?」 と訊くのだ。
     
     
    思春期ぐらいの自意識過剰自分被害者の年頃の時など
    こういう親を 恥ずかしい、と思ってもしょうがない。
    だけど私は、それを思った事は一度もなかった。
     
    それは私が上質なガキだったからではなく
    そういう神経すらない、ポヤンバカガキだったのと
    かあちゃんの態度のお陰である。
     
     
    かあちゃんは、“おばあさん”“おばあちゃん” と
    呼ばれた事は一度もなかった。
    “おばあさま” なのだ。
     
    そしてそう呼ばれた時は、ほほほ と笑って流し
    訊かれた時は、「いえ、遅くにできた子ですのよ。」
    と、堂々と答えていた。
    「金持ちケンカせずよ」 と、私には言っていた。
     
    と言うのも、かあちゃんの実家は
    ものすごい没落もしたのだが、昔ものすごい富豪で
    かあちゃんの若い頃は、専属使用人が何人もいたほどらしい。
     
    そういう生まれ育ちをして
    「贅沢なんて、やりつくしたわ。」 サラッとそう言い
    貧乏になろうと、外見が老婆になろうと
    いつまでもお姫様の心を持つかあちゃんは、多分私の誇りだったのだろう。
     
    今までこういう事を考えた事もないので
    当時の気持ちは推理でしかないが。
     
     
    一度かあちゃんに訊いた事がある。
     
    「そんな体で人前に出て恥ずかしくないの?」
     
    イヤミでも悪口でもなく、純粋な疑問として
    こんなひどい質問をする 成 人 し た 最低なバカ娘に
    かあちゃんは、ほほほ と笑い、ナチュラルに答えてくれた。
     
    「世の中には色んな人がいるから。」
     
    この答があるから、この母親だったから
    私は自分の難のある顔を、可愛いとすら思えるのである。
     
     
    “五体満足” とか言うのは、ほんと卑怯で
    そんな説教など、聞きたくもねえ。
    大多数の平均な一市民の、ごく一般的な悩みを
    そんなおおごとと同列にせんでくれ、という性格なんだ、私は。
     
    だから、かあちゃんが難病だったから、と答える私は卑怯者。
    だけどこれも、かあちゃんが教えてくれた事だ。
    有意義に利用せんと、かあちゃん浮かばれんぜ。
     
    んで、親切心で皆にも伝えてるわけだ。
    自分ら、1個のデメリットもなしに、“特殊な経験” の話を聞けるんだぞ。
    ありがたい、と素直に喜んどけば良い。
     
     
    周囲にこういう人がいないと、わからないだろうけど
    持って生まれたものや、自分ではどうしようもない事は
    悩む必要はない、と私が断言しちゃるよ。
     
    ただし努力はせえ。
    人間、外見なんだから。
    外見だけど、“つくり” じゃなく “演出”。
     
    ファッション、ヘア、メイク、立ち居振る舞い
    そして一番大事なのが、気合いだ。
     
    私なんかさ、下の中だというのに
    有無を言わせぬ何様オーラで
    たまーに 「美しい」 とまで言われるんだぜ。
    5年に1回ぐらい。
     
     
    これを言うと、「そこまでブスじゃないんじゃ?」
    「本当は美人なんじゃ?」 と思われるけど
    アホ! よく考えろ。
     
    下じゃなく、中クラスであったら
    私ならものすごーーーく、自画自賛しとるはずだろ?
    それをせずに、ブサイクと認めてるのは本当にブサイクだからで
    しかもそれを恥じていないからなんだ。
     
     
    顔のつくりに悩まされているヤツ、
    そこは、気にする必要は1個もない。
    問題はおめえの、それを恥じる心なんだよ。
     
    勘違いも痛々しいけど、人に迷惑をかけなければ
    そんぐらい強気に思ってるぐらいが、ちょうど良いぞ。
     
    自分の持ち物を呪うな、祝え。
     
     
    関連記事: 見せるか 隠すか 11.7.6 

  • 具合が悪い人への接し方

    この記事で言う、“具合の悪い人” とは
    もう、平たく言えば、“心を病んでいる人” 限定なんだが
    そこらへんのデリカシーが私には、まったくないので
    とにかく逃げ回る表現をしているわけだ。
     
