投稿者: あしゅ

  • ソーマブリンガー カンプス攻略

    DSのアクションRPGである。

    いまだにソーマブリンガーをやり続けている。
    09.7.9に文句を書いたカンプス
    ノーマル、エキスパート、マスター と、3周して
    今はグラナーダでソーマス (魔法使い) をやっている。

    で、今回はカンプスのコツを。

    カンプスは、唯一のコンボ発動職なので、スピードが命。
    特にマスターまで行ったら、装備で他の能力を補っていると
    攻撃速度は意識せずとも、自然に170%は余裕にいく。
    逆に移動速度が上がりにくい。

    遠距離攻撃がなく、近接しないと敵は倒せないので
    移動速度は150%ぐらいで充分だと思う。
    装備で移動付加を重視すると、他の付加が犠牲になったりする。

    エキスパート、マスターと、難易度が上がる一番の要因は
    敵の能力が強くなるのと、自キャラの属性の耐性がマイナスになる事。
    そのせいで、素カンプスではザコの2撃で即死もひんぱんにある。

    カンプスの可能装備は、防御力が弱いものばかりなので
     1.装備を属性の耐性値重視で揃える
     2.キーはLボタンを押した時だけアイテム欄に切り替わるよう設定
    この2つが、とても大事になってくる。

    ガード技もあるが、正直ブロックなんぞやってる余裕はない。
    敵の2撃中に1度でもブロックを失敗したら、瀕死だからだ。
    ガード技を短縮キーに入れて、切り替えに手間をかけるより
    1セットのみに、123のコンボと通常攻撃を入れるべきである。
    いや、ヘタレカンプス使いの場合はだが。

    そんでアイテムポケットには、HP回復薬と時の砂。
    装備は、最重要なのが耐性だけど
    次に大事なのが、HP吸収とSP吸収の効果。

    武器攻撃力の強いカンプスこそが、この吸収技が活用できる。
    これでSP回復はほとんど必要なくなるし
    ヘタすりゃHP回復も、かなり助かる。
    とにかくこの職業は、攻撃攻撃常に攻撃、の突っ込みキャラである。

    引かず、回復薬をガブ飲みしながら突っ込んで突っ込んで
    殴りまくらんと、特にレジェンドやエピック、ボスは倒せなかった。
    回復薬も、1個じゃ足りないので2個3個と飲みながら逃げ回るんだが
    5秒ってこんなに長かったんか! と思うほど、苦戦を強いられた。

    レジェンドやエピックやボスで一番効果を発揮したのが
    思いがけずも、ヴェノムウェポン。
    毒を与える攻撃だが、これがほぼ全部の大物に効いた。
    死んで街に戻ってる時も、毒は敵のHPを削り続けてくれるので
    戻ってヴェノム1発、部屋を出て待機、とかよくやっていた。
    えれえ気の長い戦法だが
    キング・ヴォジェックとかなんて、同じ部屋にいるだけでも恐いわ!

    よって、ブレイクとかは他メンバーに任せていたんだが
    こいつら自己回復はほとんどしないようで、私以上に死ぬ死ぬ。

    ここで注意点だが、パーティーメンバー、生き返らせるのにお金がかかる。
    もう切羽詰っている時だったんで、いくらなのか確認していないし
    3周目など、いくら持ってるのかわからんケタの手持ち金になるので
    いくらかかってるかは、そう気にしなくて良いと思う。

    ちなみにノーマルのセーバーソウルは、LV30台では歯が立たなかったが
    LV60になった時に再度行ってみたら、何と余裕で瞬殺できた。
    エピックってボスより強いんで、全後回しで良いかも知れない。

    で、武器。
    爪、二刀武器、こん棒、と3種類の武器が得意武器。
    ザコにはスピード重視の爪
    ボスやレジェンドには、衰弱効果技のあるこん棒、と使い分けたいのだが
    武器を替えると、技のセットも全外れになるので
    いちいちセットをしなおすのが、とてつもなく面倒くさい。

    こまめにやれ! っちゅう話だろうけど、やりたくない場合は
    ノーマルとエキスパートは、爪や二刀武器で通しても良いが
    マスターになると、ザコ敵がノーマルのボスクラスぐらい強くなるので
    常にこん棒装備で、コンボ3は三連殴打がお勧め。
    衰弱効果は明らかにわかるほど敵の能力が弱くなるんで、ありがたい。

    (状態異常やステータス支援効果には、優先順位があるようで
     毒が掛かっている時には衰弱効果は掛かりにくかった感覚がある。
     それでも大物の敵には、毒優先でいった方がHPを削れた。
     敵でも自キャラでも、毒が掛かっていると多少防御も弱まる気がする。)

    爪だとコンボ3のドラゴンブロウが断トツに高ダメージだった。
    二刀武器は、攻撃力の低いのしか入手できなかったので、よくわからない。
    だけど爪は攻撃範囲が狭く、飛んでる敵相手に苦労したので
    やはり一番使える武器はこん棒だ、と言うのが私の結論である。

    ステータスは、腕力は210 ~ 220ぐらいでストップさせれば良い。
    255がステータス上限値で、40ぐらいは装備でまかなえるからだ。
    後は体力に振るべきで、器用と魔力、一個も必要なし。
    特に魔力は、SP吸収効果装備をつけてれば
    SPが100しかなくても、回復薬なしでいける。

