周囲の人々に助けられて、何事もなく日々が過ぎ
一時期の超多忙ぶりも落ち着いたある日
お茶を運んできたデイジーが、神妙な面持ちで訊いてきた。
「あの・・・、ご相談があるんですけど・・・
お話できる時間は、ありますでしょうか?」
そういや、ここ数日ソワソワしたり、沈み込んでいたり
何かと彼女の様子がおかしかった。
「ええ、もちろんー。
さ、そこに座ってー。
あなたも一緒にお茶を飲みましょうー。」
アッシュがポットを取ると、デイジーが慌てた。
「いえ、そんな、とんでもない。」
「いいから、いいからー。」
アッシュがお茶をカップに注ごうとしたら
ポットの蓋が外れ落ちて、カップを直撃して割ってしまった。
「だからーーーっ!」
デイジーの叫びを聞き、あ、畏れ多いって事じゃなく、“だから” なのね
と、アッシュはご主人様ぶった自分を恥じた。
デイジーが “きちん” と淹れてくれたお茶を飲みながら
アッシュは混乱していた。
デイジーはソファーには座らず
自分の真横に両膝を付いて、話そうとしているのである。
尊敬されてんだか、遊ばれてんだか、一体どっちなんだろう?
そんなどうでもいい混乱は、デイジーの話でふっ飛んだ。
「あたし、少しでも主様のお役に立ちたくて、ずっと調べていたんです。」
こういう事を言うヤツの行動が大抵ロクでもないのは、歴史が証明している。
ドキドキしながら続きを聞く。
「反乱者グループの事を。」
その単語に、アッシュはティーカップを落としそうなぐらいに驚いたが
その動揺を何とか最小限に押しとどめて、素早くすり替えた。
館内を把握し管理しているはずの “主様” に
知らない事があってはならないからだ。
「調べるって、あなた、そんな危険な事をー!」
いかにもデイジー本人の事を心配するそぶりをする。
「でも、主様、お命を狙われたじゃないですか!
それだけでも心配なのに、あの事件以来、更にお忙しくなられて
食欲も落ちてしまわれて、あたし心配なんです!
あんなヤツらがこの館にいるから・・・。」
デイジーの目に浮かんだ激しい怒りの色を見て
アッシュはそっちの方が不安になった。
ヤバい、これは狂信者というやつか?
「それでアリッサに頼んで、情報を集めていたんです。
リハビリ部には大勢の人がやってきますから。」
ああ・・・、アリッサもかい・・・、アッシュは目まいがした。
「それで、あたし、ディモルと付き合い始めたんです。」
へっ? アッシュはいきなりの展開に付いていけず
「そ、それはおめでとう・・・ なのー?」
と、妙な言い方で返事をしてしまった。
「めでたくなんかないです!
あたしには、一生マティスだけです。
あの人を忘れる事など、出来るわけがありません。
だけどこの館を守ろうとする主様のためなら
きっとマティスも許してくれるでしょう。
あたしは恥じてはいません。」
デイジーは、相続戦で死んだ男性、マティスと結婚したかったけど
ふたりともこの館を出て生きていく自信がなかったので
一生ここでふたりで暮らすつもりだった
と、以前アッシュに語った事があった。
それだけに、マティスの死で、一層この館への執着が強くなり
その想いがすべて、“主様” に向けられているんだな
と、アッシュはその話を聞いて感じた。
だからデイジーの前では、なるべく彼女の “主様” 像を壊さないように
努めたつもりである。(それでもこの体たらくなんだが)
「デイジー、まさか・・・、えーと、その何とかとかいう人はー・・・。」
「ディモルは、反乱グループのひとりです。」
何てこったい・・・、アッシュは脳がグラグラした。
「主様、この話を今日したのは、時間がないからなんです!
本当なら主様にはご迷惑をお掛けしたくなかったんですけど
もうあたし、どうしたら良いかわからなくて・・・。
主様の助けになるつもりが、逆に頼る事になるなんて・・・」
デイジーの狼狽を見て、ただ事じゃないと悟ったアッシュは
「落ち着いてー。
とにかく最初からすべて話してくださいー。
大丈夫、私が絶対にあなたを守りますからー。
そのために私はここにいるんですよー。」
と、優しくかつ頼もしく微笑んだが、デイジーの話が進むにつれて
想像を超えたあまりの衝撃に、そのショックを表にこそ出さなかったが
心の中では、大声で叫んでいた。
パス1ー! パス2ー! パス3ー!
