カテゴリー: 地域

  • 海外旅行のワナ

    夏休みに海外旅行に行く人も多いと思うが
    その旅の後に、普通に日本で一生暮らしていくのなら
    行ったらいけない場所というのがある、と激しく主張したい。

    それはインドあたり。

    私の脳内統計では、行ったヤツのほぼ5割が
    精神に何らかの影響を受けて戻るからである。
    雄大な自然とともに、本来の人間としての在り方に還るとか
    ガンジスの流れのように、すべてをありのまま受け入れて生きるとか
    途方もない事を大真面目に、周囲に押し付けて回りだして困るのだ。

    一体インドにどんな魔力があるのか
    恐ろしくて、あそこらへんには近寄りたくない。

    兄の友人が、ついうっかり会社をグシャッと潰してしもうたので
    どうしてるのか心配で、兄に様子を訊いたら
    ネパールに旅行をするという計画になっているそうで。

    ネパールと言えば、頭の悪い説明だとインドの上。
    会社を潰したら、もっと他にすべき事が山ほどあるだろうに
    何でまず最初にインドあたりに旅行なんだよ?

    その時に思ったのが、インドあたりが問題なんじゃなくて
    インドあたりに行きたがるヤツの神経が
    もう普段からあっち方面に傾いてるんかな、という事。
    その兄の友人は、割とフワフワしているヤツだからだ。
    だったらインドあたりも、そういうヤツらに押しかけられて大迷惑だよな。

    で、うちの兄もフランスに行ってたせいか、ちょっと奇妙なヤツなので
    HEY! BROTHER! おめえも一緒に行くんかYO!
    と、おそるおそる訊いてみたら
    何故にこの俺様がそんな辛い旅をせねばならんのか
    みたいな拒絶をやんわりと示していたので、安心した。
    ヨーロッパかぶれに悠久思想まで加わったら、家族はたまらんからな。

    聞くところによると、ネパールに行って
    ヒマラヤを “登れるだけ登る” というアバウトな目的で
    自分の息子も一緒に連れて行くらしい。

    思春期の男子をそんな場所に連れて行くなど、宗教の洗脳にも等しく
    もう、あそこの家系終った! と、その時に絶望したが
    後日談を聞いたら、息子は食い物合わずの下痢と高山病で苦しみ
    カルチャーショックもあり、もう2度と行かない! と怒っているそうで
    さすがイマドキの脆弱男児、よくやった!!! と嬉しかった。
    ニッポンの摩天楼に包まれて、ゆっくりマックでも食ってくれ。

    当の兄の友人本人には、何度目かの懲りずのインドあたり旅行の後に
    会ったんだが、案の定、以前にも増して脳畑に花が咲き乱れていた。

    「全人類の平和」「皆で一緒に幸せにならないと意味がない」
    などと目をキラキラ輝かせながら口走る、お約束通りの変調をきたしていて
    延々と熱苦しく語りかけてくれた。

    ずっと黙って大人しく聴いていたのに、いらん藪を突付きたいのか
    「どう思う?」 と、わざわざ意見を訊いてきたので
    真顔で 「うさんくさい」 と、一言だけ振り下ろしてあげた。
    周囲の兄の友人ズが、えらくウケていたので
    彼らも内心は迷惑しているんだな、とわかって安堵した。

    友達なら、注意してあげるのが友情だと思うのだが
    色々と事情もあって、そう強い事も言えないのだろう。
    えれえ年下の何もわかっていない “小娘” (← ここ自画自賛)
    なら、ちょっとぐらい、たわけた説教をしても怒りも湧きまい。
    何しろ、“何もわかっていないアホ” だからこそ、暴言を吐くのだから。

    と言う事で、その兄の友人には
    「いずれ僕の言ってる事がわかるようになるよ」 と、微笑まれた。
    これがオトナの漢 (と書いて “おとこ” と読む) の余裕だな。
    ・・・とことんバカ扱いされている気もせんでもないが・・・。

    しかしインドあたりは、まるで磁石だな。
    砂の中から砂鉄だけを吸い上げるように、それらしい人々を呼んでいる。
    そんでそのパワーを増幅させて、日本に帰す。
    何かがジワジワと侵略されているような気分になるぜ。

  • 近所の変異

    “地獄の変異” ではない、part2。
     ↑ このタイトルが、やたら気に入ってるように思われそうだが
       確かに、どことなく魅力があるんだな。
       映画の内容は、「ここですら書けないレベル」 と言えば
       それだけで瞬時に察してくれるだろうがな。

    ここんとこ、急に周囲で異変が起きている。
    ロコツに治安が悪くなったっちゅうか。

    いや、確かに以前から、車道の中央で見えない敵と口ゲンカをする勇者や
    叫びながら疾走する、ある意味真の自由人とかは出没していた。

    ところが、そういう “コト” が敷地内で起こるようになったら
    こっちにとっては大問題になってくる。
    いや、敷地外でも充分に問題なんだが。

    先日も書いたが、マンション専用のゴミ捨て場に
    エロ雑誌が捨てられるようになった。
    しかも毎回のゴミ収集日のたびに。

    どんだけ継続購読しとんのか、という突っ込みどころもあるが
    ひと昔前のエロ雑誌の立場は、お助けアイテムとして
    何年も部屋に積み上げられているものだったのに
    今は雑誌本体の記事よりも、おまけのDVDの方が需要が高くなり
    それを破り取った後の雑誌は、即ゴミ扱いかよ
    と、媒体の移り変わりを間近に目撃して
    過去を懐かしむような郷愁のような気持ちがこみ上げてくるのだ。

    こんな私の走馬灯はどうでもいい。
    問題はエロ雑誌を、くくりもせず破りもせず包みもせず
    丸のままボーンと捨ててある、その開放感にある。

    エロは恥じらいじゃなかったんかい!
    隠せば隠すほど濃度が増すのが、和風エロじゃないんかい!

