カテゴリー: 地域

  • 大雨被害

    今年は雨が本当に多い。
    関西でも、じゃじゃ降りの雨が続いて
    私的には九州を思い出して、とても懐かしい。

    徳島だっけ? そこらへんのダムが干上がって水不足で困っている
    とローカルニュースで、ほんと恒例の行事のように言っていて
    水道使用制限の辛さを知っているだけに
    雨が降ると、ああ、徳島良かったね、と思っていたんだけど
    さすがにこんな気候だと、下水の設備などなかった大昔は
    氾濫した川で汚水があふれだして、疫病が流行ったり
    作物が育たず、飢饉になったりしてたんだよな。

    と思っていたら、それ以前に土砂崩れや鉄砲水災害だ。
    四国の状況はよくわからないんだけど
    ダム建設や河川整備を推し進めるべきじゃないんだろうか。
    水不足なのに大雨が降ると氾濫って、大変だと思う。

    水不足の大変さもわかるが、豪雨の恐怖も多く経験している。
    生まれ育った家は、裏手が土手で、と言うか村自体が斜面にあって
    豪雨の時など、かあちゃんが荷造りをしていた。

    いよいよこりゃあかん、って時には、小学校の体育館に避難するんだけど
    九州とは言えど山奥の村では普通の夏でも涼しいのに、雨が降ると寒くて
    体育館の床は底冷えがして、しかも何の設備もなくて
    避難するほどの大雨なので寝具も運べず
    真夏なのに震えながらの直寝になって、それに懲りたかあちゃんは
    「崩れてきたら即逃げる!」 と、むちゃくちゃな事を言って
    家に篭城していた。 もちろんとうちゃんと私も一緒に。

    とうちゃんは雨が降ろうが槍が降ろうが、酔っくろうてグデングデンだし
    かあちゃんは地鳴りの音を察知しようとピリピリしているし
    文字通り生きた心地がしなくて、ほんと一晩が長かった。

    今になって思えば、避難場所も決して安全じゃない。
    村全部が山に囲まれて、平らな場所などなかったからである。
    あそこで安全なところなどない気がする。

    現に夜が明けて外を見たら、目の前の山にある中学校の校庭が
    土砂崩れを起こしていて、家族全員それに気付かず
    かあちゃんがヒイイイイイイイイイイイとなっていた。

    熊本市も昔は、いたるところで決壊氾濫浸水の連続だったけど
    平地な分、まだ気が楽だった。
    ただ熊本の夏は雨が続いても暑く、しかも蒸して蒸して
    停電でエアコンがなく、窓も開けられないと
    家全体がサウナ状態になるのが、HPを削られて大変だった。

    近所で河が増水して氾濫した事もあり
    それを体験した時には、あまりの惨状に心底ビビった。
    ちゃんと整備した河で、いつもは水も30cmぐらいしかないのに
    高さ5mあたりにある二車線道路が通ってる橋が
    河の流れの中に入ってしまってたのだ。

    そんで河周囲の道路は、くまなく膝丈浸水。
    河沿いの民家も床下浸水、床上まで水がきた家もあったかも。
    私は河から200mぐらい離れたところの
    アパートの2階に住んでいたんで、浸水被害はなかったけど
    場所によっては、尻まで水に浸かりながら半泳ぎで帰ったさ。
    橋はとてもじゃないけど渡れなかった。
    何か街なかで、超・遭難、って感じで、ものすげえ動揺したぜ。

    その時は確か停電してたけど、水道は出たんで
    帰宅後、水シャワーで全身を洗った記憶がある。
    水が引いた後も、街は何日も後始末に追われて
    雨が止めば良い、っちゅうもんでもない事を実感させられた。

    しかしそれにしても、氾濫した河は
    土色でドドドドドと地響きのような轟音と共に
    うねりを上げて、ものすごい速さで流れていて
    のみ込まれたら絶対に助からない、という恐怖に襲われる。

    あの河の怒涛の荒れ狂いようは、自然の怒りにも見えて
    雨の音と流れの音の、会話も聞こえないほどの騒音の中にあっても
    つい拝んでしまうような荘厳さがあり、それに畏怖するのだ。
    全然違うけど、まるで歴史の古い教会に入った時のような気持ち。

    自然っていうのは、信仰そのものなんだと改めて感じた。
    人間はそれを本能で知っているのだろうな。

    とか、キレイにまとめとる場合じゃなく
    増水した河は、冗談抜きで!マジで!危険!!!なので
    絶対に絶対に近寄らないように。

  • 怒れ! 関西人

    “秘密のケンミンショー” とかいう番組を知っとるか?
    たまに観るのだが、私のよく知ってる場所の話で
    はあ? ねえよ! というのを、ある! とやってたんで
    この番組は、やらせとまでは言わないけど
    一部の人の奇妙な習慣を、さも全体のように大げさに言う
    と理解して、聞き流していた。

    最近は、「○○県○○地区では」 と、限定しているようだが
    クレームがついたための策だろうな。

    先週もたまたまこの番組が流れていたんで、チラ見したんだが
    翌日さっそく、大阪人に言われた。
    「ちくわにポテトサラダを・・・」「ああ! それ、ウソだから!」
    と、最後まで聞かずに覆いかぶせて否定したさ。

    確かにあの店も、そういう食い物も、あるのは知っている。
    あの店は、行楽用の総菜屋さんで、言わばドライブインの進化版なのだ。

    しかしな、これは熊本の店全般に言える事なのだが
    その・・・あまり美味くないんだよ。
    よっぽど飯を作りたくない時に利用するものであって
    定番とか流行ってるとか、聞いた事もない。

    私が熊本を離れてから流行ったんかも知れんが
    タピオカだの白いタイヤキだのも
    知り合いに訊いても、「そうなの?」 と逆にこっちが訊かれたから
    ちくわにサラダも怪しい話だと疑っている。

    と言うかな、この番組であんだけ悪口を言われている大阪人が
    同じ番組内の他県の話を信じるとは何事ぞ?
    自分ちの事で、ウソ大げさまぎらわしいが言われたら
    他の地域の話も怪しい、と思うべきなんじゃないか?
    自分とこだけ、捏造されてるって思うんか?

