空がドンヨリと重く、風が強くなってきた。
「うー、今日も寒いのお、もうすぐ雪も終わる時期なのにのお。」
鼻の頭を真っ赤にして、ジジイが執務室に入ってきた。
「あれ? リリーちゃんだけかい。
主やグリスはどこ行っとる?」
「主様はリハビリ室でマッサージを、
次期様は販売所設置の件で、街の方へ行ってらっしゃいます。」
「ほお、クリスタルシティへか。」
「はい。」
そこへ戻ってきた主が、ドアを開けるなりつぶやいた。
「ああー・・・、見えるはずのない人が見えるー・・・
霊感が発達したのかー?」
「わしゃ、霊か!」
ソファーでくつろぎながら、ジジイと主が茶を飲む。
何年も何年も繰り返されてきた光景である。
「館の商売は順調に伸びているようじゃの。」
「ええ、当初の予定よりもずっとスムーズでしたねー。」
「あれから事件も起きとらんし。」
「こんなに穏やかな日々が続くなんて、嬉しい誤算ですよねー。」
「すべては順調、ようやくこの館にも平和が訪れたか・・・。」
「あとは私のポックリ待ちですねー。」
「あんた・・・、それをあまり言うでない。」
「でも目的達成には欠かせない要素でしょー。」
「グリスはあんたのその無神経さに傷付いておるぞ。」
「はあー・・・、やれやれー
あのガキはいつまで経ってもメソメソですかいー。」
一向に反省の色のない主に、ジジイが少し怒って突っ込む。
「グリスと言えば、あんた最近グリスをコキ使っているようじゃな。」
「私の仕事は全部覚えてもらわないといけませんから
仕事の量自体は増えているでしょうよー。」
「仕事量じゃなく、問題はあんたの態度じゃよ。
あんた、自分が家畜のように扱われたらどう思う?」
「興奮しますねー。」
主が真顔で言う。
「「 ・・・・・・・・・・・・・・ 」」
ジジイとリリーが目を見開いて絶句した。
「冗談ですよー。」
主が真顔で言う。
「・・・あんたの冗談は、ほんと恐いぞ!」
「あははー、すいませんー。」
主が真顔で言う。
でも、主様のおっしゃる事も、あながち冗談ではないかも知れない・・・
リリーは思った。
主様に指図されている時の次期様は、幸せそうにしていらっしゃる
これがおふたりの愛の形だと思えなくもないほどに。
そこまで考えて、リリーはそれを打ち消した。
いけないけない、リオン様の特殊嗜好に毒されたみたいだわ。
でも、ここに次期様がいらっしゃったら
「嬉しいです!」 などと、爽やかに答えて
主様に嫌がられるでしょうね。
リリーは笑いを噛み殺し、キーボードを打ち始めた。
リオンは選挙に見事に勝ち、市議会議員になっていた。
そのせいで多忙になり、館に来る回数も減った。
と言っても、以前は週に2~3回だったのが、1~2回になった程度である。
「“忙しい” など、愚者の言い訳でーす。
時間は空くものではなく、作るものなんでーすよ。」
そう言いつつ。
「世は万事、事もなし、・・・か・・・。」
ジジイが遠い目をしながら茶を飲むのを見て、主が冷たく訊く。
「で、あんたは何の用ですかいー。」
「用がなきゃ来ちゃいかんのかね?」
「当たり前だろー。」
「ええっ、リリーちゃん、主がひどい事を言うーーーっ。」
抱きつこうとするジジイに、リリーが無言でスタンガンを出す。
「はあ・・・、うちの女性たちはきっついのお・・・。」
「矢を6本仕込むおめえが何を言うー。」
「おっ、まだ覚えとったんかね?」
「殺されかけた事は、普通忘れたくても忘れんと思いますがー?」
「あの頃は大変じゃったのお。」
「あんたにそれを言う資格はないと思いますがねー。」
ジジイはふぉっふぉっふぉっと笑った。
昔話に花が咲くようになるのは、老いた証拠である。
と言っても、このふたりの場合は
一方的にジジイが責められる展開になるのが常なので
“花” などというファンシーな雰囲気ではないのだが。
「にしても、あんた、そう安穏としてるとボケますよー?
まさか、もうボケ始めじゃないでしょうねー?