続く。
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カテゴリー: やかたシリーズ
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「・・・さま、主様」
呼び声にふと目覚めると、枕はヨダレだらけだった。
「よくねてらっしゃっただよ、ほんとおつかれなんだね。」
アリッサがアッシュの顔のヨダレを拭く。
「ああ・・・ごめん、寝てた・・・?」
寝ぼけ眼でアッシュがヨタヨタと体を起こす。
「ねてたなんてものじゃないだよ、はぎしりしてらっしゃっただよ。
はぎしりはほねにもんのすげえわるいから、やめたほうがいいだよ。
といっても、じぶんじゃどうにもできんしなあ
ストレスがげんいんなんだ。」
「ストレスねえ・・・。」
アッシュが溜め息を付く。
「わしになんかできることがあったら、いつでもいってくだせえ。」
アリッサの言葉に、不覚にもジーンとさせられたアッシュ。
「アリッサには、こうやってマッサージをしてもらって
いつも助かってるんですよー。
本当にありがとうー。
お陰でずいぶんとラクに体が動くようになりましたー。」
「そ、そんな、わしなんかにおれいなんかもったいないだよ・・・。」
アリッサがドギマギしながら言うのを見て
アッシュは、もうちょっと主らしく振舞わねば、と反省させられた。
この人たちは、本来の私ではなく “主様” を私に要求しているのだから
その期待に応えるのが、自分の役目なのだ。
リリーは聞く耳を持たず、クールに無視をしてくれるし
ジジイはここぞとばかりに罵倒をしてくれるのから
このふたりだけには、遠慮なくグチグチ言えるのだが
住人たちに、自分の心情を知られるのはマズい。“主様” に私心があってはならないのだ。
“主様” の中身が人間なのは、明確な事ではあるだが
住人たちには、そんな事情は必要ないどころか、邪魔である。
最近、忙しさにかまけて、どんどん地が出てたからなあ
こりゃ、威厳もへったくれもねえわ
アッシュは自分のだらしなさに渇を入れるように、勢いよく立ち上がった。
「よし! マッサージで元気をもらったから、頑張りますよー!」
アリッサが一日の後片付けをしていると、デイジーが入ってきた。
ふたりでボソボソと密談をするその様子は
明らかに何かが進行している事をうかがわせていたが
何事もなく、月日は流れていった。
これからもこのままが続くかのように。
続く。
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ジャンル・やかた 42
「ナポレオンが3時間しか寝ない、っていうのがわかったわー。」
長老会会議に出席するための、移動の車の中で
アッシュがリリーに、突然まくし立て始めた。
「ナポはね、寝ないんじゃなくて、寝る時間がなかったんだよー。
私、今ナポ並に寝てねえのよー。
不眠症気味だから良いかあ、と、あなどってたら
寝る時間がないのは、寝られないより辛かったんだよー。
ピンクレディーが絶頂期の記憶がない、とか言ってたけど
私も最近、記憶がねえのよー!
痴呆じゃなくて、ほんと記憶がねえのよー!
酒飲んで翌日の記憶がない、って経験した事ないけど
あれって、こういう感覚ー?
こんな記憶飛び飛びで、大丈夫なわけー?
私ちゃんとやってるー?」
リリーが冷静な眼差しをアッシュの方に向け、事務的に言った。
「主様はちゃんとお仕事をやってらっしゃいます。
かなりお疲れのようですね。
と言っても、休みが取れるわけじゃないですから
わたくしには同情しか出来ませんが。」
「同情するなら休みくれーーー!
とか言っても、外人のあなたにはわからないだろうけどねーっ。」
「・・・ここでは外人はあなたの方ですが。」
リリーの冷静な返答に、アッシュは叫んだ。
「ああああああああああ、愛が欲ちーーーーーーーーーーーっ!」
運転手の不安そうな目が、ルームミラー越しにリリーの目と合う。
「こんなお方でも、やる時はやりますので心配無用。」
リリーの言葉に、運転手は慌てて前を向き直した。
「助けてーーーーーーーー! 拉致されるーーーーーーーーー!」
車の窓に両手を押し付けて、アッシュが叫ぶ。
「こらっ! その冗談はダメです!」
リリーが、アッシュの首根っこを引っ張ってシートに押さえ付けた。
「いっその事、長老たち、殺っちゃおうかー・・・
いや、そんな一瞬で終わらせてあげるなんて、ナマぬるいー。
そうだ、長老たちも館に住まわせれば良いんだよー。
あいつら遠くからグダグダ言うだけで、ほんと気楽で良いよなー。
私なんか毎日、監視の目に晒されて、秒ごとに神経がすり減って
ついでに寿命もすり減って
ああー・・・、主になっても結局、生死の境には変わりねえんかよー。」
アッシュはしばらく、ウダウダとグチを言っていたが
やっと静かになったと思ったら、代わりにギリギリという轟音が車に響いた。
見ると、爆睡して歯軋りをしている。
歯軋りの音というのは、結構デカい。 しかも癇に障る。
まったく、起きてても寝ててもうるさい・・・
リリーと運転手は、また目が合った。
その日の長老会会議では、より一層発奮したアッシュが
狂乱にも近い演説をブチ上げた。
ジジイがリリーにコソッと訊ねる。
「どうしたんじゃね? 今日は。」
「ナポレオン様のうっ憤晴らしですわ。」
クールに答えるリリーの顔を、ジジイが???と見つめた。
まあ、あの妙な迫力が人心を惑わせるんだから、主様も大したお方よね
リリーは、これっぽっちも心配をしていなかった。
帰りの車の中では、行きとうって変わって落ち込んだアッシュがいた。
「何か言い過ぎた気がするーーー・・・。」
そしてノートパソコンを打っているリリーにすがりつく。
「ね、私、マズかったかなー?」
リリーはモニターを見たまま、答える。
「あれで良いと思います。」
「ほんとー? ほんとーーーの事言ってー! お願いー!」
しつこいアッシュに、リリーは同じ口調を繰り返した。
「あれで良いと思います。」
これ以上食い下がると、リリーが激怒し始める予感がしたので
アッシュは反対側の窓に顔をくっ付けて、無言で景色を眺め始めた。
数分後には、またキリキリキリキリ・・・と軋りだした。
リリーと運転手は、またまた目が合った。
続く。
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ジャンル・やかた 41
「痛いのダメー! 痛いの絶対にダメよー?」
アッシュがベッドに横たわりながら、怯えて叫ぶ。「はいはい、わかってるだよ、主様。
わしにまかせてくだせえな。」
指をバキボキ鳴らす巨体の女性に、アッシュが後ずさりをする。数十分後、アッシュはベッドの上で溶けていた。
「うあーーー、気持ち良かったーーー、最高ーーーーー!」「でしょう? アリッサはちゃんと免許も持ってるんですよ。」
デイジーがアッシュに靴を履かせながら、自慢げに言う。
「うんうん、もう久々に極楽な気分になれたよー、ありがとうー。」何のエロ話の始まりか? という出だしだが
毎日のデスクワークに音を上げたアッシュが、わめいたのだ。
「誰かマッサージとか出来ないですかあー?