    私のカンプスのクリア時のステータス数値は
    LV92で、HP2449 SP634
    腕力200 魔力17 体力109 器用30
    振るのに迷ったんで、CPを10余らせている。

    あと、LV上げも必要ない。
    モタモタ3周やってて、LV99になりそうで恐かったからだ。
    LVがマックスになったら、続ける気が薄れるだろ?
    だからマスターの後半は、ザコから逃げて逃げて
    何とかLV上限前にクリアする事ができた。

    ちなみにEXダンジョンは、マスターだけまだやってない。
    ここ、クリアできる気がしねえ・・・。

    んで、入手した装備は、全部次のキャラに受け渡しが出来る。
    クエストで貰ったの以外は、マルチプレイの相手にあげられる。

    私はDSライトとDS-iの2個を持ってるので
    ソフトもネットで2個目を安く買っちゃったんだ。
     1.DSライトに差し込んだソフトに、倉庫キャラを作って
     2.DS-iのカンプスとマルチプレイで同時起動して
       アイテムの受け渡しをする。
     3.DS-iで次キャラを作って
     4.DSライトの倉庫キャラとマルチ起動して、アイテムを受け取る。

    これで、次キャラ、初手から最強装備でウッホウホ!
    と思っていたら、装備アイテムにはランクがあって
    LV30になるまで、最強装備を着けられなかった・・・。

    これじゃあまりにバカすぎるので、DSライトとソフトを友人に渡して
    口先三寸で良いように丸め込んで引きずり込んで
    次はマルチプレイでしよう! という訳で、今ソーマスなんだ。

    ソーマスは、気遣い足らずのAIキャラお供のシングルプレイじゃ
    ド下手プレイヤーには、とても辛い職業だと思うんだ。
    隣に生きてる人間がいて、口でギャアギャア言えるんなら
    離れたとこから自分無事で、ドッカンドッカンやれて爽快に違いない!

    ただし! リアルの人間関係には充分に注意をせねばならん。
    まだあまり進めていないけど、結構仲が悪くなるぞ・・・。
    ノーマルのAct4までで、ものすげえ大ゲンカを3回したし。

    まあ、無理に付き合う義務も義理もない関係のイイ大人が
    仲直りが出来る大ゲンカなんて
    ゲームぐらいでしか味わえない (そうか?) から
    それも楽しいっちゃあ楽しいんだが
    問題は、その3回の大ゲンカを、すべて私から振った事かも知れん。
    それも 「待たずに進んだ」「装備の良いのをいつの間にか持ってた」
    という、それ以上にくだらん事はないであろう理由でだ・・・。

    という事で、今にも絶交されそうな身分なんだが
    無事にマルチプレイを続けられたら、それもレポする予定。

    なお、ここに書いてある事は、ヘタレの間違ったプレイ法かも知れんが
    これで3周出来たんで、慎重にすればなおラクにプレイ出来ると思う。

    関連記事: 09.7.9 ソーマブリンガー
          09.8.24 ソーマブリンガー ソーマス攻略
          09.9.3 ソーマブリンガー ソーマス攻略2 
          09.9.7 ソーマブリンガー マルチプレイ

  • 不公平

    子供がジュースをコップに注ぎ分ける時に
    ミクロン単位で同量にこだわるガキがいるだろ。
    あれは小さな不公平感の表れじゃないかと思う。

    公平感じゃなく、不公平感。
    何故なら、ひとりっこにこういう事をする子は少ないからだ。
    不平等の実感がないと、“公平” には気が回らないものである。

    まあ、こんなんは大人になっていくにつれて消え去り
    成長の過程での経験として活かされるが
    たまに、この不公平感を大きく育ててしまうヤツがいる。
    これがまた、ドグラに多いのだ。

    こういうヤツらは、ギブ & テイク や、権利と義務
    あれをしたからこうなる、という物事の流れが読めていない。
    他人がちゃんとやってて頑張ったから受けられた恩恵を
    「ずるい」「不公平」 と妬みひがむ。
    何もせずに良い思いだけをするのが、幸せだと思っているのだ。
    その感覚こそが不公平なのに。

    私の人生の結論は、“プラスマイナスゼロ”。
    プラスを得るには、マイナスも受け入れなければならず
    空から降ってくる幸運は、滅多にない奇跡扱いしている。
    ラッキーな目に遭えば、逆にその反動の祟りが恐い。

    だがこれは、私ひとりだけの世界の中での話である。
    社会の中のひとりとして見ると
    私の人生はマイナス層に分類されるであろう。
    もっと幸せな人は大勢いる。

    だが、それで幸せな人をうらやんだりはしない。
    今の境遇は全部、自分の無意識の選択の結果なのだ。
    だけどきっと何度やり直しても、今と同じ結果になったであろう。
    あの頃の私は、やっぱり “あの頃の私” でしかなく
    自分で変えられる人生があるとしたら、それは未来にしかない。

    今、“格差社会” という単語が飛びかい
    えらく不平等であるかのような話になっているが
    そもそも世の中は、はなから平等ではない。

    色んな要素で人間は分類され、区別差別をされている。
    人の命も等価ではない。
    高い命と安い命とある。
    平等だった世界が、歴史に存在しないのだ。

