カテゴリー: かげふみ

  • かげふみ 53

    「どういう経緯になっても、責任を取っての辞職は免れませーん。
     私も市議会議員を辞職しまーす。」
    リオンの言葉に、ダンディーが仰天した顔で 何っ? と叫んだ。
     
    「だけど私はこの首を賭ける事で、この館を善だと全国に認識させ
     かえす刀で現州知事を叩き切って、州知事に立候補しまーす。
     民衆の支持を得られたら、名誉の回復もできまーす。」
     
    「要するに、勝てば良いわけじゃよ。」
    ジジイが続けた。
    「ここにいるお歴々にそれが出来ないわけがない。」
     
     
    ここまで言われて、逃げ腰になっている紳士たちではない。
    「そうですね、まずは館に広報部を作りましょう。」
    「よし、敏腕の広告マンを連れてこよう。」
    「デザイナーたちも必要になってくるな。」
     
    「グリスくん、きみは住人と村人の意思の統一を図ってくれ。」
    「クリスタル新聞の社主には私が働きかけよう。」
    「では私は、検事に根回しをしておこう。」
     
     
    「わしは本を書くぞ!」
    ジジイが叫んだ。
    「一番の生き証人は、このわしじゃ。
     全部を包み隠さず書き、館内部の罪をすべて背負う。
     主の弔い合戦じゃ!!」
     
    「その本は村と館のサイトで売って、収益は館に回してくださいね。」
    ジジイの興奮に水を差すように、リリーが冷静に言う。
     
    「もちろんじゃ。 年寄りに金は必要ない。
     わしの財産も、死後はすべて館に寄与する。
     グリス、おまえも主との回顧録を書くんじゃ。」
    「は、はい。」
     
    「では推敲も含めて、文章のプロも必要になりますね。」
    「あ、それは私が新聞社に心当たりがあります。」
    マデレンが手を上げた。
     
    「きみには広報部に所属して、引き続き館にいてもらいたいんだが。」
    メンバーの言葉に、マデレンは即答した。
    「はい、喜んで。」
     
     
    「それと、ネットも販売だけじゃなく
     館自体のサイトが必要じゃないかね?」
    「それは電気部でまかなえると思います。
     詳しい者が何人もおりますので。」
     
    リリーの言葉に、将軍がうなずいた。
    「うむ、一気に外部から人員を補充すると
     思想教育がおろそかになりうる。」
     
     
    「これらの動きは、ひとつずつ密かに進めていきましょう。
     敵に知られる前に、あらかたの準備をしておいて
     アピールは小出しにして、国民に徐々に慣れさせていくべきです。」
     
    「異議なし。」
    「同意。」
    長老会が久々に息を吹き返した。
     
     
    主が死んで1年も経たないのに、再び戦いが始まろうとしていた。
    館の歯車は、止まる事を知らないのか。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 52

    「マデレンさん、ご苦労様でした。
     引き続きよろしくお願いいたします。」
     
    会議が終わろうとした時、マデレンが言い出した。
    「あの、ちょっと噂を聞いたのですが・・・。」
     
    「どんな噂かね?」
    「館の噂です。
     それも、首都の新聞社の人らしいんです。
     州内じゃなく首都で館の噂など、起こる事自体まずいですよね?」
     
    「何っ? 詳しく教えてくれたまえ。」
    青ざめる長老会のメンバーたち。
     
    「はい、この前クリスタルシティでばったり元同僚と会ったんです。
     クリスタル新聞の社会面担当記者です。
     その人の、首都の新聞社に勤める友人からのメールで
     館に関する質問があったそうなんです。
     元同僚は、館については知っていましたので
     単なる元犯罪者の更生施設だけど、とだけ答えたそうです。」
     
     
    会議室は一気にザワついた。
    「どうも、首都のタブロイド誌が館の事を嗅ぎつけたようなんです。
     州内では、村の直売所が人気ですよね。
     毎日あちこちからお客が来ています。
     その話は、首都まで届いていたそうなんです。」
     
    村の商品の人気は、徐々に州外にも広がっていて
    それは予定外ではなかった。
     
    「ところが主様の葬儀の時に、その村が一斉に休んだでしょう。
     それだけではなく、盛大な葬儀が行われ
     州の政財界関係者が大勢参加した、たかが一施設の管理者に何故?
     という事らしいです。」
     
