点滴だけでは体力が持たないので、鎮静剤を減らしていったある日
アッシュは薄っすらと目を開けた。
デイジーが大声で呼び掛けた。
「主様、主様、あたしがわかりますか?」
アッシュは無反応だった。
またすぐ目を閉じて、眠りに入った。
デイジーは思わず泣いてしまい、看護士が慰めた。
館には、長老会のメンバーが代わる代わる見舞いに訪れていた。
その度にアッシュの無反応に落胆して帰って行く。
こんな事になるぐらいなら、あの生意気で何様な主のままで良かったのに。
誰もがそう思ったのは、館の変貌ぶりを見てである。
人も建物もゴミだった、あの近寄りたくない館だった頃とはうって変わって
今では壁も廊下もピカピカで、庭も秩序正しく花が咲き誇り
ベンチが連なり、東屋まである池には水鳥が優雅に泳いでいる。
広大な畑には、キレイに畝が作られ作物が生い茂っている。
牧場は鶏が走り回り、羊や牛がのんびりと草を食み
馬に乗って見回りに行く飼育係の姿が見られる。
何より、清潔な制服を着た住人たちが、すれ違う度に挨拶をしてきて
活気に溢れる、理想とも思える集団生活の場になっていた。
画像で観てはいたのだが、実際に現場に来てみないと
漂う空気の清浄さまでは実感できなかった。
あの汚れた館が、まさかここまで変わるとは信じられない。
それだけに、この改革をした主があんな状態なのが悔やまれる。
我々は主に何をしてあげただろう
そう嘆くメンバーもひとりふたりではなかった。
住人たちは、館に来る長老会メンバーに驚いていた。
大きな花束や、美しいリボンで飾られた箱を手にして
黒塗りのリムジンでやってくる、身なりの良い紳士たち。
挨拶をすれば、こんな自分にも微笑んで丁寧に返してくれる。
そのお偉いさんたちは皆、俺たちの主様のお見舞いなのである。
住人たちは、主を誇りに感じるようになっていた。
これで主様が元気になれば・・・・・
長老会も住人も想いは一緒だった。
そんな中、ひとりだけ絶望を感じていた人物がいた。
とうとうアッシュの面会謝絶を命じたジジイである。
2週間が過ぎた頃から、アッシュは時々目を開けるようになった。
ただでさえ貧血に栄養失調があるので
短期間の絶食でも、全身の肉が削げ落ちて筋肉も衰えてしまい
点滴のみの栄養補給では限界だと医師が感じ、鎮静剤を減らしたのである。
目を開けても、誰の呼びかけにも無反応で
ただ涙ばかりがこめかみへと伝い続ける。
このような姿を、皆には見せられない。
たとえ長老会のメンバーであろうとも。
さすがのアッシュびいきのジジイも
これはもうダメかも、と思い始めていた。
ローズの存在が、それほどアッシュにとって大きかったとは・・・。
今更ながらじゃが、ローズ、自殺したあんたを恨むぞ。
ジジイは看護士もデイジーも部屋から追い出し
寝ているか起きているかわからないアッシュに語り始めた。
ローズはガンだった。
診療所に行った後に、街の病院で検査をして
そのまま館に帰ってきて、診療所には鎮痛剤を貰いに行っていた。
進行は遅いけど、ガン細胞が転移した後で手術も望み薄な状態だったからだ。
「ローズは入院して余命を伸ばすより
あんたの側にいる事を望んだのじゃよ。
最初の兆候は、バイオラが亡くなるちょっと前の事らしいんじゃ。
あんたが襲撃された時に、バイオラが側にいたのは偶然じゃなく
バイオラに後を託そうとしたんかも知れんなあ。」
ジジイがひとり語りのように、そうつぶやいた時にアッシュが叫び出した。
「ああああああああああああああああああ」
だが、久しぶりに出したせいか、かすれた小声である。
身をよじりながら泣くアッシュを
ジジイが背をポンポンと叩きながら言った。
「もう良いんじゃよ、あんたは頑張りすぎた。
後の事は全部わしに任せて、あんたはゆっくり休むんじゃ。」
背中をさすりながら、アッシュに未来を思い出させようと優しく語るジジイ。
「どこがええかのお。
あんたはもう、主の年金受給資格も持っておる。
好き放題暮らせるんじゃぞ?
ゲームし放題じゃぞ?」
ヒックヒックとしゃくりあげるアッシュに、ジジイは続ける。
「おお、あんた、前に海辺で暮らしたいと言っておったな。
ここから一番近いのは、西のカルミア地方じゃ。
あそこは温暖で良い土地じゃ。
長老会の管轄内じゃし、わしもちょくちょく行ける距離じゃ。
いや、管轄外であっても、誰も否とは言わんじゃろう。
あんたは皆に愛されとるんじゃよ。
だから、あんたにはもう誰も何も押し付けんよ。
したいようにしておくれ。」
今のアッシュには自分の事など、どうでも良かった。
自分はローズの死を穢したのである。
私が殺してあげるべきだったのに・・・・・
アッシュには、ローズの後を追う資格もなく
どうやって息をすれば良いのかすら、わからない状態だった。
続く。
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ジャンル・やかた 1 09.6.15
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アッシュの連日の、ジョブ・ゴーゴー演説の成果なのか
館の生産量は予定よりも大幅に上がった。
村に作られた館直売所の売れ行きも好調で
ハムの他、チーズなどの乳製品にも力を入れようとしている最中である。
デイジーの熱心な和食研究と、アッシュの単純な味覚の賜物か
和食を知らない人にも容易に受け入れられる、安い日本食コーナーも
当初の予想を覆して好評で、街から食べに来る人も増えた。
長老会でのアッシュの評価は、これによって不動のものとなったが
同時に生意気さという、マイナス要素も目立ってきていた。
熱心にやってるかと思えば、もう何もかもどうでも良い、と
厭世観をむき出しにしたりと、不安定な心理状態が続いていたのだ。
デイジーやアリッサの、大丈夫ですか? という心配にも
いや、単なる更年期だし、と流し
本人が気付いていない分、余計に始末に負えなかった。
正に、“荒れている” と周囲には映っていたのだが
やるべき事はやっているし、まあ、そのぐらい
という温情で、アッシュの無体は見逃されていた。
アッシュが診察を受ける気になったのは
ゲームを長時間続ける気力がなくなってきたためだった。
目も疲れやすくなったし、こんなこっちゃLV上げもままならない。
何か一発、元気が出る薬 (注: 合法薬) を処方してもらおう
という、軽々しいドーピング気分であった。
診療所は5階にある。