    色んな平等思想が蔓延しているが、それらの解決は出来ないであろう。
    何故ならば、人はひとりひとり違うからである。
    すべて同じじゃないと、必ず不公平感が出てくる。
    外見では見分けの付かん動物ですら、個体差というものがあるので
    人間など、もはや個性自体が平等の敵になってしまう。

    しかし逆に言えば、不平等が世界を発展させている。
    不自由だと思えば、自由への道を探り
    面倒な事は、いかに楽に出来るようになるかを考える。
    マイナスがないと、意識は変わらないのである。
    だから世の中、不公平で良いじゃないか、と思う。

    なのに今このように、“格差” とか不公平感をあおる言葉が流行るのは
    その不満で社会をどうしたいのだろうか、と一連の不穏な流れを感じる。
    諸悪の根源は、義務や責任のない権利を求める人々じゃないかと思う。
    自分が得をしたいだけ、という欲望のみの不公平感は
    人間を最も醜くする感情だと思う。

    私の考える、真の平等に必要な仕組みはたったひとつ。
    “自業自得絶対発動システム” を人の心に搭載する事だ。

    良い出来事も悪い出来事も、すべて自分がもたらしている
    この世は結構、そういうルールのような気がするぞ。
    だから今の時代は、やはり大体のところにおいて平等なんだと思う。

  • 大雨被害

    今年は雨が本当に多い。
    関西でも、じゃじゃ降りの雨が続いて
    私的には九州を思い出して、とても懐かしい。

    徳島だっけ? そこらへんのダムが干上がって水不足で困っている
    とローカルニュースで、ほんと恒例の行事のように言っていて
    水道使用制限の辛さを知っているだけに
    雨が降ると、ああ、徳島良かったね、と思っていたんだけど
    さすがにこんな気候だと、下水の設備などなかった大昔は
    氾濫した川で汚水があふれだして、疫病が流行ったり
    作物が育たず、飢饉になったりしてたんだよな。

    と思っていたら、それ以前に土砂崩れや鉄砲水災害だ。
    四国の状況はよくわからないんだけど
    ダム建設や河川整備を推し進めるべきじゃないんだろうか。
    水不足なのに大雨が降ると氾濫って、大変だと思う。

    水不足の大変さもわかるが、豪雨の恐怖も多く経験している。
    生まれ育った家は、裏手が土手で、と言うか村自体が斜面にあって
    豪雨の時など、かあちゃんが荷造りをしていた。

    いよいよこりゃあかん、って時には、小学校の体育館に避難するんだけど
    九州とは言えど山奥の村では普通の夏でも涼しいのに、雨が降ると寒くて
    体育館の床は底冷えがして、しかも何の設備もなくて
    避難するほどの大雨なので寝具も運べず
    真夏なのに震えながらの直寝になって、それに懲りたかあちゃんは
    「崩れてきたら即逃げる!」 と、むちゃくちゃな事を言って
    家に篭城していた。 もちろんとうちゃんと私も一緒に。

    とうちゃんは雨が降ろうが槍が降ろうが、酔っくろうてグデングデンだし
    かあちゃんは地鳴りの音を察知しようとピリピリしているし
    文字通り生きた心地がしなくて、ほんと一晩が長かった。

    今になって思えば、避難場所も決して安全じゃない。
    村全部が山に囲まれて、平らな場所などなかったからである。
    あそこで安全なところなどない気がする。

    現に夜が明けて外を見たら、目の前の山にある中学校の校庭が
    土砂崩れを起こしていて、家族全員それに気付かず
    かあちゃんがヒイイイイイイイイイイイとなっていた。

    熊本市も昔は、いたるところで決壊氾濫浸水の連続だったけど
    平地な分、まだ気が楽だった。
    ただ熊本の夏は雨が続いても暑く、しかも蒸して蒸して
    停電でエアコンがなく、窓も開けられないと
    家全体がサウナ状態になるのが、HPを削られて大変だった。

    近所で河が増水して氾濫した事もあり
    それを体験した時には、あまりの惨状に心底ビビった。
    ちゃんと整備した河で、いつもは水も30cmぐらいしかないのに
    高さ5mあたりにある二車線道路が通ってる橋が
    河の流れの中に入ってしまってたのだ。

    そんで河周囲の道路は、くまなく膝丈浸水。
    河沿いの民家も床下浸水、床上まで水がきた家もあったかも。
    私は河から200mぐらい離れたところの
    アパートの2階に住んでいたんで、浸水被害はなかったけど
    場所によっては、尻まで水に浸かりながら半泳ぎで帰ったさ。
    橋はとてもじゃないけど渡れなかった。
    何か街なかで、超・遭難、って感じで、ものすげえ動揺したぜ。

    その時は確か停電してたけど、水道は出たんで
    帰宅後、水シャワーで全身を洗った記憶がある。
    水が引いた後も、街は何日も後始末に追われて
    雨が止めば良い、っちゅうもんでもない事を実感させられた。

    しかしそれにしても、氾濫した河は
    土色でドドドドドと地響きのような轟音と共に
    うねりを上げて、ものすごい速さで流れていて
    のみ込まれたら絶対に助からない、という恐怖に襲われる。

    あの河の怒涛の荒れ狂いようは、自然の怒りにも見えて
    雨の音と流れの音の、会話も聞こえないほどの騒音の中にあっても
    つい拝んでしまうような荘厳さがあり、それに畏怖するのだ。
    全然違うけど、まるで歴史の古い教会に入った時のような気持ち。