    いや、何でこういちいち脱線するのか、そういう事でもなくって要するに
    朝っぱらから他人に、剥き出しの性欲を見せ付けられるのは
    コートの下は真っ裸的露出性癖と同様に、とても不愉快なのだ。

    住人の半数は女性なので、そういう事には気を遣うべきだろうて
    それをしないというのは、あえてのワザと? とすら勘ぐってしまう。
    もしかして、うちのマンションに変質者が・・・? という恐怖だ。

    考えすぎかも知れないが、とりあえず戸締りを厳重にするようにして
    万が一の時は天命だと思えるように心の準備をした方が
    未練なくさっさと成仏できて得策だ、と前向きな人生設計をしていたら
    今度は夜、歌声が聴こえるようになった。
    それも夜12時ぐらいに!
    何を歌っとんのかまでは認識できんが、J-POP調の歌だと思う。

    コトが起きてる最中に動くと、ターゲットにされそうで恐いので
    ベランダに出て、周囲の確認作業などはできないが
    部屋の中で座って、いつもの妙な映画を観てても聴こえるほどの声量。
    耳を澄ませてチェックしまくったが
    どうやら、うちに隣接した部屋からではないようだ。
    それで聴こえるとは、実際どんだけの大声で歌っとんのか。
    ここはアルプスの山脈じゃねえ!
    てか、そんな大音量、雪山でも雪崩が起きるぞ!!
    音響爆弾かっつの!!!

    歌声は男性で時間帯も時間帯なので、とっさにあのエロ本を思い出し
    もしかして、これ、絶頂時の絶叫じゃないだろうな
    という、非常にイヤな想像までしてしまった自分の黒さにも嫌気が刺す。

    ボーボーが越して来た後、住人の入れ替わりはないはずなので
    何でもかんでもボーボーのせいにするのも何なんだが
    期間的に考えても、ボーボー犯行説が有力だと思う。

    おいおい大丈夫かよ、と心配にはなるが、実際にどうこうは出来ない。
    と言うか正直に言うと、恐くて関わりたくない。

    このホラー好きの私がビビり上がっている。
    壊れていく住人が近くにいるって、こんなに恐怖なんか・・・。

  • 熊本のアピール法

    関西に来た当時は、さすが食い倒れの街だから
    飯屋や惣菜が美味いのは予想がついたが
    ファミレスやコンビニ飯まで、(よそと比べて) 美味いのには驚いた。
    しかし流通網が発展しているはずなのに
    肉や野菜などの素材が不味いのには、とても違和感がある。
    この素材をカバーするための味付けの進歩なのか?

    熊本で売られている野菜は、たとえ長野あたりから来てても美味い。
    なのに何故、飯屋は壊滅的に不味いんだろう?

    というとこまでは、どっかで書いた記憶がある。
    この意見は変わってないのだが、熊本に対するイラ立ちが募っている。

    安物食いの私は、スイカが好物なのだが
    関西で売られているスイカは鳥取産が多く
    それを食べて以来、こっちではスイカを買わなくなった。

    だがここ1~2年、初夏だけ熊本産のスイカが売られるようになった。
    “熊本産” で売られているが、これは植木のスイカである。 植木町。
    ムダにデカいし瑞々しさが少ないけど、甘みが他とは違うんだよ。

    熊本産が売られ始めてから、消費者の行動をチェックしてきたが
    よそ産だと売れ残るが、熊本産だと見事に売り切れる。
    (注: 私が行ってるスーパー数店のみのデータである)
    美味いものに敏感な関西人のお気にも召したようである。

    そりゃそうだろ!
    メロン嫌いのスイカ好きの私が、これ以上に美味いスイカはない!
    と認めている (何者だよ?) 植木のスイカだぞ。
    関西は何でこれに目を付けなかったのか
    てか、熊本、やる気あんのか?

    どこぞの1個1万円の高級フルーツとかじゃなく
    そこいらでフツーに投げ売ってる果物で、極うまなのって滅多にないぞ。
    何でこれをあちこちに宣伝して回らないんだよ?

    常々思っていたけど、観光やる気なし、地域おこしやる気なし
    飲食店はやる気はあるけど、根本的な問題 (味付け) が、だし
    熊本って一体何に頑張ってるんだよ? ぼした祭か?

    官民ともに地場産業優遇の結束力があるんで
    どっから収入が入ってくるかわからんが、そんな裕福な県でもないと思う。
    そろそろ外に向けて、熊本の利点をアピールした方が良いと、老婆心。

    植木のスイカは関西人の心に入り込めた。(と思う)
    そこで更なる第2弾に、すげえ変化球があるんだよ。

    それは・・・・・河内のみかん!!!