もう、肩とか首とか腰とか、痛くて痛くてー。」「あ、私の友人に整体師がいます!」
と名乗りを上げたのがデイジーであった。「主様、かなりからだがゆがんでいるだよ。
これからちょっとでもいいから、まいにちマッサージをつづけるだよ。」
アリッサが言うと、デイジーが強い口調で後押しした。
「そうですよ! 健康管理もちゃんとしてください!
主様に何かあると、皆が悲しみます。
おひとりの体じゃないんですよ!」デイジーの熱意にゲンナリしつつも、アッシュも肩の軽さに負けて同意した。
「じゃあ、これから毎日お願いしますー。」アッシュが整体室を出て行った後
デイジーとアリッサは手を取り合って喜んだ。
「良かったわね、主様に気に入られたわよ。」
「主様にはじめてあえて、わしドキドキしただよー。」アリッサもデイジーと同様に、アッシュの信奉者だった。
アッシュは皆に公平に接する代わりに、誰とも親密にならなかった。
秘書のリリーと護衛のローズは、職務上例外であった。「だけどほんとにやせていらっしゃったで、わしビックリしただよ。
ここんとこは、とくにいそがしそうにしてらっしゃるとうわさだんが
あんなほそいおからだでだいじょうぶだかねえ。」
「そうなのよ・・・。
前々からお忙しく動いていらっしゃってたんだけど
あの銃撃事件以来、益々大変そうになったのに
この頃は食欲まで落ちちゃって、もう心配で・・・。」「あのバカモノのせいで、ストレスになっているだね!
主様がやかたをすみやすくしようと、がんばってらっしゃるだに
なんのもんくがあるんやら、まったくめいわくだよ。
主様がいなくなったら、またもとのゴロツキぐらしになるじゃないか。
まったく、へいわなくらしがイヤならここをでてきゃいいだよ!」
アリッサが憤慨すると、デイジーが更に追い討ちをかける事を言った。「ほんと、そう思うわ!
襲撃したヤツは死んだらしいけど
同じような事を考えてるヤツらは、まだいるらしいのよ。」
それを聞いて、益々頭に血が上るアリッサ。「あの主様に、ゆるせないだね!」
そんなヤツら、わしがせいばいしてやるだ!」
デイジーはアリッサの両手を握った。
「あたしたちも館のために頑張らないとね。」悪気のない自己流正義感というものほど、厄介なものはないわけで。
このふたりの館への想いが、アッシュの運命を変えるものになるとは
誰ひとり気付く者はいなかった。続く。
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ジャンル・やかた 40
銃撃事件から、後始末に追われる日々が続いた。
事件の方は、以前のように 内々に “処理” された。親しい者が身代わりになったと言う事で
長老会は比較的アッシュに同情的ではあったが
やはり館の住人は、一旦切れると何をするかわからない
という不信感が、上の方で広がってしまったのである。アッシュは、反抗的な住人を早くどうにかしろ
と長老会会議で度々突き上げられていた。
その方法を長老会のお歴々のメンバーと話し合うも
メンバーは何ひとつ知恵が出せない、という有り様である。会議に出れば吊るし上げられ、館に戻れば周囲が暗殺を警戒する
ピリピリする空気の中、バイオラの死に責任を感じ
一時たりとも気の休まる事がない日々が続いた。ジジイは長老会とアッシュとのパイプ役を、見事にこなしていたが
自分が長く務めすぎたせいもあって
今の長老会には、主経験者がジジイ以外にいないのが難点であった。あそこは経験しなきゃわからん事も多いんじゃ
データや報告書だけでは判断など出来ぬぞ
ジジイは常々メンバーを、そうたしなめていた。それは長老会の面々も自覚していたので
ジジイの言葉には信頼が置かれていたが
やはり想像以上の現実が、長老会を混乱させていた。そもそも、“コト” が起きた時の隠蔽にだけ動いてきた長老会が
館の運営にこれほどまでに首を突っ込むのも、初めての事だったのだ。リリーは会議の準備に奔走する中、情報集めをしていた。
館の電気関係に勤務する住人たちは、長老会所属であり
同じく “外から来た住人” であるリリーとは、同胞である。モニタールームに詰めている職員に、住人たちの動きを探らせ
誰が反抗的な意識を持っているのか、不穏な動きはないか
つぶさにチェックさせていた。ローズは “護衛” の肩書きを、名実ともに不動のものにしていた。
相続達成サポートの見返りに好きな地位を、のお達しに
「これまでと同じでいいよ。」 と、答えたのは
リリーと一緒に秘書をやるには、頭がない自分が
自然にアッシュの側にいられる唯一の職だからである。その肩書きは、ローズの腕からしても誰もが納得するものだったが
戦いのない館になるのだから、閑職も同然のはずだった。あたしも平和ボケしちゃってたね・・・
自分が気を緩めずに役目を果たしていたら、バイオラも死なずに済んだのだ
と、ローズもアッシュと同様に自分を責めていたのだ。アッシュの書斎の隣にある護衛控え室には、アッシュのタイムテーブルや
住人たちの顔写真つき履歴リストを用意した。
ホルダーにハンドガンを入れつつも
やっぱりあたしにゃこれだよね、と大鋏をベルトに差し込んだ。デイジーはアッシュの食器を下げながら、憂うつな気分だった。
アッシュの食欲が落ちているのである。
あんなに痩せてらっしゃるのに、これ以上食欲が落ちていったら
お体が心配でたまらないわ・・・。 ただでさえ激務なのに・・・
デイジーは重い足取りで厨房に向かう。「あれ、また主様はこんなに残しなさって・・・。」
厨房の女性が声を上げる。
「そうなのよ・・・、もう心配で心配で・・・。」
キレイに残っている皿の上の料理を見て、デイジーは溜め息を付いた。「以前は食堂に来てくださってたのに、あの事件以来止められてるらしいし
主様のお姿が見えないと、皆も寂しいよねえ。」
厨房の女性の言う通り、襲撃事件からの警備の強化のせいで
アッシュは以前ほど自由にウロつけなくなっていた。皆で仲良く平和にやれ始めていたのに、一部の人のせいで!