リハビリ室や、トレーニングルームと同じ階である。
アッシュがアリッサの整体以外の用事で、この階に来る事は滅多にない。
何せ、“主様” だから、フリーパスである。
アッシュはノコノコと受付けに入っていった。
「あっ、主様!」
受付けってのは、何でどこもこんなに美人揃いなんだろう
アッシュは久々に気を良くして、カウンターに両肘を突き
美人受付け嬢に診察をお願いした。
美人受付け嬢が、医師のところに行った時に
開けっ放しにされたドアから、事務室の棚が見えた。
何となく眺めていたら、Rの項目にROSEというインデックスがある。
アッシュは、護衛の制止を振り切って
カウンターを乗り越え、そのカルテを取った。
ローズだって、医者にかかる事ぐらいあったはず。
カルテがあっても不思議じゃないのだが、何故かそれを見逃せない。
開いたカルテの中には、“krebs” と書いてあり
アッシュには、その単語だけが読めた。
看護士の友人に習った事があるのだ。
ローズの名前を見ただけで、頭の両脇の血が引いているのに
更にその単語がある事で、心臓をドスッと拳でどつかれた感覚になった。
うう・・・、とその場にうずくまったアッシュの異常に
護衛がカウンターを乗り越え、アッシュを抱きかかえて叫んだ。
「誰かーーー、早く来てくれーーーーーーーーーー!!!!!!」
慌ててやってきた医師と受付け嬢は、アッシュの様子に驚いた。
胸を押さえながら息が吸えない状態で、もがき苦しんでいる。
何かの発作だと思われた。
酸素マスクを着けるも状態が変わらず、心音が異常に高鳴っている。
護衛が、これです、と差し出したカルテを見て
医師はこの状態がヒステリーによるものだと判断した。
が、何かの疾患の可能性も捨てきれない。
医師は救急車の手配を決断した。
街の長老会管轄の病院に入院したアッシュは
一応、主だという事で、頭の先からつまさきにいたるまで
全身をくまなく検査された。
顔と頭が飛びぬけて悪い以外は、さしたる異常は見られなかった。
貧血と栄養失調ぐらいである。
今回の症状は精神的なものだと診断された。
長老会のメンバーが見舞いにやってきたが
アッシュは鎮静剤を点滴され眠り続けていて、反応はなかった。
主の入院という事で、館にも長老会にも衝撃が走り
病院長まで呼び出されて、どうするかを何日も会議で話し合われたが
病気は何ひとつない、という事で
アッシュは眠ったまま、館に移送される事になった。
長老会管轄とは言え、人の多い街の病院では警備面に不安があるからである。
アッシュの寝室は改築中だったので、客用寝室に運ばれた。
デイジーは、アッシュの側を離れなかった。
眠る時は、部屋のソファーで寝た。
アッシュはそのまま、何日も何日も眠り続けた。
ジジイが主代行として、館に滞在する事になった。
館は過去にないぐらいに、揺れに揺れていた。
講堂に住人たちが折を見ては訪れ
主のいない演壇に向かって、自己流の祈りを捧げていた。
続く。
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ジャンル・やかた 65
「まず、この書類を見てくださいー。」
アッシュが示し、リリーが書類を配る。
あらかじめ提出しておかなかったのは
その場で提案し、勢いのみで押し切ろうという
アッシュのいつものやり方であった。
「館は畜産だけでも、牛、豚、羊、鶏を飼っていますー。
それに加えて、広大な畑で様々な作物も栽培していますー。
しかしその収穫物は、住人が消費する以外は
村にちょろっと卸すぐらいなんですよー。」
「それがどうしたんだね?」
「この館、寄付金と税金で運営されているんですよねー?
皆さん、寄付していらっしゃいますよねー?
それを “投資” にしてみませんかー?」
まるで、どこぞの不認可金融取引セミナーのような話である。
メンバーもやれやれ、と落胆した。
「館の産業は、昔ながらの方法でやってるんですよー。
つまり人の手ですべてまかない、化学薬品も極力使わないー。
今で言うところの “自然派” なんですー。
それが実に丁寧で美味いんですよー、野菜も肉もー。
これは充分に “館” ブランドとして、売れるレベルなんですねー。」
捲くし立ては、アッシュの真骨頂である。
「村のリサーチもしてみましたー。
街が館の本拠地なら、村は館の最前線ですー。
村の人々は、細々と生活を営んでいて
大きい買い物は街まで行ってるんですー。
店が充実していないー。」
アッシュは、館での演説のように声を張り上げた。
「そこでー!」
「村に館ブランドの製品の直売所を作るんですー。
乳製品はまだ生産量が弱いですが、野菜や肉は充分に出荷可能ですー。
この提案に、村人の反応は好評でしたー。
販売の仕事をしたいという人もいますー。
売り場所を作る資金がないなら、ネット販売も視野に入れれば良いしー
館の仕事を自給自足主体ではなく、商売にするためには
もっと効率を考える必要があって、その計画書がこれですー。」
ここまできたら、徐々にメンバーも興味を持ち始め
リリーが配る書類を食い入るように見る。
「自給自足も良いけれど、やはりお金は回さなくては集まってこないー。
外貨を稼ぐのが、経済の第一歩だと思うんですー。
それで軌道に乗って採算が取れるようになったら
館への税金の投入が少なくなり
皆さんの “寄付” も “投資” になるかも知れませんー。
まあ、これは順調に行けば、ですがー。」
「ふむ、これは良い計画だと思うが、そう上手くいくかね?」
その指摘に、アッシュはイヤミったらしく溜め息を付いた。
「まったく気が短いー。
いいですかー、この計画はかなりの長期で考えてくださいー。
最初は口コミで売るしかないですが
私が死んで、館が浄化された後なら
広報部を作って、館の存在を広くアピールできますー。
それからが、儲けを考えて良い時期に入ると思いますー。
まあ、私が死ぬか、作業が上手く回るようになるか
どっちが先かまでは計算できませんでしたがねー。」
「きみの寿命次第かね、はっはっは」
間の悪いギャグを飛ばすおやじに、アッシュが眉ひとつ動かさずに言った。
「私の自然死を待てなければ、殺せば済む事ですがねー。」
「そんで、これが販売所と売買許可証の申請書ですー。
私ら館にいる人って、公務員なんでしょー?
税金で給料貰ってるんですもんねー。
気付きませんでしたよー、もうドビックリですわー。
公務員の副業って基本的には禁止ですよねー?