     
    この前まで、ものすごく調子が悪かった。
    愚鈍なんで、頭が悪いのか心が悪いのか
    自分ではちょっと量りかねていた。
     
    しかし、いつもは2時間待たせの5分診察なマイ主治医が
    30分ぐらい掛けて、カウンセリングをしてくれるのである。
    (主治医、精神科と何の関係もない内科医)
     
    金ヅルであるはずの一患者に過ぎなかったのに
    いつの間にこんなに愛されちゃったんか、とても不思議だが
    この主治医の愛に応えないヤツは人間じゃない。
    反論もせずに、大人しく聞いているよ。
     
    何でこの人だけ、こんなに診察が長いの? と
    他の患者さんに白い目で見られるのが、ほんと辛いが。
     
     
    さて、賢明な皆はわかっただろう。
    私がまたしても失礼な事を書いている事に。
     
    上の 『反論もせずに』 ← これ。
    何でこんな事を言うかっちゅうと、マイ主治医は
    多分、心が悪くなった経験のない健康な人だと思うからだ。
     
    主治医の私を想って語る言葉には
    「自分の生きる意味を」「楽しいと思える事を」「自分を変えて」
    こういう単語が山ほど出てきて、内心ビキビキくるんだよ。
    病状の重いヤツだったら、さぞかし追い詰められる事だろう。
    皆、心がおかしくなったら専門医に行けよ?
     
     
    では何故私は専門医に行かないのか?
    それは、軽くて慣れていて愛だからだ。
    説明が面倒なんで、これで悟れ。
     
    今回は、心の病に掛かった人の心理の一例を語りたいんだよ。
    出来るだけ客観的に分析して、ヒントになるようにするけど
    全員に当てはまるわけじゃない、ってのが大前提で頼む。
     
     
    心が悪くなった人は、突然なるわけじゃない。
    それまでに、何かおかしいな、こんなんじゃダメだ
    などなど、試行錯誤をしているはず。
     
    “はず” と書いたのは、鈍感な私は、いつも突然なるからだ。
    きっと気付いてはいるんだけど、ギリギリまで無視してるっぽい。
    ・・・面倒なんだよ、心ってやつは・・・。
     
    でも他の人は、早くから自分の異変に気付いて
    どうにかしよう、とあがいている場合が多いと思うんだな。
     
    つまり悪くなった時点で、そいつはそれまでに
    もんのすごーーーーーーーーく、頑張ってきているはず。
    「悪い」 と口に出す時は、頑張って頑張って努力して努力して
    ああ・・・もう疲れた・・・、もう頑張らなくて良い?
    という状態なのだ。
     
     
    そういうヤツに、「頑張れ」「前向きに」 などと言うのは、酷すぎる。
    その頑張りが、間違った方向でも、足りなくても
    そいつはそいつなりに頑張ったのには違いないからだ。
     
    言われた側はな、「おめえに何がわかる?」「じゃあ私と代わってよ」
    と内心、思っている。
    励ましてくれている人に、こんな逆切れのような事を言うと
    人格評価が下がるから、黙っているけど
    心の中は血の雨が降っているに違いない。
     
     
    と言うか、病気中はどんな言葉も届かない。
    これさ、当人も気付いていないと思うけど
    心に響くなら、治っている途中なんだよ。
     
    悪い真っ最中は、心、動かざること山の如しなんだ。
    宗教で言う解脱とか、もしかして心の病いかもな。
     
    だから、病人にいらん事を言うて余計な傷を付けるより
    愛している事だけ覚えてもらっといて、あと放置で良いと思う。
     
    何を不可能な事をサラリと言ってるんだか、と怒られそうだけど
    心の不具合、面倒くせえぞー?
    心のお花畑がいつのまにか地雷原になっとるし
    え? これで何で? って事で、グサグサくるし
    本人にも手に負えないものを、他人がどうにか出来るわけがねえ。
     
     
    要するに、調子が悪い私が専門医に行かずに
    マイ主治医に励まされ続けているのは、その愛が嬉しいからなんだよ。
    ほっほっほ、さすが私、最初と見事に繋げられたわ!
     