やめてくださいよー、まったくー。」
主の、汚いものを見るような目付きに、ジジイは不安になった。
「・・・あんた、わしがボケたらひどい仕打ちをしそうじゃな・・・。」
「そりゃもう、正気になるまで冷水をかけてムチ打ちですよー。」
その言葉に、思わずムセ込むジジイ。
「本当にやりそうで恐いわ!」
「閉じ込めるんじゃなく、しばき倒すのが私の愛ですよー。」
ニヤッとほくそ笑む主に、ジジイがゾッとする。
「あんた、最近穏やかになったという噂じゃったが、変わっとらんなあ。」
「人の本性なんて、そう変わるもんじゃありませんってー。」
ジジイが、ふと思い付くいて訊く。
「じゃ、また襲撃計画が浮かび上がってきたらどうする?」
「話し合いますねー。」
「で、ムダじゃったら?」
「それでも話し合いますねー。」
「で、決裂したら?」
「大人しく討たれますよー。」
「ふうむ、やはり変わったのお。」
ジジイの言葉に、主は言った。
「もう未来は育ってるんですからねー。」
続く
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かげふみ 42
「白雪姫の童話はご存知ですねー。
鏡が世界一の美女は娘だと空気の読めない発言をして
母親が怒り狂って、実の娘を毒殺する話ですー。」
主が演説で、またロクでもない事を言い始めた。
「白雪姫は、リンゴに仕込まれた毒で仮死状態になったのですが
そんなこたあ、ありえないー。
リンゴはキリスト教で言うところの “知恵の実” ですー。
白雪姫は、リンゴを食って知恵が付いたのですー。」
宗教を信じていないくせに、何を言いだすんやら。
「つまり、白雪姫は知恵が付いて
人間、顔だけじゃやっとられん
現に母親は美に執着しすぎて、ドグラになっとる
そう気付いて、ひきこもりになったのですー。
つまり、“社会的な死” なのですー。」
まったくムチャクチャ言うものである。
「人間、顔のつくりではありませんー。
でも人間、外見なんですー。
人は見た目で判断されますー。
それは当然の事なんですー。
何故なら、その服を髪型を選んでいるのは
他ならぬ自分の判断なのだから、外見に性格が表れるのは当然で
人はそれを見抜くのですー。」
今日の話は、きちんとした格好をしましょう、という事らしい。
主は話の最後にこう締めた。
「まあ、老いていくのはしょうがないですけどねー。
せめて美しく老いていきましょうー。」
聴きに来ている住人から声が飛んできた。
「主様はいつまでもお若いですよーーー。」
その言葉に、主は高笑いをした。
「当然ですわー。
わたくしは苦労を顔に出すような生き方はしていませんことよー。
ほーほほほほほほほほほーーー」
講堂が笑いに包まれたが、主にとってはギャグではなかった。
こんだけ金と手間をつぎ込んで、普通に老いとったらやっとられんわ!
主はフンフンと鼻息を荒くして、執務室に戻ってきた。
デスクに座るなり、顔にシートマスクを乗せ
スプレー化粧水を吹きかける。
「パソコンの前で霧吹きをすると、また壊して電気部に怒られますよ。」
リリーがシュッシュの音を聞いて、注意すると
主がリリーのデスクにきて、20cmの距離から顔を注視する。
「やめてください。」
嫌がるリリーの頬を、主が指で突付く。
「ほら、アップで見られると気になるでしょうー?
あなた最近、こことここにシワが増えましたよー。
あと、ここ、ソバカスが繋がりかけてるー。
これ、大ジミになりますよー。
ケアしないと、老け込みますよー。」
「余計なお世話です。」
「キレイなままのリリーさんでいてほしいから、ほらこれー。」
主が美白用シートマスクをリリーに渡した。
「20分だけで済むから、それ貼ってくださいー。」
渋い顔をするリリーに、主が言い放った。
「事務部にも若者が増えてるし
バカガキって、自分が悪いくせに怒られたら
『あのクソババア、更年期でイライラしてんじゃねーの?』
とか言いたれやがるんですよー?
そんな隙を与えないようにしてくださいねー。」
グリスが執務室に入ると、女性ふたりがスケキヨになっていて
思わず、うわっと声が出た。
「な、何をなさっていらっしゃるんですか?」
「美容ー。」
あ、ああ、そうですか・・・ しか、グリスには答えられなかった。
マスクの下のリリーの目は、明らかに怒りに燃えており
それ以上に主の目は鬼気迫っていたからである。
続く
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かげふみ 41
さて、カメラマンのマデレン。
いたんか? って感じだが、ちゃんといる。
毎日、主を追うとともに、館中を撮影している。
自分を無機物だと思ってくれ、の言葉通り
存在を消しつつ、気が付いたらそこにいた、という具合である。
このマデレンなら、主の変化にも気付いているに違いない
そう思い、グリスはマデレンを探した。
ところが探すと、どこにもいない。
館の敷地中を、推理ゲームのごとく訪ね歩いて
やっと見つけたのは、何と村の外れの道端だった。
「あら、次期様、ここで何をなさっていらっしゃるんですか?」
マデレンがグリスを見付けて、手を振りながら訊く。
「それはこっちが訊きたいですよ。
こんなところで何をなさっているんです?」
マデレンは足元を指して言った。
「ほら、アスファルトがここまで伸びているでしょう?
