カテゴリー: やかたシリーズ

  • ジャンル・やかた 74

    グリスは23歳になった。
    アッシュが積極的に教育に関わらなかったせいか
    心身ともに立派な青年になっていた。
     
    アッシュは、もう長老会のメンバーになっていた。
    主を15年以上務めたからである。
     
     
    真のババアになったというのに
    アッシュの顔にはシワもシミも目立たなかった。
     
    「いつまでもお若いですね。 さすがニッポン人。」
    そう褒められると
    「ニッポン人でもお直しなしでこれは、そうはいないものですよー
     わたくし、苦労が顔に出るような生き方はしておりませんのー
     ほーっほっほっほーーー」
    と、仁王立ちで高笑いをするアッシュに
    誰もがその相変わらずさに、安心を感じるのであった。
     
     
    まだ雪が残る寒い朝に、アッシュは眠ったまま二度と目覚める事はなかった。
     
     
    結局、右目は見えないままだった。
    誰もアッシュの最期の姿や言葉を覚えていなかった。
    それぐらい日常に埋もれた、いつもの時間のいつもの光景の中だったのだ。
     
    死因は “心不全” にしか、しようがなかった。
    長老会の、村の、館の、アッシュを知る誰もが驚き、そして納得した。
    何も知らずに来て、何も知らせずに逝ったのだ。
     
     
    館中が深い悲しみに沈んだ。
    何の示し合わせもないのに、皆が講堂に集まった。
    ただそこに来ただけで、祈りもなく言葉もなく座るだけだった。
    アッシュの命が停止したと同時に、館中の機能も停止した。
     
     
    棺に眠るアッシュの見えない右目に、グリスがバラの花を1輪置いた。
    館でのローズの存在は、アッシュにとってはまさに
    このバラそのものだったように思えたからだ。
     
    グリスに見習って、皆がバラを1輪ずつ入れた。
    お陰で温室のバラは、ほとんどが切り取られてしまった。
     
    アッシュはバラに包まれて、墓地を見下ろす小高い丘の頂上に埋められた。
    兄グレイの墓の側でもローズの墓の側でもなく、ただひとり離れて。
     
     
    アッシュの葬儀が終わった後に、デイジーが首を吊った。
    デイジーにとって、アッシュそのものが館になっていたのだ。
     
    まったく、バカな女!
    リリーは、心底腹が立った。
     
    ジジイは慌てて、“殉死” 禁止令を出した。
    「そんな事をしても、主は喜ばないのはわかっとるじゃろう?
     本当に主の事を想うなら、その意思を継ぐ次の主を支えるべきじゃ!」
     
    そういうジジイも、自分よりも何十歳も若いアッシュの死に
    立ち直れないほどの衝撃を受けていた。
     
    アッシュは自然に逝ったんじゃ。
    幸せな死に様じゃったと思うしかない。
    じゃが、グリスがそう納得できるかわからん。
    若者は死の身近さを知らないからのお。
     
     
    グリスは再起不能に思えた。
    だけど、さすがアッシュの跡継ぎ。
    傷を抱えながらも、アッシュの跡を立派に継いだ。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 73 10.4.20
          ジャンル・やかた 75 10.4.26
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 73

    グリスの寝室は、アッシュとは離された。
    隣のローズの部屋は、封印されたままだった。
    その理由をアッシュは、こう主張した。
     
    「もし爆弾でも撃ち込まれたら、ふたりとも死ぬじゃないですかー。
     そしたら私の代わりまでいなくなるんですよー。」
     
    本当の理由はそうじゃない、と誰もが思ったが
    アッシュの意見も、もっともだったので
    グリスの寝室は中庭を挟んだ反対側になった。
     
     
    アッシュはグリスに自ら関わろうとはしなかったが
    彼が来てから、明らかに雰囲気が変わった。
    大人は子供の手本であらねばならない、という
    アッシュの信条の元に、一応の努力をしているからである。
     
    アッシュは子供が大嫌いであったが、それは子供と同等に張り合うからで
    まさに “大人気ない” の標本のようなヤツだが
    それでもアッシュなりに、子供のために頑張ろうとはしていた。
     
    だが如何せん大人気ないのを自覚しているので
    うかつに子供の心に傷を付けまい、と
    なるべく距離を置いていたのである。
     
     
    アッシュは館の改革を熱心に続けた。
    住人たちの心は、いまやすっかり落ち着き
    新たに館にやってくる者の面倒も、ちゃんと見る。
     
    やさぐれて来た者が、どんどん更生していくのも
    住人たちの生き甲斐になっていた。
     
    館はすっかり安定していた。
    今後の改革はグリスに引き継がせれば良いけど
    出来るだけ経済を潤わせとかないと。
    先立つものがないとどうにも出来ないし、貧乏は心がすさむもんね。
     
    そう思いつつも、アッシュの心はどこか上の空だった。
    自分がどうなろうが館がどうなろうが、実はどうでも良い
    そういう気持ちが心の隅に隠れていた。
    これはアッシュ自身も気付いていない刹那だった。
     
     
    そういう気持ちがあるせいか、ボーッと窓の外を見るアッシュの姿は
    時折薄くぼやけて見える時があった。
     
    “影が薄い” って、こういう事なのかしら?
    リリーは、突然アッシュがいなくなりそうな不安に駆られるようになった。
     
    アッシュのその状態を、歓迎していたのはデイジーだけだった。
    ひとりを見つめるぐらいなら、誰も見ないでほしい
    主様は頂点なのだから。
    デイジーには、薄ぼんやりとしたアッシュが高潔に見えていた。
     
    だけどそんな時のアッシュの視線の先には
    花壇に植えられたバラの花があった。
     
    ローズが死んだ時に、アッシュの命令で全部抜かれたバラだったが
    最近になって庭師に頼んで、また植え直したものだった。
    窓から見下ろすアッシュを気にしながら、グリスもその作業を手伝ったのだ。
     
     
    アッシュは、屋上とローズの墓には決して行かなかった。
    その事が、アッシュの心の傷を明確に表わしている。
    住人たちの唯一の心配は、アッシュの安否だった。
     