    まあ、そう思うのも無理はないかも知れない。
    熊本なんぞ、たわいもない食い物の話で済んでるが
    大阪にいたっては、私が観たのだけでも
    「値段で評価を替える」「食い物の匂いを嗅ぐ」 だもんな。
    これさ、すげえ悪意だと思うんだが、大阪人は何で怒らんのだ?

    私はこの手の話を、いちいち現地人に確認しているけど
    熊本市民は、「流行ってないわよ。」 と即刻さらりと断言する。
    何ちゅうか、同じ熊本人でも生粋の熊本市民は
    自分とこが中心、と思っているので、自分に当てはまらないものは
    自信満々で否定する傾向の人が多い。

    大阪の話の場合は、それが未確認情報でも知らない内容でも
    大阪府以外の関西の人は、「ああ、大阪の話でしょ?」 で済ませ
    大阪府民は、「大阪のどこの地域?」 と、まず訊く。
    うちはやってないけど、お隣ならわからないものよね、といった感じで
    何かもう、全員が他人事なのだ。

    これ、ものすごく間違っている反応だと思う。
    他の地域の人たちは、兵庫も京都も大阪も奈良も滋賀も和歌山も
    関西人が想像する以上に、ひとくくりに “関西” で扱ってるんだぞ。

    100m四方の内の1cm区画がいたらん事をしたら
    その100m全部、いたらん事しいの区画になるんだ。
    これが風評というやつで、それを甘く見て放置しているから
    何かと言えば 「関西人は」 と言われてしまうハメになっとるんだ。

    それに関西は悪く言われすぎ!
    私も移住するまでは、関西は治安が悪くてお金に汚くて騒がしい
    と、心の底から信じていた。 かあちゃんも大反対したさ。

    だけどな、実際は全然違うぞ。
    そりゃ治安は都会になるほど悪くなるさ。
    お金に汚い、というのは多分、経済感覚がきっちりしてるせい
    騒がしいのは、ババアはどこのババアでも集まるとうるさいだけ。

    問題は、こんな事を何でそう悪く言われにゃならんのだ? ってとこ。
    どうも関西は、日本のスケープゴートにされてないか?

    人間ってのは不満を我慢する時に、自分より不遇な状態を見て
    安心したり反省したりするものだ。
    「○○よりマシ」「○○の大変さを思えば自分は甘い」 等。
    日本は、その○○に “関西” を入れようとしていないか?

    えらい、うがった見方をするようだが
    それを感じるのが関西人じゃない私、ってとこに信憑性がないか?

    あるわけないか、よりによって “私” だもんな。
    当の関西人が気にしていないのに
    関係ない私が怒っているのも、いらん世話かも知れんしな。

    でもケンミンショーの、大阪の話題はひどすぎると思う。
    食い物の匂いを嗅ぐなど、「どこのしつけの悪い家の話なの?」 と
    私の知人の大阪人は嘆いていたぞ。

    多分、関西人は “ネタ” として、大らかに流しているんだろうけど
    他の地域の人々は、“マジ” で受け取っている。
    人格に関わる事などは、クレームを入れた方が良いと思う。

    公共の電波で、ごく一部レベルの話を誇張して流すという
    個人の世間話のような事をしてもらったら困る。
    TVに映っている事は全部真実、と思い込む人も多いのに、ほんと心配。

    こんなわかりきった注釈はしたくないけど
    ここでの話は、私周囲の狭い世界での事である。
    私は “個人的” に、番組を否定している。
    これと同じレベルの事をTVでするのは
    影響が大きすぎて洗脳も同然だ、と言っているのだ。

  • 日食

    “日蝕” かと思っていたら、“日食” なんかな。

    今年は46年ぶりの皆既日食という騒ぎだが
    ホラー好きからしたら、どうしても怪奇日食としか文字が浮かばない。
    大昔は日食など、凶時の前触れとされていたらしいが
    何も知らずに、昼間いきなり暗くなったら
    そりゃもう、何の天変地異かと恐かっただろう。

    今日はあいにくの天気で、見られなかった人も多いだろうけど
    おめえらは次の皆既日食の26年?後にまた見りゃ良い。
    私の寿命は、その時には残ってないはず。
    てか、残ってたらイヤ過ぎなお年頃だ。
    ・・・実は今日が日食だと、すっかり忘れてたんだがな・・・。

    そこで、怪奇日食にちなんで、怪談話でも
    と思ったんだが、体験談が1個もねえ!
    数少ない目撃談は潜伏に書いてるし、それ以外に何もないんだ。

    こんなに心霊好きなのに、何故見ないのか?
    いや、見えないからこそ、心霊好きなのかも知れない。
    ああ、哲学。

    うちの近所には、由緒正しそうな神社がある。
    どんな都会でも、神社だけは森が残っている場合があって
    その神社は特に立派な森を従えてて、言わば小山状態。
    うちの窓から、その神社の森が見える。

    と言っても、清々しい雰囲気はない。
    夕方になると、都会カラスがその森へと帰ってくる。
    その数が10羽20羽じゃなく、リアルヒッチコック。
    もう、ギャアギャアギャアギャアすんげえうるせえし
    夕暮れの空に映し出される森の影に沿って舞う羽の群れは、かなり恐い。