だから館に商業部を作りたいんですが
そのへんのお力添えもお願いしたいんですー。」
リリーが次々に出す書類に
「手回しが良いでーすねえ。 これを1ヶ月足らずで?」
と、若いメンバーが驚くと、アッシュが人指し指を上下に振って
「そう、それ!!!」
と、大声を上げた。
「改築費用の捻出法を考えていて、ふと館の図面を見たら
そこに大きな可能性が広がってるじゃないですかー。
もう、愕然としましたよー。
今までは倫理だの道徳だのばかりに焦点を当てて改革してきたけど
腹が減ったら正義どころじゃないですもんねー。
今後はいかに他人を受け入れて、館を社会に帰属させるかですよー。
それが出来て初めて、“改革” と言うんですよー。
それに気付いてからはもう、ドタバタで走りたくりましたよー。
まったく、ニートには盲点なジャンルでしたねー。」
若いメンバーは、ほうほう、と感心したようにうなずいた。
「それで、改築費用はどこから捻出するんでーすかあ?」
「はいー?」
アッシュはキョトンとした表情をした。
「いや、店は改築じゃなくて・・・・・ あっっっっっ!!!!!」肝心の寝室の改築の事を忘れていて、頭を抱えるアッシュに
メンバーたちは、ついプッと吹き出した。
「よくわかりました。
計画書も申請書も不備なく揃っているようなので
今回の提案は、早い時期に良い返事を約束できると思いますよ。
ご苦労様でした。
実りのある会議だったとお礼を言いたい。」
ダンディーな紳士がアッシュに丁寧に告げた。
アッシュは、はあ・・・とだけつぶやき、ヨロけながら立ち上がる。
肝心の己の金策が一歩も進んでいなかった事に
相当なショックを受けている様子だった。
ジジイも、もちろんその会議に出席していたが
ニヤニヤするだけでひとことも喋らなかった。
アッシュとリリーが、会議室を出て行った後
アッシュの計画を、具体的にどこの機関に持っていくかが議題に上った。
この計画はダンディーの予言通り、サクサクと進んでいく。
館 “道の駅” 化大計画 byアッシュ が着々と進み
最近のアッシュの演説は、いかに労働が尊いか、という
ニートのおまえが言うな! な話題に終始していた。
アッシュは相変わらず、金策に悩んでいたが
支払いを長老会が立て替えてくれる事になった。
経済改革案のご褒美というわけだ。
もうほんと、捨てる神ありゃ拾う神ありだよな、ありがたやありがたや
アッシュは街の方に向かって拝んだが
街の方へ行く道は、グルリと大きくカーブしているので
街の方角だと思った方向じゃなく、拝むアッシュのケツの方が街なのだ。
まったく、とんだ無礼者である。
だけど・・・
痛い目に遭ってるんだから、こんぐらいやってもらって当然じゃね?
アッシュの表情が暗く歪む。
そもそも、やりたくてやってるわけじゃなし
よく考えてみたら、何でこんなところにいるのか
何でこんなに辛い事をやってるのか
一体、何なの? 元々兄の遺言でーーーーー・・・・・・・
ここまで思って、慌ててその考えを打ち消す。
そっちの方向に考えたら、もう生きていけない気がする
てか、もういつ死んでも良いんだけど
そんなん思いながら生きていたら、何かダメな気がする
とにかく、前だけを見て走らないと、私、ダメになっちゃう気がする!
とにかく、夢のヒッキールームをありがとうございます
アッシュは改めて拝んだ。
街方向にケツを向けて。
ついでに言えば、金も借りてるだけで、払わなくて良いわけじゃないんだが
アッシュの脳内では、そこはスッポリ抜けているのが不思議である。
続く。
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ジャンル・やかた 64
はあ・・・
余暇は引きこもろう、と思って寝室改造をするのに
その暇が取れなくなるハメになってんじゃねえよ!
アッシュは書斎で、電卓を前に頭を抱えていた。
ジジイのいらん采配で、余分な物は自腹扱いになってしまった。
経費だと思っていたからこその、ゲームハード全揃えであって
残り寿命でプレイしきれない量のソフトも買ってしまったのに。
もう全部注文しているので、キャンセルはどうだか。
てゆーか、キャンセルしたら、私のパラダイス台無しじゃん!
ぜってー、ノークレームノーリタ-ン! と、もう一度、電卓を叩く。
何行にもなる足し算を、アッシュがまともに計算できるわけがなく
3度やって3度とも違う合計数が出てきた日にゃ
どれが間違ってるのか、すべて間違ってるのかすら、見当が付かない。
英語どころか数学、いや算数も弱いアッシュは
全体的に薄らバカだという結論になるわけだ。
とてつもない巨額になりそうなのに、正確な数字がわからず
脳が発酵しているところに、リリーが入ってきた。
目の前に積み上げられた書類を読みもせず
やたらめったらサインをする。
「これ、自筆サインじゃなく、シャチハタじゃダメなんですかねー?」
いつもなら、そうゴネるアッシュが、黙々とペンを走らせるので
所在なさげに、リリーが机の上の明細書を手に取る。
「金策ですか?
あの趣味の道具の数々は普通、経費扱いにはなりませんよ。
考えなしな事をしましたね。
諦めで貯金を崩したらどうですか?」
「・・・貯金、ないんですー。」
何に使ってるんですか、食費もいらないのに、と驚くリリーに
「日本の化粧品ですー。」
「ああー、メイド・イン・ジャパン、高いですよねえ。」
「・・・・・・・・・・」
沈黙に耐えかねて、またリリーが話し出す。
「だったら、主様の写真集とか出したらどうですか? ほほほ」
アッシュがペンを走らせながら、気がなさそうに答える。
「・・・要望があれば、水着までオッケー、とかー?
・・・んで、次は主様開運グッズとかですかねえー?」
「・・・くだらない話をしました・・・。 申し訳ございません。」
いけないいけない、主様が言うようなたわごとを言ってしまったわ
主様が無口だと、どうも調子が狂ってしまう
自重せねば・・・、と、リリーは心底恥じた。
にしても、だったらどうやってお金を稼げば良いんだろう・・・
何でいつもこう、どこにいても何をしても、最終的には貧乏になるんやら。
サインをし終わり、グッタリと机につっ伏して
自業自得と呼ぶべき己の “不運” を呪っていた時だった。
あっっっ、そうだ!!!!!
引き出しをまさぐって、敷地内の地図を出して広げる。
ここで作ってる物をチョロまかして、ネットで売れば良いんだよ!