デイジーは、激しい怒りを覚えた。そんな中、アッシュは館にいる間のほとんどの時間を勉強に費やしていた。
これまで以上に、演説に力を入れなければ!
そう考えたアッシュがネットで調べていたのは
「小論文の書き方」 であった。おいおい、アッシュ、大丈夫かその方向性で???
続く。
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ジャンル・やかた 41 10.1.5 -
ジャンル・やかた 39
すべての関係者が想像していたのと違って
ゆっくりだけど、順調にきていた館の改革だが
やはり悲劇は起こってしまった。不穏分子のひとりが、行動に出たのである。
数m前に立ちはだかった男が握った銃を見て
アッシュはそれが何か、すぐにはわからなかった。
本物の銃など、触るどころか見た事すらなかったからだ。 日本人だもの「おまえさえいなければ」
歪んだ表情で怒鳴りながら、男がアッシュに真っ直ぐと銃を向けた瞬間
パンと爆竹のような軽い音が鳴り、アッシュは左肩に衝撃を感じた。う、撃たれた? と、恐怖に目を上げると
ローズが男に駆け寄って殴り倒し、周囲の人間が男に蹴りかかり
それがすべてスローモーションで展開されていた。女性たちが叫びながら、アッシュの元に駆け寄る。
デイジーが泣き喚きながら、アッシュを抱き起こす。
アッシュは花壇に倒れ込み、ブロックで左肩を強打していたのだった。
そしてアッシュの傍らには、顔面を血に染めたバイオラが倒れていた。葬儀はしめやかに行われた。
館の敷地内にある墓地の明るい一角に、バイオラは埋葬された。
アッシュがこの館に来て、4年目が過ぎたという頃で
墓地は色とりどりの花々が咲き誇り、蝶が舞っている。
気持ちの良い風が吹く5月の正午の光が、バイオラの墓標を輝かせていた。葬儀の帰りに、初めてグレーの墓にも寄った。
異国の相続失敗者なのに、こんな立派な墓石まで立ててもらって・・・。
目を閉じて両手を合わせて祈り
顔を上げると、隣にジジイとリリーが立っていた。「わたくしは、この隣に眠らせてくださいね。」
当初リリーは、アッシュの地位が安定したら辞めるつもりだった。
それをジジイには言っていたので、この言葉にジジイは驚いた。
そうか、こやつもここに骨を埋める決意をしたんじゃな。涙の跡が残るアッシュの横顔を見つめて、ジジイは心の中で励ました。
アッシュよ、あんたはひとりじゃないぞ
背中を優しくポンポンと叩いてくれたジジイの意を
アッシュは珍しく敏感にくみ取っていた。その日の演説で、アッシュは怒鳴り狂った。
何故こんな悲劇が繰り返されるのか
それを止めるにはどうすればいいのか
これはひとりの罪じゃなく、皆の罪なのだ
涙を流しながら、心を絞るように叫ぶアッシュのその姿は
まるで鬼神のようで、見ていた者は恐怖すら感じた。最後にアッシュは、静かに語りかけた。
「私に異がある時は、どうか言葉で表わしてくださいー。
意見が違うというのは、決して悪い関係ではないのですー。
色々な感覚がないと、この世界は止まってしまいますー。
どうか皆さん、自分の気持ちを大切にし
それを私にも伝えてくださいー。」講堂はようやく安堵に包まれたが、アッシュの腹の中は煮えたぎっていた。
何が意見だよ! 無法者の自分勝手な言い草だろうが!