     
    確かに、その疑惑を持たれる可能性に気付くべきであった。
    しかし気付いたとて、あの主をひっそり葬るなど
    館の関係者には誰も出来るわけがない。
    従って、これは避けられないトラブルである。
     
    「それで、そのタブロイド誌はどこまで知っておるのかね?」
    マデレンは、すまなそうに首を振った。
     
    「それはわかりませんでした。
     タブロイド誌の場合は、何もつかめないと思うんです。
     だけど情報網が厚い首都新聞が、この事に興味を持つと・・・。」
     
     
    「・・・ううむ、館が公になるのはまだ早い・・・。」
    皆が腕組みをして、眉間にシワを寄せた。
     
    「いえ、これはチャンスだと思いまーす。」
    声を上げたのはリオンだった。
     
    「今の州知事は関わりを避けていまーすが、反・館思想でーす。
     館の事が表沙汰になったら、潰しにかかってきまーす。
     そうなる前に早めに準備をして、こちらからアピールを開始するんでーす。」
     
    「攻撃が一番の防御か。」
    将軍が言った。
     
    「館内は、もう整備されていまーす。
     主の死後間もない今、住人たちの心は主の事で占められていまーす。
     今なら団結力がありまーす。
     逆に有利な条件が整っているのでーす。」
     
     
    「しかし、ひとつ問題がある。」
    白髪紳士が口を挟んだ。
    「館がまだ荒れていた頃、私は既に長老会メンバーだった。
     ・・・共犯じゃよ・・・。
     代替わりした者も何人かいるが
     この中には、まだ当時のメンバーが多くいる。」
     
    「法的には時効でしょう?」
    新メンバーの言葉に、古いメンバーが冷静に答える。
     
    「だが、倫理に時効はない。
     そこを突かれると、不利だ。」
     
     
    ジジイが立ち上がった。
    「館の改革は主の死をもって遂げる、そういう予定じゃった。
     それは普通に考えて、主がわしらより長生きするはずじゃったからじゃ。
     じゃが、順番が狂ってしもうた。
     わしらが浄化を阻止しておるんじゃ。」
     
    「じゃあ、私らに死ねとおっしゃるのか?」
    感情的になる老メンバーを、ジジイが抑える。
     
    「いや、そういう事は必要ない。
     むしろそれをしたら、改革の理念に反する。
     ただ、わしらも皆、館に対して責任を取るべきなんじゃ。」
     
     
    会議室は静まり返った。
    確かにそれが筋ではある。
    しかし地位を失う事になるかも知れない。
    大きすぎる代償である。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 51

    マデレンが長老会議に出席した。
    「ようやく完成しました。
     主様のプロモは、3種類あります。」
     
    「何故3種類だね?」
    「はい、それは職員の転勤等で
     主様を直接知らない人も編集に参加したので
     彼らの意見と私の意見が、まったく食い違ったのです。」
     
    マデレンは3枚のディスクを見せた。
    「これは主様を知らない人が選んだ、善・主様の映像集。
     数少ない笑顔がメインです。
     こっちは、主様のインタビューシーン。
     仕事中の風景や演説のシーン。
     そしてこっちは、私が選んだ悪・主様集です。
     平然と鬼のような事を言ってのける、あのいつもの主様です。
     私の思う主様の魅力は、この悪・主様に表われていると思うのです。」
     
     
    「なるほど、本人を充分に理解していないと
     彼女の大部分は、“悪” だと判断されますね。」
    「ふむ、3種類に分けたのは良い判断だな。」
    メンバーたちはうなずいた。
     
    「この3種類以外にも、館の日常や村の風景
     住人たちや村人のインタビューなどの編集も進んでいます。」
     
    「ほお、思ったより綿密に分類しているんだな。」
    「じゃあ、早速これらを観てみようじゃないか。」
    メンバーたちは、大画面モニターの前でワクワクした。
     
     
    善・主様。
    「ああっ、相変わらず、張り付いたような笑顔だ。」
    「目が笑ってないんですよ、この人は。」
    「うわ、これじゃバカ笑いですよ。」
    「“微笑む” ってのが出来ない人でしたよねえ・・・。」
     
    不評である。
    「口直しに悪シリーズを観ましょうよ。」
    「うむうむ、“あの” 主が観たい。」
     
     
    『はあー? 昨日言ったじゃないですかー。
     丸一日も猶予を与えたのに、何で出来てないんですー?
     ここがどこの国であろうと、この館では
     私時間で動いてくれないと、はちくり回しますよー?』
     