    住人たちは、ジジイにもっとひんぱんに館に来るように頼んでいた。
    やれやれ、わしの方がお迎えが近い歳なのに、と思いつつも
    ジジイはいそいそと館に足を運び
    アッシュに、また来たんか、ジジイ、と怒鳴られるのであった。
     
     
    同様にリオンも歓迎された。
    アッシュの部屋に入り浸って、ゲームに熱中する。
     
    いくら年齢差があるとは言え、男女が部屋に篭もってれば
    浮いた噂のひとつやふたつは立つものなのに、それがないのは
    リオンはRPG好きのくせにマップが読めず
    アッシュにギャアギャア怒鳴られながら、ゲームを進めているからである。
    その怒号は、窓の外にまで聴こえていた。
     
    こんなふたりが愛だ恋だに発展するわけがない。
    そういうロマンから、一番遠い人種である。
     
    リオンはこれでも一応、長老会の次期主要メンバーなので
    遠慮して、挨拶ぐらいしか出来ないのだが
    住人たちは、いまや滅多に聞かれないアッシュの罵倒を
    方向音痴のリオンに託していたのだ。
     
     
    つまり館中が、アッシュが怒声がないと落ち着かない気分になっていたわけで
    館全体、M属性に変貌していた。
     
    その事を知ってか知らずか、アッシュは常にマイペースであった。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 72 10.4.16
          ジャンル・やかた 74 10.4.22
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 72

    跡継ぎ探しに旅立ってから、わずか4日でアッシュは帰ってきた。
    漆黒の肌と土色の瞳の男児を連れて。
     
    「はい、これお土産ですー。」
    と、真剣に家に置きたくない木彫りの人形を、長老会メンバーに配った。
     
    「これは、何なのかね?」
    「何か良い味出してませんー? 手彫りらしいですよー。
     よくわからないけど、何かの呪いの儀式に使うものらしいですー。」
    ああ・・・やっぱり・・・、とメンバー全員がとことん気落ちする。
    リオンを除いて。
     
     
    「にしても、えらく早いご帰還でしたねえ。」
    メンバーのひとりが言うと、アッシュのスイッチが入った。
     
    「だって、ひどい場所だったんですよー!!!
     昼は暑いしー夜は寒いしー汚いしー臭いしー飯は不味いしー生水ヤバいしー
     ホテルは古いしー設備は悪いしーサービスは悪いしー
     シャワーの出は悪いしーお湯が水だしー・・・」
     
    「よその国を、よくそこまで悪く言うのお。」
    ジジイがアッシュのグチをさえぎった。
     
    「きみは差別主義者かね?」
    かっぷくの良い紳士が追求する。
    「顔や腹ん中が汚いのは、私も人の事を言えないですけど
     とにかく外側が汚いのが、ほんっっっとイヤなんですー!!!」
     
    「ニッポン人は清潔なんでーす。
     不潔なのが許せないんでーす。 ね?」
    リオンが解説した。
     
    「そうーーー!!!
     良い事言うじゃんー、死にキャラー!」
    「え? 何でーすか?」
    「あー、いえー、何でもないですー。」
     
    (ネタバレ注意解説: 某ゲームのリオンというキャラは途中で死ぬ)
     
     
    「で、その子が跡継ぎかね? 何を基準に選んだんだね?」
    「ああ、付いて来たんで、連れて来たんですー。」
    「・・・え? それだけかね?」
     
    「リアル生活にそんな妙な霊感とかを期待しないでくださいー。
     現実なんて、そんなもんですよー。
     教育すれば良いんですー。
     と、言う事で、教育係の派遣よろー。」
     
    はあああああああああ・・・・・、と全員が溜め息を付いた。
    リオンを除いて。
     
     
    「その子は何歳かね?」
    「名前は何だね?」
    「英語は喋れるのかね?」
    質問が相次ぐ。
     
    「書類上は5歳ってなってますねー。
     名前はグリスだそうですー。
     英語は喋れないようですー。」
     
    「書類上ねえ・・・。」
    「もう詳しい経緯を訊くのは止めときましょうよ・・・。」
    ニコニコとグリスを見つめているリオン以外は、そう示し合わせた。
     
     
    では、このへんで、と会議室を出ようとするアッシュに
    ジジイがいらん事を訊いた。
    「お供は知的イケメンじゃったか?」
     
    ドアレバーに描けた手をピクッと止め、横目でチラッと見て
    無表情のままひとことだけ言って、アッシュは部屋を出て行った。
     
    「・・・・・・軍人でしたー・・・・・・・。」
     
    長老会メンバーは、一斉にジジイを睨んだ。
    リオンを除いて。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 71 10.4.14
          ジャンル・やかた 73 10.4.20
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 71

    皆の顔を見てオドオドするアッシュに、老紳士が声を掛けた。
    「それで、もう大丈夫なのかね?」
    「え? 何がですかー?」
     
    アッシュの間抜けな聞き返しに苦笑する。
    「きみの体調がだよ。」
    「あっ、ああ、すいませんー。
     もう気持ち的には大丈夫ですー。」
    「そうかね、それは良かった。」
     
    老紳士はそう答えたが、アッシュの右目が見えなくなっている事と
    それがローズの死の真相を知ったことへのショックなのは
    メンバーの全員が知っていた。
    情報源は、もちろんジジイである。
     
     
    「えっとー、それでですねー、言いたい事があるんですが
     遠慮なく言って良いですかねー?」
     
    ジジイが茶々を入れる。
    「あんたが遠慮した事があるかいな?」
    「うっせー、ジジイ、黙れー、死ねー!」
    アッシュがジジイの耳元で、ドスの利いた小声で言う。
     
    ジジイが指をくわえて気色悪くスネるのを無視して、アッシュが続けた。
    「寝込んだのは申し訳なかったし、お見舞いも本当に嬉しかったのですが
     皆さんがやるべき事は、他にあったんじゃないか?
     と、言いたいのですー。」
     
    「それはどういう意味だね?」
    太っちょ紳士がいぶかしげに訊ねる。
    「今回の事で皆わかったはずですー。 次の主を用意しとくべきだとー。
     皆さんは、その人物を捜すべきだったんですー。」
     