    どうした不気味スポットなんだ、と思っていたら
    最近知った話だが、その森、首吊りが多いんだと。
    見える人によると、森周辺の道は霊だらけなんだそうだ。
    「よく立ってるよ」 と言われ、ゾッとした。

    うひょお、知らずに夜に前をノコノコ歩いていたよー、と、ビビったが
    知った今でも、何の気配も感じないんだよな。
    オドオドビクビクしながら歩いているのにさ。
    どこまで霊感がないんやら、つくづく愚鈍なんかな、と落ち込む。

    てか、ここらへんは正直、霊より人の方が恐い。
    以前から色んな人の話を書いてきたけど
    まったく次から次へと、どこから湧いてくるんだか
    最近、頭角を現してきているのは
    自転車をかっ飛ばしながら、奇声を上げる兄ちゃん。
    実害はないだろうけど、スピードが出てるので事故が心配。

    そんで、子供狙いの変質者も出てるようで
    役場の車が放送しながら走り回っている。
    こっちはババア私には無関係だが、その狙われてる子供たちはというと
    最近大声で軍歌みたいなんを歌いながら、集団下校しているんだ。

    叫び歌いなんで、何の歌か歌詞も曲も聞き取りにくくてわからんのだが
    聞いてると、昭和初期にタイムスリップした気分になる。
    何かの思想教育でも受けてるわけじゃないよな?
    元気が良いのはめでたい事だが、妙に恐え。
    もしかして、変質者よけの防御策なんだろうか?

    ほんと、大人も子供も霊も、わけわからん地区だ。

  • 邪馬台国

    祝・天皇皇后両陛下ご成婚50年

    サイパンのバンザイクリフで祈っている姿が、TVに映っていたけど
    美しすぎて涙が出たのは、体力が弱っているせいだろうか?

    私は昭和天皇は何となく好きなんだが
    天皇家は国家機関と見なしているので、特別な感慨は持ってはいない。
    ただ、今回のTV映像のように、天皇家の方々には
    時々神懸かり的なものを感じるのが不思議である。
    やはり天皇家は神道の長なんだな、と関心してしまう。

    以前に何かで読んだのが、天皇は祈る事で日本を守っている
    という、結構なオカルト話であった。
    シャーマンのように書かれていて、結構面白かったんだが
    内容をすったり忘れてしもうたので
    その儀式ってのはどういうものなのか、調べてみようとしたけど
    大まかな宮中祭祀の日程以外に、情報がまったく見つからない。
    参加する人の素性すら秘密にされているらしい。

    何かもう、病中に何をやっとんのか、と、しんどくなったんで
    この話題を続ける気力がない。
    そこで、ちょっと関係があるような、ないような話を。

    先週だったか先々週だったか、関西ローカルニュースで
    奈良県で何かが発掘されて、邪馬台国かもー、みたいな話をしていた。
    もう、ここで既に記憶があやふやで、価値のない内容だと丸わかりだが
    そのニュースを観て、私的には邪馬台国は奈良ナシ、と感じた。

    魏志倭人伝の、海を何千里行ってうんぬんの記述からしても
    地理的に関西はありえないと思うんだが
    私の奈良ナシの意見は、奈良の歴史にある。

    関西で奈良の話題がニュースになるのは、ほぼ遺跡と行事関係である。
    奈良は遺跡掘り以外に何かやっとんのか? と地元民に問うと
    改築でもして、自宅の敷地内から何かが出土したら
    そっから調査やら保護やらで、何ヶ月何年も拘束されるんで
    ヘタに庭も掘れん、と嘆いていた。

    皆、遺跡出土にビビっているので、地下街も作れん地下鉄も通せん
    道路も作りにくいらしく、地面に手を付けられん有り様なんだと。
    奈良は過去の保護が使命の地なのだ。

    そんな奈良に、果たして詳細不明の都があったであろうか?
    もし奈良に、そんな繁栄した政府があったのなら
    文献なり碑なりで、必ず証拠を残しているはずだと思う。
    そういう知恵があったからこそ、奈良は遺跡の街なのだ。

    そして、もうひとつ。
    何も残せずに根こそぎ消滅したから、邪馬台国は謎の国だとされている。
    この、何も残せず消滅する状況って、どんなんだ?
    ものすごくイヤなものを感じないか?

    邪馬台国は、かつては華々しい文化だったイメージがあるけど
    キリスト教で言えば、もしかするとソドムの地だった可能性がないか?
    人々が繁栄して調子こいて、モラルを失って神の怒りに触れて
    根こそぎ滅亡した地である。

    邪馬台国、と聞くと、何となくこのソドムかバベルの塔を思い出すのだが
    もし私のこの印象が正しいと仮定したら
    日本だから、怒った神は八百万の神だろ。
    八百万の神ってのは神道で崇めている神々で、神道の長は天皇家だよな。

    神話の領域だけど、邪馬台国が存在していた最中も
    天皇家は続いているんだよ。
    父ちゃん天皇で、息子が後を継いで天皇になってるんだ。
    神を怒らせて都市滅亡までなったのに、その長が存続できるか?
    よって、邪馬台国に天皇はいなかった、と、私は思うんだ。
    ソドムの時も、王国は別の場所にあったし
    邪馬台国は、単なる一地方都市だったんじゃないかと。

    そんで怒りで滅亡させられた都市の跡に、都市を作るか?
    そこに天皇家が来て住むか?
    その後その都市が繁栄するのか?