    『でー? 言い分は何ですかー?
     ほー、へー、ふーん、はい、却下ー。
     理由? いくらでもいかようにも言えますよー?
     だけど言いくるめられる時間がもったいないと思いませんかー?
     結局はあなたは私の意見に納得する、と納得してくださいー。
     てか、いい加減、この流れを学習してくださいねー。』
     
     
    「うーむ、鬼だなあ・・・。」
    「主の罵倒の右に出る者はいませんよね。」
    「聞いていると、納得してしまいますもんね。」
    「亜流を主流にするパワーが凄いですよねえ。」
     
    批判しながらも、嬉しそうに見入るメンバーたち。
    「これらを見ると、会議ではまだ抑えてたんですね。」
    「それなりに気を遣ってもらってたんだなあ。」
    「あれでも、だがな・・・。」
     
     
    最後に主のインタビューを見る。
    好きな食べ物は? などのたわいない質問から入り
    主らしい、と会議室は笑いに包まれていたが
    館についての答に、誰もが口を閉ざした。
     
    『この館は、身寄りのない元犯罪者たちの施設ですー。
     彼らは法的には、罪を償い終わっていますー。
     だけど罪は、一生自分の中で生き続けるのですー。
     そんな彼らには行く場所がないー。
     この館で生きていくしかないのですー。
     ここは、そういう意識でいる限り
     人生の牢獄と言える場所なんですー。』
     
    『だから私は、彼らにこの館を維持する喜びを与えたかったんですー。
     彼らの人生に欠けているもの、それは希望ですー。
     この館で、それを感じてもらいたいんですー。
     罪を抱えながらも、喜びも同時に持っていられるー
     ここをそういう場所にしたい、それが私の目標ですー。』
     
     
    「『館の事しか頭になかった』 と、おっしゃってらしたけど
     ちゃんと住人の事を考えていらっしゃるじゃないですか・・・。」
    グリスが涙声でつぶやいた。
     
    「単純に言うと、館 = 住人 なんですよね。」
    「完璧主義者だったから、満足がいかなかったんだろうな・・・。」
    「充分でしたのにね・・・。」
     
    会議室は、涙に包まれた。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 50

    電話を切った後に、アスターは泣いた。
    喜びや悲しみ、色んな感情が溢れてどうしようもなくなったのだ。
     
    グリス、ぼくはきみが羨ましいよ。
    拒絶されても側にいられたんだから。
     
    ぼくはきみにとって、主様のローズさんのようになりたい。
    ぼくにはその道しか残っていない。
    だからぼくには、きみの成長を望まない心があるんだ。
    それが時々、とてつもなく汚いものに思えて苦しいんだ・・・。
     