     
    メンバー全員が考え込んだ。
    「確かにそれは正論だが、きみは生きてるわけだし・・・。」
    「そのお気持ちは本当に嬉しいんですが、死んでからじゃ遅いんですー。
     “次” を用意しとかないと、せっかくの改革が中断してしまいますー。」
     
    「うーん、だが正直言って、きみに匹敵する人材がいないのだよ。」
    太っちょ紳士の意見にリオンが賛同した。
    「そうでーす、アッシュさん以外におられませーん。」
     
    「おめえはだーっとれー!」
    リオンに一喝して、アッシュは言い切った。
    「いないなら作れば良いんですー。」
     
     
    その言葉の意味がわからず、皆は はあ? という顔をした。
    「相続戦はもうやらない事にしたでしょー?
     だから、子供を連れてきて育てれば良いんですー。」
     
    「「「どっから?」」」
    数人が揃って同時に叫んだ。
     
    「某国か某々国あたりからですよー。
     そこならラクに子供をさらってこられるでしょー。」
    「さらうって・・・。」
    「ま、さらうってのは半分冗談ですけど
     そこらへんなら子供を買えますよねー。」
     
    半分かい、冗談は! とジジイは突っ込みたかったが
    連続の死ね攻撃は老体には堪えるので、大人しく黙っていた。
     
     
    「しかしそういう子は、国籍とかの面倒があるし・・・。」
    メンバーの渋りに、アッシュは自分を指差した。
     
    「「「「「え・・・・・? あっっっ!!!!!!!」」」」」
    「き、きみ、国籍はどうなっとるんだね?」
     
    ふっ・・・、とほくそ笑んで、アッシュは平然と答えた。
    「パスポートはとっくに失効してるはずですよー。
     私、多分、行方不明扱いですー。」
     
    ああああああああああああああ と、全員が頭を抱えた。 リオンを除いて。
    リオンは状況がわかっているのか、アッシュの妙な言動にも動じていない。
     
    アッシュは皆 (マイナスひとり) の苦悩を、サラリと流した。
    「何を悩む事があるんですー?
     不祥事があったら、余計に私のせいにしやすいじゃないですかー。」
     
    また、無謀なプラス思考を・・・と、ジジイは突っ込みたかったが
    連続の死ね攻 以下略。
     
     
    「ふむ・・・、きみの国籍問題は改めて考えるとして
     その跡継ぎの子供というのを、どうやって選ぶんだね?」
     
    「ダ○イラマの逆バージョンでいこうと思うんですー。
     つまり、私が “導かれて” いくんですー。
     今後の主交代はそれで行けば、余計な血も流れないし
     子供の内から側にいたら、ラクに主のやり方を学ばせられますよー。」
     
    「なるほど! それは良い方法かも知れない!」
    威圧的な紳士が、賛同した。
     
    まったく突飛な事を考えるものだが
    だからこそ、あそこまで館を生まれ変わらせられたのかも知れない
    他のメンバーもそう思った。
     
    しばしの議論の後、出た結論は賛同だった。
    「わかった。 その方法で行こう。」
     
     
    メンバーの承認を得たアッシュは、早速席を立った。
    「では、探しに行きますので
     どこの国でも良いですから、その地元に詳しい
     知的イケメンガイドをお供にひとりお願いしますー。」
     
    「ち・・・知的イケメンじゃないとダメなのかね?」
    「はい。 私の右目も知的イケメンなら見えるかもー? ってね。 あはは」
    それ以上にない気まずいギャグである。
    アッシュは卑怯者であった。
     
    「ど・・・どんなタイプかね?」
    おそるおそる訊くメンバーに、難題をサラリと言い放つアッシュ。
    「んー、欧米人だと、私の “知的” 定義からはちと外れるけど
     若い頃のジェームス・スペイダーか
     少年時のエドワード・ファーロング似で何とぞー。」
     
     
    「誰ですって?」
    「多分ハリウッドの俳優じゃないかね?」
     
    メンバー全員が困り果てたところに、追い討ちを掛ける。
    「あっ、そうそうー、私の偽造パスポート、よろしくー。」
     
    「「「偽造かね!」」」
     
    「だって私が今更、日本大使館に行ったらヤバい事になるかもですよー。
     それに善は急げと言うし、偽造が手っ取り早いでしょうー。」
    “善” かのお、とジジイは突っ込 以下略。
     
    「何もきみが行く必要もないんじゃないのかね?」
    無個性紳士が反対した。
    「この計画だと、私じゃないと真実味半減でしょーがー。
     何せ、逆ダ○イラマですよー?」
    「ううむ・・・、しょうがない・・・かなあ?」
    無個性紳士は、あっさりと言いくるめられた。
     
    「皆さんの地位と権力なら、ラクショーでしょー?
     それに私もここのパスポートがあったら
     今後何かの時に助かるかも知れませんしねー。
     あっ、もちろん今回の旅の後には
     偽造パスポートは長老会に返しますから、悪用の心配はありませんよー。
     ガイドも、私の監視役の意味も兼ねて選んでくださいねー。
     知・的・イ・ケ・メ・ン をー。」
     
     
    言いたい放題のあげく、ドアの手前で振り返ってまだ言う。
    「それとですねー。」
    まだ何かあるんか! と、全員が殺気立った。
     
    「皆さんも跡継ぎはちゃんとしといてくださいねー。
     余計なお世話でしょうけど、館の存続に大きく関わってきますからー。」
     
    その言葉にリオンが挙手して叫んだ。
    「うちはだいじょぶでーす。
     跡を継ぐために、父の仕事には全部参加し始めたんでーす。」
     
    リオンが示す人物を見て、アッシュは驚愕した。
    「えっ? このダンディー紳士がおめえの父ちゃんーーー?」
     
    そうでーす、と満面の笑みで答えるリオンの肉付きの良い肩を
    ポフンポフンと叩きながら、アッシュが半笑いで言う。
     
    「その気になりゃ、あなたの未来は明るいかも知れないんだよー?」
    「はーい? 何でーすかあ???」
     
    リオンは本当にわからないようだったが
    その場の彼以外の全員が、アッシュの言葉の意味を理解していた。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 70 10.4.12
          ジャンル・やかた 72 10.4.16
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15
     