    みかんは近所に愛媛、関西のお膝元に和歌山がある。
    関西人に和歌山みかん不味い、っちゅうと、えれえ怒るんで言えないほど。
    でもよく考えてみい、熊本のスーパーじゃ
    愛媛や和歌山のみかんは売れ残っていただろ
    皆、河内みかんを買う。

    その味覚、大正解だと思うぞ。
    愛媛や和歌山のは、高級なんを貰って食ってみたが
    確かに甘いけど酸味が強いし、何より小粒で食いにくいんだ。

    大きいものが好きなんかわからん熊本人の作る
    一粒一粒がデカくて、皮もペロッとすぐ向けて
    酸味のないド直球の甘いあのみかん、絶対に狙い目だと思う。

    関西の人々は、「そんなみかんがあるわけがない」 と言うんで
    現物を配りたいが、関西では1度も河内みかんを見かけた事がない。
    親族に頼むと、おまえは関西で何をやっとんのじゃ、という話になり
    そんな必ず蛇のいるヤブを突付くような危険は冒したくない。

    大丈夫! 絶対に河内みかんは全国の支持を得られるから
    関西で買えるようにしてくれ。
    いや、自分が食いたいだけじゃないって。

    関連記事: 09.3.10 熊本 河内みかん 
     
     
     ↓ 熊本の果物屋さん
     
    まぼろしの果実.comヤフー店

  • 気温

    天気予報で予想気温も言うが
    「で、その温度は暑いんかい、寒いんかい」 と、いつも思う。

    今、ヒーターの温度は13度だ。
    節約のために設定をLOWにしてるせいだが、ちょっと寒い。
    という事は、13度は寒い部類なんだな?
    にしても、この13度ってのは、部屋のどこの気温なんだろう。

    天気予報の気温も、どこのどの高さの位置で計るんだ?
    同じ場所でも、地面に近い方が気温が高いと思うんだが。

    こういう事を毎回、繰り返し考えているので
    我が人生の疑問箱の結構な比重を占めているんかも知れんが
    調べる意欲が起きるほどの内容でもないので、無知のまま
    天気予報の度に 「で、それは暑いんかい、寒いんかい」 と思う。
    一体何度が人体にとっての適温なんだろう?

    と言うか、体感温度って人によってかなりの差があると思う。
    太っている人は暑がり、とか言われるが
    脂肪というのは、保温性に優れているのだそうだ。
    言わば魔法ビンのような体質で
    冷えにくいが、冷えたら温まりにくいらしい。

    それでも脂肪がないガリ体型よりは寒さに強いそうだが
    一番冷えにくいのは、燃焼できる筋肉なんだと。
    筋肉、どこにいってもVIP評価だよな。

    体型もそうだが、私的には人種でも耐寒度が違うと思う。
    映画を観ていると、登場人物の服装から
    その場所の気温が判断できなくなる事が多い。

    道端に雪が積み重なってる時の気温というのが
    南国育ちの私には想像ができないのだが、かなり寒いんじゃなかろうか?
    (いや、雪が積もる地方で生まれ育ったが、何日も雪は残らなかったし
     何よりガキの時って、体内温度計が狂ってたとしか思えん。)
    雪が積もってるのに、セーター1枚で外出とかありえるんか?

    同じ人間で、そこまで感覚が違うのもおかしい話のようなので
    映画の演出上かな、と思っていた。

    しかしアメリカ人霊能者が来日して、東北のどっかで透視をしている時に
    雪が積もっているのに、スウェットのカーディガン姿で
    それでも、単に旅先に合う服を持ってきてないんかと
    己の予想を打ち消していたんだが
    この前の大統領予備選で、投票所に並んでいる人々の中に
    半そでTシャツ姿が2人いて
    「ほら見たことかーーーーーーー!!!」 と、確信した。

    アメリカの北の中央から東にかけては、冬がえらい寒いようで
    ニューヨークではマイナス20度とか言ってて
    一般家庭の冷凍庫より寒くないかあ?
    何でそういうとこに大都市ができるんだか
    緯度を見ても、日本で言えば青森ぐらいなのに
    何か日本とはケタが違う寒さっぽいのは何でなんだか

    と、いつもいつも不思議でしょうがなかったけれど
    “アメリカ人は耐寒機能に優れている” という理由なら
    全部説明がつくと思うんだが、これは間違いなんか?

    ちなみに私は人より耐寒性が劣っているようで
    関西の人々の薄着には、ほとほと困っている。

    熊本では車移動で、ドア to ドアだったので
    まだ薄着に耐えられたが (それでも寒かったぞ)
    関西での駅のホームの風など、ヒャダルコに思えてしょうがねえ。

    いや、マジックバリアを唱えても効かないので、かがやく息かも。
    とか、つまらん妄想をしてねえと、やっとられんわ!!!