    まあ、正直に言えば、今歯科にも通ってるし
    眼科も定期的に通わないとダメだし
    これ以上時間と金を掛けられないんで、精神科になど行ってられない
    ってのもあるんだが、やっぱり愛の存在が一番なんだな。
    そんで愛を感じられるのは、私の症状が軽いからだろう。
     
    重い軽いも判断は難しいんで、好き勝手に言わせてもらったけど
    本当に具合が悪い人は、私のこのノンキな言い草の
    300倍ぐらいグッチャグチャになってると思うんで、そこも要注意。
     
     
    こういう事って、もう広く知られているんで
    わざわざ言う必要もない、と思っていたんだけど
    現実、言われてるんで、私、頑張れ頑張れ、しかも主治医に・・・。
    その鬱憤晴らしのために、この記事を書いたのさ。
     
    愛だとわかるが、私程度でも、それ、辛いぞおおおおおおお!!!
     
     
    関連記事 : 座るな! 10.6.23

  • イキテレラ 後書き

    “ジャンル・やかた” を書いていて
    自分の凶暴性にショックを受けたので
    恋愛物を書いてみたくなった。 春だったし。
     
    目標は、本気でロマンスの王道、ハーレクインである。
    だとしたら、姫に王子に玉の輿だろ?
    (ほんと貧相な想像力ですまんが)
     
    姫と王子の話とか言われても、おとぎ話しかねえよな。
    あっ!!! だったら、童話をアレンジすりゃ良いんじゃないか?
    と、ひらめいたんだ。
     
     
    今になって考えると、初手からパクり腰満々なわけで
    ほんと自分の衝動の方向性が信じられん。
     
    姫の名をモジったら、バカみたいな名になったあげくに
    本家の名もバカみたいだと気付いて、ほんとすいません。
    ヨンドリサンとかしなくて良かったよ、ほんと。
     
     
    しかし書き始めたら、本家とはまったく別物になってしまった。
    これは計算してやったわけではない。
     
    ここでまた大ショックを受けたのが
    恋愛物を書こうとしているのに
    どうしてもイキテレラが王子に好意を持ってくれない事。
    それどころか、何故か暴力やら殺人やらに繋がってしまう。
     
    最初は、ああ・・・、じゃあ、ツンデレで
    → えっと、ちょっと控えめなロマンスに
    → うーん、ミステリー・ロマンスになるかな?
    → え? 何でスプラッタに?
    → まさかの拷問劇?
     
     
    ・・・私って人格障害じゃないだろうか? と本気で悩んで
    診断サイトとかに行ったよ・・・。
     
    だけど診断、受けてねえよ。
    万が一が恐すぎるだろ。
    てか、単にホラー好きなだけじゃん、変質者扱いすな!
     
    とかいう、自作自演の八つ当たりはおいといて
    もう、最大の理性の下に、ものすげえ書き直しをして書き直しをして
    軌道修正して軌道修正して、それでもこれだ・・・。
     
    書き直しをしないと、世界残酷物語になっとったわ。
    そんぐらい、惨劇の方向に行くんだよ。
     
     
    この茶番劇は、本人には結構なもがき苦しみだったんだが
    多分ここに来ている人の予想を、1mmも裏切ってないと思う。
    皆、私に恋愛物は無理だと思っていただろう?
    口惜しや、ああ、口惜しや。
     
    はあ・・・、しょせん私はこれかよ? と、結構落ち込んで
    仕舞いにゃとにかく、さっさと終わらせようとしたのさ。
     
     
    小説とか、考えて書くものだと思っていたんだ。
    だけど違うんだな。
    プロの人はどうだかわからないけど
    私の場合は、設定を決めたら人物たちが勝手に動くんだ。
    何かさ、今までの人生で自分が培った “常識” に沿って
    話が勝手に進むんだよ。
     
    という事は、こうなってもしょうがないんじゃないかな。
    恋愛物とか嫌いで観ないし、ホラーとかが好きなのだから
    私の創作の源は、どうしても猟奇系に偏るだろうよ。
     
     
    この話では、途中でロマンスは諦めて
    “何もしないという攻撃” みたいなものを
    書こうとしたんだけど、そんな哲学まがいのものより
    王さまのストレ-トな残酷さの方が楽しくてな。
     