この村は、以前はボコボコの整地されていない道だったんですよ。
でも館産の品の販売が村で始まって、人が来るようになってから
道路も徐々に整備されてきているんですね。」
「主様の改革が、こんなところにまで影響を及ぼしているんですか。
凄い事ですね。」
グリスのいつもの主様凄い発言に、マデレンはちょっと笑った。
「で、主様がどうかなさったんですか?」
「何故、主様の事だとわかるんです?」
やれやれ、この坊ちゃんは天然ですか、マデレンは内心呆れた。
グリスの話を聞いて、マデレンは思案した。
次期様の不安は、いずれ現実のものとなる。
だけどそれが明日なのか10年後なのかはわからない。
その間ずっと、来るであろう事に怯えるのは生産的ではない。
それは次期様にもわかっていらっしゃる事であろう
聡明なお方だし。
だけどお若いから、不安を拭えないのだ。
「主様は確かに最近、お変わりになられたと思いますよ。」
マデレンの言葉に、グリスは落胆した。
「やっぱり、あなたもそう思いますか・・・。」
「ええ。
だけど、それには理由があるんですよ。」
「理由?」
「はい。
主様はあの態度ゆえに、ダラけているという印象がありますけど
実はとても合理的なお方なのですよ。」
マデレンが村の方へと歩き出したので、グリスも歩調を合わせた。
「主様は手ぶらでは動かないお方なのです。
必ず次の事、その次の次の事を見越して動いていらっしゃる。
たとえば総務部に書類を持って行く時にも
経理部への明日用の書類をついでに持って行く、といったように。
明日する事は今日する、といったお方なんですね。」
マデレンがカラカラ笑った。
「それがこの前、通り過ぎる瞬間に何かを思い出されたのか
棚からファイルを取りながら歩いて行こうとなされて
わき腹の筋を傷めてしまわれたんですよ。」
「えっ、そんな事が?」
「いえ、医務室でシップを貼ってもらって
すぐ治ったようなんですけど
『もうセカセカしない!』 と怒ってらっしゃって。」
グリスもちょっと吹き出す。
「それで、ゆっくり動くように心掛けていらっしゃるみたいですよ。
次期様には、それが “衰えた” と映るのではないですか?」
「・・・そうでしょうか・・・。」
「あのお方はせっかちすぎますので
ゆっくりぐらいで、普通の人と同じなんですよ。」
グリスは考え込んだ。
そう言われると、そうかも知れない。
「ゆっくり動くようになさってからの主様は評判良いですよ。
上品に見えるみたいなんですね。
デイジーさんなんか、『透明感溢れる気品』 だと言ってるし。」
「透明感・・・?」
グリスは、その単語に不吉なものを感じたようで
表情を突然、曇らせた。
「次期様、主様の事を案じるお気持ちはわかります。
その不安も。」
マデレンはズバリ核心を突いた。
「私もカメラマンとして、色んな状況に立ち会ってきましたけど
死ぬ人というのは、特有の雰囲気を持つんです。
それは・・・、死臭とでも言うものでしょうか
死臭と言っても、実際の匂いとかじゃないんです。
“影が薄い” とか、そういうものでもないんですよ。
何というか・・・、とにかくわかるんですよ。」
「主様は大丈夫だと思いますか?」
グリスの不安そうな表情に、マデレンは断言した。
「私の拝見する限り、主様は大丈夫です。
主様は停滞していらっしゃらない、という事だと思います。
本当に底知れぬお方ですよね。」
グリスの表情が明るくなった。
「マデレンさん、ありがとうございました。
ずっと心配だったのが、落ち着きました。
みっともないところを見せて、恥ずかしいです。」
「いえいえ、そのご心配はよくわかります。
私に答えられる事なら、いつでも構いませんから話に来てくださいね。」
まだ村を撮る予定のマデレンと別れて、グリスは館に戻って行った。
村を歩きながら、マデレンの表情は逆に沈みこんでいた。
私の話は本当に経験した事なんだけど、万人に当てはまるわけではない。
特にあの主様のような特殊なお方は、どうなるかわからない。
だけど若者が未来を案じて悩み暮らすなど、させてはならない。
主様を失った時、彼はどうなるのだろう・・・。
続く
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かげふみ 1 11.10.27
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かげふみ 40
結局、主が寝込んだのは1日だけだった。
翌日からは普通に出てきて、普通に仕事をした。
だけど、その合間合間にボンヤリと窓の外を見つめる。
グリスには、それは良い兆候には思えなかった。
いつもなら息抜きには、ゲームサイトかオカルトサイトを
コソコソ隠れ見ていらっしゃった。
なのに今は、窓の外を眺めていらっしゃるだけだ。
バラの季節ではないのに・・・。
グリスはその不安をジジイに電話で訴えた。
「主様が遠くに感じるんです。
すぐそこに座っていらっしゃるのに。」
グリスの泣きベソ風味の言葉を、ジジイはなだめた。
「歳を取ると、そういうものなんじゃよ。
別に具合が悪いとか、そんなんじゃあないんじゃ。
ただ、ちょっとだけペースが落ちるんじゃ。」
そうは言ったものの、ジジイも気になり様子を見にきた。
グリスの主様心配はいつもの事なんじゃがな・・・。
「・・・ああ・・・、また幻覚が見えるー・・・。
草葉の陰にいるジジイの姿が見えるー。」
ジジイの姿を見た主が、目頭を押さえながら頭を振る。
「わしゃまだ死んどらんわ!」
怒鳴りはしたものの、安心もした。
何じゃ、いつもと変わらんじゃないか。
グリスの取り越し苦労も困ったもんじゃな。
しかし、ソファーで茶を飲みながら観察していると
確かに多少は疲れやすくはなっているようだ。
パソコンを見ながら、目をシパシパさせ
首を傾けながら肩を押さえる仕草をひんぱんにする。
「あんた、体調はどうかね?」
ジジイの質問に、主が正直に答える。
「んー、老眼にはパソコンはきついですねー。
TVとかも何か画面から光線、出てますよねー?」
「ああー、それわかるぞ。
携帯なんかも辛くないか?」
「文字、見えませんよねー。」
この後は、年寄り恒例の不調自慢大会になった。
それを横のデスクで聞いていたグリスは、納得できなかった。
主様の変化はそういうものじゃない。
何というか・・・、最近随分穏やかになられた。
ぼくの気持ちにも、以前はロコツにイヤな顔をなさっていたのに
今は無表情で無視なさっている。
それも以前の爬虫類のような冷徹な目ではなく
まるで違う次元のものを見ていらっしゃるような・・・。
おいおい、グリス、嫌がってるとわかっててやってたんか?