  • させてもらう

    たとえば、誰かがいい服を着てたとする。
    大多数の人は 「どこで買ったのか」 と聞くよな。
    でも関西人は、「いくらだったのか」 と聞いてくるのだ。

    このように、関西以外の人の関西人に対するイメージは
    “がめつい”“あつかましい” であろう。

    当然、私もそう思っていたのだが、実際に関西で暮らしてみると
    ちょっと違うんじゃないか? という面も多い。

    私は関西弁の正しい表記ができないので、相手が関西弁で喋ってても
    ここでは全部、標準語 (そうかあ?) で書き換えている。
    日常の会話でも、不思議な事に脳内では
    関西弁 → 標準語 → 九州弁 と、変換してるようだ。

    英語を喋れる人は、脳内で日本語に変換せず、そのまま英語で考える
    という話を聞いた事があるので、これが本当なら
    私は関西弁も英語も、一生話せないだろう。

    そういう事はどうでもいい。
    私が関西に来て、一番驚いた言い回しが 「させてもらう」 だった。
    最初に聞いた時は、何て謙虚な人なんだろう、と
    その人個人の人格だと判断したのだが
    どうやら関西人には、この言い回しが普通みたいなのだ。

    店屋での、店員さんとお客の会話で
    「この前、寄せさせてもらった時に」
    TVで視聴者相談の会話で
    「相手に何度も (クレームの) 電話をさせてもらったんだけど」

    など、それ “させてもらう” と言うかあ?
    自分で勝手にしてるんじゃん、というような場面でもよく聞く。
    何かものすごく違和感があって、普通なら聞き流すところを
    いちいちピクッとくるので、よく覚えているのだ。

    もうひとつ驚いたのが、“よばれる”。
    飲食物を飲み食いする時に、よく使われている。
    「これ、もう1個よばれていい?」 みたいに。

    この “よばれる” は、私の今までの生活圏では
    家に招待されたのを 「お呼ばれした」 といった具合に
    “招かれる” という意味でしか使われなかったので
    関西弁の場合に、果たして “呼ばれる” という漢字を
    あてはめていいんかすら、わからない。

    さすがに割り勘の食事で、この言葉を聞いた時には
    「自分で払うんだから、好き勝手に食えば?」 と内心思ったんだが
    実に丁寧で謙虚な言い回しである事には変わりはない。

    どっちの言葉も、私にとっては馴染まない言い回しなのだが
    意味は何となくわかるので、表面的にはサラッと流しているけど
    脳内では、ものすごく引っ掛かるものがある。

    ずうずうしいと言われる関西人なのに
    この謙虚な方言はどうしてなんだろう? と、すげえ疑問。

    もしかして、「良いよね? 許可を出したよね?」 みたいな
    いざという時の責任逃れの意味もあるんか? と、邪推するが
    そういう気配もないので、純粋に謙譲語のような気がする。

    関西人って、もしかしてものすごく謙虚な面があるのかも、と
    それを見習おうとして、「ごちそうさま、おいしかったわあ」
    と、うちに来た客に言われた時に、「お粗末さまでした」 と応えたら
    「何? それイヤミ?」 と言われてしまった。

    うちの母親は、客の 「ごちそうさま」 に、こう応えていたのだ。
    料理を出した側が、「御馳走さま」 と言うのはおかしいだろ?

    本当は 「お粗末さまでした」 の後に
    「何のおもてなしもできませんで」 と続くのだが
    正直そこまでは面倒くさかったので、はしょったんだが
    それがまずかったんか、この言い回し自体が局地的なものなのか
    私が使いどころを勘違いしてるんかは、定かではない。

    とにかく、関西では言わないんだと。
    これに順ずる言い回しも思い当たらないと言われた。
    方言は謙虚な関西人なのに? うーん・・・・・?

  • 最近の近所の犯罪風景

    関西に来てしばらくのウブ (!) な頃は
    「夜は絶対に出掛けない!」 と、心に決めていたが
    日光に目が弱くなったので
    最近は夜の外出もやむなし、となってしまった。

    一応、防犯ブザーをバッグに下げたが
    これって、実際はいまいち役に立たない気がするんで
    「防犯してますよ」 というアピールのつもりでいる。

    うちの近所は、過去ブログにも書いたが、実に個性豊かな人々が多く
    一見、閑静な住宅地なのに何で??? と、不思議だが
    相変わらず、叫ぶ人々 (個別) は徘徊してるは
    包丁を振り回すオヤジは出没するは、コンビニ強盗は入るは
    夕べもずっと外で、妙にカン高い声の女性が
    全部半音下げて! みたいな陰気臭い音階の曲を歌っていて
    それが延々で、確認したいけど恐くて窓から顔を出せない状況だった。

    こんぐらいは、関西ではごく自然な日常の風景なのだが
    とうとう友人が痴漢に遭った。
    もちろん、私んちから100mも離れてない場所で。

    その痴漢行為は、下半身裸で車に乗っていて
    女性に自慰行為を見せるという、ごくノーマルタイプなのだが
    何より私たちを萎えさせたのは
    40代独身、でも高級車、という痴漢男のプロフィールと
    その被害に遭ったのが、平日の朝10時という爽やかな時間帯。

    おめえ、もっと他に優先すべき事柄があるはずなのに
    朝っぱらから何をやってんだよ! と怒る気力もそがれるっちゅうか。

    悲鳴とともに逃げて、物陰からその車をチェックした友人は
    (いかにもか弱い雰囲気の女性なのに、ここらへんが関西人の強さ)
    すぐさま警察に通報をした。