     
    リオンの別荘に招待された時に
    実はアスターは、主とふたりだけで話す機会を得ていた。
     
    それぞれが入浴などをしている時に
    偶然、バルコニーにいた主を見つけたのである。
    アスターは、そのチャンスを逃さなかった。
     
     
    主に同席の許可を貰ったが、なかなか言葉を出せずにいた。
    すると意外にも、主から話しかけてきた。
     
    「欲しいけど、手に入れる事が出来ない
     と、わかっているものが手に入ったら
     その後って幸せなんですかねー?」
     
    「・・・また、他の何かを探していけば・・・」
    「至上の幸福を得たら、他に欲しいものなどないですよねー?」
     
    アスターは聡明な受け答えをした。
    「では、至上の幸福では人は幸せにはなれない、と
     おっしゃりたいんですか?」
     
    「逆に言えば、手に入らないからこそ
     それが至上に思えるんじゃないですかねー。」
     
    アスターの視線に、主が合わせた。
    間近で見る主の瞳は、真っ黒だった。
    アスターには、目の前の人間が “正しいもの” に思えなかった。
     
     
    その時は、わからなかったけど
    今になって思い返すと、見えてくる事もある。
     
    “至上の幸福” なんて、この世じゃありえない。
    そんなもの、まるで邪悪な囁きも同然じゃないか。
     
    それにしても、あの暗い瞳・・・
    まるでグリスは、主様のあの影に囚われたような
    ふとアスターがそう思った時に、脳裏で何かがはじけた。
     
    もしかして、主様がぼくにおっしゃりたかったのは
    “グリスの想いは叶わない” という事だったのかも知れない。
     
    アスターは絶句した。
    何という、残酷な人なんだろう。
     
     
    まとまらない考えに、混乱した頭を抱えながらも
    ただひとつ、確信できる事があった。
     
    あの時、主様が何をおっしゃりたいのか理解できず
    ただ主様を見つめるだけしか出来なかったぼくの左手に
    主様が触れようとなさった。
     
    だけど途中でひどく動揺なさった様子になり
    その手を止め、そのまま立ち去ってしまった。
     
    ぼくはその瞬間、きっと脅えた表情になっていたんだ。
    あの時のぼくには、主様がものすごく恐ろしいものに思えたんだ。
    もし主様がぼくの手を取ってくださっていたら・・・。
     
     
    グリス・・・、ぼくは愛を見た気がするんだ。
    想像もしていなかった、イビツな形だけど。
     
    それでもあれは愛だと思うんだ。
    だけどぼくは、それを肯定したくない・・・。
     
     
    グリスの愛、主の愛、そしてアスターの愛。
    誰の愛も、喜びと共に悲しみをもたらしている。
     
    だけど愛さないより、愛した方が幸せなのだろう。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 49

    グリスは反射的に携帯を手にした。
    しかし思いとどまって、電話を切った。
     
    これはぼくがひとりで乗り越えなければならない。
    いつまで経っても、同じ事で友をわずらわせたらいけない。
    ぼくの主様への気持ちは変わらない。
    たとえ主様が誰を愛そうと!
     
    頭の中で、自分にそう言い聞かせてはいるが
    心がザックリと裂傷を負ったかのように、ズキズキと痛む。
     
    耐えるんだ!
    わかっていたじゃないか、主様に愛されていない事など。
     
     
    電話が鳴った。
    アスターからである。
    繋がる前に切ったつもりだったが、着信が記録されていたのだろう。
     
    グリスは平静を装って、電話に出た。
    あ、ごめん、間違ってプッシュしてしまったんだ
    そう言おうと思っていた。
     
    しかし電話に出た瞬間、アスターの優しい声が聴こえてきた。
    「どうしたんだい? 何かあったのかい?」
    グリスの決心は、一瞬で崩れ去った。
     
    「アスターーーーーー!!!!!」
    悲鳴にも近い、涙交じりの声だった。
     
     
    アスターは、グリスが泣き止むのを電話口で黙って待っていた。
    あの寮での出来事が、再現されている。
    グリスがこんなに動揺するのは、主様の事以外にない
    それもアスターにはよくわかっていた。
     
    グリスはごめんごめんと謝りながら、ひとしきり泣いて落ち着いたらしく
    ポツリポツリと、今回の出来事について話し始めた。
     
    「あのお方は、ぼくの気持ちをわかっていながら
     平気で無視できる氷のような人だったよ。」
     
    グリスは、少し黙り込んだ後、言った。
    「それでもぼくはあのお方の側にいたかったんだ・・・。
     でも、ローズさんが、主様の右目と一緒に
     心も持って行ってしまっていたんだ・・・。」
     
     
    アスターには、グリスが自らを責めているように思えた。
    ソデにされても、気持ちを止められない自分の心を
    情けなく感じているのだろう。
     
    アスターは、慰めるつもりはなかった。
    グリスは、それでも幸せだったはずだからだ。
     
     
    「アスター、ぼくは主様に一度も触れた事がなかったんだ。
     引き取られて20年間、ただの一度も。」
     
    その言葉に少し驚いたアスターだったが
    何となくその気持ちがわかるような気がした。
     
    「主様は時々、夕日を眺めていらっしゃった。
     主様の影が長く伸びているんだ。
     後ろにいる、ぼくの足元にまで。」
    グリスはその時の事を思い出すかのように目を閉じた。
     
    「ぼくは少し前に出て、手を伸ばして主様の影に触れるんだ。
     夕日で赤く染まったぼくの手の平に、主様の影が乗る。
     その時だけは、主様を支えている気分になれたんだ・・・。」
     
     
    アスターの瞳から涙がこぼれ落ちた。
    グリスが哀れに思えたからではない。
    とてつもなく純粋なものを見せられたように感じたからである。
     
    言葉を失うアスターに、グリスは我に返ったように言った。
    「ごめんね、アスター。
     自分でもわかっているんだ。
     ぼくは全然成長していない。
     少しの事で動揺して、きみにこうやって泣きついてしまう。
     きみに救われてばっかりだ。
     ぼくもきみを救えるような人間になりたい。
     頑張るから、どうか許してほしい。」
     
