「皆さん、こんにちはー。
今日は雨が降っていますねー。」
アッシュは講堂で、習慣になった昼の演説をしていた。
住人の前で初めてシュプレッヒコールを上げたのは
2年前の主交代の式典の時で、玄関ホールに急遽作られた壇上だった。
あの時住人たちは、疑問を投げつけられた気分になって
全員が神妙な面持ちで、式典は終わった。
その時から毎日昼1時になると、こうやって壇上に立って話す。
夜勤の仕事の人もいるので、一番無難なこの時間を選んだ。
アッシュの話はスピーカーで館敷地内全域に流れるのだが
講堂に来て聞く者も多い。
有名な逸話や自分の経験談を、面白おかしく語りつつも
倫理観を練り込んでいるので、毎日聞いていると
自然にその方向に思考が流れるようになる。
地味で気長な洗脳である。
2年前のあの日から、館の大改革が始まった。
まずは、館の大掃除を命じた。
“清潔な環境が清らかな心を育む” というスローガンでだが
単にアッシュが潔癖症なだけだった。
館を覆い尽くしていたガラクタは、分別され
売れる物はすべてネットオークションに出した。
骨董的価値があるものも多かったので、意外な収入になり
その売り上げで、館の改修工事の費用の一部を捻出できた。
この作業はゆうに1年以上掛かったが
ヒマがあったら掃除に明け暮れた住人たちは
美しくなっていく館に自分を投影し、味わった事のない達成感を得た。
アッシュは、それを褒めて褒めて褒めまくった。
同時にリリーの香水使いも終わった。
「ゴミの臭いが移ったまま、外を出歩きたくなかったんです。」
リリーは、ゴミ臭より香害を選んでいたのだった。
情報は制限しても入ってくるものだし、自分で選んだつもりになってもらおう
そう思って、パソコンルームも完備した。
携帯のアンテナも設置し、電話線も引いた。
門もドアも図書室も開放した。
住人全員を収容できる講堂も館の西側に新たに作った。
玄関ホールの奥から渡り廊下を通って行ける。
自分がどこに所属しているのか、自覚を持たせるために
全員にキレイな色の制服を支給した。
農業は緑、工業は青、食系は黄色、清掃はオレンジ、事務は黒
といったように、各職、色を取り揃えた。
外装と玄関ホールは伝統を守るために、古いつくりのままにしたが
公共の部屋は幸福感を感じるように、ポップなインテリアにし
植物をいたるところに配置し、館の周囲にも花壇を作った。
これらの設計や配置は、住人たちの希望を取り上げ作業をさせた。
自分たちで作り上げた、という錯覚によって
館の維持に、義務と責任を持たせるためである。
あー、妙な宗教や詐欺の本を読みまくっといて良かったー
まさかそのいらん好奇心が役立つ日がこようとは
ほんと知識にムダは何ひとつないよな。
アッシュは自分の言動に正義など、ひとつも感じてはいなかった。
平和 = 正義 だと思えるヤツは、最初から平和の中にいるんだよ
平和を目指そうとしたら、どっかで手を汚さなきゃならない。
そういう汚れた環境だからこそ、平和を目指そうと思うんだし。
相続の最中から、この考えにブレはなかった。
揺らいで迷って自分を責めて生きてきたアッシュが
ブレないなど、そこがもう本来の自分ではないのだが
そんな事に目を向けると、感情ですべてが崩れ落ちるので、しない。
アッシュの “腹をくくる” とは、そういう事を意味していたのである。
この強気がいつまで続くかわからんけど、とにかく出来るだけ突っ走らねば
アッシュには、脳内チキンレース真っ最中な日々だった。
続く。
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