    もしかしたら、あえて天皇家が移住してきて浄化したんかも知れんが
    だったらそれこそ、確固たる痕跡を残すだろう。
    それがタブーだったとしても、後の教訓のため必ず言い伝えられてるはず。
    平民には知る術がないから、“謎” なのかもだが
    それでも有志はその存在を知る事が出来て
    こんなに何もかもが謎じゃないと思うんだ。
    てか、奈良なら残す。 絶対に地に証拠を残している。

    私には邪馬台国は闇にしか思えないので
    言わば “光” の地である奈良の過去には、存在し得ない気がするのだ。
    邪馬台国の跡地は、今も人があまり住まない荒れ地になっていると思う。

    と、オカルト好きのうがった視線で推理してみたけど
    邪馬台国畿内説の奈良人に言ってみたら、何かえれえ納得されたよ。
    奈良が “光” の当たる地だ、と言う部分に感動したらしい。

    奈良は歴史上でも、華々しい表舞台にいた土地である。
    いくら遷都されて、“中央” ではなくなったとは言え
    その地の人々は歴史を愛し守り、他の地の人々が観光に来たがる。
    今もなお、日本の主要な地域のひとつなのだ。

    他県の観光課の人は、奈良が羨ましいと思うぞ。
    そのゴロゴロある国宝級の歴史的遺産のうちの
    いっちょの塔、いっちょの像でもうちにあればーーー
    と、喉から手が出るぐらい欲しい県は多いと思う。
    京都に比べて地味だと自嘲するけど、それは贅沢というものだ。

    天皇皇后両陛下、ご成婚50年おめでとうございます。

  • パトカ-

    パトカーと言えば、この前ふと思い出した出来事がある。
    車を運転していてパトカーが来ると、何となくアクセルを緩めるよな。
    速度違反に引っ掛かるのはバカらしいもんな。

    とある山道を走っていた時の事。
    その道は山道で片側一車線ずつだけど、道幅も広く
    他県に通じる幹線道路だったので、交通量も結構ある道路だった。

    そこを平日に走っていたら、前に車が詰まっている。
    休日はダダ混みで渋滞するけど、平日は流れもスムーズなのに、と見ると
    先頭車両が1台いて、その後ろにパトカ-が走っている。

    ああ・・・、と納得した。
    私の車はパトカーの4台後ろ。
    パトカーの前だけは走りたくないよな、
    「はい、前の車停まってー。」 というセリフなど聞きたくもねえ。
    先頭の車はさぞ、交通法規遵守に大変だろう。

    と言う事で、車の列は時速40kmぴったしでテレテレ進んでいた。
    いつもは気にしなかった標識は、確かに40の文字で
    うおーーーーーっ、ここって40km規制かーーー
    ずっと一本道で1時間以上掛かるぞーーー、信号すらねえぞーーー!

    私の車の後ろにも、それまで気分良く飛ばしてきたであろう車が
    どんどん繋がってきてプチ渋滞。
    もう、パトカー以外の全員が思っているであろう。
    何でこんな道でパトカーが何で今パトカ-が何で俺が走っているのにパトカーが

    しかし、そう思っていたのはパトカー “以外” だけじゃなかった。

    「さっさと行って!」

    突然、パトカーのスピーカーから大音量で発せられた言葉。
    その瞬間、眠くなっていた目がガッと開いた。
    パトカー以外の車の運転手は全員こう思ったはず。

    「ええっ??? どのレベルで???」

    ここ、普段の流れだと、時速70~80kmで走る道なんだよ。
    でも制限速度は40kmだろ?
    この状態で “普通” に走って、「はい、速度違反」 はしねえよな?
    いや、するよな? どこまで許されるんだ? 時速49kmまで?

    パトカーも空気を読んで、いかにも緊急事態発生!風に
    赤色灯を鳴らして追い越して走り去れば良いものを
    やたらあいまいな支持を出したもんで、各車両が動揺しまくっている。
    先頭車両も迷いに迷っているらしく
    ちょろっと45kmぐらいまで速度を上げたけど
    そんなもんじゃ、このパトカー渋滞は収まらない。

    結局、先頭車両のビビリは続き
    何となくパトカーのイライラも伝わってきて
    パト渋滞団全体が、予断を許さぬ不穏な空気に包まれ
    トロトロなのにドキドキという、とても辛い状況に。

    この調子じゃ、街まで1時間以上掛かるだろうし
    諦めて大人しくしているしかないな、と思い始めていたら
    いきなりパトカーが左折した。
    そこは、こんなとこに脇道があったんか! という場所で
    見たら車1台やっとのケモノ道。

    あんな道がどこかに通じているとは思えず
    パトカ-も気を遣ったんだろうけど
    この道路じゃ、あんたら、いつ通っても同じ事態になると思うんだが
    この後どうするつもりなんだろ?

    と心配しつつも、そっから全車一丸となって
    いつも以上にスッ飛ばして、街まで30分足らずで帰った。

  • 関西弁

    周囲が関西弁だらけなので、イヤでも関西なまりになるだろう
    と、タカをくくってたのだが、友人知人にリサーチしてみたところ
    「不思議なぐらいに変わっていない」 との評価を受けた。

    ちょっとショックを受けたんだが
    関西弁は個性が強い割には難しいらしいので
    何十年住んでいようが、なりきれない人もいるんだと。

    あっ、本題の前に、こっからの話は私の友人知人に聞いた話で
    しかも聞いた端からド忘れしてしまうので、間違いが多いかも知れん。
    詳しいヤツ、訂正や追加などがあったら頼む。

    私も田舎者扱いされて、安穏としとらんと
    ちっとは勉強をすべきなんだろうか、と相談したが
    関西人の心情としては、ヘタな関西弁を喋られるより
    標準語か方言を喋っててくれた方が、まだ気にならないそうな。