私ってどうして、こう天才なんやら。
そんなほぼ犯罪な目論みで、地図を見る内に疑問が生じた。
自分のいたらん手段にではない。 館の産業についてだ。
「ここ、結構な数の食物とかを作ってるけど
それ、どっかに売ってるんですかあー?」
「そういうのは総務部の方に問い合わせてください。」
リリーがいつものリリーへと体勢を立て直し
相手にしてくれないので、総務部にダッシュした。
総務部ではアッシュが初めて話に来たので、全員直立不動になった。
構わずアッシュは熱心に質問をする。
その姿に、主様が自分たちの仕事に興味を持ってくださっている
と、部員たちが感動した矢先だった。
ひととおり話を聞いて、何となくだが理解できたアッシュは
ああ・・・盲点だった・・・
こんな基本中の基本をおろそかにしていたなんて
私のクソバカ野郎ーーーーーーーーっっっ!!!
と、心の中で叫び、無言で机に頭をゴンゴン打ち付けた。
総務部中が凍りついた。
総務部がアッシュの計画を知るのは、すぐ後の事で
それはアッシュにしては、珍しく良い企画ではあったのだが
その前に必ず、周囲の心にダメージを与える方式は控えた方が良いと思う。
その約1ヵ月後に、長老会は再びアッシュの特別会議開催の要請を受けた。
前回の会議は、ガックリと肩を落としたアッシュで幕切れになっていた。
間もなく寝室の改築工事が始まると聞く。
注文した品も、次々に館の倉庫に運び込まれているらしいので
メンバーの全員が、金の無心だろう、と予想していた。
そしてその推理は、ある意味当たっていた。
続く。
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ジャンル・やかた 63
「にしても、彼女の様子はどうしたんだね?」
「いつもは多少なりとも、無邪気さがありましたよね?
まあ、どっちもヘンだという事には変わりないですけど。」
「言葉に険があるし、まるで別人のように感じますよ。」
メンバーたちの言葉に、ジジイは呆れた。
「あんたたち、録画画像を観とらんかったんかね?」
画像? 何のですか? と、口々に訊くメンバー。
「やれやれ、じゃあ、アッシュの言動も理解できんわな。」
ジジイは溜め息をつくと、説明を始めた。
「報告書には事務的に書かれていたが
ローズはアッシュのあの館での、唯一の支えじゃったんじゃ。
その繋がりの深さを知らないと、わからんかも知れんじゃろうが
ローズは大切なアッシュを、自らの死を持って守ろうとした。
録画画像にちゃんと残っておる。
『命を掛けてあんたを守る』 という最期の言葉がな。
だからアッシュはローズに汚名を着せ、館の崩壊を防いだんじゃ。
この画像は、さすがにアッシュには観せられんので
わしが事前に届けたんじゃが、会議前に確認していなかったんか?」
「そんな画像があったんですか・・・。」
「申し訳ない、我々の方のチェックミスだな。」
メンバーたちには初耳のようだった。
「あんたらも、気合い不足じゃの。
このやり取りを見ていたら、アッシュとローズのふたりが
いかに命を掛けて、館を守ろうとしているかがわかるぞ。
じゃが、残されたアッシュは
大切なローズの死に、今にも気が狂いそうじゃろうな。
あの画像を観れば、その気持ちがあんたらにもきっとわかるじゃろう。
アッシュの前では、もうこの話は禁物じゃぞ。」
重い背景のほんの一部を聞かされただけで
気の毒そうな顔をするメンバーに、ジジイが釘を刺す。
「今までアッシュの寝室は、少しでも安らげるようにと
ローズがいつもバラの花で埋め尽くしていたんじゃよ。
ベッドカバーからカーテンから、毎日ローズが整えとったんじゃ。
それを思い出すのも辛いゆえの、大幅改築なんじゃろう。
主の寝室は、警備上あそこじゃなきゃ困るんじゃが
アッシュは今、書斎で寝泊りしておるようじゃぞ。」
「それで、彼女は大丈夫なんですか?
ショックで人格が変わるという話もありますし・・・。」
メンバーの心配に、ジジイはサラッと答えた。
「これを乗り越えてこそ、主なんじゃよ。
ダメなら、しょせん主の器じゃなかったという事じゃな。
その見極めはわしがする。
無理ならば切り捨てるまでじゃ。」
アッシュびいきのはずのジジイの非情な言葉に、驚いた一同を見て
ジジイがいかにも意外そうな素振りをする。
「街の名士が揃って何を驚いとる?
あんたらだって、こんぐらいやって権力を得とるだろうて。
シビアなもんじゃろ、政財界も。」
それを言われるとそうなんだが
館は街の重荷であると同時に、元々は街の良心でもあったのだ。
自分たちがやっているのはボランティアだと思いたい気持ちがあり
だからこそ改革は、断固として進めなければならない。
出来れば、あの忌まわしい相続を二度とせずに、だ。
「では、寝室の改築ぐらい認めてあげましょう。
今の彼女には、安らぐ場所が確かに必要ですからね。」
ひとりのメンバーの言葉に、他のメンバーたちがうなずいた。
ジジイはそれを見て、言う。
「そうか、じゃあ、そこはわしに任せんしゃい。」
呼び戻されて、長老会から了承を得たアッシュは
「ありがとうございますー。
今後も全力で頑張りますので、ご指導をよろしくお願いしますー。」
と、まるで心のこもっていない棒読みお礼を無表情でした。
そこへジジイの横やりが入る。
「ただし、認めるのは改築費と常識的な家具のみじゃ。
棚、鏡台、KOTATSU、FUTON、TATAMI
コンポとパソコン、DVD機器の類も許そう。
ただしTVは1台までじゃ。
他の物は、全部あんたの自腹で何とかせえ。」
それを聞いたアッシュは、初めて表情を崩し青ざめた。
「ええーーーーーーっ?
液晶、すんげえ高いんですよー?
ネオジオソフト、チョー美品レア物落札しちゃったんすよー?
美容機器だって、ゲルマニウムローラーとか高価ですよー?
超音波美顔器なんか30万超えですよー?