    こっからが彼女の本当の受難だった。
    いつもは通らない道を通るほどの用事があったのに
    事情聴取で2時間以上拘束され
    彼女の詳細な目撃情報のお陰で、数日後に容疑者が捕まり
    面通しとやらで呼び出され (マジックミラーもやったんだと!)
    その後も何度も呼び出しをくらい、膨大な量の書類にサインさせられ。

    何よりイヤだったのが事情聴取だった・・・。と彼女は語る。
    「男性のアソコを何と言うんですか?」 と
    男性警察官に聞かれた時には、耳を疑ったそうだ。

    何故そんな事を言わなきゃならないのかと拒否したら
    報告書?に、彼女が言った通りに詳しく書かなければならないからで
    他にも自慰行為や勃起の “表現”“様子” を
    それはそれは念入りに何度も言わされ
    「それの方がセクハラだったわ」 と嘆く彼女を見て
    いわゆるこれが “セカンドレイプ” ちゅうやつだな、と理解した。
    こんなんじゃ、少々の被害も重大な被害も届け出たくなくなるわな。

    「車の中で男が、BigになったMySonを出して
     摩擦で発火しそうな勢いで、激しいラテン系センズリをこいてた。」
    とか言うと、この被害者女性はどうやらビッチのようだから
    大した精神的痛手は受けてはいないだろう、とか思われそうなので
    ここはやはり、シロウトぶって (いや、マジでプロじゃないし)
    「車の中で男性が、下半身裸で勃起した男性器を露出して
     見たくもない自慰行為を見せ付けられた。」
    としか言えないだろう。

    途中までは、彼女の武勇伝として楽しく聞いていたが
    詳細を聞くにつれ、だんだんこっちも落ち込んできて
    最後は二人で心の底から、「イヤ目に遭った」 という気分になり
    暗ーーーい雰囲気で茶会が終わってしもうた。

    風貌の詳細から車種からナンバーから
    名前も住所も教えてくれたのは
    どうせ大した罪にはならず、すぐ世間をウロつきそうなそいつが
    うちの近所在住だったからだ・・・。

    せっかくの忠告を、これまた聞いた直後に忘れてしまった私は
    とにかく、あらゆる40代男性とあらゆる車には近付かない
    という、えれえ大ザッパな自衛しかできなくなるハメに。

    しつこく聞き直したら、私もセクハラと同じだしなあ・・・。

  • 速度の地域性

    “マイペースでおっとりしている”
    これが私の九州での評価だった。

    「あーもう、いいから貸しなさい!」 と
    親族や友人知人たちは、こまごまと世話を焼いてくれた。
    見てるとイライラするのだそうだ。

    ところが関西に来てからは、よく関西人に
    「いらちやなあ」 と言われる。
    関西弁で “せっかち” という意味だそうだ。

    このまったく逆の評価に、もんのすげえ驚いたのだが
    確かに関西人のする事を見ていると
    段取りは悪いは、いい加減だは、ほんとイライラする。
    九州の私の周囲の人間の気持ちがよくわかったぜ。

    (ついでに文句を言うが、てめえがモタモタしてるくせに
     人の性質にイチャモンとは、どういうこったい!)

    じゃ、東京ではどうだったかと思い出すけど
    こういう話題はまったく出なかった、としか記憶にない。
    イライラしもされもしなかった。

    歩く早さが一番早いのは、東京だった。
    九州と関西は、そう変わらない。
    (ちなみに、日本で一番歩く速度が早いのは名古屋だと聞いた)
    作業の早さで言えば、九州 > 東京 > 関西 だと思う。

    今、近所で家の建築をやってて
    それを見てても、関西、すんげえトロいんだよなあ。

    仕事がないから、ゆっくりやってる可能性はあるが
    (事務所待機よりは、ひとつの現場を引っ張る方がまだ良い)
    釘打ち機の音を聞いてても、プロにしては遅いし
    多分、あれが彼らのペースなんだろうと思う。

    もちろん例外なヤツもいるんで
    これは私の周囲だけの話かも、と思っていたが
    「関西、イライラするでしょう?」 と、いきなり言われた事がある。

    あまり私をよく知らない人なのに、何故そう思うのか訊ねたら
    九州女性はチャキチャキしてるんだと。
    その人も九州出身で、そういう実感があると言っていた。

    私が九州ではトロい範囲だとしても、関西人よりは早いペースで
    九州 > 東京、私 > 関西 という図式なんだろう
    と、説明してくれ、何か納得させられた。

    しかし、この速度の違いは何なんだろう。
    一般的には、田舎ほどのんびりしているイメージがある。
    しかも南国って、働かないラテン系って感じだろ?

    ( ↑ これ、偏見だと非難されるかも知れんけど
     Wiiのワールド多数決投票みたいなんで
     「頭を使うのと、体を使うの、どっちが得意?」
     という質問があって、結果は 「頭を使うのが得意」
     が多数だったんだよ。
     
     ま、Wiiを買うようなヤツらの投票だし、と思ったが
     その国別ランキングを見たら、そりゃもうビックリ。
     
     見事にGNPの低そうなラテン系国が
     「頭を使うのが得意」 の上位を占めてるんだぜー!

     ウソつけ! と思ったんだが
     絶対に、あいつら単に動きたくねえのを
     「俺、頭を使うのが得意」 と思い込んでるだけだぞ。
     “Wiiを買う” を加味しても、あの結果は無理がある。)

    ( ↑ これも充分な偏見だろうが
     真昼間っから踊り狂ってるような国には
     何の文句も言われたくはねえな!)