    私は言語能力が非常に劣っているので
    今や関西弁と標準語の聞き分けもできなくなっているんだが
    ドラマなどで関西出身じゃない役者の関西弁は、全部アウトだと。
    単語のアクセントはできていても
    長文で喋ると真の関西弁じゃなくなる、と言っていた。
    やはり関西人は関西弁に対してはこだわりが強いんだってさ。

    んで、“関西弁” と、ひとくくりにされているけど
    関西は、大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山
    あれ? これで良いっけ? これ、“近畿” の話だっけ?
    かなり肝心なところを忘れてしもうとるが
    ま、そこいらへんの府県でも、なまりが違うし
    何と “大阪弁” ってのがなくて、全体的に “関西弁”。
    大阪府内の関西弁は、河内弁、泉州弁、えーと・・・・・・・・
    ・・・・・・・・また忘れてるーーー!!!
    とにかく大雑把に、何種類かの関西弁があるという事らしい。

    以上のような内容の講義を受けたが
    すまん、何かボロボロ抜けて価値のない情報になっている。
    私の言う事を真に受ける前に、自分で調べてくれ。

    私の友人知人たちは、仕事では標準語を使うと言っていた。
    もちろん会社でも仲間内では関西弁で喋るけれど
    転勤や移動が全国展開な会社のヤツの場合は、社内でも標準語だそうだ。
    飲食関係のヤツは、関西弁でもオッケーのところもあるんだと。

    で、共通して言っていたのが
    「標準語も喋るけど、多分関西なまりが出てると思う」 だ。
    これを聞いて、だよねー、なまりって取れにくいよねー!
    と、とても親近感を持って同意したのに
    言った全員に 「あんたほどじゃない」 と、一蹴された。

    ちなみに、私は言語に対して無頓着であるかのように思われてるだろうが
    地名、人名のアクセントはちゃんとしないと失礼になる
    と思うぐらいの礼儀は持っているので、それだけは気をつけている。
    いや、気をつけてても出来てない事が多いんだがな・・・。

    特に言葉にこだわりの強い関西で暮らすなら、関西弁を尊重しないと
    と気合いを入れているのに、私の音感ではどうも無理っぽい。
    この挫折感を味わったのが、以前TVで観た出来事。

    落語家の桂南光が、弟子か何かに
    「南光と南港を一緒くたに発音すな!」 と、激怒していたのである。
    それを観ていて、私も南光と南港の違いがわからなかったので
    生粋の関西人に教えを請いに行った。

    南光は “な” にアクセントが付く、一般的な発音なのだが
    南港は “ん” に付くのか “こ” に付くのか
    何度聞き直しても、聞き分けられない。
    ヘタすりゃ “う” 部分かも知れない。
    “な” じゃないのだけは確かだと思う・・・かな???

    そんで、南港は “なんこう” じゃなく
    “なんこおー” みたいに発音するんだと。
    関西弁って、“う” を “お” と発音する事が多くないか?

    結局、南港の言い方すらマスタ-出来ず
    もうこれは天性の才能のなさだとしか思えない、と落胆。

    私も関西弁になりたいが、「やめた方がいい」 という
    友人知人の言葉は、親切からだと感じるので
    私なりにフツーに標準語 (のつもりの言語) を喋っていくよ。

    よそ者扱いは慣れているし
    田舎者扱いは逆にラッキーだと思う能天気な性格なので
    関西で関西弁を喋れないゆえの苦労をした事がないけど
    マトモな神経の持ち主なら、大変に思う場合も多いかも。

    でも私が見てきた範囲では、標準語自体を嫌う人は少ないと思う。
    イヤなヤツがひとりいる、とか環境によりけりかも知れない。
    地方から東京に出てきて標準語になってる “オシャレ” 意識の高い
    ヤツに、すげえバカにされる事がたまにあったが、それに似ているんかな?

    確かに違う地方のなまりバリバリは恥ずかしい事だろうが
    出来ないものはしょうがない。
    外国人も多い昨今、日本語が通じるだけでも良しとしてほしいもんだ。

  • 田舎

    この言葉が意味するものは、人それぞれだろう。
    次回があるんか定かではないが、とりあえず今回は
    地形や人口や利便さを基準に熱弁をふるおう。

    人々の意識や態度、風習などは
    どこの地であろうが、それこそ個人差が大きいし
    大抵の都会は田舎者の集まりであるから
    深く突っ込むのは今日は面倒くせえ、という心情で。

    私の考える田舎の定義は
    自分が生まれ育った場所こそ、まごう事なき田舎だ
    という基準で分類している。

    ・ △△町大字○○字××という旧住所。
    ・ その大字が広範囲で、字が長距離で点在する。
    ・ 同じ苗字だらけの集落が多い。
    ・ なのに△△町 誰々様 だけでも、何故か郵便物が届く。
    ・ 第一次産業従事者が9割を超え、しかもその産業に発展性がない。
    ・ 一番近くの都市まで、どんな交通機関を使っても2時間以上掛かる。
    ・ スーパー、コンビニ、飲食店、専門店がない。
    ・ 信号機がない。
    ・ 駅がない。 てか、線路からない。
    ・ 直線道路がない。
    ・ 平地がない。

    同じ田舎でも、田畑が平らに広く作られているようなところは
    会社勤めに疲れて、自然回帰願望を募らせている都会人に
    「脱サラして農業ナチュラルライフを」 と、夢を見させる魅力があるので
    マイ田舎と一緒にしてほしくはないな。

    うちの田舎は家のすぐ裏が山
    いや、村自体が山の斜面に作られていて
    視界360度全部山、上部5分の1ぐらいが空、日照時間が短けー
    という、ものすごい閉塞感に溢れていた。