    自然っていうのは、信仰そのものなんだと改めて感じた。
    人間はそれを本能で知っているのだろうな。

    とか、キレイにまとめとる場合じゃなく
    増水した河は、冗談抜きで!マジで!危険!!!なので
    絶対に絶対に近寄らないように。

  • ネットショッピング 2

    09.5.14 の “ネットショッピング” の記事で
    今時ネットで買い物も、よお出来んアホウぶりを露呈したわけだが
    皆様の温かいご指導のお陰で、ここ数ヶ月で
    化粧品とか化粧品とか化粧品とか食器とか粉茶とかゲームソフトとかを
    某大手ショッピングサイトで購入する事が出来た。
    アドバイスをしてくれた人々、本当にありがとうーーー!

    相変わらず化粧品かよ! と、思うだろうけど
    まだネットが普及していなかった時代に
    個人輸入代行っちゅうのに手を出して
    そこは良心的な会社だったけど、あまりの商品の破損配達っぷりに
    たとえ得意分野の化粧品だと言えども、恐くて
    気軽にあちこちのサイトで頼めなかったんだよ。

    でもな、送料をすげえ気にしていたのは克服した。
    とあるショップで、送料激安のとこがあって
    またそこが、対応は遅いは連絡はせんは、のコンボで
    しかも調べてみると、配送方法が “メール便” なんだ。

    何だ、そりゃ? と、知人に訊ねたら
    通販カタログとかを送ってくる、あれだと判明。

    うちに届くその “あれ” は
    無理にポストに押し込んで破れたくってるか
    玄関ドア前に捨ててあるか
    (本当に捨ててるような風情なんだよー。
     せめてドア横に立てかけといてくれれば良いものを
     通路のド真ん中で、ホコリをかぶって落ちているあげく
     何か小動物が踏んだ跡がある。 多分、猫。)
    で、買ったものを送ってもらう手段じゃねえ。
    おまけにうちの周囲はデンジャラスゾーンなんで
    金目のものがポストに刺さっているなど、超 ☆ 餌食。

    商品が届くまで、トラブルがあったらどうしよう、と
    ものすごくスリリングな日々を過ごさせてもらったんで
    以後、送料を惜しむ事は絶対にない!
    500円の物でも、送料を出して真っ当な宅配で頼むぜ。

    これでまたひとつ、ネットショッピングマスターに近付いた手応えが。
    あとは、問い合わせやクレーム入れスキルをゲットしたい。
    今までの通販、支障があっても全泣き寝入りだもんで・・・。

    で、肝心のバッグはどうしたんだ? っちゅうと
    まだ買っていない・・・。
    と言うか、購入欲すら失われつつある。

    希望条件で絞っても、数千件というヒットの嵐で
    しかも出てくるバッグは、どれも若い娘さんタゲのデザインで
    若作り道ばく進になりそうで、手を出せない。

    そんで、良いな、と思うのは、結構高額で
    同じ諭吉を自腹発射するんなら
    リアルショップでチヤホヤされて買いたいと思わんかあ?

    ネットショップ、孤独なクリック作業のみで
    お世辞いっちょも言ってくれないんで、財布の紐が堅結びでほどけねえ。
    マウスのカチカチ音すら虚しく聴こえる。
    自分はつくづく対面販売のカモ体質なんだな、と思い知ったぜ。

    でもこの間、ネットで買ったと言うバッグを見せてもらったんだが
    それが1000円台なのに、えらくちゃんとした作りのもので
    すっげー羨ましくて、再びバッグ欲しい熱が再発。
    やっぱり当分、ネットショッピングを優先する日々になりそうだ。

    ちなみにその時に、「え? これ○円? すごいー」
    と驚いたら、新鮮な反応だと逆に驚かれた。
    普通は人のこういう話は、へえ、で流して
    私のこれなんかどこどこでいくらだった
    と、次々に店開きが始まるんだと。

    これが噂の、関西人恒例の安く買った物を自慢する
    という儀式なんだな、と、それもまた感動した。
    私も早く、自慢できる逸品を入手したいぜ。

    とか思ってたら、上の噂をケンミンショーでやってた・・・。
    これは、周囲でも実際によくやってるようだ。
     
     
    関連記事: 09.5.14 ネットショッピング 1
          10.8.17 ネットショッピング 3

  • 未調理を “卵”、調理済みを “玉子” と言う、と聞いたが
    変換の解説では、料理名は “玉子” と表記するらしい。 ほお

    じゃあ、“たまごごはん” はどう書けば良いんかな。
    “卵ご飯” だと思うんだが
    まさか卵の殻を割る行為は調理には入らんよな?

    今、卵ご飯の本が売られている。
    うちの卵ご飯の立場は、食欲もおかずもない朝食の時用。
    そんなウィダーインゼリー的役割のメニューが
    何の脚光を浴びているのか? と、本をパラ見したら
    卵ご飯の上に乗せる具のバリエーションが載っていた。

    めんたいこを焼くだの、シャケを焼くだのしてたら
    それはもう立派な料理行為じゃねえか?
    目玉焼きすら作りたくない、食えない、って時の
    手っ取り早い栄養補給だろうが、卵ご飯ーーーーーっ!