と言うか、その態度は、穏やかうんぬんとかじゃなく
より一層眼中になし、になってるんじゃないのか?
続く
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かげふみ 39
3日間の休暇も終わりの時がきた。
グリスはアスターを見送りに、クリスタルシティの駅へと行き
大人3人は館へ向かう車中にいた。
グリスとアスターは食事時以外は、ずっとふたりで語り合い
より友情を深めたようである。
「私的には、ラヴを深めてほしかったでーす・・・。」
リオンのちょっと不満気なつぶやきを、主がうっとうしがる。
「養子がホモだったら、あらぬ噂をたてられるんじゃないですかー?
保身第一のおめえらしくないなあー。」
「ふっふっふ」
リオンがほくそ笑んだ。
「“マイノリティーの保護” というのは、知的階級人の義務なんでーす。
それに、そういう噂を立てるヤカラは
“差別主義者” として攻撃してくれ
と、私に言ってるようなもんでーすよ。」
「おめえ・・・、想像以上に腹の中は黒々だよなー・・・。」
主が少し青ざめてドン引いた。
「なあ、あんたらこの前から何の話をしとるんじゃ?」
ジジイが訝しげにコソッと主に訊く。
「リオンもストレスが溜まっているらしく
現実逃避に妙な妄想をしているようなんですよー。」
主が表面だけ気の毒ぶって耳打ちする。
「ううむ、いつ見ても何か食っとるし
彼もあれで何かと大変なんじゃろうなあ。」
「議員先生とか、陰で変態やってるの多そうですしねー。」
「あんた、それ、公言せんようにな・・・。」
ジジイが主の偏見をさりげなく注意した。
「お帰りなさいませ。
休暇はいかがでしたか?」
リリーが興味なさそうに、それでも一応訊く。
「地獄でしたー。」
主のそのひとことで、すべてを察するリリーも有能な秘書である。
不在中に溜まっていた書類を、うっとうしそうに片付ける主。
それとは対照的に、リフレッシュしたのか活き活きと茶を飲むジジイ。
より爽やかになって、笑顔を振りまくグリス。
休暇は良い気分転換だったようね
まあ、主様はどこにいても主様なのだから、しょうがないとして。
リリーは、心の中でほっほっほっと笑った。
別荘から帰ってきた翌日、主は微熱を出して寝込んだ。
「すいませんー、疲れが溜まったようでー。」
布団の中から詫びる主。
「休暇に行って疲れを溜めるとは何事じゃ!」
「まったく、日本人は休むと具合が悪くなるようでーすねえ。」
布団の横のコタツに座って、駄菓子を食うジジイとゲームをするリオン。
「あんたら、病人が寝てる横でやめてくれませんかねー。」
主がイライラさせられて訴えているところに、グリスがやってきた。
「主様、すみません、ぼくの我がままのせいで・・・。」
グリスの今にも泣き出しそうな様子に、主は更にウンザリさせられた。
「グリスや、おまえのせいじゃないぞ。」
「そうでーす。 主がヘンなんでーす。」
ふたりのグリスひいきも、主様の病気の前では威力を発揮しない。
「おふたりとも、主様のお具合が悪いというのに
何をなさっていらっしゃるんです!