美しさを保つのも、崇拝対象者の義務じゃないですかー?」
「心配すな。
ない “美” は保つ必要もない。」
ジジイが超!セクハラ発言をサラリとし
紳士たるメンバーたちを慌てさせ
リリーは吹き出しそうになったのを根性で耐え
アッシュはヘナヘナと床に両手両膝を付いた。
アッシュとリリーが帰っていった後、ジジイは言った。
「さて、どう金の工面をするやら。
あやつに部屋にこもられたらマズいんじゃ。
大きな悲劇を味わったんだから
それをぜひとも館の管理に活かしてもらわにゃのお。」
今日のアッシュには、有無を言わせない迫力があったが
ふぉっふぉっふぉっ、と高笑いをするジジイを見ると
この人の方が真の鬼だ、とメンバーはゾッとした。
続く。
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ジャンル・やかた 1 09.6.15 -
ジャンル・やかた 62
配られた報告書とアッシュの解説に、長老会メンバーは苦悩していた。
「これは、本当の事なのかね?」
ひとりの紳士がアッシュに向かって訊ねた。
「何をマヌケな質問をしているんですかー。
これが、まごうことなき現実なんですー。」
資料を片付けながら、振り向きもせずに答えるアッシュに
他のメンバーが続けて訊く。
「きみは長年の護衛に罪をかぶせたわけだね?」
その言葉にアッシュの右目がピクッと動き
参加していたジジイとリリーはハラハラした。
アッシュは椅子に座り、テーブルを指でカツカツ叩きながら言う。
「こういう事を言うのは卑怯なんで、ほんと言いたくはないですけどねー
最前線にいない人にはわからないと思いますよー。
てか、普通の暮らしを出来るなら
こんな汚れ仕事、わかる必要なんてないですー。
死ぬか生きるかの環境なんて、存在しない方が良いんですからー。
でも私はもう、ドップリ関わってしまったー。
責任も重いー。
それをわきまえて、自分の仕事をこなしますから
今後は事後報告のみを待っていてくださいー。
この報告書を見ただけで、気分が沈むでしょー?
事件勃発の真っ最中に経過を聞いていたら、マジでウツになりますよー?
本当なら、改革が完了するまでは
皆さんへの報告も止めたいぐらいなんですよー。
知らない方が良い事も多いんですからねー。」
「知られたくない事をしている、って事かね?」
その言葉にアッシュが激怒すると、言った本人も含め全員が覚悟したが
意外にもアッシュは冷徹な表情で静かに答えた。
「知られたくない事をしていた事を
しないで済むようにしたいから、今頑張ってるんですよー。」
まるで早口言葉のような、わかりにくい返答だったが
メンバー全員がその言葉の意味を深く理解し、言葉に詰まった。
「どうせ汚れた手だから、責任は全部私が負いますー。
時間が掛かる事ですが、必ず私の代で終わらせますー。
そして私が死んだ後に、やっと館が浄化されるんですー。
その計画を見守っててくれませんかねー?」
長老会メンバーが皆、沈痛な面持ちで黙りこくったところに
アッシュが、紙を取り出した。
「それで、今回の締めくくりとして
私の寝室の改築をしたいので、その経費を認めてくれませんかねー?
図面と明細はこれですー。」
「何だね?」
ワラワラと集まって、その紙を覗き込む。
「部屋を丸ごと取り替えるのかね!」
「tatami?」
「液晶TV2台?」
会議室がザワめきたつ。
「これは何だ? メガドライブ?」
「SEGAのゲーム機ですよー。」
「こっちは何だ? ナショナルイ・・・オンスチーマー?」
「ああ、それは美顔器ですー。」
爪をほじくりながら答えるアッシュを全員が睨む。
「何のためにこんな物が必要なのかね?」
「ほんと、すいませんー。
自分でもちょっと独裁入っちゃってるかなー、と思ったんですけどー
私の心の安定のためなんですー。
さっきは大きい事言っちゃいましたけどねー
私も今回の事は、精神的にものすごいキツいものがあってですねー
せめて寝る場所ぐらいは、安心できる空間にしたいんですよー。
実はもう発注済みなんで、後は工事を始めるだけですー。
でもこれでも売れる物は全部売っちゃって
費用の足しにしようとしたんですけど、もう全然足りなくてー。」
一本調子で答えるアッシュに、一番若そうなメンバーが口を開いた。
「あなたは、OTAKU? とかいうやつでーすか?」
アッシュは はあ??? 何言ってんの? こいつ
という表情で、そのメンバーを睨んだ。
いつもは真面目にふざけた態度を取っているので
態度の悪さのランクで言ったら、そう変わらないのだが
今日のアッシュには、どことなく凄みがある。
たとえて言えば、チンピラ風情が盃をもらった、みたいな。
そんなアッシュの態度に戸惑ったメンバーが無言でいると
アッシュがテーブルの上に両手を組み、ようやく普通の口調で話し始めた。
ご機嫌が直ったのかと思ったが、その内容はよりヒドいものだった。
「子供を何人も誘拐してきて殺して血を飲むとか
使用人に次々に暴行するとか、そんな事をするより
ゲームの中でモンスターを倒している方が、健全じゃないですかー?
そういう極悪非道な支配者って大勢いるわけですしー。」
あまりの言い草に、互いに目を合わせて動揺するメンバーたち
ジジイがその様子を見て、アッシュに告げた。
「ちょっと我々だけで話すから、席を外してくれんかのお?」
アッシュとリリーが出て行った後、残された長老会メンバーは
ジジイのアッシュかばい独演会を想像したが
意外にもジジイが発したのは質問だった。
「それでどうするんじゃ?
アッシュを主から下ろす事も考えるべきじゃないかい?」
その言葉を聞くと、途端に会議室がザワめき始めた。
「いや、その選択肢はないんじゃないですか?
ここまで来といて、今更交代は愚策の極みでしょう!」
「実際にあそこまで出来る人間は、そうはいないと思うねえ。」
「そうだな、ゼロから権力を持った人間は、勘違いの全能感に溺れる。
しかし彼女には、それだけは見られない。
現に初めての個人的要求が、この寝室の改築だ。」
次々と起こるアッシュ擁護に、ジジイは内心ほくそ笑んだ。
じゃろ? 冷静に考えればあんな逸材はおらんぞ?