    アスターは、今のきみで良いんだよ、としか答えられなかった。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 48

    館がいつもの日々を取り戻した頃
    長老会管轄のクリスタルシティのスタジオでは
    主の映像の編集が行われていた。
    主の偶像化という計画を進めるためである。
     
    「それで切った貼ったは上手くいっとるのかね?」
    長老会の定例会議の最近の話題はそれである。
     
    「それが中々困難のようですよ。
     何せ、“あの” 主ですからね。」
    「無表情で笑顔が少ない “あの” 主ですもんねえ。」
    「さぞかしあくどい顔をした場面が多いだろうな。」
    「マデレンも大変だろうな。」
    皆で、はっはっはっと笑う。
     
     
    「だけど、あの表情も今となっては懐かしいですよね。」
    「ああ。 当時は憎らしく思える事もあったもんだが・・・。」
    ひとりが言い出すと、皆がそれに追随する。
     
    「わたくしなんか、『はあー?』 と言われて
     上から見下された事もあったんですよ。」
    「それを言うなら、わしなぞ、“出歯亀” と罵られたぞ。」
    将軍が追いかぶせる。
     
    「待ってくださーい。
     私など、罵倒されすぎて覚えていないほどでーす。」
    リオンが手を上げると、ジジイがさえぎった。
    「そんなもん、わしに敵うヤツはおらんじゃろ。
     顔を合わせる度に、『死ねー!』 と言われ続けたんじゃからな!」
     
    おおーーーーー、と、どよめきが起こる。
    「良いですねー。」
    「それ、言われてみたかったですねえ。」
    「そうそう、あのまるで汚いものを見るような冷たい目つきで。」
     
    死人が美化されるのは、ありがちではあるが
    ここの場合、何故か特殊な方向に行っている。
     
     
    ひとしきり言い合った後、誰からともなく溜め息が漏れる。
    「惜しい人を亡くしましたね・・・。」
    「うむ、あまりにも早すぎた・・・。」
     
    出席しているグリスも、うつむく。
    主様、皆あなたをこんなにも愛していらっしゃるんですよ・・・。
     
    これが最近の長老会会議のお決まりのパターンだった。
     
     
    長老会会議の後、グリスはふと思い立った。
    監視カメラにも主様のお姿が録画されているはず。
     
    主の写真は持っているが、動く姿が見たかった。
    マデレンの作業の完成を待ちきれない。
    グリスは主の映っている映像をピックアップしてもらうよう
    監視部にお願いした。
     
    監視部の仕事は早かった。
    と言うか、既に “主様動画集” を趣味で作っている者がいたのだ。
    それはコピーされて、グリスの元に翌日には届けられた。
     
     
    自室のパソコンでそれを観ながら、グリスは感慨にふけった。
    いついかなる時でも、表情をほとんど変えないが
    足取りに気分が表われている。
     
    ふふっ、リハビリ室からの帰りは、ちょっとハツラツとしてらっしゃる。
    長老会に行く前は、何となくモタモタして、きっと面倒くさかったんだな。
    あっ、寝室に駆け込んでらっしゃる
    きっとリオンさんのSOSが入ったんだな。
    ああ・・・、主様のいつものクセもちゃんと映っている。
    昔からのクセなんだな。
     
     
    それは主が歩いていて、ひんぱんに左前に首をかしげるクセなのだが
    観ていて、ふと気付いた。
    グリスはそれを、単なる “クセ” と捉えていたが
    主の見る方向には、人がいるのである。
     
    明るい茶色のショートヘアの小太りの女性。
    地味過ぎて、視野に入らなかったのだが
    館内を移動する時には、いつも主の右後ろにいる。
     
     
    もしかして、この女性がローズさん・・・?
    グリスはローズの姿を見た事がなかった。
     
    バラを愛し菓子を手作りしていた、という話から
    たおやかで女性らしい人だというイメージがあったのだが
    モニターの中のローズは、ずんぐりむっくりして粗野な冴えない女性に見える。
     
     
    この女性がローズさんだとしたら・・・
    グリスは早戻し早送りを繰り返して確認した。
     
    そうだ! いつも主様の視線の先にはローズさんがいる!
    主様のあのクセは、右後ろにいるローズさんを追っていたのだ。
    右後ろ?
     