         
    そしてみんなの苦難 1 11.5.16

  • ジャンル・やかた 70

    長老会会議に、アッシュが出席した。
    「ブッ倒れて寝込んで、申し訳ございませんでしたー。
     ちょっとヒス起こしちゃいましたー。
     皆様方には、度々のお見舞い、心よりお礼を申し上げますー。
     どうもありがとうございますー。」
     
    敬礼をするアッシュに、若い太めのメンバーが嬉しそうに言った。
    「おおーう、ニッポンのオジギでーすね?」
    「いえ、これはサイケイレイと言いますー。
     最高の敬愛を込めてするオジギですー。」
    「おおおおおー、ニッポン、美しい文化でーすねえ。」
     
     
    「・・・? 何かやたらニッポンを褒め上げてるようですがー?」
    いぶかしがるアッシュに、ジジイが横から口を挟んだ。
     
    「ああ、こいつはあんたの見舞いに来た時の視察で
     あんたのゲームにハマってな。
     ヒマさえあれば、あんたの部屋に入り浸ってたんじゃよ。」
     
    「ちょ! 私のゲームを勝手にー? セーブデータはー?」
    勢いで立ち上がったアッシュは、リアル目まいを起こした。
    「ああっ、無理しないでくださーい。
     だいじょぶでーすかあ? こっちはだいじょぶでーす。
     私専用のメモリーカード作りまーした。」
     
    アッシュは益々目まいがした。
    「あんた専用って、どのハードのメモカをー?」
    「ゲームキューブとプレステ2でーす。」
    「その2個で3000円ぐらいするんだけどー・・・。」
    「おーう、お金の事なら任せてくださーい。」
    「私の部屋には、お金を出しても入手困難なものもあるんですよー?」
     
     
    そう言って、アッシュはハッとした。
    「あんた、私の寝室に勝手に入ってたんかいーーーっ!」
     
    「あなたの部屋、素晴らしいでーす。
     その価値、私にもよくわかりまーした。
     これからもよろしくお願いしまーす。」
    「アホかーーーっっっ! バカかーーーっっっ!
     乙女の寝室にゃ出入り禁止に決まっとろうがー!」
     
    「おーまいがっ、乙女のくだりは突っ込みませーん。
     だからどうか私をゲストさせてくださーい。」
    「ああーーーっ、こいつ、イライラするーーーーーーーっ!
     何なのー? その喋り方ー。」
     
    「私、ゲームラブになってから、ニッポンラブになりまーした。
     今、ニッポン語勉強中でーす。
     もちろん主さんもラブでーす。
     どうか私を受け入れてくださーい。」
     
    アッシュはジジイの方を向いて、質問した。
    「こいつ、まさか下ネタを言ってるわけじゃないですよねー?」
     
    ジジイは ぶはははははは と大笑いした後に答えた。
    「その心配は、あんただけにゃないから安心せえ。
     こやつは単純にあんたの所有するニッポンの品々に興味があるだけじゃ。」
     
     
    アッシュは、ムウッとふくれっ面になったが
    ピン、と悪巧みが脳裏によぎったらしく、急ににこやかな顔をした。
    「えーと、何さんでしたっけー?」
    「リオンでーす。」
    「リオンー・・・? へえー・・・、“リオン” ねえー。
     私の借金を払ってくれたら、私の部屋で自由に遊んで良いですよー。」
     
    その提案にはさすがのリオンも渋った。
    3000円どころの騒ぎじゃないからである。
     
     
    そこにアッシュが背中を目一杯押す。
    「あらーーー、残念ですねー。
     あなたと同じ名前のキャラが登場するRPGもあるんですよねー。
     しかも脇役なのに、そのゲームではそいつが一番人気と言うー。」
     
    「ええっ、そんなゲームがあるんでーすか!
     何て言うゲームでーすか?」
    「さあー? 教えないー。 へっへっへー
     あっ、画像だけ見せてあげるー。」
     
    アッシュは携帯をしばらくいじっていたが、ほら、とリオンに画面を見せた。
    「おおっっっ、これはっっっ!
     何て素晴らしーいニッポンの黒髪の美しい少年であーる!!!!!」
    自分と同じ名のキレイなマンガ絵の少年に、リオンはエキサイトした。
     
     
    「・・・わかりまーした!
     私もニッポンを愛する者として、あなたを助けましょーう。
     幸い私は大金持ちで-す。 お金は腐るほど持ってまーす。
     多少の施しもだいじょぶでーす。」
     
    その言葉を聞き、アッシュは好感を持った。
    「あんた、意外にヤな性格してるんですねー。
     好きですよー、そういうヤツー。」
    「アリガトゴザイマース。」
     
    このやり取りをアッシュの後ろで聞いていたリリーは
    ああ・・・また始末に困るキャラが増えた・・・、と落胆した。
     
     
    ここまでに掛かった時間が30分強。
    他のメンバーはジジイ以外、皆
    無言でふたりの掛け合いを聞いているだけだった。
     
    よっしゃあ! これで借金チャラ!
    と、拳を握り締めたアッシュが、ふと我に返った。
    今は会議の真っ最中なのだ。
     
    つい私事にムキになった自分に、しまった、と後悔したが
    何故か皆、微笑ましいとでも言いたげに、ニコニコとしている。
     
    その様子に、アッシュはゾッとしたが
    元気になったアッシュの姿を、皆、純粋に喜んでいたのである。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 69 10.4.8
          ジャンル・やかた 71 10.4.14
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 69

    「どこにも異常は見られません。」
    「じゃが、確かに右目は見えていないんじゃろ?」
    病院長の言葉に、ジジイが確認し直す。
     
    「はい。 おそらく心因によるものかと思われます。」
    そこまでなってしまったか・・・。
    「わかった。 わしが説明する。」
    ジジイは病室に入った。
     
     
    「異常はどこにも見られないそうじゃぞ。 良かったのお。」
    ジジイの、とてつもない簡略な説明に
    アッシュが小声ながら、久しぶりにまともに喋った。
    「では・・右目が・・・見えないと・・いうのは・・・・・
     精神的な・・もの・・・ですか・・?」
    「・・・そうじゃな。」
     