さあ、早く主様を安静にして差し上げなければ。」
グリスはゲームのリセットボタンを、容赦なくブチッと押し
泡を吹いて失神しかけているリオンを抱え
意地汚く菓子袋を握り締めるジジイの手を引き、部屋を出て行った。
はあ・・・、やれやれ と安堵する主。
うつらうつらとまどろみながら、いくつもの夢を見た。
こういう時の夢は、何故かいつも物悲しい。
そして懐かしい。
続く
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かげふみ 1 11.10.27
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かげふみ 38
その夜の食事も、なごやかに始まった。
反省して頑張る宣言をしたくせに、相変わらず黙々と食う主に
アスターが話しかけた。
「主様は日本出身だとお伺いしましたが
日本とはどういうところなのでしょうか?」
きたーーーーーーーーーーーーー!!! 絵文字略
ジジイとリオンは心中で叫んだが、表情に出すわけもない。
「そうですねー。
日本は食べ物が美味しい国ですー。
日本食だけじゃなく、世界中の料理が日本では食べられますー。
日本に来て、食事が合わない、という人はいないんじゃないですかねー。」
主にしては、マトモな種類の話を選んだ事に、大人ふたりはホッとした。
「外食だけじゃなく、それは一般家庭内にも言えますー。
日本の家庭の夕食は、毎晩メニューが変わりますー。
和食、洋食、中華、インド料理
日本の女性はあらゆる料理を作りますー。
それのみならず、家族のランチも “お弁当” として
作って持たせるのですー。
ネットをするのなら、“キャラ弁” で検索してみてくださいー。」
アスターは疑問に思った事を、素直に口にした。
「日本の主婦は料理ばかりしているのですか?」
その言葉に、主はフフンと鼻で笑った。
「欧米人は、よくそういう事を質問しますが
民族意識の違いによるものなんですよー。」
主に何のスイッチが入ったのか、後はもう独壇場である。
「日本人は働くのが人生そのものなんですー。
遊びは仕事の余暇にするものー。
余暇がないなら、あえて遊ぼうとはしませんー。
その事に疑問を持たないのですー。
日本人は、己を滅して和を尊びますー。
夫は家庭のために、朝早くから夜遅くまで働き
妻は家族のために休暇なく家事をし、パートに出るー。
子供は学校に行き、塾に行き、習い事をするー。
どっかの国の首相が、日本人は働きアリだとタワケたけど
色付き人種なのに、敗戦からあそこまでの復興をして先進国入りをしたのは
正にこの日本人気質があったからなんですよー。
そう考えると、働きアリで何が悪い? って感じですねー。」
これを聞き、ジジイとリオンは館の改革を思い出した。
そうか、主はまぎれもなく日本人なのだ。
「日本人には、自分というものがないのですか?」
アスターはズバリ質問した。
「いいえー。
価値観の違いなのですー。
日本人の “自分” とは、“大勢の中のひとり” という自覚ですー。
だから自己主張もせず、権利もふりかざさないー。
気軽に逃げられない小さな島国で、皆が仲良くやっていくためには
全体の調和を一番に重んじる必要があったのですよー。
自分が快適に暮らすためには、まず周囲が快適でなくてはならないー。
協調性と几帳面さは、国土の広さに比例すると思いますねー。」
アスターは何となく納得させられた。
自分の失礼な質問にも、怒る事なく本気で答えてくれる主にも
少し好感が持てる気がした。
「世界が日本人だけだったら、戦争もなくなりまーすね?」
リオンが冗談っぽく言う。
「それはわかりませんねー。
日本人は怒らないんですよー。
何かあっても、“人それぞれ” だと諦めるー。
でも、そこにはリミットがあるんですー。
限界を超えたら、いきなり激怒し始めるー。
そして、あの時はああだった、この時もこうだった
と、溜めて溜めて溜め込んだ怒りを、一気に爆発させるのですー。」
「それ、恐いのお・・・。」
ジジイが思わずつぶやいた。
「はいー。
でもほとんどの場合、大丈夫ですよー。
ひとりが限界越えしても、必ず周囲がなだめますからー。
100人いて50人が怒っても、残りの50人がなだめますー。
日本人は多数決が大好きですからねー。
でも、51人が怒った時には、もう終わりですけどねー。」
この脅迫のような言葉に、一同は静まり返った。
「要するに日本人は、オールオアナッシングって感じで
融通の利かないところのある極端な民族なんですよー。」
主が あはは、と笑った。
「では、主様はこの国にいらっしゃって、感覚の違いに
イライラなさってるんじゃないですか?」
グリスが不安そうに訊く。
「それはないですー。
“人それぞれ” ですからねー。
私は私のやり方でやるだけなんですよー。
それをあなたにもして欲しいとは思いませんー。
あなたはあなたなりのやり方をすれば良いんですよー。」
主がグリスの方を真っ直ぐに見て答えた。
グリスは、嬉しそうに はい とだけ返事をした。
それを見て、アスターはやっと理解できた。
ああ、そうか、主様はグリスにとって師だったのだ。
続く
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かげふみ 37
ジジイの眼光にさらされていたせいか
主は、物静かな女性として、何とかその夜の食事はやり過ごせた。
アスターの興味は、主にいっていたが
ジジイとリオンが何かと話しかけ、主が喋らなくて済むよう苦心した。
手練れの大人ふたりのお陰で、弾む会話ではあったが
アスターはグリスの仕草が気になった。
グリスは老人や義理親に話しかけられた時以外は
ずっと主という女性の方を見ているのだ。
主は涼しい顔で、黙々と飯を食っている。
グリスの方をまったく見ない。
無視をしている様子もないし
これだけ凝視されているのに、それを気に留めないなんて
並の神経では出来る事じゃないと思うんだけど・・・
アスターには、ふたりの関係、特に主の気持ちが想像も出来なかった。
「主様はいつもああいう感じなのかい?」
食事が終わり、ふたりになった時に率直に訊いてみた。
アスターの問いかけの意味が、グリスにはわからなかった。
「ああいう感じって?」
そう問い返されると、逆に困る。
「ええと・・・、無口な方に思えたから。」
「うん、仕事以外ではあまりお喋りな方じゃないなあ。
無表情なのは、仕事中もだけど。」
「へえ・・・。」
アスターが真に訊きたかったのは
主はグリスをぞんざいに扱ってるんじゃないか、という事なのだが
それを言うと、きっとグリスは傷付く。
多分、主様は不器用なお方なのだろう
東洋の女性というのは、つつましやかだという話だし
現にグリスのために、仕事を休んでここに来てくれている。
ぼくに立ち入れるような事じゃないんだけど
明日は主様に話しかけてみよう。
アスターは “主様の感想” を、先送りにした。
翌日、リオンが窓の外を見て言った。
「主、ボーイズラヴたちが泳いでいますよ!」
主はソファーにでんぐり返ってDSをしている。
「男の裸なんぞ、興味はないですねー。」
そこへジジイが入ってきて、いきなり文句を言い始めた。
「あんた、夕べの態度は何じゃ?」
主が え? 何? と、キョロキョロする。
「あんたじゃよ、あんた!