    正直、自分が女性で心底良かったと思う。
    もし男性に生まれていたら、犯罪者になっていた自信がある。
    それも攻撃性あふれるド変態。
     
    今の私は、か弱く性欲の薄い上品な淑女だからこそ
    社会に迷惑を掛けずに生きていけるんだと思うんだ。
     
     
    パクリをしといて “創作” など、おこがましいけど
    この創作作業、やってみると自分の闇が見えてきて、とても動揺するぞ。
     
     
    あ、老婆が言ってた “観察者” とは
    そういう立場のヤツがいるかもな、と
    幼少時に庭でアリを追い回していた時に思ったんだ。
    ただ、そんだけ。
     
     
    関連記事 : カテゴリー パロディー小説
           
           イキテレラ 1 10.5.11  

  • 烏龍茶

    日本国民のほとんどを敵に回す覚悟で書くが
    烏龍茶が大嫌いである。
    ほんっと、あれのどこが美味いのか、さっぱりわからん。
     
    なのに巷には烏龍茶がはびこっている。
    酒以外では、烏龍茶しか置いていない店もある。
    何でだ?
    何でこんなに受け入れられているんだ?
     
     
    とか言っていたら、「こっちこそ何で? と訊きたいわ。」
    と突っ込み返しをされた。
    「何で嫌いなの?」 の問いには、「不味いから」 しかない。
     
    すると、「何が不味いの?」 と噛み付かれた。
    そこまで烏龍茶を擁護するのんか!
    しかも、「苦いからでしょ」 と、バカにした笑いをされる。
     
    これで益々ウーロンは私の敵になったぜ! と発奮して
    「烏龍茶って、麦茶に龍角散を混ぜたような味じゃん。」
    と反撃したら、大爆笑するヤツもいたが
    「いやーっ、やめてーっ、烏龍茶が飲めなくなるーーー!」
    と、怒り出されて、この話題は禁忌だな、と悟ったぜ。
     
    て言うか、そんぐらいで飲めなくなるんなら
    心の奥底では、烏龍茶に疑問を持ってるんじゃねえのか?
    ほら、烏龍茶、怪しいだろ、不審だろ。
     
     
    こういう反社会的な事を言っていたら
    「本当に美味い烏龍茶を飲んだ事がないからだ。」
    と指摘された事がある。
     
    この意見には、賛同できない。
    だってそいつの言う烏龍茶は、中国のどっかの省で買って
    作法通りに淹れたやつなんだぜ。
     
    それが美味いとしても、コンビニや飲み屋で
    平民が普通に入手できる烏龍茶が不味い事には変わりねえじゃん。
    日本の店で美味い烏龍茶なんて、飲んだ事がない。
    (中華料理、嫌いなんでな、“本場の味” とやらも知らんのだ。)
    よって、私の中では烏龍茶は不味い属性である。
     
     
    緑茶なんて、安物をテキトーに淹れても普通に飲めるだろ。
    不味い緑茶なんて、うちの兄の淹れる凝った茶ぐらいだぜ。
     
    ・・・うちの兄、グルメぶっているが
    あいつの淹れるのは、緑茶もコーヒーも不味い。
    能書きをたれながら淹れてくれるので、余計に不味い。
    不味いと言うと、こっちがバカにされる。
     
    “凝ってるヤツ” ってのは、極端に走りすぎて目が曇ってると思う。
    安かろうが高かろうが、希少だろうが大量生産だろうが
    飲食物は、美味い不味い普通 のどれかでしかないのに。
     
     
    ところで、最近私は茶を持ち歩いている。
    ほら、スタバとかで売っている保温性のある容器、何て言うっけ?
    あー、あー、ケトルじゃねえ、・・・思いだせん・・・。
    あれを景品で貰ったので、それに粉末玄米茶を入れて持っているのだ。
     
    ちなみに粉玄米茶を探して、なくて困ってたんだけど
    このブログにその記事を書いたら、コメントで
    “粉茶” じゃなく、“粉末茶” だと教えてもらってから
    それで大手ショッピングサイトでも容易に見つけられるようになった。
     
    “末” の一文字で、ここまで状況が変わるとは
    ほんと検索って難しい。
    てか、私が繋げるネットなんだから、私に合わせて融通を利かせんかい。
     
    教えてくれた人には、心底感謝している。
    いつも、「ふ・ん・ま・つ とな。」 と唱えながら入力してるよ。
     
     
    で、何で茶を持ち歩くようになったか、っちゅうと
    面倒くさくて、茶葉から淹れてまで緑茶を飲みたくないからだ。
    昔はペットボトルの茶を買っていた。
    でも粉末玄米茶を知ってから
    ペットボトルの茶が、不味く感じて飲めなくなったんだ。
     