言いたい事があるなら来てみろよ、全力で洗脳したるよ!!!罵詈雑言を脳内で叫ぶも、アッシュは楚々と涙を拭いつつ
弱々しげな被害者ヅラを演出しながら、壇上を降りた。その夜、アッシュは眠れなかった。
こういう時は、いつもローズの部屋に行く。
護衛のローズの寝室は、アッシュの寝室とドア続きになっている。ドアを開けると、目の前にローズが立っていて
お互いに驚いて、うわっと悲鳴を上げた。
「前にもこういう事があったよね。」
アッシュも丁度それを思い出したところだったので、ふたりで笑った。「お茶とクッキーはどうだい?」
「食べちゃいけない時間ほど、美味いと思えるんですよねー。」
キャッキャとふたりではしゃいで、ベッドの上でお茶をする。
「まったく、行儀が悪いったらないねえ。」
「たまには良いじゃないですかー。」
ふたりで肩を寄せ合い、クスクスと笑う。「でね、その時にバイオラが言ったのさ。
『あたしゃ鍋は作れてもパイは作れないんだよ』 ってね。」
真夜中なので大声は出せず、ふたりで腹を抱えて息を殺して笑う。
かと言えば、急にしんみりした気分になり、抱き合って忍び泣く。
妙なハイテンションで、爆笑と号泣を繰り返し、一晩中語り合った。こういう時の月は、何故いつも丸くて美しいのか。
月明かりに浮かび上がるベッドの上のふたりの影は
まるで月にいるうさぎのようであった。しばらくその月を見上げていたふたりだったが
長い沈黙の後、月を見つめたままローズがつぶやくように言った。
「これでもう、あたしの家族はあんただけになっちゃったよ・・・。」アッシュも同じ気持ちだった。
ふたりの最後の血縁は、墓地に眠っている。「あんたは、もうあたしの部屋に来ちゃいけないよ。
これからは、ふたりだけではいないようにしよう。
あんたは、皆の主にならなければいけない。」
「うん・・・。」アッシュが素直に同意したのは、自信があったからである。
ふたりの関係は、今後何があっても揺らがない。罪悪感に押し潰されそうになり、不安で眠れない夜は
いつもローズの部屋に夜中に行っては泣いていた。
ローズは起きているのか寝ているのか
何を言うでもなく、ただそこにいてくれた。
この時間があったからこそ、アッシュは人前で平静を保てていた。だけどローズが生きてくれてるだけで良い
アッシュは、それだけでやっていける、と確信していた。風に散る桜の花びらのように、光の粒が舞い降りる
そんな幻のようなきらめきの月の夜だった。ふたりが最後に一緒に過ごしたのは、永遠を知った一瞬であった。
続く。
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ジャンル・やかた 40 09.12.25 -
ジャンル・やかた 38
「主様、お疲れ様でした。」
壇上から降りるアッシュに駆け寄ったのは、デイジー。
恋人を殺され、食堂でアッシュに抗議したあの女性。
アッシュが今の改革法を選んだきっかけである。あの食堂での一件以来、泣き暮らしていたデイジーだったが
アッシュの就任演説を聞いて、面会を申し出てきた。
会いに来る相手が誰だか知らされたアッシュは、沈痛な面持ちで出迎えたが
デイジーはアッシュの顔を見るなり、駆け寄った。「あたし、わかったんです、このままじゃいけないって!
あの人が死んだのは、この館のくだらない因習のせいでした。
それをあなたは本当に変えようとしてくださっている。
あの人のためにも、あたしもあなたに協力させてください!」アッシュの両手を握り締め、涙を流しながら切々と想いを伝えるデイジーに
これから、この館中のヤツがこんなんなるかも知れない・・・
と、アッシュは内心ドン引きして、くじけそうになったが
それに耐えられなければ、この計画の成功はない。「これからも大変な想いをさせるかも知れないけど
一緒に頑張りましょうねー。」
と、口先だけのキレイ事を言って、デイジーの手を強く握り返した。無表情なのは、この上つくり笑いまでせにゃならんとなったら、ほんと無理!
と、思ったので、諦めて無表情をウリにする事にしたからである。
出来ん事は、論点をずらして正当化すれば何とかなるもんだ
アッシュは、そこらへんの悪巧みだけには長けていた。デイジーはその時以来、アッシュの “お世話係” になった。
食事や洗濯、掃除など、身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるのだ。
リリーは秘書だし、ローズは相変わらず護衛だし
アッシュの周囲は、女だらけの大運動会であった。「現主、頑張っとるか?」
講堂の椅子から立ち上がったのは、元主のジジイである。「ジジイ、また来たんかいー。
徘徊するようになったらヤバいぞー。
いい加減何もかも諦めて、さっさと死にさらせー!」
真顔でサラッと言うアッシュに、周囲がドッと笑う。
良い人キャラも、初手からあっさり放棄しているアッシュであった。「やれやれ、相変わらずじゃのお・・・。
どれ、茶でも飲みながら、近況を語り合おうじゃないかい。」
アッシュはデイジーに言った。
「ごめんけど、ジジイに粗茶の出がらしをー。
私はカフェオレをお願いできますかー?」
「はい、かしこまりました。」
「あっ、デイジーちゃん、わしにはスコーンもー。」
「スコーン、おとといのがあったよねー?」
追い討ちをかけるアッシュをジジイが睨み、周囲はまた笑いに包まれた。アッシュの書斎で、ソファーにどっかり座るジジイ。