    と、ひとり発奮したが、そこらへんの感覚にズレが生じた場合
    絶対に、自分の方が間違っている自信があるので
    静かに本を閉じて置き、美容雑誌と攻略本を買って本屋を出た。

    卵ご飯、もう何年も食っていない。
    朝は相変わらず、料理などしたくねえし食欲もない。
    なのに、卵ご飯の出番がないのには理由がある。

    卵ご飯は黄身しか使わないのが普通だと思っていた。
    結婚中にそれを目撃されて、白身の行方を訊かれて
    正直に 「海へ還っていった」 と答えたら
    「何ちゅうムダを!」 と、ものすごく怒られたのだ。

    実はご飯が多い時は、黄身2個を使ってたりしていたのだが
    そんな告白は火に油どころか、火事にガソリン缶投入にも等しいし
    「スタッフがおいしくいただきました」 などという冗談も
    許されないであろう空気で、ただただひたすら罵倒された。

    白身利用の料理にとっておけ、と言われて困ったんで
    ためしに卵全部を使った卵ご飯を食ってみたが
    私には合わない味で、これじゃ卵アンドご飯の両方がムダになる。
    よってそれ以来、私式卵ご飯に罪悪感を感じて食っていないのである。

    ここで自己正当化のために、やたらと白身を侮辱した意見を述べるが
    通常の卵料理でも、白身って黄身がないと立場ないよな。
    正直、白身、結構な確率で邪魔くせえよな?

    と思っていたんだが、黄身が大嫌いで白身が好きなヤツがいるんだ!
    アレルギーとかじゃなく、単なる好き嫌い。
    目玉焼きで、黄身だけ残すんだ。
    今までに2人いて、どっちも成人男性だった。

    親の知人、親戚の知人とかで、目上の第三者だったんで
    私の白身とあなたの黄身をトレードしよう、とも言えず
    オムレツや玉子焼きは食えるのかも訊けず
    私の好奇心に、ものすごい波紋を投げかけただけで終わった。

    自分以上の偏食家が存在したのも、とても嬉しく
    調子こいてかあちゃんに訊いたら、ここぞとばかりに
    他人の好き嫌いや食べ方をどうこう言うもんじゃありませんでも自分の作法はきちんとしておきなさい一旦お箸をつけたら何があっても全部食べなさい残しちゃいけません食べられないのなら最初からお箸をつけないように
    と、しつけに流れていったので、白身好きの言い分はいまだに謎である。

    余談だが、「箸をつけたら最後まで食う」
    このマナー、偏食の少食にはむちゃくちゃ辛いルールである。
    偏食ってとこで、既にしつけが悪いんだが
    どうも “美味い” と取る味覚が、幅狭い仕様のような気がする。

    よって会食などでは、ほとんど箸をつけられず
    逆に腹を減らして帰る事が多かった。
    お陰で、社会に適応できねえできねえ。

    ところが、私がそろそろイイ大人の年齢に足を突っ込んだ頃から
    周囲の意見が変わってきた。
    とにかくひと口でも良いから食べなさい
    と、真逆に方向転換したのである。
    最初はどういうこったい? と、とまどったが
    食わない → 痩せている で、心配されたんだと思う。

    多分あのあたりの頃から、日本は真の飽食の時代に突入したんだろう。
    私から見ると、飽食は明らかに出る量の多さが問題だと思うが
    食い散らかしても責められないのは、とてもありがたく
    現在の食事会では、それなりに腹を満たして帰る事が出来る。

  • 苦しみの未来

    ここ最近って、自分で自分を許せなくて、追い詰めて苦しむ
    っていうヤツが、すごく多い気がする。

    社会は、「個性」 とか 「人それぞれ」 とか言いつつも
    枠組みはきっちり備えているわけで
    マニュアル化されて、垂れ流される “基準” を
    真面目なヤツほど重く受け止めて
    ちょっとでもそれから外れると、悪い事じゃなくても
    罪悪感を持ってしまうんだと思う。

    これを “良いヤツ” だと言わずして、誰を善人扱いする?
    実際に、運命もそう思ってるはず。

    と言うのも、悩み苦しんできたヤツは
    歳を取ってから、実に満ち足りた “今” を過ごしている。
    人生、死ぬまで勉強、とか言うけど、確かにそうだけど
    同じ位置にいても、何か心の余裕ってやつが違うんだよな。

    そういうヤツらが必ず言うのは、「今が一番良い」 である。
    迷いまくってた若い頃には戻りたくない、って意味ではなく
    昔にあがくだけあがいたから、その時代には未練はなく
    これからはマイペースで歩いていきたい、みたいな。

    もう、すんげえ羨ましいよ。
    私なんか、いつまで経っても考えなしのアホウだったから
    ババアになった今、むちゃくちゃジタバタしてるぜ。
    果たして寿命切れ前に、心の余裕が出来るのかすら危ねえ。

    それもこれも、苦に気付く感受性がなかったせいだと思う。
    何も考えずにきて、今も何も考えずにいるヤツは
    割とイヤなヤツになってしまっているんで
    遅くなってもアタフタしてる方が、まだマシかも、とも思うんだが
    現在の私のカテゴリーが、悪寄りじゃない自信がないので
    何ともかんとも、いやはや、やれやれ。