    ジジイの苦悩した様子の答に、しばらく考え込んでいた様子のアッシュが
    ふふふ と笑った。
    その反応を見てジジイは、ああ、ショックでとうとう頭まで・・・
    と、絶望的な気分になった。
     
     
    ところが意に反して、アッシュは息も絶え絶えに言った。
    「じゃあ・・・・・私は・・・許さ・・れる・・って・・・
     事・・じゃ・・・な・・いです・・・か・・・・・?
     目が・・見えなく・・・なる・・・って・・・
     片目・・・でも・・大変・・・な・・罰・・・ですよ・・・ね・・?
     罰・・・が・・与え・・・られる・・・って事・・・は・・・・
     償う・・機会を・・貰・・・った・・・
     って・・事・・・・です・・よね・・・?」
     
    ジジイは、その言葉に驚愕した。
    こやつは何ちゅうプラス思考なんじゃ!!!
     
     
    感心して良いのか、呆れるべきなのか、迷っているジジイにアッシュが言う。
    「喋・・・る・・のも・・・す・・んげえ・・・
     体・・・力・・・・・が・・いり・・ます・・・ね・・・・・。
     リ・・ハビ・・リ・・・おお・・ごと・・・かも・・・。」
     
    その言葉に我に返ったジジイが、アッシュに確認した。
    「リハビリはここでするかね? 館に帰るかね?」
    「こ・・こ・・・どこ・・で・・すかあ・・・?」
    「何じゃ、そんな事もわからんかったんか?」
    「す・・・い・・ませ・・ん・・・
     何・・せ・・トチ・・狂って・・・たん・・で・・・・・。」
     
    「ここは長老会管轄の街の病院じゃ。
     警備的には館の方が安全じゃが、どうするかね?」
    「こ・・こ・・・に・・・しま・・・す・・・。
     住・・・人・・たち・・・に・・・
     こんな・・・姿・・・見せ・・られ・・・ない・・です・・・。」
     
    「そうじゃな、じゃあ、そう長老会に報告しとくわい。」
    「gome・・atoyoro・・・otsu・・・・・。」
    「???」
     
     
    ジジイにはアッシュの最後の言葉は理解できなかったが
    『ごめんね、後の事はよろしくお願いします、お疲れ様ですー。』
    という意味の日本語であった。
     
    久しぶりに喋って、気力体力を使い果たしたんで
    最後は投げやりになったのだ。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 68 10.4.6
          ジャンル・やかた 70 10.4.12
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 68

    ジジイに呼ばれた医者に鎮静剤を打たれて、アッシュは再び眠りに落ちた。
    「しばらくは、様子次第で鎮静剤を頼む。」
    そう医者に告げて、部屋を退出したジジイにデイジーが食って掛かった。
    「主様に何をしたんですか!!!!!」
     
    ジジイは、丁度良かった、と思いつつデイジーに命じた。
    「この部屋は、医師と看護士のみの待機にする。
     あんたは用事がある時以外はこの部屋に来るでない。」
     
    何故ですか! と、激怒するデイジーにジジイは怒鳴った。
    「主代行の命令に質問をするとは何事じゃ!
     聞けぬなら、あんたを世話係から外すぞ!!!」
    ジジイの剣幕に、デイジーは黙りこくった。
     
    構わずジジイは背を向けて去った。
    主としてしか見ないヤツは、今のアッシュには酷じゃからの。
     
     
    目を覚ましては泣きじゃくるアッシュに、再び鎮静剤が投与される。
    もう数週間もアッシュはベッドから出ていなかった。
    鎮静剤のせいで、常にもうろうとした状態になっていた。
     
    それでも朝になると、看護士がカーテンを開ける。
    ある日、ふとつぶやいた。
    「あら、今日は良い天気になりそうね。」
     
    その言葉に、アッシュが目だけを窓に動かした。
    ローズが必ず天気の話をしていたからだ。
     
    今日は雷がきそうだね、重そうな雲がやってきてるよ
    乾いた空気だね、ハーブに水を多めにやっとかないとね
    今日は暑くなりそうだね、帽子を持っていきな
    そろそろ寒くなりそうだね、空があんなに高くなっちゃったよ
    今日は良い天気だね、鳥の声がよく響いているよ
     
     
    以前はローズの事を思い出すのさえ封印していた。
    だが今は、毎日毎分毎秒ローズの事しか考えられない。
    ローズが恋しい ローズに会いたい
    そう思ってしまう自分を止められないでいた。
     
    しかしアッシュが今死のうと、ローズには決して会えないのだ。
    それどころか自分が死を選ぶ事は、ローズを2度裏切る事になる。
     
    1度目は、ローズに隠れて殺人を繰り返した事。
    ローズに罪をかぶせたのは、裏切りではない。
    あの時はローズの自殺に怒り狂って
    仕返しのつもりで、その死にすべてをかぶせたのだが
    ローズはそれを望んでいた、と今のアッシュにははっきりとわかっていた。
     
     
    「あんたを守る」
    この言葉は、アッシュを疑いから逃そうとするだけではなく
    アッシュが死なないようにするためでもあった。
     
    ローズの自殺によって、アッシュは現世に縛られる事になったのだ。
    アッシュはそう考えると確信しての事である。
    ローズは確実にアッシュを守った。
    命だけは。
     
    ローズの誤算は、自分のカルテが診療所に残されており
    それをアッシュに見られるなど、予想もしていなかった事だった。
     
     
    アッシュが微かに喋った。
    「・・・窓・・・・・が・・・遠・・い・・・?」
    看護士がそのか細い言葉にハッとし、アッシュの方を振り返る。
     
    アッシュは、目を開けたり閉じたりしていた。
    「何をなさっているんですか?」
    看護士がアッシュの横にひざまずいて訊ねる。
     
    「・・・右・・目が・・・見・・え・・ない・・・・・。」
    「えっ?」
    看護士の聞き返しに、アッシュは答えずに口を閉じた。
     
     
    医師が看護士の連絡で大慌てでやってきて、アッシュの目を検査した。
    右目が確かに見えていないらしい。
    アッシュは再び街の病院に搬送された。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 67 10.4.2
          ジャンル・やかた 69 10.4.8
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 67

