今年は雨が本当に多い。
関西でも、じゃじゃ降りの雨が続いて
私的には九州を思い出して、とても懐かしい。
徳島だっけ? そこらへんのダムが干上がって水不足で困っている
とローカルニュースで、ほんと恒例の行事のように言っていて
水道使用制限の辛さを知っているだけに
雨が降ると、ああ、徳島良かったね、と思っていたんだけど
さすがにこんな気候だと、下水の設備などなかった大昔は
氾濫した川で汚水があふれだして、疫病が流行ったり
作物が育たず、飢饉になったりしてたんだよな。
と思っていたら、それ以前に土砂崩れや鉄砲水災害だ。
四国の状況はよくわからないんだけど
ダム建設や河川整備を推し進めるべきじゃないんだろうか。
水不足なのに大雨が降ると氾濫って、大変だと思う。
水不足の大変さもわかるが、豪雨の恐怖も多く経験している。
生まれ育った家は、裏手が土手で、と言うか村自体が斜面にあって
豪雨の時など、かあちゃんが荷造りをしていた。
いよいよこりゃあかん、って時には、小学校の体育館に避難するんだけど
九州とは言えど山奥の村では普通の夏でも涼しいのに、雨が降ると寒くて
体育館の床は底冷えがして、しかも何の設備もなくて
避難するほどの大雨なので寝具も運べず
真夏なのに震えながらの直寝になって、それに懲りたかあちゃんは
「崩れてきたら即逃げる!」 と、むちゃくちゃな事を言って
家に篭城していた。 もちろんとうちゃんと私も一緒に。
とうちゃんは雨が降ろうが槍が降ろうが、酔っくろうてグデングデンだし
かあちゃんは地鳴りの音を察知しようとピリピリしているし
文字通り生きた心地がしなくて、ほんと一晩が長かった。
今になって思えば、避難場所も決して安全じゃない。
村全部が山に囲まれて、平らな場所などなかったからである。
あそこで安全なところなどない気がする。
現に夜が明けて外を見たら、目の前の山にある中学校の校庭が
土砂崩れを起こしていて、家族全員それに気付かず
かあちゃんがヒイイイイイイイイイイイとなっていた。
熊本市も昔は、いたるところで決壊氾濫浸水の連続だったけど
平地な分、まだ気が楽だった。
ただ熊本の夏は雨が続いても暑く、しかも蒸して蒸して
停電でエアコンがなく、窓も開けられないと
家全体がサウナ状態になるのが、HPを削られて大変だった。
近所で河が増水して氾濫した事もあり
それを体験した時には、あまりの惨状に心底ビビった。
ちゃんと整備した河で、いつもは水も30cmぐらいしかないのに
高さ5mあたりにある二車線道路が通ってる橋が
河の流れの中に入ってしまってたのだ。
そんで河周囲の道路は、くまなく膝丈浸水。
河沿いの民家も床下浸水、床上まで水がきた家もあったかも。
私は河から200mぐらい離れたところの
アパートの2階に住んでいたんで、浸水被害はなかったけど
場所によっては、尻まで水に浸かりながら半泳ぎで帰ったさ。
橋はとてもじゃないけど渡れなかった。
何か街なかで、超・遭難、って感じで、ものすげえ動揺したぜ。
その時は確か停電してたけど、水道は出たんで
帰宅後、水シャワーで全身を洗った記憶がある。
水が引いた後も、街は何日も後始末に追われて
雨が止めば良い、っちゅうもんでもない事を実感させられた。
しかしそれにしても、氾濫した河は
土色でドドドドドと地響きのような轟音と共に
うねりを上げて、ものすごい速さで流れていて
のみ込まれたら絶対に助からない、という恐怖に襲われる。
あの河の怒涛の荒れ狂いようは、自然の怒りにも見えて
雨の音と流れの音の、会話も聞こえないほどの騒音の中にあっても
つい拝んでしまうような荘厳さがあり、それに畏怖するのだ。
全然違うけど、まるで歴史の古い教会に入った時のような気持ち。
自然っていうのは、信仰そのものなんだと改めて感じた。
人間はそれを本能で知っているのだろうな。
とか、キレイにまとめとる場合じゃなく
増水した河は、冗談抜きで!マジで!危険!!!なので
絶対に絶対に近寄らないように。