    ( ↑ ああもう、上塗りの上塗り・・・)

    この、日本で言えば南国、な九州人がせっかちって説の
    結論は出てないけど、何となく九州女性に関しては
    “九州男児” を作り上げた素質によるもののように思う。

    九州を離れて思うようになったのは
    あの九州男児の、無意味な見栄張りと過剰な威張りは
    九州女性が増長させてるような気がする、って事。

    ・・・・・・・ああ!!!!!

    関西では気楽に生きていける、と思っていたのは
    関西のこのゆっくりのペースが、私を癒してたんだろう。
    ああーーーーーー、なるほどーーーーー!
    それにイラつくなど、本末転倒な話だよな。

    せかすより合わせた方が、自分にとって良い
    というのだけは、これを書いててわかったよ。
    すげえ収穫だ、ありがたや。
    こういう事があるから、自分語りはやめられん。 ほほほ

  • 台風の恐怖

    台風のメッカである九州でも
    直撃なのに、被害に遭う地域と遭わない地域がある。
    遭うとこは、毎回ひどい被害が出るんだ。

    大した被害が出ない地域の人々は
    そりゃ、風雨の強さには困惑するけど
    TVでニュースを観て、「ほおおおおお、すんげーーー」
    と、それが自分の住む地域の話とは思えず
    まるで、台風に縁がない地方の人々と同じような感覚である。
    風が吹き荒れた後の、ゴミだのの散乱の掃除は大変だが。

    そんなノンキな台風ライフを送っていた私も
    何度か、恐怖のド真ん中に突き落とされた経験がある。

    暴風で、サッシのガラスがビビビビビビと絶えず鳴くんだ。
    時々ミシッミシッとガラスがたわむのが、目に見えてわかり
    「!!! 割れる???」 と、そりゃあもう恐ろしい。

    これが割れたら、爆風と共に破片が部屋中に飛び
    それでも根性を出して、反対側の窓を開けて
    吹き込んでくる暴風を逃がさないと、屋根が持っていかれる。

    こうなったら最後、家中、暴動民衆が土足で走り去った後みたいな
    状態になるが、それでも屋根がなくなるよりはマシだろうな。

    窓ガラスが割れる一番の原因は、飛んでくる瓦。
    あの重い瓦が飛ぶんだぞ。 落ちるんじゃない。
    まるで秋の風に舞う枯れ葉のように、空をビュウビュウ飛ぶんだ。
    瓦が!!!!!

    初めて見た時は、紙かと思ったよ。
    ツバメのように大きく縦ターンしながら
    2階建ての家より高い空中を、何枚何十枚もの瓦が飛ぶ様は
    今でもそれを目撃した時の衝撃とともに、はっきり覚えている。
    あれを見たら最後、台風 = 恐い って脳裏に刻み込まれるさ。

    その飛んだ瓦は、各家々の窓ガラスや屋根や壁を破壊し
    木々を裂き、車庫をブチ抜き、車にボコボコ突き刺さる。
    ごっつい手裏剣のようである。
    戦争中はこれが焼夷弾とかで、もっと激しい恐怖だったんだろうな。

    普通の家の瓦は、組み合わせ式だけど
    台風通過地域の家は、ビス留めの瓦じゃないとダメ!
    それでも他家の瓦が飛んできて、自分ちのビス留め瓦を
    割ってくれたら、そっから風で巻き上げられる可能性もある。

    一軒家に住んでいた時、そこの地域で風速40m/hってのに遭った。
    これがどれだけ凄いかっちゅうと、家が揺れるのだ。

    ゴゴゴッ ビリビリ パシッ メキメキ
    と、普段耳にしないあらゆる不気味な音が、家のあちこちから鳴り
    震度4の横揺れ地震と同じぐらいの強さの揺れが、何時間も続く。

    何かもう、この世の終わりな恐怖で、気が狂いそうになるが
    脳内では被害額の心配とかをしている。
    大事なものをまとめておくべきだろうが
    もう、そういう建設的な余裕がないのだ。 動くのすら恐い。
    窓から離して敷いた布団をかぶって、震えつつ祈るだけ。

    悪い事に、台風が来るのは夏。
    当然そういう状況では停電をしていて、エアコンも扇風機も点かない。
    窓も開けられず、蒸し風呂のような室内で恐怖と闘う。

    冷蔵庫も止まっているので、食料が腐るのを防ぐために
    冷気を逃さないよう、開け閉め厳禁。
    冷たいものも飲み食いできない。
    ヘタすると、断水にもなる。
    ガスも都市ガスだと止まる場合がある。

    台風が通り過ぎても安心は出来ない。
    吹き返しってのがあるからだ。
    この風の方向で、台風がどこにいるかが判断できる。
    東風だったのが、今度は西風?
    時間差で全方位攻撃かよ! って感じ。

    渦中に外に出ようとすると、道にたどり着く前にまず
    玄関ドアが風で持っていかれるので
    すべてが終わってからでないと、外には1歩も出られない。

    台風が通り過ぎた後の街並みは、まるでゴーストタウン。
    ガラスや瓦の破片や、家の壁、トイなどのあらゆる部品
    破壊された車、水に浸かった車、標識、街路樹、ゴミ、電線
    これらがいたるところに散乱しているし
    電柱は見渡す限り、全部斜めに傾いている。