    ・・・・・・・右目!!!!!
     
    主様の右目は、ローズさんが亡くなってから見えなくなった、と聞いた。
    主様は死ぬまで見えない右目でローズさんを追っていたのだ・・・。
     
     
    モニターの前で、グリスは愕然とした。
    主のローズへの愛情はそれほど強かったのだ、と
    思い知らされたような気がした。
    あの主様が、こんなにも愛する人がいたとは・・・。
     
    いや、主様に誰がいても関係ない。
    ぼくの気持ちは、主様のすべてを愛している。
    だったら、ローズさんを愛する主様をも受け入れて当然じゃないか。
     
     
    そう気持ちを立て直そうとした時に、画面が変わった。
    エレベーターの中、主とローズがふたりでいる。
    ローズの背後からのアングルで、ローズの表情は見えない。
     
    そこに映っていたのは、ローズの顔を見つめて
    子供のように無邪気に笑う主だった。
     
    この映像集の中で唯一の主の笑顔、
    いや、グリスが初めて見る、主の笑顔であった。
     
     
    グリスは知らなかったが、これはローズが飛び降りる直前の画像である。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 47

    30日間の喪が明けて、館の運営は再開された。
     
    主の寝室、書斎、そして執務室のデスクは永久保存となった。
    長老会で満場一致で決まった事だった。
     
     
    結局リオンが代金を払った、主の寝室の品々も
    そこにそのまま残す事になった。
     
    「こんなマニアックなものを、妻のいる家には持ち込めませーん。
     それに、ここに来てするからこそ楽しいんでーすから。」
    リオンは、変わらずゲームをしに館に通い続けた。
     
     
    グリスは館の講堂で、主就任の儀を受けた。
    「“主” の名は、先代で最後とします。
     私以降は、“管理者” を名乗ります。
     主様の偉大な功績に敬意を表して
     主様は先代主様のみ、といたします。」
     
    1ヶ月前に泣き喚いていた人物とは思えないほど
    落ち着いて穏やかで静かな、しかし信念のこもった声だった。
     
    「日課の演説は、これからも続けます。
     しかしそれはぼくではなく、今まで通り主様です。
     主様の演説の映像を流します。
     ぼくたちは、ずっと主様に導かれるのです。
     ぼくは、単に管理の跡継ぎでしかありません。
     皆さん、この館を、主様の教えを
     どうか一緒に守っていってください。
     お願いいたします。」
     