「はー、ええのおー、こんなキレイで広々とした部屋で。」
アッシュは突っ込みたくて口の端がムズムズしたが、こらえた。
ジジイいじりはキリがないからだ。「順調なようじゃな、長老会でも評価が高いぞ。」
「いえ、そうでもないんですよー。
不穏分子が何人かいますし、まだまだ安定はしていませんねー。」
「そういう輩は、風通しに使えば良いんじゃないのかい?」
「問題は、私がまだ確固たる立ち位置を築けていない事なんですよー。」ノックの音がしたので、ジジイが 待て、と手を立てる。
アッシュがうなずいて 「どうぞ」 と声を掛けると
デイジーがお茶と茶菓子を持って入ってきた。
「あれ? ジジイの紅茶、ちゃんと色が着いてるじゃんー。」
「あんたはっ!」
アッシュにジジイが、ゴスッとゲンコツをかました。デイジーが出て行った後、再び真面目な顔で話し合うふたり。
「どこに不安があるんじゃ?」
「反感を持っている者たちは、グループではないんですけど
ひとりリーダー格のヤツがいて、それがまた若いはイケメンだは
しかも私より人格者で頭が切れるっぽいんですよねー。」
はあー、と溜め息を付くアッシュ。「あんた、割と自分を客観的に分析しとるんじゃなあ。」
「・・・あんたが私なら、自分の事を
ピチピチ娘で絶世の美女で天使のような性格で天才だと思えますかー?」
「・・・・・・・・・」
「ただ、それだけの事ですよー。 分析するまでもないー。」「いいいいいいや、わし的にはあんたはとても可愛いと思うぞ東洋人は若く見えるしそれにあんたはそこまで悪人じゃないし割に良い性格いやイイ性格ってわけじゃなく付き合いやすくて良いという意味でそんで天才じゃないとか言うが確かにアホじゃが紙一重的な面もいやアホというのは愛情を持って言ってるわけで本当にそう思ってはいないとも言えんがわしはとにかく」
「いい加減、黙れ、クソジジイー!」ジジイはビクッとして黙り込んだ。
「どうしても、ご自分の墓穴を掘りたいようですねえー。
喜んでお手伝いいたしますよー? そりゃもう深ーく深くザックリとー。」
「い、いや、すまんじゃった。」ほんに、こやつには適わんわい
ジジイはそう嘆きつつも、このやり取りを楽しんでいた。
“監視” の名目で、ちょくちょく館に来るのは
この罵り合いをしたくて、という理由もあったのである。「で、どうするんじゃ?」
「結局、静観しか思いつかないんですよー。
私がもっと頑張って、支持を得るしかないですよねー。」
「そうか。
長老会の方は相変わらず日和見じゃが、あんたへの信頼は増しているぞ。
この館がここまで何事もない日々が続くのも初めてじゃしな。」「相続者システムはどうなりましたー?」
「誰も言い出さん。 募集も止まっておる。」
「今来られても困りますしねー。」
「そうじゃ。 炎が再燃する事は避けたい、というのは全員が一致しとる。
おそらくこのまま、あんたが永代主になるじゃろう。」その言葉にアッシュは慌てた。
「ちょちょちょっと待ってくださいよー、私、隠居なしですかー?」
「このまま行けば、この館にとってはそれが一番好ましい事じゃろ。」「はあ・・・、そうですよねー。」
アッシュは背もたれにドカッともたれて、溜め息を付いた。「私もあなたみたいな余生を送りたかったんですけど
今死ぬか、来月死ぬか、みたいな時期に比べたらマシですもんねー。
ちょっと安定が見えてきて、気が緩んでいたみたいですねー。」
天井を仰ぐアッシュに、ジジイが感心するように言った。
「あんた、見かけによらずストイックなとこがあるんじゃよな。」アッシュがニタリと笑う。
「じゃなかったら、教祖様なんてやってられませんよー。」
「おぬしも悪よのお。」
「そなたもなー。」ふたりでいかにも悪人ヅラをして、フォッフォッフォと笑った。
本気か冗談かわからない、ふたりの掛け合いである。続く。
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ジャンル・やかた 37
「皆さん、こんにちはー。
今日は雨が降っていますねー。」アッシュは講堂で、習慣になった昼の演説をしていた。
住人の前で初めてシュプレッヒコールを上げたのは
2年前の主交代の式典の時で、玄関ホールに急遽作られた壇上だった。あの時住人たちは、疑問を投げつけられた気分になって
全員が神妙な面持ちで、式典は終わった。その時から毎日昼1時になると、こうやって壇上に立って話す。
夜勤の仕事の人もいるので、一番無難なこの時間を選んだ。
アッシュの話はスピーカーで館敷地内全域に流れるのだが
講堂に来て聞く者も多い。有名な逸話や自分の経験談を、面白おかしく語りつつも
倫理観を練り込んでいるので、毎日聞いていると
自然にその方向に思考が流れるようになる。
地味で気長な洗脳である。2年前のあの日から、館の大改革が始まった。
まずは、館の大掃除を命じた。
“清潔な環境が清らかな心を育む” というスローガンでだが
単にアッシュが潔癖症なだけだった。館を覆い尽くしていたガラクタは、分別され
売れる物はすべてネットオークションに出した。
骨董的価値があるものも多かったので、意外な収入になり
その売り上げで、館の改修工事の費用の一部を捻出できた。この作業はゆうに1年以上掛かったが
ヒマがあったら掃除に明け暮れた住人たちは
美しくなっていく館に自分を投影し、味わった事のない達成感を得た。
