<質問>
職場で、嫌いじゃないけど合わない人が身近にいます。
合わない人には気に入られなくてもいいやって思っていても、
その人が気にいっている人との接し方を見て、
気に入られることも仕事の一つなのかなと思ったり。
媚は売りたくないけど、
それが礼儀知らずと思われて、嫌われたらいやだなと思ったり。
(異性・同性問わず)
考えすぎかもしれないけど、職場の人との距離の取り方が難しいです。
仕事って合う人の方が少ないものなのかもしれませんが、
その人の一つ一つの言葉にいらついたり、いらつかせたり(?)してて、
うまくいかないものかな~と思っています。
他の人もこんなものなんですか?
気に入られたら仕事がやりやすいのかなと今更思ったりしています。
人から嫌われても業務さえできればいい、という職種でもないです。
好かれてる人のほうが情報が集まり、仕事はやりやすいと思います。
人の目ばかり気にしないで自分の仕事完璧にできるようになりたいんですが、
その過程で人と接するのでやっぱり気になります。
合わない人との付き合い方を教えていただきたいです。
私の方が年下でキャリアも浅いです。。
合わない=いらつくポイントが予測不可能
・他の人には通じてもよく誤解される(私の言葉たらず?)
・いいところ好きなところはある
・どちらかが悪いということはない
・思考パターンが全然違うし、お互いたぶん興味ない
・接しないといけない?
<回答>
気が合う合わないは仕事上は関係がない、と捉えているよ。
もちろん合意してくれる人の方が、スムーズにいってやりやすいけど
逆に馴れ合いが仕事の邪魔になる場合もある。
同僚に好かれた方が良い業種なのに、媚びたくない場合は
とりあえず対人的には感じ良くする事を心掛けて
業務を頑張れば良い気がする。
学生時代には勉強が出来るヤツは一目置かれるの法則。
対人的に感じ良くするのに、一番手っ取り早いのは
自己主張をせず、聞き役に徹する事。
返事を明るくハキハキとして、シャキシャキ動いていて
それで嫌うヤツは向こうがおかしい、で諦めろ。
職場の人間関係は、滅私奉公の気持ちに徹する。
仕事って、いかに割り切るかがキモだから
全部、手に入れようと欲張らずに
自分がどういう風になら頑張れるか、を考えた方が良いよ。
無理しすぎると破綻するぞ。
相手が年上だったり、キャリアが長かったりするなら
私だったら、相手を立てて自分が一歩引く。
普通に歳を取ってきた人は、やっぱりそんだけ経験を持っている。
若さゆえの正義感や合理さは、“青臭かった” と
自分の昔を振り返っても思うものだから
人はダテに歳をとってはいない、と思う。
だから年長者はとにかく尊重する、というのが私の信条なんだ。
それが力関係というものだと思っているから、苦にはならない。
要するに、仕事で主張したければ偉くなってから言え、って話。
仕事での理不尽な出来事はアリだから、若輩者は従うべき。
それは言われた事だけをする、というのではなく
組織の意向を一番に考慮しつつ、新しい提案をしてみる
という姿勢が理想的だと思う。
私は、“公” と “私” を、くっきり区別しているんだ。
私にとっては、家の外はすべて “公”。
“公” は自分ひとりの世界ではないので
不快感を与えないよう迷惑を掛けないよう、自分なりに注意をしている。
“公” での、他人の個人的な思惑までは考慮しきれんが
“私” では一応は自分なりには努力をする。
(“自分なりに” って、ほんと便利な言葉だな、おい。)
でも、友人を気が合う合わないでは選んでいない。
てか、私は自己評価が低いので、気が合うヤツは逆に危ねえと思うぞ。
“公” だろうが、“私” だろうが
確かに気が合うのは、気分が良い事だけど
私的には、ただそれだけだと思っている。
気が合う合わないは、私にとってはあまり重要な事ではないんだ。
何でこういう割り切りが出来るのかっちゅうと
愛する事と理解する事は別物だからだ。
人は他人を理解できなくても認められなくても、愛する事ができる。
理解できないゆえに苦しむのは、相手に期待をしているからだ。
期待通りに動いてくれない → 自分の基準に相手が当てはまらない
だから腹が立つんだよ。
それって自分本位の勝手な都合じゃないか?
明らかに反社会的や犯罪や非人道的な場合じゃなければ
理解不能でも、他人の個性と思って尊重すべき。
自分もそうやって、周囲の人々に大目に見られているはずだから。
距離感が取りにくいって、他人と歩調が合いづらい事がある、とか
空気の一体感が作れない、とか、そういう不安だろ?
それはとても真っ当な感覚の持ち主だという証拠だ。
本当に距離感が測れないヤツは、そういう疑問を持たない。
自分が他人にどう思われているかなど、気にもならないんだ。
だから不安を持つヤツは大丈夫。
だけど自分の在り方に不安を持つ事もあるよな。
根本的にズレていたら、どう修正しようとしても
土台がダメだから倒壊する、みたいな。
これはもう、どうしようもない。
人生が終わるまでの命題で、急速に今どうこうは出来ない。
知識や経験を深めて、方向を修正していくものだと思う。
その過程の中で、気が合わない人ってのは
本当に重要なありがたい存在なんだ。
叱責は自分の世界を変えてくれる。
相手の反応で自分に疑問が湧き、考え直す機会になる。
時々、いつになったら世間様に受け入れられる自分になるんやら
と、ちょっと疲れるけど、共感してくれる人がそれを癒してくれる。
ほんと世の中上手いこと回っているな、とつくづく感心する。
あからさまな差別区別をされると、やっぱり傷付くけど
タダで心を傷めるのはもったいなくねえか?
イヤなヤツも自分の肥料に変換してしまえ。
他人を変えさせるより自分の心構えを変える方が、可能でラクだぞ。
と言っても、いつもこんな菩薩な気持ちではいられないけど
こういう方向性で、と常々心掛けていれば
いつしかそれが楽勝でこなせるようになる、と信じて生きればいい。
合わせなきゃ、出来れば皆と上手くやっていかなきゃ
と思うのは、社会的にはとても正しい事だけど
今の自分に想像つく範囲で、自分の出来る事をするだけで良いと思う。
無理をするってのは、自分の器以上にデカく見せようとするのと一緒。
孔雀じゃねえんだから、羽を広げんでもよろし。
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