    点滴だけでは体力が持たないので、鎮静剤を減らしていったある日
    アッシュは薄っすらと目を開けた。
     
    デイジーが大声で呼び掛けた。
    「主様、主様、あたしがわかりますか?」
     
    アッシュは無反応だった。
    またすぐ目を閉じて、眠りに入った。
    デイジーは思わず泣いてしまい、看護士が慰めた。
     
     
    館には、長老会のメンバーが代わる代わる見舞いに訪れていた。
    その度にアッシュの無反応に落胆して帰って行く。
     
    こんな事になるぐらいなら、あの生意気で何様な主のままで良かったのに。
    誰もがそう思ったのは、館の変貌ぶりを見てである。
     
     
    人も建物もゴミだった、あの近寄りたくない館だった頃とはうって変わって
    今では壁も廊下もピカピカで、庭も秩序正しく花が咲き誇り
    ベンチが連なり、東屋まである池には水鳥が優雅に泳いでいる。
     
    広大な畑には、キレイに畝が作られ作物が生い茂っている。
    牧場は鶏が走り回り、羊や牛がのんびりと草を食み
    馬に乗って見回りに行く飼育係の姿が見られる。
     
    何より、清潔な制服を着た住人たちが、すれ違う度に挨拶をしてきて
    活気に溢れる、理想とも思える集団生活の場になっていた。
     
    画像で観てはいたのだが、実際に現場に来てみないと
    漂う空気の清浄さまでは実感できなかった。
    あの汚れた館が、まさかここまで変わるとは信じられない。
     
    それだけに、この改革をした主があんな状態なのが悔やまれる。
    我々は主に何をしてあげただろう
    そう嘆くメンバーもひとりふたりではなかった。
     
     
    住人たちは、館に来る長老会メンバーに驚いていた。
    大きな花束や、美しいリボンで飾られた箱を手にして
    黒塗りのリムジンでやってくる、身なりの良い紳士たち。
    挨拶をすれば、こんな自分にも微笑んで丁寧に返してくれる。
     
    そのお偉いさんたちは皆、俺たちの主様のお見舞いなのである。
    住人たちは、主を誇りに感じるようになっていた。
     
    これで主様が元気になれば・・・・・
    長老会も住人も想いは一緒だった。
     
     
    そんな中、ひとりだけ絶望を感じていた人物がいた。
    とうとうアッシュの面会謝絶を命じたジジイである。
     
    2週間が過ぎた頃から、アッシュは時々目を開けるようになった。
    ただでさえ貧血に栄養失調があるので
    短期間の絶食でも、全身の肉が削げ落ちて筋肉も衰えてしまい
    点滴のみの栄養補給では限界だと医師が感じ、鎮静剤を減らしたのである。
     
    目を開けても、誰の呼びかけにも無反応で
    ただ涙ばかりがこめかみへと伝い続ける。
    このような姿を、皆には見せられない。
    たとえ長老会のメンバーであろうとも。
     
    さすがのアッシュびいきのジジイも
    これはもうダメかも、と思い始めていた。
    ローズの存在が、それほどアッシュにとって大きかったとは・・・。
    今更ながらじゃが、ローズ、自殺したあんたを恨むぞ。
     
     
    ジジイは看護士もデイジーも部屋から追い出し
    寝ているか起きているかわからないアッシュに語り始めた。
     
    ローズはガンだった。
    診療所に行った後に、街の病院で検査をして
    そのまま館に帰ってきて、診療所には鎮痛剤を貰いに行っていた。
    進行は遅いけど、ガン細胞が転移した後で手術も望み薄な状態だったからだ。
     
    「ローズは入院して余命を伸ばすより
     あんたの側にいる事を望んだのじゃよ。
     最初の兆候は、バイオラが亡くなるちょっと前の事らしいんじゃ。
     あんたが襲撃された時に、バイオラが側にいたのは偶然じゃなく
     バイオラに後を託そうとしたんかも知れんなあ。」
     
    ジジイがひとり語りのように、そうつぶやいた時にアッシュが叫び出した。
     
    「ああああああああああああああああああ」
     
    だが、久しぶりに出したせいか、かすれた小声である。
     
     
    身をよじりながら泣くアッシュを
    ジジイが背をポンポンと叩きながら言った。
    「もう良いんじゃよ、あんたは頑張りすぎた。
     後の事は全部わしに任せて、あんたはゆっくり休むんじゃ。」
     
    背中をさすりながら、アッシュに未来を思い出させようと優しく語るジジイ。
    「どこがええかのお。
     あんたはもう、主の年金受給資格も持っておる。
     好き放題暮らせるんじゃぞ?
     ゲームし放題じゃぞ?」
     
    ヒックヒックとしゃくりあげるアッシュに、ジジイは続ける。
    「おお、あんた、前に海辺で暮らしたいと言っておったな。
     ここから一番近いのは、西のカルミア地方じゃ。
     あそこは温暖で良い土地じゃ。
     長老会の管轄内じゃし、わしもちょくちょく行ける距離じゃ。
     いや、管轄外であっても、誰も否とは言わんじゃろう。
     あんたは皆に愛されとるんじゃよ。
     だから、あんたにはもう誰も何も押し付けんよ。
     したいようにしておくれ。」
     
     
    今のアッシュには自分の事など、どうでも良かった。
    自分はローズの死を穢したのである。
     
    私が殺してあげるべきだったのに・・・・・
     
    アッシュには、ローズの後を追う資格もなく
    どうやって息をすれば良いのかすら、わからない状態だった。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 66 10.3.31
          ジャンル・やかた 68 10.4.6
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 66

    アッシュの連日の、ジョブ・ゴーゴー演説の成果なのか
    館の生産量は予定よりも大幅に上がった。
     
    村に作られた館直売所の売れ行きも好調で
    ハムの他、チーズなどの乳製品にも力を入れようとしている最中である。
     
    デイジーの熱心な和食研究と、アッシュの単純な味覚の賜物か
    和食を知らない人にも容易に受け入れられる、安い日本食コーナーも
    当初の予想を覆して好評で、街から食べに来る人も増えた。
     