    保育園はなく、幼稚園から子供たちは徒歩山越え通学。
    隣村へは交通機関がなく、近くの町へのバスも1日4本最終19時。
    国道もセンターラインなしの片側崖のカーブが延々と続き
    慣れない他県からの観光途中通過車が、回るは転げるはで
    ガードレールがブチブチ壊れ途切れている有り様である。

    田んぼも3m幅ぐらいで、山の斜面に無理に作っていて
    そこへ行くのにあぜ道しかなく、農作業機械など入らない。
    全部手作業なので、儲けなどないと嘆く。

    このような斜面仕様の寒村には、移住してくる人もいず
    地元の人でも、何故ここで暮らす必要があるのか
    あれこれ予想をしてみたが、さっぱりわからない。

    私の思う真の田舎とは、こういう集落の事である。
    田舎と言うより、秘境とか呼んだ方が早いかも知れんが
    日本は山国なので、こういう村は全国にゴロゴロあると思う。

    それをちょっとのどかなだけで、「田舎」 などヌルいわ!
    真の田舎には、その “のどかさ” もねえんだよっ!
    ・・・と、説教して回りたいが、そういう事を言ってると
    わけのわからん歪んだ田舎自慢に思われそうで
    都会人にも田舎人にも双方から怒られそうなので、リアルでは言えない。

    都会人が田舎に憧れるのは良いんだが
    自分の住んでいるところを田舎だと言うのは
    真の田舎育ちの私には、どうにも納得がいかない。

    そういうヤツの基準は、まず東京ありきだからである。
    世界有数の大都市を基準にして、他は全部田舎など暴論すぎる。

    それにそういう比較で自嘲をするヤツって
    田舎をバカにする気持ちが根底にあるだろ。
    “田舎” を謙遜の道具に使うな!
    そもそも都会が立派で田舎が恥ずかしい、など意味がわからねえよ。

    田舎は嫌いだが恥に思った事はない私は、“ふるさと” を持っていない。
    生まれ育った場所は、親の仕事の都合で住んでいただけの
    縁もゆかりもない土地だからである。

    それを考えると、田舎どうの都会どうの、と私が噛み付くのは
    郷土というものへの強い憧れが、無意識に入っているのかも知れない。

  • 住みたい場所

    旅行で行ったとかTVで観た程度の知識しかないのに
    イメージだけで住んでみたい場所ってないか?

    私は、静岡、金沢、仙台あたり。

    静岡は気候が良くて海のイメージがあるし
    私の知っている静岡人は、皆おしゃれだったので
    ショップ展開も便利じゃないかと、勝手に予想している。

    金沢はガキの頃の家族旅行で
    記憶に残っている数少ない場所のひとつなのだ。
    日本海ってのが、私には別世界に感じるんだな。

    仙台は、何故か街並みがキレイっていうイメージがあり
    かあちゃんも、晩年2回立て続けに旅行に行っていて
    あの旅行好きで審査の厳しいかあちゃんが2回行くなど
    さぞや良いところなんだろう、と夢見ていた。

    ところが、静岡は以前そこで住んでいた友人が
    「ブラジル人が多くて、生活のトラブルに苦労するよ」 と言い
    金沢は、伝統としきたりが厳しくて、よそ者は大変だという話があり
    仙台在住中の九州出身の知人が、「寒い! とにかく寒い!」 と嘆き
    現実はそんな甘いものじゃないんだろうな、と断念。

    私は、霊じゃないが水辺が好きなので、海の側に住んでみたい。
    だけどそういう選択が出来る機会が、まずこないのが不思議。
    これぞまさに “縁がない” って現象なんだろうか?

    すると海の近所住みの知人が忠告してくれた。
    家電の寿命が極端に短くなるんだと。
    風が強いし、洗濯物に潮の匂いが付くし、結構大変だそうだ。
    じゃ、川の側は? は、蚊が発生するんだと・・・。

    南国育ちなので、純粋に豪雪というものに憧れがあって
    北国の雪深いところに興味がある。
    「ひと冬だけ過ごしてみたい」 と、謙虚に表現したのに
    在住経験者には、「無理!」 のひとことで終らせられた。

    どこに住んでみたい、などという観光気分ではなく
    冷静に考えて、真面目に住むのなら
    老後はどっかの駅の近所のマンションが良いなあ、と思っている。

    年寄りには、買い物や病院に近くないと死活問題だろ。
    夜遅くに走るガラガラに空いた列車を見るのも好きなんだよな。
    ・・・と語ったら、「でも、便利な場所はうるさいと思うよ。」
    と、都会育ちの知人に突っ込まれた。

    言う事言う事、片っ端から否定の声があがるのは
    「暖炉のある白い家」 とかの妄想レベルで
    私の考えがたわけている、という証拠なのか?

    でもまあ、引っ越すのには膨大なお金が掛かり
    くだらん言い分で、やたらフラフラも出来ないので
    住みかは厳選すべきだとは、身に沁みてわかった。

    特に私の場合は、自分の考えのみで移動するのは
    レミングスの行進のごとく危険だという、漠然とした予感もあるので
    引っ越す場合は、リサーチと他人の意見重視だな。

    どこでも “住めば都” と言われているので、それを信じていたが
    友人知人たちの警告を聞いていると、そうでもないのかも知れない。

  • 九州のお付き合い

    08.9.3の九州男児の妻や彼女 で
    彼女としての立場で遭った事をグチったが
    それ以外の立場じゃどうだったろう? と、思い出してみた。

    兄の友人たちはよくうちに来るし、兄も行く。
    たまに奥さん連れで来る事もあるが
    飯屋や飲み屋に行く事も多いようなので
    この行き来の度合いを見ると、家庭的にどうかな、といつも思っていた。
    しょっちゅう出掛けている夫って寂しくねえ?