アッシュは、それを褒めて褒めて褒めまくった。同時にリリーの香水使いも終わった。
「ゴミの臭いが移ったまま、外を出歩きたくなかったんです。」
リリーは、ゴミ臭より香害を選んでいたのだった。情報は制限しても入ってくるものだし、自分で選んだつもりになってもらおう
そう思って、パソコンルームも完備した。
携帯のアンテナも設置し、電話線も引いた。
門もドアも図書室も開放した。
住人全員を収容できる講堂も館の西側に新たに作った。
玄関ホールの奥から渡り廊下を通って行ける。自分がどこに所属しているのか、自覚を持たせるために
全員にキレイな色の制服を支給した。
農業は緑、工業は青、食系は黄色、清掃はオレンジ、事務は黒
といったように、各職、色を取り揃えた。外装と玄関ホールは伝統を守るために、古いつくりのままにしたが
公共の部屋は幸福感を感じるように、ポップなインテリアにし
植物をいたるところに配置し、館の周囲にも花壇を作った。これらの設計や配置は、住人たちの希望を取り上げ作業をさせた。
自分たちで作り上げた、という錯覚によって
館の維持に、義務と責任を持たせるためである。あー、妙な宗教や詐欺の本を読みまくっといて良かったー
まさかそのいらん好奇心が役立つ日がこようとは
ほんと知識にムダは何ひとつないよな。アッシュは自分の言動に正義など、ひとつも感じてはいなかった。
平和 = 正義 だと思えるヤツは、最初から平和の中にいるんだよ
平和を目指そうとしたら、どっかで手を汚さなきゃならない。
そういう汚れた環境だからこそ、平和を目指そうと思うんだし。相続の最中から、この考えにブレはなかった。
揺らいで迷って自分を責めて生きてきたアッシュが
ブレないなど、そこがもう本来の自分ではないのだが
そんな事に目を向けると、感情ですべてが崩れ落ちるので、しない。
アッシュの “腹をくくる” とは、そういう事を意味していたのである。この強気がいつまで続くかわからんけど、とにかく出来るだけ突っ走らねば
アッシュには、脳内チキンレース真っ最中な日々だった。続く。
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ジャンル・やかた 36
ジジイが壇上から降りてくる。
お疲れさん、の声と拍手が会場に響く。「では新しい館の管理者、アッシュ様。」
名が呼ばれ、ゆっくりと壇上に上るアッシュ。
うって変わって会場は静まり返った。
アッシュは人々の顔を見渡し、口を開いた。「あなたたちは何のために産まれてきたんですかー?
あなたたちは何のために生きているんですかー?」ハウリングが起こるほどの大声に、会場が揺れ全員の目が見開いた。
構わずアッシュは拳を振りつつ、がなり続ける。
「幸せって何ですかー?
食って飲んで寝る事ですかー?」ジジイとリリーは、その姿を見ながら
ここまで来るまでの経緯を思い返していた。
長老会に出席した時も、アッシュの考えに誰もが驚いた。「人心を制するには、恐怖が一番なんですー。
恐怖とは畏怖、つまり宗教ですー。
それは、あの館の暗い歴史を悔いて罪を償う
という風にも見られて、一石二鳥ですー。
あの館を、贖罪の場へと生まれ変わらせるんですー。」「宗教も力を持ちすぎると厄介ですから、既存の宗教ではなく
道徳という名の “信仰心” だけを養わせるんですー。」「館の住人たちが、道徳を、感謝の心を持てたら
相続バトルをする必要もなくなりますー。」アッシュから立て続けに出てくる言葉の数々に、圧倒されつつも
長老会メンバーが疑問を投げかける。
「だが、きみが出来なかったら、どうするんだね?」「私で全然ダメだったら、別の救世主を登場させれば良いだけですー。
もし私が良い線いってるのに、途中でコケた場合は
都合の良い逸話をでっち上げて
私の名前だけを残して、シンボルに仕立て上げれば良いんですよー。」長老会の議論が、思いのほか短かったのは
誰もがあの館の姿にウンザリしていたせいだが
アッシュの不思議な押しの強さも影響している、とリリーは感じていた。東洋人独特の無表情さで、物静かな印象を与え
しかも喋り方もゆっくりで間延びをしているのに
話す内容は、歯に衣着せぬ表現でダイレクトに伝わる。
このストレートな物言いが、吉と出るか凶と出るか。アッシュの存在が、この計画の鍵になる事を全員が危惧していた。
誰よりも、発案者であるアッシュ自身もである。とにかく、勢いで突っ走るしかない。
大声は出したもん勝ちなんだよ!!!アッシュは、大きく腕を振り回しながら叫び続けた。
「それで良いのか、自分自身に問うのですー!!!」続く。
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「私の計画を、長老会に提出しようと思いますが
通りそうですかー?」
「うーん、長老会もここの事は悩ましい問題じゃからのお。
持っていき方次第じゃろうな。」「では、リリーさんにだけは協力を仰ぎましょうよー。」
「ん・・・、それが良いじゃろうな。
じゃあ、リリーを呼ぼう。」
ジジイは、電話を取った。ジジイがかじりかけのハンバーガーに、ピクルスをはさみ直して食っていると
程なくして、リリーがやってきた。
「あっ、ほら、人が来た!
さっさと食って食って。」せかすアッシュに、ジジイは喉を詰まらせつつ
紅茶でハンバーガーを丸呑みする。ほ・・・ほんとに死ぬっちゅうに!