     
    長老会でのアッシュの評価は、これによって不動のものとなったが
    同時に生意気さという、マイナス要素も目立ってきていた。
    熱心にやってるかと思えば、もう何もかもどうでも良い、と
    厭世観をむき出しにしたりと、不安定な心理状態が続いていたのだ。
     
    デイジーやアリッサの、大丈夫ですか? という心配にも
    いや、単なる更年期だし、と流し
    本人が気付いていない分、余計に始末に負えなかった。
     
    正に、“荒れている” と周囲には映っていたのだが
    やるべき事はやっているし、まあ、そのぐらい
    という温情で、アッシュの無体は見逃されていた。
     
     
    アッシュが診察を受ける気になったのは
    ゲームを長時間続ける気力がなくなってきたためだった。
    目も疲れやすくなったし、こんなこっちゃLV上げもままならない。
     
    何か一発、元気が出る薬 (注: 合法薬) を処方してもらおう
    という、軽々しいドーピング気分であった。
     
     
    診療所は5階にある。
    リハビリ室や、トレーニングルームと同じ階である。
    アッシュがアリッサの整体以外の用事で、この階に来る事は滅多にない。
     
    何せ、“主様” だから、フリーパスである。
    アッシュはノコノコと受付けに入っていった。
     
    「あっ、主様!」
    受付けってのは、何でどこもこんなに美人揃いなんだろう
    アッシュは久々に気を良くして、カウンターに両肘を突き
    美人受付け嬢に診察をお願いした。
     
    美人受付け嬢が、医師のところに行った時に
    開けっ放しにされたドアから、事務室の棚が見えた。
     
    何となく眺めていたら、Rの項目にROSEというインデックスがある。
    アッシュは、護衛の制止を振り切って
    カウンターを乗り越え、そのカルテを取った。
     
     
    ローズだって、医者にかかる事ぐらいあったはず。
    カルテがあっても不思議じゃないのだが、何故かそれを見逃せない。
     
    開いたカルテの中には、“krebs” と書いてあり
    アッシュには、その単語だけが読めた。
    看護士の友人に習った事があるのだ。
     
    ローズの名前を見ただけで、頭の両脇の血が引いているのに
    更にその単語がある事で、心臓をドスッと拳でどつかれた感覚になった。
     
    うう・・・、とその場にうずくまったアッシュの異常に
    護衛がカウンターを乗り越え、アッシュを抱きかかえて叫んだ。
    「誰かーーー、早く来てくれーーーーーーーーーー!!!!!!」
     
     
    慌ててやってきた医師と受付け嬢は、アッシュの様子に驚いた。
    胸を押さえながら息が吸えない状態で、もがき苦しんでいる。
    何かの発作だと思われた。
    酸素マスクを着けるも状態が変わらず、心音が異常に高鳴っている。
     
    護衛が、これです、と差し出したカルテを見て
    医師はこの状態がヒステリーによるものだと判断した。
     
    が、何かの疾患の可能性も捨てきれない。
    医師は救急車の手配を決断した。
     
     
    街の長老会管轄の病院に入院したアッシュは
    一応、主だという事で、頭の先からつまさきにいたるまで
    全身をくまなく検査された。
     
    顔と頭が飛びぬけて悪い以外は、さしたる異常は見られなかった。
    貧血と栄養失調ぐらいである。
    今回の症状は精神的なものだと診断された。
     
    長老会のメンバーが見舞いにやってきたが
    アッシュは鎮静剤を点滴され眠り続けていて、反応はなかった。
     
     
    主の入院という事で、館にも長老会にも衝撃が走り
    病院長まで呼び出されて、どうするかを何日も会議で話し合われたが
    病気は何ひとつない、という事で
    アッシュは眠ったまま、館に移送される事になった。
    長老会管轄とは言え、人の多い街の病院では警備面に不安があるからである。
     
    アッシュの寝室は改築中だったので、客用寝室に運ばれた。
    デイジーは、アッシュの側を離れなかった。
    眠る時は、部屋のソファーで寝た。
     
     
    アッシュはそのまま、何日も何日も眠り続けた。
    ジジイが主代行として、館に滞在する事になった。
     
    館は過去にないぐらいに、揺れに揺れていた。
    講堂に住人たちが折を見ては訪れ
    主のいない演壇に向かって、自己流の祈りを捧げていた。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 65 10.3.29
          ジャンル・やかた 67 10.4.2
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15

  • ジャンル・やかた 65

    「まず、この書類を見てくださいー。」
    アッシュが示し、リリーが書類を配る。
     
    あらかじめ提出しておかなかったのは
    その場で提案し、勢いのみで押し切ろうという
    アッシュのいつものやり方であった。
     
     
    「館は畜産だけでも、牛、豚、羊、鶏を飼っていますー。
     それに加えて、広大な畑で様々な作物も栽培していますー。
     しかしその収穫物は、住人が消費する以外は
     村にちょろっと卸すぐらいなんですよー。」
     
    「それがどうしたんだね?」
    「この館、寄付金と税金で運営されているんですよねー?
     皆さん、寄付していらっしゃいますよねー?
     それを “投資” にしてみませんかー?」
     
    まるで、どこぞの不認可金融取引セミナーのような話である。
    メンバーもやれやれ、と落胆した。
     
     
    「館の産業は、昔ながらの方法でやってるんですよー。
     つまり人の手ですべてまかない、化学薬品も極力使わないー。
     今で言うところの “自然派” なんですー。
     それが実に丁寧で美味いんですよー、野菜も肉もー。
     これは充分に “館” ブランドとして、売れるレベルなんですねー。」
    捲くし立ては、アッシュの真骨頂である。
     
    「村のリサーチもしてみましたー。
     街が館の本拠地なら、村は館の最前線ですー。
     村の人々は、細々と生活を営んでいて
     大きい買い物は街まで行ってるんですー。
     店が充実していないー。」
     