ジジイのアッシュ交代提案は
長老会に、自らの意思でアッシュを選ばせ直すためのワナだった。
ダラダラと30余年、運のみで主を務めていただけかと思いきや
それだけの功績を残せたジジイは、やはりかなりのタヌキであった。
続く。
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ジャンル・やかた 61
住人たちの動揺は、アッシュの演説で見事に収まった。
この館で再び殺人が起こるなど、あってはならない事だったが
それは “愛” のためだと認識されたのである。
理由が愛だろうが何だろうが、殺人は凶悪犯罪なのだが
長期間に渡って戦場だったここでは
やはりそのあたりの感覚が狂っている、という事なのだろう。
反乱グループの残党も、逆らう気力を失っていた。
たとえ主が許したとしても、主の周囲が許してはくれないのである。
積極的だった仲間が真っ先に殺された、という恐怖もあるが
何よりもその内のひとりが逃亡した、という方に失望を感じた。
どんなに偉そうな事を言っても、しょせんビビったら逃げ出してしまう。
だが主は絶対に逃げる事はないだろう。
あの演説の時の、得体の知れない空気・・・。
自分たちと主では、気合いが違う。
主が主になった理由が、何となく理解できた。
こういう状態で、いつまでもツルんでいたら
いつ主の目がこっちに向くかわからない
その恐怖から、グループは自然に瓦解していった。
ジジイとリリーは、アッシュのウソを最初から理解できたが
調査や計画に加わっていた他の館員たちはどう思ったか。
ローズの最期の行動は、カメラのない室内以外はすべて録画されていた。
アッシュを屋上に連れて行ったのも、屋上での会話も。
それをジジイとリリーを含めた、今回の事件関係者全員で検証した結果
とり残されたアッシュの様子も含めて
罪をかぶるのはローズの意思だった、と結論付けた。
それにしても、アッシュのあのショックの受けようは
ローズの考えを知らされていなかったように見える。
なのに素早く切り替えるあたり
お互いが何も言わずともわかりあえる仲だったのだろう
と、都合の良い方向へと解釈された。
それを “事実” と判断して、館員たちは皆泣いた。
ジジイとリリーも、はばからずに涙を流した。
これは主様の評価については心配なさそうね。
リリーは、密かに館員たちの心情をチェックしていたのだった。
一連の事件は、あまりにも犠牲が大きすぎた。
でもここを乗り切って館を安定させなければ、その犠牲がムダになる。
そのためには、事務部全部の団結が必要なのよ。
ジジイのアッシュへの信頼は、一瞬も揺るがなかった。
それどころか、前にも増して固くなっていた。
ひとつの空間の頂点に立つ者は、大抵血まみれじゃ。
他人の血だけじゃなく、自分の血も浴びておる。
それに耐えられるか耐えられないかが、資質というものなんじゃ。
あやつは迅速かつ的確に、“主” の成すべき道を見抜いた。
本来なら、手放しで褒めてやりたいもんじゃぞ。
リリーの懸念、ジジイの賞賛、そしてデイジーの心配。
デイジーは、ローズの死を喜ぶ、ただひとりの側近だった。
主様に “特別” があってはならない。
常々あの女の存在を邪魔に感じてきたけれど
意外にもそのローズが死んでくれて、主様はそれを上手く利用した。
主様がおひとりで立ったという事。
これからが真の主様の始まりだわ!
しかし大きな心配があった。
アッシュは、固形物が食べられなくなっていた。
口に入れても吐き気で飲み込めないようだ。
このままじゃ体力がなくなって死んでしまう、と
焦っているところに、アリッサの言葉で余計に心配が重なる。
「主様のおからだがつめたいだよ。」
栄養が摂れていないんだわ
何とか主様にお元気になってもらわないと。
デイジーは、和食サイトを必死に検索していた。
各々の想いをよそに、アッシュは精力的に仕事をこなした。
反乱事件でうろたえていた期間に滞っていた通常業務を片付けるのだ。
長老会には今回の報告のため、臨時会議の開催を要請した。
そのための資料作りにも手間が掛かる。
館の軌道を、早く元に戻さなくてはならない。
そして改革を進めなければ。
私の悪行を知っている者たちに、有無を言わせない結果を出さねば。
悪行・・・・・
アッシュは無意識に浮かんだ単語に、つい考え込みそうになって
頭の中で開きかけた箱を、慌てて閉じた。
感情はいらない!
多くの人の人生が掛かっている、という重責のみを見つめろ。
決定権を持つ者に私情があってはならない!
アッシュは寝室の改造を決めた。
天井も床も窓枠も含め、一部屋丸ごとの改築である。
家具や調度品、枕カバーにいたるまで、すべてのものを新しく替えるのだ。
ローズの寝室は封鎖し、入り口を取り壊し壁にする。
アッシュの寝室と繋がっているドアも取り壊し
壁にして、更にそこには棚を置こう。
以前のメルヘンなベッドルームとはうって変わって
アッシュ本来の好みの、殺伐とした空間にする計画を立てた。
パソコンはペンティアムコアi7自作を注文し
液晶TVは映画用の105インチと、ゲーム用の52インチ
TVゲーム機は、PS3からワンダースワンまで万遍なく揃え
ビデオデッキ、DVDプレーヤー、ブルーレイ、HDVD
CD、MDは無難なオーディオシステムにしたが
レコードやカセットテープは、真空管アンプと張り込み
ドルビープロロジックのサラウンドシステムも忘れない。
ビデオ棚、ディスク棚、ゲームソフト棚、CD棚も、幾重にも。
美容雑誌や攻略本が並んだ頭の悪そうな本棚に
窓際の壁には、折りたたみ式三面鏡付き洗面台とコスメラック
メイクスペースの棚には、数々の美容機器
化粧品専用冷蔵庫も完備は当然。
部屋の入り口には、靴を脱ぐ場所を設置し
床は畳、コタツに座椅子に布団直敷き。
館の中でのこの一部屋を、どこぞの日の本の国の
ちょっとマニア入っちゃってる~? みたいな~?
なヤツが住むアパートの一室みたいにしたい。
よし! これなら1万年でも引きこもれるわ
てゆーか、こういう部屋に住めるなら、私の人生に何の悔いもなし!
そう、悔いなどひとつもない!!!