     
    主の最初の就任演説の時とは違って
    今回は大きな拍手で、住人たちに迎えられた。
     
    よくここまで立ち直ってくれたわい
    さすが、主が鍛え上げた跡継ぎじゃな。
    横で聞いていたジジイは、涙が出そうに嬉しかった。
     
     
    講堂の一番前を陣取る長老会メンバーたちも、盛大に拍手をした。
    リオンもその中にいて、ひときわ大きく手を打ち鳴らした。
     
    相変わらず冷静な表情のリリーも、こころなしか微笑んでいるし
    護衛に立っているタリスや、講堂に座っているラムズも誇らしげである。
     
    デイジーに代わり、お世話係の筆頭になったレニアは
    マリーと一緒に、はばからず泣いていた。
    あの汚かった子供が、ここまで立派になって・・・。
     
    グリスの就任初の仕事である式は、大成功の内に幕を閉じた。
    春本番になろうかという、温かい日差しの午後だった。
     
     
    式典を終えたグリスは、長老会メンバーたちと一緒に
    主の墓所に報告に訪れた。
     
    墓地自体は館からは見えないが、その丘の一番上にある主の墓は
    ピンクや赤に彩られているので、遠くからでもわかる。
     
    主の墓所は、バラの花が耐えた事がなかった。
    リオンが命じたのである。
     
    「クリスタル州、いや国中、世界中を探してでも
     主の墓にはバラを供え続けてくださーい。」
    その費用は、リオンの私財で賄われた。
     
     
    「お金の心配はいりませーんよ。
     だって私は大金持ちでーすからね。」
     
    リオンは主の墓に向かって、ふふっと笑った。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 46

    グリスが相変わらず、ベッドに突っ伏してメソメソしていたら
    ドアがいきなり、バアンを大きな音を立てて開いた。
     
    グリスがビクッとして顔を上げると
    リオンが呆然自失で立っていた。
     
    リオンは主の葬儀に参列できなかった。
    議員研修先の外国で、一報を受け取ったからである。
     
     
    「・・・今、主の墓に行ってきまーした・・・。
     本当だったんでーすね、ほんと・・う・・・」
     
    リオンは膝をつき、うずくまって泣き叫んだ。
    「うおおおおおおおおおおおお」
     
    「リオンさ・・・」
    グリスが側に寄ろうとしたら
    リオンはそのまま部屋の中を、泣きながら転がり始めた。
     
    「あの主がーーーーー、主がーーーーー・・・
     あああああああああああああああーーーーーーーー」
     
     
    リオンは転がって壁に激突した。
    掛けてあった額縁が落ちる。
     
    「うおおおおおおおおおお」
    ゴロゴロゴロゴロ ドスーン 棚から本が崩れ落ちる。 ドサドサドサッ
    「うおおおおおおおおおお」
    ゴロゴロゴロゴロ ドスーン 窓際に置いた花瓶が落ちる。 パリーン
     
    それでもリオンは転がる事を止めず
    部屋中を、物にぶつかりながら転げ回る。
     
    その取り乱しぶりは、深い悲しみに苦しむグリスでさえも
    なだめに入ろうとするほどの狂乱だったが
    リオンの巨体にはねられかねないので、ベッドから降りられない。
     
     
    廊下のタリスは、中の騒動を何事かといぶかしんだ。
    うおおおおおお ゴロゴロゴロ ドンッ ガターン うおおおおおおお
    多分、泣き叫んでいるのはリオンさんであろうが、この物音は何だろう?
     
    そこに、振動音に驚いたマリーもやってきた。
    何事ですの? と、ヒソッとタリスに不安げに訊く。
     
    本来ならば、決してしてはならない事だが、今は館の一大事。
    何が起こるかわからないので、細心の注意を払う必要がある。
    おふたりの身の安全を優先するため・・・、と
    タリスとマリーは目で話し合って、ジワーッとドアレバーを回した。
     
     
    わずかに開いた隙間から、ふたりが目撃したのは
    泣き叫びながら、床を縦横無尽に転げ回るリオンと
    ベッドの上から降りられずに、オロオロするグリスの姿であった。
     
    忠実な従者であるタリスとマリーは
    気付かれないように静かに驚愕し、ドアを速やかにかつ静かに閉めた。
     
    そして何事もなかったかのように
    タリスは腕を後ろに組んで、ドアの横に仁王立ちし
    マリーはお茶の用意をしに、厨房へと向かった。
     
     
    電池が切れたかのように、リオンがようやく止まった。
    今度はうつぶせになって、動かない。
     
    「リオンさん!!!」
    やっとグリスがベッドから降りられた。
    リオンを抱き起こすと、フウフウ息切れしつつもそれでも泣いている。
     
     
    高価なスーツはシワシワになり、破れて薄汚れている。
    大人が怒る、いけない遊びを止められた子供のように
    顔をグチャグチャにして泣くリオンを抱きかかえながら
    グリスは消えない悲しみの中、思った。
     
    そうだ・・・、悲しいのはぼくひとりじゃないんだ・・・。
    皆さん、主様とはぼくより付き合いが長い。
    それぞれに想いというものがあるんだ。
    ぼくひとりが悲劇の底にいるつもりになって、ぼくは・・・
     
     
    こんなぼくを、主様が見たらどうおっしゃるだろう
    主様をガッカリさせる事だけはしたくない。
    しっかりしなければ!
    ぼくは、これからのために生きてきたのだから。
     
    グリスは、つぶやくように言った。
    「リオンさん、ぼく、頑張りますから・・・。」
     
    リオンもその言葉に、力なく応えた。
    「はい・・・、一緒にいきましょーうね・・・。」
     
    弱々しい口調とは裏腹に、ふたりは強く抱き合った。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 45

    葬儀の後、ジジイは主の事務室に座っていた。
    主がいなくなった暗い部屋の中に、ただジッと。
     
    何をする気にもなれない。
    主の死を知った瞬間から、ロクに飲食もしていなかった。
     
     
    わしより先に逝くなど、思ってもみない事じゃったわい。
    あやつには最後まで驚かされる。
     
    じゃが・・・、さすがのわしも参った・・・。
    泉の水が枯れたような気分じゃ・・・。
    あの時の主も、こういう気持ちじゃったんじゃろうか。
    わしは主の気持ちもわからず、励ますばかりで・・・。
     