    アッシュは、館での演説のように声を張り上げた。
    「そこでー!」
     
    「村に館ブランドの製品の直売所を作るんですー。
     乳製品はまだ生産量が弱いですが、野菜や肉は充分に出荷可能ですー。
     この提案に、村人の反応は好評でしたー。
     販売の仕事をしたいという人もいますー。
     売り場所を作る資金がないなら、ネット販売も視野に入れれば良いしー
     館の仕事を自給自足主体ではなく、商売にするためには
     もっと効率を考える必要があって、その計画書がこれですー。」
     
     
    ここまできたら、徐々にメンバーも興味を持ち始め
    リリーが配る書類を食い入るように見る。
     
    「自給自足も良いけれど、やはりお金は回さなくては集まってこないー。
     外貨を稼ぐのが、経済の第一歩だと思うんですー。
     それで軌道に乗って採算が取れるようになったら
     館への税金の投入が少なくなり
     皆さんの “寄付” も “投資” になるかも知れませんー。
     まあ、これは順調に行けば、ですがー。」
     
    「ふむ、これは良い計画だと思うが、そう上手くいくかね?」
    その指摘に、アッシュはイヤミったらしく溜め息を付いた。
     
    「まったく気が短いー。
     いいですかー、この計画はかなりの長期で考えてくださいー。
     最初は口コミで売るしかないですが
     私が死んで、館が浄化された後なら
     広報部を作って、館の存在を広くアピールできますー。
     それからが、儲けを考えて良い時期に入ると思いますー。
     まあ、私が死ぬか、作業が上手く回るようになるか
     どっちが先かまでは計算できませんでしたがねー。」
     
    「きみの寿命次第かね、はっはっは」
    間の悪いギャグを飛ばすおやじに、アッシュが眉ひとつ動かさずに言った。
    「私の自然死を待てなければ、殺せば済む事ですがねー。」
     
     
    「そんで、これが販売所と売買許可証の申請書ですー。
     私ら館にいる人って、公務員なんでしょー?
     税金で給料貰ってるんですもんねー。
     気付きませんでしたよー、もうドビックリですわー。
     公務員の副業って基本的には禁止ですよねー?
     だから館に商業部を作りたいんですが
     そのへんのお力添えもお願いしたいんですー。」
     
    リリーが次々に出す書類に
    「手回しが良いでーすねえ。 これを1ヶ月足らずで?」
    と、若いメンバーが驚くと、アッシュが人指し指を上下に振って
    「そう、それ!!!」
    と、大声を上げた。
     
    「改築費用の捻出法を考えていて、ふと館の図面を見たら
     そこに大きな可能性が広がってるじゃないですかー。
     もう、愕然としましたよー。
     今までは倫理だの道徳だのばかりに焦点を当てて改革してきたけど
     腹が減ったら正義どころじゃないですもんねー。
     今後はいかに他人を受け入れて、館を社会に帰属させるかですよー。
     それが出来て初めて、“改革” と言うんですよー。
     それに気付いてからはもう、ドタバタで走りたくりましたよー。
     まったく、ニートには盲点なジャンルでしたねー。」
     
    若いメンバーは、ほうほう、と感心したようにうなずいた。
    「それで、改築費用はどこから捻出するんでーすかあ?」
    「はいー?」
    アッシュはキョトンとした表情をした。
    「いや、店は改築じゃなくて・・・・・ あっっっっっ!!!!!」

    肝心の寝室の改築の事を忘れていて、頭を抱えるアッシュに
    メンバーたちは、ついプッと吹き出した。
     
     
    「よくわかりました。
     計画書も申請書も不備なく揃っているようなので
     今回の提案は、早い時期に良い返事を約束できると思いますよ。
     ご苦労様でした。
     実りのある会議だったとお礼を言いたい。」
    ダンディーな紳士がアッシュに丁寧に告げた。
     
    アッシュは、はあ・・・とだけつぶやき、ヨロけながら立ち上がる。
    肝心の己の金策が一歩も進んでいなかった事に
    相当なショックを受けている様子だった。
     
    ジジイも、もちろんその会議に出席していたが
    ニヤニヤするだけでひとことも喋らなかった。
     
     
    アッシュとリリーが、会議室を出て行った後
    アッシュの計画を、具体的にどこの機関に持っていくかが議題に上った。
     
    この計画はダンディーの予言通り、サクサクと進んでいく。
     
     
    館 “道の駅” 化大計画 byアッシュ が着々と進み
    最近のアッシュの演説は、いかに労働が尊いか、という
    ニートのおまえが言うな! な話題に終始していた。
     
    アッシュは相変わらず、金策に悩んでいたが
    支払いを長老会が立て替えてくれる事になった。
    経済改革案のご褒美というわけだ。
     
    もうほんと、捨てる神ありゃ拾う神ありだよな、ありがたやありがたや
    アッシュは街の方に向かって拝んだが
    街の方へ行く道は、グルリと大きくカーブしているので
    街の方角だと思った方向じゃなく、拝むアッシュのケツの方が街なのだ。
    まったく、とんだ無礼者である。
     
     
    だけど・・・
    痛い目に遭ってるんだから、こんぐらいやってもらって当然じゃね?
    アッシュの表情が暗く歪む。
     
    そもそも、やりたくてやってるわけじゃなし
    よく考えてみたら、何でこんなところにいるのか
    何でこんなに辛い事をやってるのか
    一体、何なの? 元々兄の遺言でーーーーー・・・・・・・
     
    ここまで思って、慌ててその考えを打ち消す。
    そっちの方向に考えたら、もう生きていけない気がする
    てか、もういつ死んでも良いんだけど
    そんなん思いながら生きていたら、何かダメな気がする
    とにかく、前だけを見て走らないと、私、ダメになっちゃう気がする!
     
     
    とにかく、夢のヒッキールームをありがとうございます
    アッシュは改めて拝んだ。
    街方向にケツを向けて。
     
    ついでに言えば、金も借りてるだけで、払わなくて良いわけじゃないんだが
    アッシュの脳内では、そこはスッポリ抜けているのが不思議である。
     
     
    続く。
     
     
    関連記事: ジャンル・やかた 64 10.3.25
          ジャンル・やかた 66 10.3.31
          
          ジャンル・やかた 1 09.6.15