    行き来して飲む傾向は、田舎に行くほど多くなる。
    私は男性は毎晩飲酒するものだと思い込んでいたので
    関西人の飲み会の少なさや、何かないと飲まないという男性がいる事に
    激しく驚いたものである。
    田舎って飲めないと、「男のくせに」 という風潮で
    酒豪は自慢になっているのも、飲酒に拍車をかける原因であろう。
    都会はそれがなく、自分のペースが守れる。

    酒の話はおいといて、兄の友人たちは母や私と話してくれる。
    うちの家は、“その場にいる人がわからない話はしない” という
    ごく当たり前のルールがあって
    お客メインで家族皆で話す事になっていた。
    (酔っ払いが来た時は、それが逆にやっかいなんだが)

    父の飲み仲間は酔っ払いが多かったので論外だが
    兄の友人たちに疎外感を感じさせられた事はなかった。

    兄の友人たちは職種も様々だが、元彼とその仲間たちとは
    同じ九州男児と思えないほど、女性に対する気遣いがあった。
    それでも田舎在住になるほど、頭が固くはなっているが
    皆、自分の奥さんは恐い存在だったようだ。

    これはどういう違いなんだろうか? と考えていたが
    ひとつ決定的な違いが見つかった。
    兄の友人たちのほとんどが、進学で大都市で過ごしているのだ。
    兄の友人でも元彼と周囲でも、九州から出た事のないヤツほど
    ロコツな男尊女卑になっている気がする。

    もしかして、これが答かな?
    だったら話は終ったも同然だよな。
    何だー、そういう事だったんかーーー。

    すっきりしたところで、うちの正月の話でも。
    御節というのは、主婦が正月に休めるように、という話があるが
    それは絶対にウソである。

    うちの家は正月早々挨拶客が多く、いつもに増して
    かあちゃんはテンヤワンヤだった。
    1日に何組も、客が入れ替わり立ち代りやってくるので
    御節も5段のみ作れば良いってものではなく、補充を山盛り用意し
    その上に他につまみや軽食なども用意しなければならず
    正月中、ずっと台所の住人になっていた。

    私の飯の世話まで手が回らないので
    部屋で駄菓子などをかじってしのいでいたもんだ。(手伝えよ!)
    だから正月は飢える時期というイメージしかない。

    隠居して熊本に引っ込んでからは、客もまだ少なくなったので
    デパートの出来合い御節を注文して、そこはラクが出来たようだが
    それでも年始の挨拶客はいて、しかも今度は田舎と違って
    子持ち客が増え、そいつらが無邪気にうるさい事うるさい事。
    実家には私直伝のゲーム機とソフトがあったので
    より一層伸びやかに楽しんでもらえたようである。

    で、とうとうかあちゃんは、「もう疲れたわ・・・」 と
    パトラッシュに哀願するネロのようにつぶやいて
    かあちゃんの従姉妹と連れ立って
    年末年始は、熊本市内のホテル住まいになってしまったとさ。

    田舎って、何かかんか理由をつけては飲み会をするが
    理由がなくても飲むくせに、何を正当化しようとしとんのやら。
    飲み会など、女中になる女性にはえれえ迷惑なんだよな。

    あと冠婚葬祭。
    台所は女性たちの権力争いの修羅場と化している。
    男性たちは、ケツに根が張ったように動かず飲み食いするだけ。

    ところで、そういう場では私には毎回ごく自然に
    不本意な役目が割り振られていた。
    オヤジどもに次々に呼ばれ、横に座らされてお酌・・・
    と、キレイどころならば普通はそうなるはずなのだが、違う。
    説教されるのだ。 次々に、そりゃもう口々に。
    飲んでない時はまともでちゃんとした人なのに、と嘆きたくなるような
    酔っ払いの的外れな論理を延々聞かされるぐらいなら
    台所でネギでも切ってる方が、よっぽどラクだったぜ。

    大人になったら、この役目も代替わりする、と信じていたが
    いい加減大きくなったのに、これ以上大きくなれないのに
    相手も同等に年を取ってるせいか、いつまで経ってもガキ扱いである。
    年齢で言えば、正真正銘のガキが台頭してきているのに
    何でそっちにタゲ変更してくれないんだ?
    てか、若いもんまで一緒になって、何を波状攻撃状態してるんだよ?

    あっ、もしかしてこれがイヤだから、女性たちは台所にこもるんか!
    「これ持っていって」 の何気ない配膳指示は、生け贄のワナか!!!
    それとも逃げる機会は一瞬で、それを逃したら
    係は固定してしまうものだったんか、ああ、ウカツだった・・・。

    説教されて当然の人格だとか、要領が悪いだとか
    自分では認めたくないので
    説教の宿命の星みたいなもんでも持って生まれたのだろうか?
    と、悲劇のヒロインぶってみる。

  • 九州男児の妻や彼女

    九州の家庭での “客” 関係は、女性にとっては最悪の事態である。

    うちの実家は客が多く、常にかあちゃんは召使い & 酌婦状態だった。
    田舎ってのは、狙っとんのか飯時に平気で立ち寄る人が多い。
    しかも朝昼晩3食どれも気が抜けない。

    料理屋じゃねえので、飯ってのは普通どこも
    家族の分しか用意しないものなので
    客が来ると、かあちゃんはまだ手を付けていない自分の分を
    そっと台所に持って行き盛り付け直して、客に出すのである。

    何故かいつも直前の皿が並んだ頃に来るので、間に合うんだが
    もしかあちゃんが自分の分に手を付けてしまっていたら
    新しく料理を作らされるハメになる。

    かあちゃんは料理上手だと評判だったので
    そういうヤカラが多かったのだろうが
    そいつらの家でも、飯の用意をしているだろうに
    「食ってきた」 で済ませていたのだろうか?
    どの方面で想像しても、最悪な夫だよな。