    ジジイが後悔と懺悔を繰り返していると、ノックの音がした。
    「すみません、元様、緊急事態ですので・・・。」
     
     
    ジジイがツカツカと廊下をやってきた。
    ドアの前に立っていたタリスは、その形相に無言で横に退いた。
     
    ドアを開けると、グリスはベッドに突っ伏して泣いていた。
    ジジイは、グリスの襟を掴んで引き上げた。
    老人とは思えない、ものすごい力である。
     
    拳でグリスの頬を思いっきり殴った。
    その強さは、グリスが床に叩きつけられるほどだった。
     
    「ローズを失った主は、2ヶ月で立ち直った。
     グリス、おまえは男じゃから1ヶ月でどうにかせえ。
     よいか、グリス、必ず立ち直れ!
     主の拓いた道を閉ざすでない!!!」
     
     
    そう怒鳴ると、厳しい顔で部屋を出て行った。
    グリスが殴られた頬を押さえて、混乱していると
    館内放送が鳴った。
    ジジイの怒りに満ちた声が響き渡る。
     
    「主代行じゃ。
     主の世話係のデイジーが自殺した。
     遺書で主の死を嘆いておった。
     主があれだけ言っていた事を忘れたか!
     よいか、皆、殉死など許さん!
     主の教えを守りぬけ!」
     
    少し間を空け、放送が続く。
    「これより30日間、この館は喪に服する。
     その間、派手な事は慎んで、主の死を思う存分に悲しもう。
     しかしそれが過ぎたら、また動き始めよう。
     この館を停止させてはならん。
     主の死を悲しいと思う者なら、主の残したものを大切にしようぞ。」
     
     
    デイジーさんが死んだ・・・。
    グリスはショックを受けたが、その気持ちも痛いほどに理解できた。
     
    わかってる。 自分のすべき事はわかってるんだ。
    でもあのお方を失って、どうして自分が生きていられる?
    グリスは再び、号泣し始めた。
     
    その声は、ドアの外のタリスにも聴こえたが
    どうする事も出来ず、タリスも溢れてくる涙を拭うしか出来なかった。
     
     
     続く 
     
     
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           かげふみ 1 11.10.27 
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  • かげふみ 44

    主の死を最初に聞いた時に、誰もが悪い冗談だと信じなかった。
     
     
    ジジイは、またまたー、と笑い
    リリーは、はいはい、と聞き流し
    グリスは、嘘でもそんな事は、と怒った。
     
    しかし駆けつけてみると、床に崩れ落ちて泣くデイジーの姿と
    布団に横たわる主の、見たこともない安らかな寝顔に
    誰もが言葉を失い、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。
     
    必ず来るとはわかってはいても、現実となると
    その衝撃は、ただごとではなかった。
    しかも主には病気も何もなかったのだ。
     
     
    葬儀は長老会が仕切って、盛大に執り行われた。
    街の名士がズラリと参列し、花が並び
    葬儀にこういう表現も妙だが
    館はかつてないほどの豪華絢爛な雰囲気に包まれた。
     
    最初から最後まで、出席者全員が号泣する中
    グリスはタリスに体を支えられて、かろうじて立ってはいたが
    棺の蓋が閉められようとしたその時に、激しく取り乱した。
     
    「やめてください!
     そのままにしておいてください!
     主様が起きてこられないじゃないですか!」
     
     
    その叫びを聞き、参列者は益々涙に暮れ
    感情を抑え慣れているはずの紳士たちでさえ、声を洩らして泣いた。
     
    ジジイとタリスが、棺に追いすがるグリスを引き離そうとした。
    「いやです!
     主様が死ぬわけがありません!
     主様の事だから、絶対に “万が一” を起こされます!
     その時に誰も側にいなかったら、どうするんですか!」
     
    ジジイが泣きながらも、グリスをいさめる。
    「グリスや、もう諦めなさい。
     いくら人間離れしていた主でも、それはない。
     主は、ようやく安らぎを得たんじゃよ。
     遠い異国で辛かったろうに、長い間よく頑張ってくれた。
     我々はせめて、主を快く送り出してやろうじゃないか。」
     
     
    両脇を抱えられて棺から離されたグリスは
    わああああああああああ と、雄叫びのような泣き声を上げた。
     
    館中が、グリスの慟哭に引っ張られた瞬間であった。
     
     
     続く 
     
     
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