    コンビニは商品が根こそぎ欠品。
    停電や断水はすぐには回復しないし
    頼るべきは我が家の備蓄である。

    しかし床上浸水されたら、これらも使用不能にされる。
    浸水された家ってのは、床中に増えるワカメを巻かれた感じになる。
    どんだけ悲しいだろう、と思う。

    台風地域の人々は、毎年毎年この恐怖の再来の可能性があるわけだ。
    もう、うんざりだよな。

    私は今、関西にいるが、関西人にこの話をしても
    「まさかー」 と、疑われる。
    台風が来ないだけでも幸せだと思うよ。
    (関西の台風? ありゃ単なる強風だよ。)

    でも、地震、洪水、大雪、地すべりなど、自然災害は日本中で起きる。
    台風の恐怖はわからなくても、被害に遭った人々の悲しみは共通だ。

    何があるともわからないんだから、備蓄、しとこうね。

  • “ちょう” と “まち”

    “町” を何と読むかである。

    関西にきて、タクシーに乗って
    「○○まちまでお願いします。」
    「○○まち・・・? ああ、○○ちょうですね。」
    という事が結構ある。

    ザツな私としては、“まち” でも “ちょう” でも
    どっちでも構わんので、気にしてなかったが
    関西人の友人知人には、「田舎者」 との評価を得ていた。

    本当に田舎者なので、それでも一向に構わんのだが
    東京にも御徒町 (おかちまち) ってあるじゃん
    と、釈然としない感が残っていた。

    ある日ふと観たTV番組で
    「“まち” と “ちょう” の区別は?」 の答が
    「“まち” は武士が多い場所で
     “ちょう” は一般民衆が多い場所」 だった。

    私が町を 「まち」 と読んでしまうのは
    熊本ではそういう読み方がほとんどだからである。
    ローカルニュースでも、「○○まち」 と読んでいるので
    これは断じて、私のいつもの勘違いではない。

    だからこのTV番組のクイズの答には、実に納得させられた。
    熊本って軍事都市だから、武士も多かったかも知れん。
    京町 (きょうまち)、健軍町 (けんぐんまち) など
    実にそれっぽい地名だし、“城” が付く地名も多い。
    私の田舎者のせいじゃないわけだ。 ほーっほっほっほ

    それでも何となく、モヤモヤが残る。
    いや、何が何でも自分が田舎者だと証明したいわけではない。
    というか、“田舎者” は割に不名誉な称号じゃん。

    私がモヤモヤしてるのは
    熊本に、花畑町 (はなばたちょう) という地名があって
    そこは熊本城のすぐ横の町で、いかにも武士がいそうな場所なのだ。
    現に加藤清正の像もそこに建ってるし。

    花畑町が “ちょう” なら、何であそこは “まち” なんだよ?
    みたいな “まち” が、ごろごろある。
    その現実を見ると、何かあのクイズの答は違うような気がする。

    そこで、すんげえ面倒くせえがネットで検索してみた。
    これがまた、関係ないサイトがボロボロ出てきて
    肝心の知りたい事がまったくヒットしない。

    私の検索の仕方がドヘタなのはわかってはいるが
    TVのクイズの答を裏付ける記事など、1個も見つからない。
    (私のこのブログも、同じ疑問を持ったヤツの邪魔になるわけね
     と思いつつ、書いている。 真剣に調べてるヤツ、すまん。)

    で、短気な私がやっと見つけた地名に関するサイトによると
    全般的な、“町、村” の呼び方の傾向は
    東日本は “まち、むら”、西日本は “ちょう、そん” なんだと。
    東海から東か西かで分かれるらしい。

    でも、東日本に属する岩手では “ちょう” が多く
    西日本の福岡、熊本、大分では、“まち” が過半数を占めていて
    結局は、それぞれの地方の行政の指導方針の違いじゃないか? だとさ。

    何かもう、「人それぞれ」 みたいな結果で
    全然すっきりしないんだが、これが真実っぽい。

    廃藩置県とか終戦処理の時とかに、土地を整理整備する際に
    決める人の感性によって決まっちゃった、というのが
    一番、現実味があるような気がする。

    とりあえず関西にいる限りは
    “町” を “ちょう” と呼ぶように努力するよ。

  • 老後は田舎で?

    団塊の世代が退職後、田舎に居を構えて
    のんびりスローライフ みたいな話をよく聞く。

    勝手にどこへでも行ってくれよ、と思うが
    何故、男性は年を取ると田舎に引っ込みたがるのか?
    その “田舎” というのは、どの程度の田舎を想定してるのか?

    引っ越す前に、参考になる話をしてあげよう。
    真の田舎者の私の話を聞いて決めるべき!

    まず、「年を取ると田舎でのんびり」
    はああああああああああああああああああああああっっっ?

    田舎はな、地域のくだらん行事がものすごく多いんだよ。
    それもこれも、他に娯楽がないから
    とりあえずの理由付けをしては、呑みに集まりたがる。

    狭い地域社会というのは、人間関係の “和” が最重要なので
    大前提が、「よそがするからうちもする」 で
    個人の都合が二の次三の次になってしまう。

    しかも決まって酒豪。 大酒呑み = 男らしい。
    老後の健康管理必須の体で、これに付き合えるか?