    これが夜ともなると、6時7時に来て12時1時まで飲む。
    客間もあるのだから、そっちに行けばいいのに
    居間でドンチャンやるので、かあちゃんはTVも見られず
    酔っ払いのたわごとを愛想良く聞き続けなければならない。

    私は子供部屋に避難すればいいけど、うるさくて眠れない。
    酔っ払いがいかにくだらん事しか言わんのかは、その時に学んだ。
    お陰で私は今でも、酒好きが大っ嫌いである。

    いくらタダ酒が飲めるとは言え、あの酒乱のとうちゃんのとこに来るなど
    飲めれば何でも良いんだろうか。
    よく口ゲンカの罵り合いに発展していたし
    とうちゃんが寝ても、居続ける客もいたのが信じられなかった。

    このように、うちは昼は飯屋、夜は居酒屋状態であった。
    手伝いもしないガキで、遠目に見ていただけの私でも
    その図々しさにはイライラさせられたものだ。

    不思議なのが、上がりこむ客はいつもひとり。
    2人目がやって来た時は、「ああ、先客がいたか」 と帰って行く。
    うちに真の客や泊り客がある場合は、誰ひとり来ないし
    突然の客の間では、連絡網や暗黙のルールでもあるんかいな?
    だったらその前に、「飯時にアポなし訪問するものじゃない」
    という一般常識を身に付けてもらいたかったぞ。

    とうちゃんもかあちゃんも、その非常識さはわかっているものの
    うちは仕事関係でそこに住んでいる “よそ者” だったので
    「これも田舎の付き合いだ」 と、覚悟を決めていたようである。

    ガキの頃は、かあちゃんの苦労は 「大人は大変だな」 という
    他人事だったのだが、九州産の彼氏が出来ると
    その災いは私にも降りかかるようになってきた。
    この時に感じた怒りは、この温厚な私でも相当のものだった。

    うちに遊びに来て、茶を出しの酒を出しの飯を出しのさせられ
    で、会話は全部彼氏との内輪話で、私には入れない。

    自分の客や友人にしか、そういう事はしたくねえよ。
    うちに来るのなら、まず私と友人になれよ。
    うちは飯屋じゃねえんだよ!!!!!

    これを彼氏に言うと、「仲良くなるのには時間が掛かるだろ」 だ。
    じゃ、相手が心を開くまで、私はずっと給仕かよ?
    しかも相手は手ぶらで来て、何の努力もせず
    私を友人と “認めてくれる” まで?

    これ、私には耐えられない事だったんだが
    これをしないと、彼氏の友人たちには評判が悪くなるんだと。
    そういう見栄には付き合ってられないので
    よく彼氏とはケンカになっていた。

    ちなみにな、この彼氏の時の思い出で
    街中で彼氏と歩いてて、彼氏の同僚にバッタリ会ったんで
    挨拶をして、愛想良く隣でたたずんでたんだが
    相手の紹介も私の紹介もしないどころか、怒られたぞ。

    「女がでしゃばるな!
     他のヤツの彼女は、こういう場合
     知らん顔してどっかに行くぞ、気が利かない!」 だとさ。
    私の存在は会社では知られていたので、隠したいとかじゃない。
    世界が違う人種っているんだ! と、この時に知ったぜ。

    こういう極端な例の彼氏はひとりだけだが
    よくいたのが、“とりあえずは気を遣う” ヤツ。
    ジュースとかの土産を持ってきて、たまに話し掛けたりしてくれるが
    いかにも付け足しで、こっちは全然楽しくない。

    おまけに、しょっちゅう来る。
    そんでねずみ講方式に、友人の友人とか
    どんどんバラエティ豊かな集まり方になってくる。

    これもある意味行きつけの飲み屋って感じで、私は店員。
    頼むから、本当の飲み屋に行ってくれ。

    こういう事もあって、うちは彼氏の友人は出入り禁止にしたので
    彼氏友人の間ではすげえ評判が悪かったらしいが、知った事か。
    私の友人が来たら、彼氏はそこまで気を遣うのか?
    茶を出してくれるか? 飯を作ってくれるのか?

    こういうとこだけ、男女平等を唱えてるが
    自分の被る迷惑の前では、主義主張など海の藻屑だぜ。
    男尊女卑でいてほしかったら、それなりの行いをしてくれ。
    被害を受ける女性が多かったから、平等論が出るんじゃん。
    フェミニストにならないだけ、まだありがたいと思ってくれよ。

    彼女に尽くされているとこを見せびらかしたい、という
    若者の見栄で、結婚したらまた状況は違うのかも知れないが
    こういう支障があったのは、九州出身の彼氏とだけで
    それもほぼ全員がこれを望んでいたので
    地域による意識の違いというのは存在すると思う。

    東京にいた頃の彼氏の友人とは、友達付き合いができてたから
    よく一緒に遊んでたし、うちにも呼んでたけど
    同じ感覚で九州でそれをしたら、単なる彼氏の付属品扱いでしかなく
    それにムカつく私は、九州にはふさわしくないんだろう。

    どうも九州人は、タイプが真っ二つに分かれている気がする。
    男尊女卑をナチュラルに言動するヤツと、しないヤツ。
    尊側の男性がそれを主張するなど、尊に値しないと思う。

    こういう事を言ってる自体、私も傲慢なのかも知れないが
    九州から出ると、こういう事を微塵も感じずに済むのは何故だろう?

    都会は実に居心地が良い。

    関連記事: 08.9.4 九州のお付き合い