続く。
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ジャンル・やかた 60
「最近の連続した死亡事件は、管理部でも不審に思ったので
密かに調査をしていましたー。」
アッシュがいつもの口調で話し始めた。
それも皆が一番聞きたかった本題を、いきなりである。
「その結果、浮かび上がったのが、私の護衛、ローズさんでしたー。」
ジジイとリリーは、内心驚愕した。
実際には、そんな動きは一切なかったからである。
「そこで私はローズさんに問いただしてみましたー。
すると、驚くべき事が判明したのですー。」
少し間を置いたのち、続ける。
「今回、亡くなった人たちは皆、現在の館の改革に反感を持ち
私を襲撃しようと計画を立てていたのですー。
私を良くは思わない人もいるとは聞いていましたが
まさか具体的な襲撃の計画があるとは思っていませんでしたー。
これは、私の管理不行き届きですー。」
ところどころに本当の事を織り交ぜながらアッシュが語る。
大体の主旨を決めたら、後は言いたい放題がアッシュのやり方なので
通常の演説の時にも、原稿は一切持ち込まない。
会場を見渡しながら、来ている人々ひとりひとりと
順々に目を合わせつつ大声で話す。
それが説得力の助けになっていたが、アッシュは無意識にやっていたので
天性の詐欺師能力を持っているのかも知れない。
「本来ならば襲撃計画の事を知った時点で、私に報告すべきでしたー。
しかしローズさんは、数年前に姉バイオラさんを
彼らの仲間の襲撃で亡くしていたのですー。
ローズさんは、彼らを放置していたら
繰り返される襲撃で、いつか私が殺されると焦ったのでしょうー。」
アッシュは一旦うつむき、迷うようなしぐさをした後、再び口を開いた。
「反乱グループのリーダーのバスカムさんが自殺してしまい
その死の疑いが私に掛かっている、と知ったローズさんは
彼らを殺しましたー。
ディモルさんと、タンツさんですー。
オラスさんは館を逃げ出し、州外れで車にはねられて亡くなりましたー。
バスカムさんとオラスさんの事は、悲しむべき偶然の出来事で
ローズさんとは無関係ですー。」
ほおー、そうだったのか、と、あちこちでかすかな声がする。
「ローズさんは、これらの事を率直に話してくれましたー。
ローズさんのした事は、してはいけない事ですー
しかし全部、私のためだったのですー。
私はどうしてもローズさんを責める気にはなれませんー。
こんな事では、主失格ですー。
私も同じく責められるべきなのですー。」
アッシュはここまで話すと
人々を見回していた目を前方の空間に固定した。
どこを見ているのかわからない、焦点の合っていない眼差しだった。
「・・・ただ・・・、皆さんに固くお願いしたいー。
何か起きたら、周囲の人、出来れば私にも相談をしてくださいー。
苦情や不満がある人も、私とまず話し合う事をお願いしますー。」
次の瞬間、アッシュの様子がガラリと変わった。
「そして・・・何があっても、自ら、・・・死を、選ばないでくださいー。
死んで、ラクになれる、とか、ありませんー。
自殺、してからが、本当の、苦しみの、始まり、なのです、からー。」
アッシュの表情が強張り、視線は変わらず宙に固定されている。
その様子を見ていた人々は、アッシュが泣き出すかと思ったが
アッシュの目からは涙の一粒も零れ落ちず、まばたきすらしない。
それを見ていると、何故か寒気がしてきた。
館に来た当時からずっと、ローズがアッシュから離れずに守っていたのを
住人全員が知っていて、ふたりの間には強い絆が感じられた。
そのローズが、罪を犯したとは言え目の前で自殺してしまい
どれほどのショックを受けただろうか
誰もがアッシュの悲しみを、容易に想像できる。
しかしアッシュは微塵も悲しんではいなかった。
自分をこの世界にひとりにした事を、深く強く怒っていたのだ。
経験した事のない、静かなそれでいて激しい怒りであった。
アッシュの形相には、無表情なのにそれがにじみ出ていた。
体の周りに冷気が立ち上がる幻が見えるほどの迫力が。
その異様な雰囲気に、震え上がる者もいたが
その事が逆に最高の悲しみに感じる者、涙を流す者もいて
講堂中が恐怖と悲しみの織り交ざる、重苦しい雰囲気に包まれた。
「重ねてお願いしますー。
自殺だけは絶対に絶対にしないでくださいー。」
そう言うと、ようやく視線を落として壇上を降りた。
アッシュが控え室に入っても、誰も口を開かず
しばらくそのまま放心していた。
ジジイとリリーは、予想だにしなかったアッシュの演説に
かなりの動揺をしていたが、それを表情に出さずに聴いていた。
住人たちに邪推されるとマズいからだ。
しかし住人たちは全員、壇上のアッシュに注目していて
誰ひとりアッシュから目を離す者はいなかったので
ふたりのこの演技も徒労に終わった。
無言で執務室に戻ったジジイとリリー。
アッシュは事務部に寄っているようだ。
部屋にはふたりだけだったが、演説について話す気にはなれなかった。
アッシュの話した事は、事実とは違う。
おそらくアッシュの今の状況を心配したローズが
何かを取り決めたのであろう。
演説で、ひとことも “事実” という単語を使わなかったのは
アッシュに罪悪感があるせいだろうか。
ふたりともそう想像したが、“真実” は誰にもわからない。
当のアッシュにも。
続く。
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ジャンル・やかた 59
「あたしはあんたを守る、と約束したね?」
ローズの問いかけに、アッシュは、うん、だから殺して良いよ
と心の中で返事をしながら、無言でうなずいた。
「それはあたしの命を懸けて誓った事だ。
あんたがどうなろうと、絶対にあたしはあんたを守る。
だから・・・。」
そこまで言うと、ローズはあたりを見回した。
天気が良いせいか、屋上には数人の女性が輪になって座っていて
裁縫箱や布があるところを見ると、何かの手作業をしているようだ。
アッシュとローズが来たのに気付いて、手を止めて見ている。
「ああ、ちょうど良いね。」
ローズは女性たちを見ながらつぶやいた。
「ここで待ってな。」
ローズはアッシュにそう言うと、女性たちの方へと歩いて行った。
アッシュがキョトンとして見守っていると
ローズは女性たちの横を通り過ぎ、立ち止まり
そしてアッシュの方を振り向いて、にっこりと笑った。
次の瞬間
ローズが 真っ青 な 空 に 溶け て いった
とぎれとぎれに薄っすらと思うアッシュを引き戻したのは
女性たちの響き渡る悲鳴だった。
アッシュはそれだけで全てを悟った。
足どころか、指の一本すら動かせなかった。
一体どれほどの時間、そこに立っていたのかわからないが
アッシュが我に返ったのは、リリーに体を揺さぶられた時だった。
周囲では大勢の人々が、慌ただしく走り回っている。
リリーが自分に向かって、しきりに何かを叫んでいるようだが
何故だか、その言葉がどうしても理解できない。
これまでにないアッシュの動揺ぶりを見て、リリーが命じ
アッシュは警備員に抱きかかえられて、寝室に戻った。
医師が来て鎮静剤を注射したせいか
アッシュは何週間ぶりかで、よく眠れた。
それは、安眠とはほど遠いものであったが。
看護士が様子を見に行くと
アッシュは目を開いて天井を見つめながら、ベッドに横たわっていた。
身動きひとつしないその姿に、ちょっとちゅうちょしたが声を掛ける。
「・・・お加減はいかがですか?」
アッシュはその声を聞いた途端、スッと起き上がった。
「迷惑を掛けて申し訳ありませんでしたー。
もう大丈夫ですー。」
ベッドから降りながらフラ付いたので
もう少しお休みになった方が、と止める看護士に
にっこり微笑みながら、バスルームに入っていった。
風呂に入り、さっぱりした様子で執務室に入ってきたアッシュを見て
連絡を受けて待っていたジジイもリリーも
お茶を用意していたデイジーも、一様に驚いた。
2日前に放心していたとは思えないぐらい、平静なのである。
「ご心配をお掛けして、すみませんでしたー。」
いつもと同じように話すアッシュだが、どこか以前と雰囲気が違う。
こんな時に口を開くのは、上司であるジジイの義務。
「・・・それで、何がどうしたんじゃ・・・?」
「それは今日の演説の時に話しますー。」
アッシュのきっぱりとした口調に、誰も異議を唱えられなかったが
全員が思った。
今日、演説をするのか?