    この近所付き合いで一番大変なのが奥さん。
    宴会の最中、ずっと台所で炊事だ。
    冠婚葬祭でも炊き出し、町内掃除でも炊き出し、稲刈りでも炊き出し。

    その際には、いない人の噂や悪口も標準装備で、精神的にも疲れる。
    何せ、“プライバシー” という単語はないので
    隣近所の家庭事情など、細部まで瞬時に知れ渡る。
    他人との距離感がない田舎者は、付き合いも濃い濃い。

    田舎者が純朴など、ほんと幻想だぞ。
    田舎人は金儲けに無知なので、都会的詐欺に掛かりやすいだけ。
    痴漢やセクハラなど平気でするし、窃盗も多い。

    なのに、家に鍵を掛けると、拒絶と解釈される。
    田舎人はいついかなる時でも
    ノンストップで、他人の家の居間にズカズカ入り込み
    気が済むまで、飲み食いしてくつろぐ権利を主張する。
    (たとえ、その家の人が不在でも)

    人は人、自分は自分、という感覚がないので
    ねたみやひがみが激しい。
    自分が知らない事できない事は、悪認定の全面否定なのだ。

    都会で個人情報保護法に守られてきた身に
    この連帯感と濃密さが耐えられるか?

    そして、田舎は空気がいいというのは嘘である。
    農薬散布、野焼きは産業柄、まだしょうがないが
    常識のない庭先のゴミ焼きなども、日常茶飯事。
    目が痛くなる黒い煙で、洗濯物も干せない事が多いぞ。
    (当の本人たちは、自分とこの洗濯物を干した横で平気で焼く)
    車がないと移動できないので、排気ガスも普通に蔓延している。

    この交通手段のなさも大きなネック。
    田舎者ほど運動不足だと断言できる。
    歩いて行ける距離に主要施設がないのだから、車は必需品で
    どこへ行くにも、DOOR TO DOOR になる。

    という事は、老後の頼りどころの医療施設も近所にないわけで
    田舎は大抵、深刻な医者不足になっている。
    具合が悪いのに、通院に往復何時間も掛けられるか?

    奥さんは普段の買い物はどうするのか?
    田舎の店など、古い物を定価販売が普通で
    ジュースとかは、“冷やし代” を取るところもある。
    中には、客を見て値段が変動する場合もある。

    田舎が物価が安いというのも嘘で
    野菜なども売れる出来なら、出荷する。
    お裾分けはクズ野菜なのだ。

    しかし、遠くのスーパーに行くのは非難の的になる。
    「○○さんとこで買ってあげないなんて薄情」 だ。
    こういう相互助け合いの精神が、商売努力を妨げるのに。

    ネットショッピングや通販も、近所にダダ漏れだぜ。
    食い物なら、お裾分けをタカリに来られるし
    衣料品化粧品なら、「気取って」「ムダ遣いして」
    と、わけわからん陰口を叩かれる。

    田舎は何かしようとすると、余分にお金が出て行くのだ。
    例: ネットを引こうものなら、ありえんレベルの工事
       持ってた携帯が繋がらず、キャリア変更
       競合店がないための殿様商売でぼったくり 等

    ド田舎で生まれ育った私には、田舎の良さがまったくわからない。
    こんなとこが良いとは、到底思えんだろう?
    どこの外国の話だという内容だが、立派に日本国内の話である。
    私の言ってる事が誇張だと疑うなら、ド田舎出身のヤツに聞いてみいよ。

    メルヘンドリームを抱いて田舎ライフを始めたはいいが
    後悔しまくってる人が、8割はいると予想するぜ。
    自然の前に人工 (まさに “人”!) に挫折するはず。

    また、田舎の原住民たちも、外から入ってきて
    それまでの地域の習慣に馴染めず
    マイペースを貫こうとする外来種には迷惑しているであろう。
    保守派と革新派の争いみたいなトラブルも多いんじゃないか?

    だから、田舎に移住というのなら
    その都道府県の県庁所在地、もっと田舎でもせいぜい
    市役所近辺の繁華街のマンションぐらいにしとくのを勧める。

    地方財政や人口分散を考えるのなら
    団塊世代用都市を田舎に造るのが、最善の策だと思う。
    医療施設や買い物施設が完備された住宅地の周囲を
    森林や、プチ菜園が出来る畑で囲む。

    似た境遇の、付かず離れずの適度な人間関係が可能で
    そこそこ便利のいい生活に、目の前には自然が広がる。
    日課は散歩がてら畑まで歩き、ゆったり園芸。

    こういうのが、“老後は田舎” ドリームの真髄じゃないか?
    町造りで土木建設業も儲かるし、税収等で地方自治体も潤うぞ。

    都会人は田舎暮らしに夢と希望を抱くけど
    田舎人は選択肢なしの強制生活で、そこからして違う。
    (強制じゃないというが、田舎人はDNAに
     “先祖代々の土地” が刻み込まれているので、ある意味洗脳)

    こういう風に、まったく性質の違う都会人と田舎人を
    やたらに一緒の区画に詰め込むのは、デンジャラスだぜ。

    私は “大” 都市圏内から出る生活は、金輪際したくねえがな。