    どっちも市販品を 「不味い」 と言ってるけど
    緑茶と烏龍茶が決定的に違う点は
     ・ 緑茶は安い茶葉でも美味い茶が、気軽に家庭で淹れられる
     ・ 緑茶はそこらの飯屋の茶でも美味い
    このふたつだ。
     
     
    にしてもペットボトルの緑茶、何であんなヘンな味なんだよ?
    技術大国日本、ナメた仕事をしてねえか?
     
    大体よお、10歩歩けばコンビニ、5歩歩けば自販機を見かける世の中なのに
    何で水筒を持ち歩かにゃならんのか。
     
    乙女のバッグにDSと水筒、どんだけ重いか!!!
    デザイン重視のバッグなのに、パンパンふくれて見苦しいったらねえぞ。
     
     
    便利さを追求するのは良い事だけど
    発展に犠牲は付き物だけど
    犠牲にする部分は、もちっと熟慮してほしいもんだ。
     
    飲食物は、“味” を優先度の上位に頼む。
    まあ、コストとか色々あるだろうけどさ。
     
     
    あ、烏龍茶の話だったっけ。
    今でも美味い烏龍茶に出会えていないけど
    私も好々婆になった事だし
    もう、人が好んで飲んでるものに、イチャモンはつけんよ。
    自ら飲みはしないがな。
    ふぉっふぉっふぉっ

  • イキテレラ 17

    「ふむ・・・。」
    書類を読みながら、屋敷のホールを足早に歩く中年男性。
     
    「いかがでした?」
    スレンダーな体型の女性が、男性に駆け寄る。
     
    「遅かったよ。
     王妃は火あぶりにされたそうだ。」
    「火あぶり? よりによって何故にそのような残酷な刑を!!!」
    女性は思わずよろめき、男性が慌てて支える。
     
     
    「王が乱心したのは王妃のせいで、王妃は魔女だとなったのだ。」
    「・・・はっ、この時代にバカらしい!」
    ソファーに横になった女性が、吐き捨てるように言った。
    「そのような野蛮な国は、早急に根絶やしにすべきですわ。」
     
    「いいのかね? きみの祖国だろう?」
    「いまや、その出自も恥にしかなりませんわ。
     王妃を魔女扱いして火あぶりだなど・・・。」
     
    「王妃はどのような女性だったのかね?」
    「自分にも他人にも興味がない人でしたわね。
     そのせいで、周囲はどんどん傷付いていく。
     本人に自覚はないのでしょうけどね。」
     
    「義理とは言え、妹に対して辛らつじゃないかね?」
    「事実ですもの。」
     
     
    イキテレラの父と義母は、国境近くの温泉地へと移り住まわされた。
    継子イジメの噂のせいもあったが
    父の具合があまり良くなかったからである。
    程なくして、父は亡くなった。
     
    父の訃報は城へも届けられたが
    イキテレラを外に出したがらない王によって握り潰された。
    代わりに王は大臣たちに命じて、義姉たちに縁談を用意する。
     
    上の義姉は、母を伴って隣国の裕福な商人へと嫁いだ。
    下の義姉は、同じ隣国の軍人の家系へと嫁いだ。
     
    “王妃の義姉” という肩書きによる
    恵まれた縁談で、分不相応ではあったが
    ふたりとも妻として母として、家を立派に仕切っている。
     
     
    手紙を読み終えた女性は、窓際に歩み寄った。
    妹の夫は快勝したらしい。
     
    これでまた階級が上がる事でしょう。
    だけど生国がなくなったなど、お母さまには言えないわね。
    この頃少しお体が弱ってらっしゃるし。
     
    イキテレラ・・・
    あのままあの家にいれば、あなたはあなたでいられたでしょうに。
    生まれつきの召使いが、王妃になったのが悲劇だったんだわ。
     
    女性は手入れの行き届いた庭を、満足気に眺めた。
    窓に映った自分に気付き
    すっきりと開いたドレスの胸元を整え直した。
    その顔に、水滴が一筋垂れたのは雨ではない。
     
    空は優しい光にあふれていた。
    秋が深まる時の、遠く高い淡い青。
     
     
    冬が始まる前に、ガラスの国はなくなった。
    何もしようとしないひとりの女性によって、すべてが滅びたその奇跡。
     
     
            終わり
     
     
    関連記事 : イキテレラ 16 10.6.22
                     イキテレラ 後書き 10.6.28
     
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           イキテレラ 1 10.5.11     

  • 座るな!