顔を真っ赤にして胸をドンドン叩くジジイを、いぶかしげに見ながら
リリーは、ふたりにお辞儀をした。
「主様、お疲れ様でした。
そして新しい主様、おめでとうございます。」「ゴホッ うむ。 ゲホッ そなたも長年ご苦労じゃった。
今後は新しい主をよろしく頼む。 ゲホゲホゲホゲホ」
ジジイが咳き込みながらも、何とか体裁を保とうとする。「よろしくお願いいたしますー。」
アッシュがブリつつ頭を下げると、リリーも頭を下げた。
「こうなったのも、私のせいだと申し訳なく思っております。
精一杯仕えさせていただきますので
こちらこそよろしくお願いいたします。」リリーが椅子に座って、バッグを開けた。
「では、今後の引継ぎの予定ですが
まずは長老会へおふたり揃ってご出席いただいて
承認されたら、この館での交代の式典になる、という事です。」書類を次々に出しながら言うリリーを、ジジイがさえぎった。
「その前にな、嬢ちゃんの話を聞いてほしいんじゃ。」
「・・・? はい、何でしょう。」
「えーと、この館の今後の運営方針ですけどー・・・。」話を聞き終わったリリーは、あっけに取られていた。
この兄妹、やっぱり似ていないわ・・・、そう思えて
妹を推したグレーの真意がどこにあったのか、わからなくなった。相続中の言動を見ていても、“変わっている” 以外の
何の感想もなく、主の資質の片鱗さえ見い出せなかったのに
まさかこんな筋書きを立てていたとは。この計画に加担しても良いものだろうか・・・
リリーは激しく混乱し、迷っていた。「兄は遺言状を頼んだ時、何て言っていましたー?」
アッシュのふいの問いかけに、リリーは慌てて
つい一番印象に残っている言葉を言ってしまった。「『俺がダメでも、妹がやるだろう。』 と・・・。」
しばらく考え込んでいたアッシュだったが、テーブルにダラーッと伏せた。
「あー、そうですかー。 なるほどー、そうだったんですかー。」「どうしたんじゃね? 何かガッカリしとるようだが。」
「もーーーーー、果てしなくガッカリですよーーー。」
テーブルに伏せたまま、顔だけジジイの方に向けて怒る。「私は今まで、兄が私に相続させたかったんだと思ってたんですー。
いくら音信不通でも、兄妹ですからねー。
私のために何かを残したい、って気持ちはあったんだな、とー。」
「ん? そういう事じゃろ?」「いえ、違ったんですー。
兄の性格から言っても、この館の人たちを助けるなんていう
ボランティア精神など、微塵も持ち合わせていないはずなんですー。
他人は他人、という冷淡なヤツですからねー。
でも一応私は妹だから、ちっとは気遣ってはくれてたんですよー。
迷惑は掛けないように、程度ですがね-。
なのに、こんなデス・ゲームに私まで巻き込もうとしたのはー」
アッシュはジジイとリリーを順番に指差した。
「兄はあなたたちを助けたかったんですねー。」ジジイとリリーは、あまりの驚きに言葉も出せなかったが
アッシュは構わずに嘆き続けた。
「はあー、おかしいと思ったんですよー。
あの兄が私に何かを残そうとするなんてー。
んで、蓋を開けたら、バトルでしょー?
もう何なのか、さっぱりわからなかったんですが
おまえ、あとよろー、って事だったんですねー。
『俺に頼るな』 と常々言っていたくせに
最後の最後にそういう自分が、私に頼ってきやがったんですよー。
持てるコマはすべて使おうとねー。
ああー、すんげえ腹立つけど、やっと謎が解けてスッキリー。
でも、やっぱムカつくーーー!」アッシュがテーブルに突っ伏してブツブツ言ってる側で
ジジイとリリーは背を向けて、悟られないようソッと目を拭った。それを目ざとく見つけたアッシュは、容赦なく突付いた。
「あんたらは良いですよねー、思いやってもらってー。
私なんか実の妹なのに、問答無用で命を賭けさせられて
もう血の絆って何なのか、ほんと人間不信になっちゃいますよー。」ジジイとリリーが慌てて慰める。
「そんな事ないですよー、グレーは常々あなたの事を言ってましたもん。」
「そうじゃそうじゃ、わしも聞いた。」
「ほお? 何てー?」ジジイとリリーが、ウッと詰まって
おまえが言え、いやおまえが言え、という風に目で押し付けあう。
「えっと、『可愛い妹だ』 みたいに?」
「そうじゃそうじゃ、褒めとったよな?」「う そ で す ねーーーーーーーーーーーーっっっ!」
アッシュの大声断定 (しかも図星) に、ふたり揃って黙り込む。
「もう良いですよー、人生なんてこんなもんですー。
はあー・・・、ほんと情けなー・・・。」「でも、グレーにとっては、あんたが最後の切り札じゃったんじゃろ?
実力を認められていた、って事じゃないのかね?」
その言葉を、アッシュは鼻で笑った。「そんなんねー、長子のヒガミ発端ですよー。
可愛がられる末っ子を、こいつは運が良いとか
努力しなくても皆に好かれるとか、錯覚してただけですよー。」
「あんた、ムチャクチャ言いよるな。」「末っ子は末っ子なりに大変なんですよー?
お兄ちゃんがひとりっ子じゃ寂しいだろうからあなたを作った、とか
お兄ちゃんはもっと出来が良かった、とか言われてー。
まったく親の不用意な言葉って、どんだけ子供の心に傷を残すかー。」「う・・・、まあ、誰しもそれぞれ事情はあるわな。」
ジジイはヤブを突付いて大蛇を出すようなマネはやめた。「で? 私への惜しみない協力、もちろんしてくれるんでしょうねー?」
「もちろんです!」
「命をかけてサポートするぞい!」「あんたら、腹くくってくださいねー。」
アッシュは静かな口調だったが、それが逆に凄みを増した。続く。
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