アスターに話かけんとグリスに目もくれんと、モソモソ飯を食うばかりで
さっきの朝食にも出てこんかったじゃないか!
グリスが心配しとったぞ。」
「ええーっ、ボロを出さんように黙っていたのにー。
それに夜更かし寝坊は休日の仕様じゃないですかー。」
心外だと言わんばかりに、主が口答えをする。
「“招待” は、休日ではないんでーす。
公務と思って、気を抜かないでくださーい。
それにお客をもてなすのは、紳士淑女の義務でーす。
今日はきちんと “社交” をしてくださーい。」
リオンの言葉に、ジジイもうなずきながら言う。
「あんな態度じゃ、グリスを無視していると思われるぞ。」
アスターと同じ感想を、大人ふたりも感じていたようだ。
主は素直に詫びた。
「育ちの悪い事をして、ほんとすみませんでしたー。
今日は頑張りますー。
やる時ゃやりますよ、私はー。」
その言葉に、ジジイは逆に不安になった。
こやつがこういう時は、ロクでもない事をしでかすもんじゃ。
大丈夫かのお・・・。
リオンは窓に張り付いて、眼下で展開される
花びらと点描の世界を堪能していた。
大事なのは想像力なのだ。
続く
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かげふみ 38 12.3.15
かげふみ 1 11.10.27
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小説・目次 -
かげふみ 36
リオンの別荘に、アスターがやってきた。
一応それなりのきちんとした格好をして出迎えた大人3人。
アスターは丁寧に招待のお礼をしたが
主を見て、違和感を感じていた。
目の前に立っている主という女性は
いかにも東洋人という外見で、ボケッとしている。
グリスの話や、電話から漏れ聴こえた怒声と
どうしてもイメージが合わないのである。
“この” グリスが心酔するほどの魅力も見当たらない。
「夕食は7時の予定なので、それまでは自由にしていてくださーいねえ。」
リオンが言うと、グリスがアスターの腕を引っ張った。
「裏手に、すごくキレイな湖があるんだよ。
散歩でもしよう。」
仲良く立ち去るふたりを見送ったあと
大人たちは相変わらずの茶飲みを始めた。
「ね? 爽やかなボーイズラヴでしょーう?」
「てか、アスターって白人じゃんー。」
「それが何か?」
「白人が黒人に本気で恋するなんて、あるかなあー?」
「おーう、それは充分にアリでーすよ。
高い教育を受けた白人は、“差別をしない平等観” というのも
教養のひとつとして誇るんでーす。
実際に深層心理がどうだったとしても。」
「ああ、なるほどー。」
ふたりのやり取りに、ジジイは付いていけない。
「何の事じゃ? その話題は。」
「まあ、今はそういう垣根もなくなってきたようでーすよお。」
「とは言っても、まだまだ一部でしょうー?」
それを無視して、話を続けるふたりに、ジジイが怒り出した。
「だから何の話をしとるかと訊いとるんじゃ!」
「黒人と白人の友情についてでーす。」
リオンがものすごい大まかな説明をした。
が、ジジイは納得したようで、話に加わってきた。
「グリスは、ありゃあ黒人の血は薄いじゃろう?」
「ええ、アングロ系は絶対に入ってまーすねえ。」
「肌は黒いが、あの髪質と顔立ちは独特じゃもんな。」
“人種” について、リオンとジジイが語り合う横で
主が呆れたように聞いている。
「しっかし、あんたら外人って、ほんっとそういう
人種の細かいとこにこだわりますよねー。」
「・・・外人はあんたの方なんじゃがな・・・。」
「単一民族の島国の人にはわかりませーんでしょーうねえ。」
「・・・現実は単一でもねえんだがなー。
日本にも差別はあるけど、欧米に比べたら軽いもんですよー。
あんたら、ほんっと差別が根底にありますよねー。」
主の非難を、リオンが軽くかわす。
「陸続きの国々では、“民族” というものを重視しないと
己のアイデンティティを保てないんでーすよ。」
「まあ、どうしても世界視点で言うと、 “国家” が個人の居場所で
それを保ちたいなら、区別差別もしょうがないわな。」
主は気のない返事をした。
「ふーん。」
「にしても、アスターくんが良い家庭の育ちで良かったでーすねえ。」
「そうじゃな。 さすがグリスが親友に選ぶだけある。」
ふたりの会話に、主が疑問をはさむ。
「アスターの身元を調べたんですかー?」
リオンが当たり前でしょう、と言う顔をした。
「“生まれ” は調べましたけど、“育ち” は見てわかるでしょーう。」