    世の中、やっぱり総合するとプラスマイナスゼロだ。
    ラク → 苦 → ラク → 苦 と、人生はループしてる。
    これは、まとめ払いが出来るようで
    何年も何年も苦しんだら、その後何年もラクでいられるようだ。

    ジジババになってからの幸せって、価値半減じゃねえ?
    とか思うかも知れん。 私もそう思ってた。
    ところが実際にジジババになってみるとな
    若い頃なんて人生のほんの一瞬だ、というのがよくわかるんだ。
    ジジババになってからが長え長え。

    そんで、何か深くなる。
    若い時は浅瀬でバチャバチャ遊んでいたのが
    歳を取るほど、色んな事の底がどんどん深くなって
    うおっ、今からが本番かい! と、ビビらされる。

    “老後” って、隠居のイメージがあったけど
    ものすごいアクティブなものだったんだな
    と、戸惑っている真っ最中の私が言うのだから、間違いない。

    だから、苦しんでいるヤツの未来は明るい、と予言する。
    苦しんどいて、損はなし。
    ただし、“正しく” 苦しむのが大事だと思う。

    “正しく苦しむ” というのは、解決しよう乗り越えようとあがく事で
    その苦しみ自体に目を向けてはいけない、って事。

    ケーキを作ろうとしてるのに、無塩バターを丸かじりすな、って話だ。
    どうせ腹の中に入ったら一緒だろうが
    小麦粉、砂糖、卵、と材料を別個に食ってたら意味ねえだろ。
    出来上がったケーキは美味いが、作る過程も楽しいヤツには楽しいのさ。

    だから、その材料ひとつに囚われていては進めない。
    苦しみは人生を作る材料でしかないのだから。

  • 学力と親の年収

    またTVではマヌケな解説をしよった。

    年収の高い家庭の方が、子供の学力が高く
    「本を読み聞かせる」「ニュースについて話し合う」
    などの傾向が見られる、という調査結果に対して
    「それならお金もかからないから、他の家庭でもできますね。」
    違うだろ!!! と、ひとり画面の前で突っ込んだよ。

    年収の高い家庭は、子供の教育に対する意識が違うのだ。
    親が受験を突破して、良い大学に入って就職して
    今の年収があるのだから、勉強の大事さをわかっている。
    自然と育児にも熱が入り、子供の教育の場が作られているのである。

    年収の低い家庭は、・・・え~、ここで言わなきゃダメ? って内容。
    リストラとかの色んな事故に遭った家庭は別として
    わかりやすい極端な例を書く。

    親が教育に無頓着だったもんで、その子供が親になった時も
    家庭での教育が発想にない。
    ヘタすりゃ放置気味で、夜もいつまでたっても子を寝せようとしないし
    居酒屋やカラオケ、パチンコにも平気で連れ回す。
    合言葉は、「子供は元気に育てばそれでいい」。

    行楽地は大型ショッピングセンターで、子供は自由に遊ぶ。
    買い物客の間を走り回って、陳列品に指跡をつけて
    時々超音波のような奇声を連続で発する。

    スーパーでの言動で、「あ、こいつ絶対にロクな大人にならない」
    と決め付けたくなる子供の親を見ると、見事な見本が立ってるからな。
    親を見れば子がわかるし、子を見れば親もわかる。
    そこでの意外な組み合わせというのは、奇跡に近いほどない。

    ちょっと個人的怨念が混じってしまったが
    大体こういう感じの傾向の違いがあるのだろう。

    親が “勉強” を知ってるかどうか、が子供の学力の差だろう。
    学生時代に必死で勉強をした事がある親かどうか、だな。
    勉強のやり方を知らない大人って、結構いる。

    これと年収とが結びつくのは
    やっぱり日本は学歴社会である、という証明である。

    才能、向き不向きうんぬん、と自己弁護を言う前に
    学校は勉強をする場、学生は勉強が仕事、と決まっているように
    その時その時で、やるべき事があって
    それを真面目にしていないヤツが、「仕事ならちゃんとする」
    と言ったって、人事部は信用できないわけで。

    要するに、アホウの子はアホウって話で
    どこの機関か知らんが、よくこんな調査をしたな、とビックリした。

    わざわざこんな調査をして、一体何を知りたかったのか
    ちょっと自説を述べたら、どっかの人権論者に
    「全員が全員そうじゃありません!」「決め付けないでください」
    「どこの狭い世界の話?」「ソース希望」
    と、責められたのか (だったら自らソースを作ったんで立派な話だが)。

    いずれにしてもそう疑いたくなるほど
    この調査の結果は、わかりきった答だと思う。
    またまた途中でちょっと私怨が溶け込んどるが。

    勉強ってのは環境が整わないと、子供だろうが大人だろうが
    中々 「しよう」 という気にならない。
    この環境とは、机があるだの本を買えるだのだけの話じゃない。
    周囲の人間たちの質が大切なのである。

    私を例にとって言えば、本を買おうとしても
    「良い化粧品が出てるよー」 と聞けば、そっちを買っちゃうし
    ネットで調べ物をする時間を取ろうとしても
    遊びに誘われるとホイホイついていくし
    ゲームに熱中してると、ニュースも観らん。

    私の人生で、ところどころ思い出も時事もスッポリ抜けている時期があるが
    それはゲームにハマっていた時期なのだ。
    ほんとゲームはタメにならん!
    子供にやらせるのは、「バカになりなさいよー」 と言ってるも同然
    ババアにやらせるのは、「ボケちゃいなさいよー」 と言ってるも同然。
    ソーマブリンガーが止まらず、DQ9が出来ませーん
    早くDQに手を付けないと、すれ違い通信の旬が終わってしまうーーー。

    何かもう、自分のものすごいダメっぷりを晒した話にすり替わっとるが
    ババアだって、ラクな方楽しい方に鉄砲水レベルで流されるのに
    発展途上の子供だったら、言わずもがなだ。
    しかも 「大人の言う事は正しい」 と思い込んでついていくから
    悪い部分も素直に取り入れてしまって、余計に危ない。

    全国の “そういう” 親に言いたい。
    子供は勉強しても病気にはなりません!!!