館中が大騒ぎになっているので
すぐにでも説明をした方が良い事は良いのだが
ローズが死んでから2日間、ずっと眠りっ放しで
葬儀にも出席できなかったアッシュが、起きていきなり演説など
ムチャではないのか?
そんな心配をよそに、アッシュはいつも以上にテキパキと事務をこなす。
自分が寝ていた間の事を、何ひとつ訊かないし
その前後にアッシュとローズに起きた事も話さない。
何かがおかしい。
が、ここはアッシュに任せるしかない。
ジジイとリリーには、演説までの1時間がやたら長く感じられた。
講堂には住人たちのほぼ全員が来ていた。
皆、演説があるという放送を聞き、仕事も何も放っぽり出して来ていた。
講堂は本来、全員分を収容できる大きさだったが
詰めて座らないので、立ち見まで出る有り様だった。
ジジイとリリーは、アッシュの後ろについて講堂に入り
席を譲ろうとする男性の勧めを丁寧に断って
控え室のドアのところに立って聴く事にした。
アッシュが壇上に上る。
人で一杯の講堂は、無人であるかのように静まり返った。
誰も呼吸していないかのように。
これぞ固唾を呑む、というやつだろうか。
アッシュがマイクを少し動かし、口を開いた。
続く。
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「死んだヤツは皆あんたが殺した、って噂が出ているけど
それは本当なのかい?」
ローズは単刀直入に訊いてきた。
ローズのこういう、話が早いところが好きなんだよな・・・
と、微笑みつつ正直に答えた。
「正確には、私が命じたのは1件だけだけど
他の2人はたまたま死んでくれたんですー。
でもそれがなくても、確実に殺すつもりだったですー。
バ・・・リーダーは、私が追い詰めたら自殺しちゃいましたー。」
アッシュの話の内容に、ローズは落胆した。
と同時に、アッシュの態度には思いがけない喜びを感じていた。
この子は主の地位に就いて長く経ったというのに、相変わらずなんだね
そんな安心感を打ち消すように、溜め息を無理に付いた。
「あんたに最初に会った日に言った事があるね。
『何もしないヤツがキレイ事を言うな』 って。
・・・あたしは、・・・・・情けない話だけど
バイオラが死んで初めて、人間の命の重さを知ったんだ。
それまで何人も殺したのが、罪だとわかったよ。
あんたもそうだと信じていたんだけど・・・。」
アッシュは、ローズの言葉のひとことひとことを
すべて記憶したいかのように、味わって聞いた。
「そりゃ、この館の管理をするのは大変だとわかっているさ。
でもそれにしても、殺すんじゃなく他に方法もあるだろ?
あんたはこの館を戦いのない場所にしたいんだろ?
なのに何故こういう事になってるんだい?」
アッシュは、ずっとローズの声を聴いていたかったが
ローズが口を閉じて、自分が答えるのを待っているので
仕方なく喋る事にした。
「ローズさん、本当に申し訳ありませんでしたー。
今回の事、いえ今までの事はすべて私の力不足ですー。
でも、バイオラさんの死で私が学んだ事は
あなたとは正反対なんですー。」
つい、そこまで言ってしまったアッシュだったが
次の言葉は決して口にしはいけない、と
わかっていたので、どうしようかと迷って目を泳がせた。
その心理状態を何となく察したのか、ローズが優しく促した。
「あたしに言ってみてごらん?」
その声を聴いたアッシュは、意を決して包み隠さずに言った。
「今まで、人を殺して平気な人の気持ちが理解できなかったんですー。
人が傷付き死ぬのを間近に見て、それはもうショックでしたー。
人の命は等しく尊いのに、と罪悪感で苦しみましたー。」
うんうん、と、うなずきながらローズは聞いた。
「・・・だけどバイオラさんの死を目撃した時に
その考えがくつがえったんですー。
仲良くしていたバイオラさんの死は私にとって
想像以上の “特別” だったんですー。
それは、他のよく知らない人の死とは比べ物にならなかったー。」
アッシュの口元が、感情を抑えるかのようにかすかに歪んだ。
「大事な人以外の命なんて、自分には何の価値もないんですー。
生きようが死のうが自分に関係ないんなら、どうでも良いんですー。
その差は、ゴミと宝石ぐらい違うんですー。」
少しうつむき加減に、しかしローズの目を見据えて言うアッシュに
ローズは思わず涙が出そうになった。
あたしたちは、あんたのお陰で平穏に暮らせるようになったけど
あんたはこの館に、ううん、あたしにそんな風にさせられたんだね。
あたしたちはあんたに諭されて、正義を学んでいったけど
あんたは自分の心を刻んで皆に配っていたんだね。
そう考えたら、無意識にアッシュを抱きしめていた。
可哀想に・・・、何て重い荷物を背負わせちゃったんだろう。
アッシュは久々に触れたローズの温もりに
安らぎを感じて、目を閉じた。
しばらくそうしていたふたりだったが
ローズがアッシュの顔を見て、微笑みながら穏やかに言う。
「着いておいで。」
そうひとこと言うと、ローズがドアを開けて部屋を出て行く。
どこへ行くとも言わなかったが
アッシュは何も訊かずに、ローズの後をついて行った。
ローズはエレベーターに行き、屋上のボタンを押す。
アッシュはそれを見て、ああ、突き落とされるんだな、と察したが
ローズが殺してくれるんなら、それも嬉しい事だ、と思った。
こんな気持ちになるなど、自分は狂っているのかも。
そういう気がしたけど、久しぶりの高揚感に
そんな事すら、もうどうでも良くなっていた。
アッシュはローズの顔を見つめて、目が合うと楽しそうに微笑み
ローズもまた、笑みを返してくれた。
まるで楽しいピクニックに出掛けるかのようなふたりであった。
エレベーターが屋上に着いた。
続く。
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