「へえー・・・?」
よくわかってない主に、ジジイが補足する。
「我々の国じゃな、人種や階級によって住み分けが明確なんじゃよ。
この現代においても、両者が交わる事は滅多にないんじゃ。」
「そう。 だからアスターくんの前では
我々はそれ相応の振る舞いをしなければなりませーん。」
「主、あんたの言動が一番心配じゃ。
グリスに恥をかかせんよう、きちんとせえよ!」
うへえ、やっぱり来なきゃ良かった・・・
主はウンザリした。
3日も猫をかぶる事など出来るのか? 主よ。
続く
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かげふみ 35
リオンは嬉々として叫んだ。
「このアスターという友人は、グリスくんより年上だけど
グリスくんにラヴなんだと思いまーす!!!」
リオンの言葉に主はくいついた。
「何ーーーっ? 森のくまさんかーーーっっっ?」
「何でーす? それ。」
「昔、本屋さんの趣味の棚でさー
森のくまさん、っちゅう雑誌が置いてあったんですよー。
毛むくじゃらのメタボおやじのヌード写真集でー・・・」
主の言葉をリオンがさえぎった。
「あああっっっ、そういうディープなジャンルじゃなく
ふたりはボーイズラヴなんでーす!」
「ボーイズラブー?」
「いいえ、ボーイズラヴ。」
主がリオンと向き合って、両手の平を胸元で立てた。
リオンがその手に自分の手を合わせて、ふたりでうなずく。
「イエス! ボーイズラヴ!」
と言いながら、グルリと顔を横に向けた。
ふたりで大ウケしてはしゃぐ。
「おめえ、私のパソコン、見ただろー。」
「はいー。 日本、お笑いも面白いでーす。」
こいつ、プライバシーの侵害はまったく気にしてないわけね
主がリオンの距離感を苦々しく思っているところに
リオンが無神経発言を追いかぶせる。
「だけど主のアンテナは、数年古いでーす。
今はお笑いもゲイものがウケてるんでーすよ。」
「いや、別に私は日本の流行を追ってるわけでもないしー。」
「日本かあー・・・。」
主が窓越しの空を見上げる。
「そっちは南でーす。」
「だって地球は丸いんだもんー。」
「でも、いくら回ってても、軌道線上にない国にはたどり着けませーんよお。」
睨む主に、リオンが微笑む。
「日本に帰りたいでーすかあ?」
「いや、別に良いですよー。」
「私が隠居して日本に移住する時に
一緒に行きましょーうねえ。」
「だから別に良い、っつってるじゃんー!」
主がイラッとした様子で怒鳴り、リオンがふふふと笑う。
こうなると主に勝ち目はないので、早々に話題を戻す。
「えー、でもその話、確かですかあー?」
「私の腐れ濃度をあなどったらいけませーん。
とりあえず、一通りはかじっていまーす。」
威張るリオンに、ちょっと感心する主。
「おめえ、そっち方面にも手を出しとるんかー。
あー、でもさー、私、そのジャンル詳しくないんですよー。
それに恋愛ごととかどうでも良い、っていうかー。」
相手にしない主に、リオンがポツッと言う。
「・・・歴代主には、“護衛” が必要だと思いまーす。」
主は何の反応も示さず、書類を読んでいる。
そんな主に、リオンが改めて感心する。
「すごいでーすねえ、あなたの愛は。」
ここで主が、ブチ切れカウントダウンを開始した。
「・・・何を言ってるのかわからないし、わかりたくもねえんだけどー?」
“館” に関わっている者ならば皆、主の逆鱗場所は熟知している。
そこにあえて触るヤツは、リオンかジジイぐらいのものだが
リオンは、より冷酷に戦略的思考を展開する。
「目をそむけていたいのなら、私に従ってくださーいねえ。
館の未来のためでーすから。」
“館のため” と、“リオン” が言うのなら
主は目隠しをされても付いて行く。
「・・・ん、わかりましたー。」
リオンは、主の説得の成功し、つい馬脚を現した。
「楽しいバカンスになりそうでーすねえ。
点描の花びら舞い散る禁断の愛の青春劇!!!」
「うーむ、それはちょっと見てみたいかもー・・・。」
両手を広げてクルクル回るリオンに、手をあごにあてて妄想する主。
「ね? ね? 心の琴線に触れるでしょーう?」
執務室にデスクがあるリリーは
同室での邪念いっぱいのふたりの話がイヤでも耳に入る。
「差し出がましい事を申しますが
ご旅行をなさるなら、元様もお連れになった方がよろしいかと。」
その言葉に、主とリオンは顔を見合わせた。
「あ、そうでーした。」
「だなあー。 連れてかないと、どんだけヒガむやらー。」
リオンがパンと手を打った。
「そうだ、良い考えがありまーす!