    この言葉を念じるのは、私の状態がとても悪い時である。
     
    どうも去年今年と、2月から5月の間が心身ともに辛い。
    春先は放送禁止用語が暴れだす時季だというので
    私もそれ系の人種なんだろうか? と、とても不安。
     
     
    私には、緊張が取れなくなる時がある。
    多分、ストレスか何かが積もり積もったら
    そうなるんだろうけど、途中で気付かないので
    数年おきに、それを繰り返すようである。
     
    そういう時の不調の正体が “緊張” だと気付いたのも
    つい数ヶ月前なので、もう、どうした鈍さかと自分でも呆れている。
     
    まあ、早い話が、神経症とかそういう類の病気なんだろうが
    本音を言うと、そういうのは繊細な心の持ち主がなるものだ
    と思っていたので、自分がなって、とても驚いている。
    バカでも風邪を引くのか・・・、と、愕然とさせられたぜ。
     
     
    昔、精神科に通っていた頃の診断名は
    “自律神経失調症” と、“不安神経症” であった。
    気が合うお医者さんに出会ってからは、楽しく通院できたけど
    病名がどうとか、私の場合はあまりアテにしていない。
    投薬で症状を軽くして、気合いで乗り切るだけだからだ。
     
    だから診察も、最初にザザッと状態を言ったら
    あとは担当医との雑談で、趣味が合うので実に楽しい時間だった。
    通院する事で、色々と見聞もさせてもらったよ。
     
     
    自分が心の病になった理由は、病弱だったからである。
    私の場合、自分の中に自我、というか意思が芽生えるのが遅かった。
    うーん、心が生まれるのが遅かった、というべきかな。
    動物と変わらん本能のみのガキだったもんでなあ。
     
    で、その “心” が生まれた途端
    それも病気になっちゃった、みたいな気がする。
    体がしんどいと、心までしんどくなるだろ。
    ずっと体がしんどかったんで、心出現、即しんどい、って感じ。
     
     
    しかし生まれた時から病弱で、色んな闘病をしてきたから
    心の病まで引き起こしたのだが、幸か不幸か
    病気慣れしてたんで、自分なりの対処法をあみ出せた。
    それは
     
     座 ら な い
     
    意味がわからんだろう?
    心配すな、今からネチネチ説明するから。
     
     
    一時は体が弱って、入浴もままならない時期があった。
    と言うか、そういう時は入浴法も合わせて変更すりゃ良いのに
    頭が悪いんで、普通に入浴しては倒れ込んでいたんだ。
     
    アホウだが、タダで起き転びはしないんで
    その時に学んだのが、上の言葉だった。
     
     
    どんなに辛くて立っていられない時でも、絶対に座ったらダメ。
    座ったら最後、立てなくなるからだ。
     
    素っ裸で洗面所で倒れていたら、風邪を引いてしまう。
    歯を食いしばって、体を拭いてボディクリームを塗って
    服を着てから、寝室まで行って倒れるべき。
     
    途中で倒れるのを覚悟で、それをしていたが
    案外気絶とかしないもので、いつも最後までやれていた。
     
    この時に、ちょっとだけ、とか思って座ったら
    もう体は1mmも動かなくなる。
     
     
    たかが入浴ぐらいで、このようにものすごい死闘をしとったわけだが
    さすがに途中で、“工夫” っちゅう言葉に気付いて
    昼間に入浴して、上がったらすぐにバスローブを羽織って
    寝室でちょっと休んで、動けるようになってから
    体のお手入れをして服を着る、という入浴法にしたら
    ものすげえラクにやれて、入浴が恐くなくなり
    つまりそれまでの入浴後の頑張りが、まるっきりムダだったわけで
    バカは罪!!! と、思い知ったがな。
     