  • 麻薬

    昼飯を食ってる時に、TVを観てたら
    押尾学の事にやたら詳しくなってしまったぜ。
    元暴走族なんだと。
    目と眉が、== じゃなくて >< のヤツは
    不良でもヤンキーの属性が多いはず、と
    本人を見て常々思っていた事が当たっていて、ちょっと嬉しかった。

    しかしいっちょ覚えると、いっちょ何かが消える
    押し出し方式の記憶システム搭載なんで
    いらん事を知ると、とても損をした気分になる。

    そんな、あらかじめな自己正当化の言い訳はどうでもいいが
    押尾学が麻薬取締法違反で逮捕されたらしい。
    で、麻薬の話。

    麻薬にはアップ系とダウン系がある。
    これは気持ちを高揚させる働きをするものと
    気持ちを落ち着かせる働きをするものがある、という話だが
    その効き方は、“本人の資質” によるらしい。

    これを知って、私は絶対に麻薬はすまい、と決心した。
    いや、もっと他に大事な理由を持っていないとおかしいんだが
    グラム数万円のブツを買ってバッドトリップなど、銭捨てもいいとこだろ
    私にとっては、ものすごく説得力のある回避の理由になっとるよ。

    麻薬と言えば、昭和初期に民間に広く愛用されていたヒロポン
    私の記憶では、サザエさんでもナチュラルに描かれていた。
    当時は 「元気が出る」 とか言う薬だったらしい。

    親戚がこのヒロポン中毒で、親戚一同でヌケさせるのに
    大変な苦労をさせられた、と、とうちゃんがかあちゃんに言っとった。
    その親戚は、その時は既に立ち直って立派な社長さんになってたが
    会う度に心の中で、ヒロポンの名が浮かんだので
    一回やると、汚名は二度と消えないんだな
    と、加害者の立場のくせに思い知らされた小学校時代の経験である。

    麻薬をするメリットとして、“痩せる” という効果がある。
    飲まず食わずでも脳が満足してるんだから、そりゃ痩せる。
    が、実際には痩せるというより、“やつれる” のである。

    関西に住んでいると、日常的にヤバい方々を目にするが
    ブツブツひとり言を言ったり、叫んでいたりする人の中で
    目の下にクマが出来ているのに、目つきがやたらギラギラして
    攻撃的な言動の人がいるだろ、あれが覚せい剤中毒者だ。

    頬なんがゲッソリこけて、皆とても痩せているだろ。
    ああなりたいなら、麻薬ダイエットをすればいい。
    あそこまでなくても、適度に痩せたらやめるわ、と思っても
    あの方々だって、頑張るためとかで適度にやるつもりだったんだぞ。
    訓練を受けた兵士ですら、依存に陥るほどなのに
    素人の自分が奇跡的に、有効な利用が出来ると思えるのが不思議だ。

    なお、麻薬ダイエットをするなら、麻薬の勉強をするべきだぞ。
    ダウン系を使っても、効果が遅いからな。
    そのついでに、麻薬依存についても調べれ。
    それでもなお、しようと思うのなら、始める前に病院に行け。
    その感覚は明らかに正常ではないからだ。

    麻薬に限らず、世の中には依存を誘発するものがたくさんある。
    よく被害を聞くのが、鎮痛剤。
    頭痛薬を乱用して依存してしまうのが、主な原因である。
    詳しくはないが、だったら調べて書けって話だが
    鎮痛成分の何とかフェタミンとかいうのに、依存性があるらしい。

    今はその成分が入ってない鎮痛剤も普通にあるけど
    それより何より、“乱用” に問題がある。
    薬は医師薬剤師の指導の下、用法用量を守ってお飲みやがれ!
    効かないからといって追加すな、諦めろ。

    薬は気合いで効かせるもので、飲んだ途端治れ!
    プラシーボを起こすのが服用のコツなのだ。
    (プラシーボとは、簡単に言えば暗示効果。
     頭痛が治ると信じ込まされて飲んで、実際に効いたが
     その薬は実はビタミン剤だった、というオチの実験でよく知られる。)

    あとは、ギャンブル、アルコール、カフェインに
    何と糖分も依存性があるらしい。
    そりゃあ、コ○ラなど常飲するわけだ。(コアラじゃないぞ)

    依存してる、って、めたくそ格好悪い。
    ほんと、とことん頭が悪そうに見える。
    本音を言うと、私も喫煙行為依存が恥ずかしい。
    やめようと思わないほど依存してるのに
    その依存理由もよくわからないのが、また恐ろしい。