別荘でコスプレパーティーをするんで-す。
元殿にはゼノの格好をしてもらいましょーう。」
「ああー、確かにジジイはゼノ風味だよなー、ププッ。」
主は吹き出した。
「でも却下ー!
この年でコスプレやらに手を出したら
平穏な老後を迎えられん気がするー。」
「そうでーすねえ。
コスプレ、結構な費用が掛かりまーすから
私のような富豪じゃないと無理でーすよねえ。」
リオンの言葉の失礼さに気付かない主は
うんうん、そうそう、と同意した。
ある意味、純粋な人間なのかも知れない。
続く
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かげふみ 34
“といった感じで、最近は主様と談笑できる機会が出来て
とても楽しい日々が続いています。“
携帯のメールを送信するグリス。
相手はアスターである。
ふたりの交流は、グリスが館に戻ってからも
ひんぱんなメールのやり取りで続いていた。
そんなある日、アスターからのメールにグリスは悩んだ。
“2~3日、休暇が取れるので、久しぶりに会いたいな。
そっちに遊びに行っても良いかい?”
グリスが館に戻る時に、アスターは駅まで見送りに来てくれた。
「アスター、本当にありがとう。
きみと出会えた事が、ぼくの学生生活で一番の思い出だよ。」
微笑みながらも、寂しそうに眉を下げるグリスに
アスターが少し怒った口調になる。
「思い出にしないでくれよ、グリス。
ぼくはこれからもずっときみと付き合いたいんだよ。」
その言葉に、グリスはうつむいた。
「・・・ぼくは多分、もう一生クリスタル州から出られない。
それでも友達でいてくれる?」
アスターはグリスを抱きしめた。
「もちろんだよ。
きみが来られないなら、ぼくが会いに行くよ。」
心地良い風が吹き抜けるホームの人の群れの中
ふたりは名残惜しそうに見つめ合った。
アスターに会いたいけど、ここに呼んでも良いものだろうか?
グリスは、それは出来ない気がした。
ここは秘密の館なのだ。
グリスは、主の寝室をノックした。
はい、と我が部屋のように返事をしたのはリオンである。
「お車があるから、いらっしゃっていると思って・・・。」
さっき主は総務部の方に走っていくのを見かけた。
部屋にはリオンしかいないのはわかっていた。
リオンはコントローラーの一時停止ボタンを押した。
「どうしたんでーす?」
「はい、ご相談がありまして、実は・・・。」
グリスから詳しく話を聞いたリオンは考え込んだ。
「うーん、ここに招くのは無理でーすねえ。」
「やっぱりそうですよね・・・。」
「ところで、そのアスターって子はどんな子なんでーす?」
「あ、写メがあります。」
グリスの携帯のアスターの画像を見たリオンの目が、怪しく光った。
「グリスくん、ここじゃなくて私の別荘に招きましょーう。
主ときみと私とで、休暇を過ごすんでーす。」
「え、そんなご迷惑は・・・。」
「“親子” じゃないでーすかあ、水臭い。」
リオンとグリスは、養子縁組を終えていた。
よろしくお願いします、と返事をしたグリスを
リオンは大喜びでハグし、急いで手続きをしたのだった。
その喜ぶ様子は、たとえリオンの世界征服計画の一環に利用されてても
それでも良い、とグリスも素直に思えるほどだった。
主への説得は任せろ、とリオンはグリスに言い
早速、執務室へと出て行った。
主が執務室に戻ると、リオンがソファーに座っていた。
「おやー、どうしたんですー? こっちに来るなんて珍しいー。
また中ボスにてこずってるんですかー?
あなた、回復のタイミングが遅いんですよー。
先手先手で中回復をしておかないとー。」
「いやいや、今日は良い話を持ってきたんで-す。」
その言葉を聞いて、主はそっぽを向いた。
「あなたとジジイの “良い話” ほど
怪しいもんもないですからねー。」
「いやあー、さすが歴代一と名高い主!
その疑り深さじゃなきゃ、ここを仕切れませーんもんねえ。」
馴れ馴れしく、主に擦り寄るリオン。
「でも今日のは本当に “良い話” なんでーすよー。
“我々” にとってはねー。」
主がいぶかしげな顔で振り向き
リオンが悪代官のように、ヒッヒッヒと笑った。
「グリスくんがですね・・・」
「ふーん、ふたりで行けば良いじゃないですかー?
私、行く気、サラサラないですよー。」
主の答は、予想通り素っ気ないものだった。
「そう言うと思ってまーした。
ところがで-す!
この話には思いがけない裏設定があるんでーす。
聞けば絶対に行く気になりまーすよ。」
リオンの自信たっぷりの誘い受けに、主は少し興味をそそられた。
「・・・本題、早く言ってくんないですかー?」
リオンがもったいぶりながら口を開く。
「実はでーすねえ・・・」
続く
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