     
    ブッ倒れるまでは、立っているべき。
    座った瞬間、体はコントロールできなくなる。
     
    これは心にも言える。
    「もうダメだ」 と思った途端、色んな苦しみがに噴き出してきて
    心がボロボロになってしまい、消えない傷が残る。
     
     
    私の場合、体の不調が原因で心が弱るのだが
    どんなに症状が出ても、気にしない。
    と言うか、相手にしない。
     
    私はすんげえ我がままなんで
    いちいち心の声を聞いていたらキリがないんだよ。
     
    そして、自分を大事にする気もない。
    普通にしてたら、自動的に甘やかしているはずなんだから
    この上わざわざ大事にしてやる必要なんてないんだ。
     
    私が私の心にしてやる事は、せいぜい投薬のみである。
    その時の症状を薬で和らげてやる程度。
     
    これは私のみの方法なんで、人にはお勧めしない。
    けど、何かのヒントにでもなれば幸いである。
     
     
    私には確信があるんだ。
    立っている必要がある、と知っていて
    そして立っていられる、という事に。
     
    この自信はどっから来るのかというと
    愛を貰っているからだな。
    恋愛小説を書けばホラーになるくせに、意外な事を言いたれとるが
    皆、ありがとな。
     
     
    どうだ!
    ともすれば、重く陰気臭い内容になるところを
    最後は人間愛で締めた、このテクニック!!!
     
    次回はその愛を台無しにする内容を書くのが私。
     
     
    関連記事 : 具合が悪い人への接し方 10.6.29

  • イキテレラ 16

    イキテレラは城の一室に留め置かれた。
    潰した王家の最後の妃をどうするか、意見が分かれたからである。
     
    部屋には、王の形見だという品々が置かれていた。
    その中に光るものがある。
    ふと見ると、ガラスの靴だった。
     
    あら・・・
    イキテレラは、思わず靴を手に取った。
     
    「今まで思い出してくれないとは、冷たいねえ。」
    誰もいないはずの背後で声がする。
     
     
    「・・・わたくしにかけた呪いを解いてくださいませんか?」
    振り向きもせずにイキテレラが言う。
    魔女はヒッヒッヒッと笑った。
     
    「何だい、そんな風に考えていたのかい?
     あたしゃ、あんたに奇跡をひとつあげただけなんだがねえ。」
    「どういう “奇跡” ですの?」
    「カボチャを馬車に、ネズミを馬に、だよ。」
     
     
    イキテレラは、ふう と溜め息をついた。
    「本当なんだよ?」
    「もういいですわ。」
     
    「それより、あんた、処罰されそうだよ。
     王の処刑の時のあんたの態度はマズかったねえ。
     あの立派だった王子をたぶらかしたあんたは
     魔女だ、って話にいっちゃってるよ。」
    「もういいですわ。」
     
    「何なら、もう一度だけ “奇跡” をあげようか?
     ちょっと責任を感じるしね。」
    「もういいですわ。」
     
    イキテレラは、同じ返事を繰り返した。
    その姿はごく自然で、何の気負いも見受けられない。
     
     
    「そうかい?
     じゃあ、あたしは行くよ?」
    「魔女さま、ご機嫌よう。」
     
    魔女はその言葉にニヤッと笑った。
    「あたしゃね、実は魔女じゃあないんだ。
     成り行き上、そう名乗ったがね。」
    老婆がイキテレラの顔を覗き込んだ。
     
     
    「あたしゃ、単なる “観察者” なんだよ。
     あんたは稀有なプレイヤーだったよ。
     良い経験をさせてもらったよ、ありがとね。」
    「そうですか、喜んでいただけて何よりですわ。」
     
    「ん? 質問とかないのかい?」
    「疑問は希望を持つ者の特権ですわ。」
     
    「む・・・・・。」
    老婆はつまらなさそうに姿を消した。
     
     
    イキテレラの希望は、あの舞踏会の夜
    ガラスの靴とともに砕け散ったのである。
     
    魔女が杖を振らなければ、ドミノの駒は倒れなかった。
     
     
    これさえなかったら、こんな事にはならなかったのに・・・。
    イキテレラは無表情で、ガラスの靴を掴む指の力を抜いた。
     
    靴は吸い込まれるように床に落ちていき
    透き通った音を響かせて、カケラが飛び散った。
     
     
     続く
     
     
    関連記事 : イキテレラ 15 10.6.18
           イキテレラ 17 10.6.24
           
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