    自分は依存体質なんだな、と自覚して
    他の危なそうな事には手を出さずにいられるのはラッキーだが
    最初にしなきゃ良かった、と悔やんでいるのもまた事実。

    これが麻薬だったら人生終了フラグが立ってるぞ、とか
    麻薬と比べたりしたら、世の中のほとんどの行為はオッケーなんで
    そういう考え方をするべきではないんだが
    何かに依存してるヤツの言い分なんて、こんな低レベルなもんだしな。

    とにかく麻薬はやめとけ
    そんで酒タバコギャンブルもやめとけ。
    合法非合法に関わらず、人生の重いカセになる事間違いなし。

  • 記事使用の許可

    今日、見知らぬメールが届いていたんだけど
    それがブログの記事の使用許可を求める内容なんだよ。

    びっくらこいたよー。
    ブログ記事を使用する際に、メールで許可を求めるんだー?
    うお、そんなご丁寧に、と恐縮しちゃったが
    使いたい記事が、よりによってハゲ連呼しているとこなんだよ。

    慌てて、管理人ぷらちッに相談したら
    「楽しみやねー」 と、お気楽な返事のみでさ。

    しょうがねえので、自分で返事を書く事にしたんだが
    イイ大人どころか、イイ故人になりそうな年齢のババアが
    敬語もわけわからんと、「私に気を遣ってご使用あそばせ!」
    みたいな、つんのぼせた事を書いたんで
    そこで既に向こうから却下されたかも知れん。

    という事で、使用されるかどうかはわからんが
    09.8.7の24:45~25:15の
    TV朝日の 「爆笑問題の検索ちゃん」 という番組を観てくれ。

    ・・・・・・・って、この番組、関西でやってねえええええええええ!
    あああああああああああああああああああああああああああああああ
    自分が観られなければ、意味ねえじゃんーーーーーーー!!!

    誰か録画して、私にメールで送ってくれ。
    アップ出来るような形で! 頼む、心から頼む!

    ぷらちッは、その日、中国でニーハオの出張予定なんだよーーー。
    何という、間の悪い巡り合わせなんだ?
    もしかしてGODが 「観ない方が幸せ」 と妨害してるのか?
    何? 全国的に笑いものになるのか?

    って、5秒ほどらしいから、検索ページの一部として映るだけだろうけど
    それにしても不吉な予兆よのお。
    私の私による私のための、私だけが平和で静かなブログライフが
    乱されなきゃ良いのだが・・・。

  • 努力

    オリンピックは参加する事に意義があるそうだが
    この言葉は選手への励ましの言葉ではない。
    参加する事に意義を見い出されるのは、選手個人ではなく国だからだ。

    こんな、政治も慰めもゴッチャのキレイ事と違って
    個人への励ましの言葉を、私は持っている。

    努力は、する事に意義がある。

    努力、私の大っ嫌いなこの単語、
    しろと言われたら、自分が如何に既にやってるか
    自己弁護を必死でまくしたてたくなるほど、言われたくないこの単語!

    しかし私はこの単語の真の価値を知っている。
    私の嫌悪する、避けて通りたい関わりたくない聞きたくもない
    このうっとうしい単語は、人生において最も尊く美しい作業なのだ。

    努力は、何かを成し遂げようとする時にするものではない。
    何かを成し遂げようという、心そのものなのだ。

    こうしたいああなりたい、という向上心
    それをしようと決心した勇気、それに向かって進む持続性
    努力には、人間の立派な部分がてんこ盛りである。

    声を大にして言いたいのは、努力には結果を求めるな、という事だ。
    努力して思い通りの結果が出れば、それは目出度いが
    出来なくても、努力というちゃんと意味のある事をやっているんだから
    結果よりも、その過程の方が大事だと思うんだ。

    逆に言えば、結果を重視するのなら努力は関係ない。
    努力しようがいい加減にしようが、結果が出れば問題ないはず。

    しかし世の人々は、“努力をして結果を出す” という高望みをする。
    ヘラヘラ遊び半分で見事な仕事をされるのは、決して歓迎されない。
    汗して苦悩して涙にむせびながら、出来上がったものなら
    それがイマイチでも、ありがたがられる。

    例えると、ヘタすると押入れにもホイホイ生えそうなシメジより
    豚や犬がゴフゴフ探したトリュフの方が高価である。
    諸々の諸経費を入れても、シメジの方が美味いのに、である。
    (キノコの種類や栽培法に無知な安物食いの言う事なので
     サラリと流してくれれば、ありがたい。)

    私は努力と結果をはっきり分けて考えている。
    私が 「努力せえ」 と言う時は、“姿勢を改めろ” の意であり
    結果など、どうでも良いのである。

    と言うか、達成を困難にしている原因が、態度にある場合も多いので
    それを改めるよう心掛けていれば、結果はその内に付いてくる。
    こういう状況の時は、かなりの長期戦になるので
    結果など求めてたらやっとられんだろう。

    結果を求めるのであれば、「努力などせんでも良いから結果を出せ」
    と言うので、ものすごくわかりやすいと思うのだが
    それでも “努力” を絡めてくるヤツもいて
    それを認めないと鬼のように思われるんで、ほんとやりにくい。

    うーん・・・、客観的に書いているつもりなのに
    何やら自己弁護をつづっているように思えるのは
    自分がいかにダメかを自覚している証拠なんだろうか?