翌日の王妃は、昼食会に現れなかった。
朝食も摂らなかったらしい。
「娼婦の真似事をして、王さまから折檻されたのよ。」
そうクスクス笑う貴族の女たちを
公爵家の娘は、内心、鼻で笑っていた。
あのように美しい姿を見せられて、王が怒れるわけがないわ。
逆に人前に出したくなくなるってものよ。
王妃は王の前で泣いたに違いない。
そんな王妃を、王が慰めないわけがない。
軽微な謀略ゆえに、王の叔母上に表立っての沙汰はないにしろ
きっと王の不興は買ってしまったわね。
くだらない企みをするからよ、地位だけしかない浅薄な女。
そう見下した王の叔母にも
いつもと変わらず、うやうやしくお辞儀をする公爵家の娘。
公爵家の娘は、常に身の振り方を考えていた。
王に 「王妃の友達に」 と望まれたけど、王妃の元に行かないのは
どの位置にいたら、火の粉が掛からないかを
見極めようとしているからである。
あたくしの言動ひとつでも、隙を見せると公爵家の汚点になる。
王の王妃への熱は、当分は治まらないだろうけど
王妃があの調子では、いずれ宮廷内で
王の寵愛争奪戦が始まる可能性が高い。
寵姫、つまり側室になるよりは
東国の大貴族か他国の王族へと、“正妻” として嫁ぎたい
それは、あたくしの我がままだけど・・・。
公爵家の娘は、貴婦人たちが集うテラスに目を向けた。
午後のお茶と称して、美しく着飾った女性たちが
ティーカップを手に、噂話に花を咲かせている。
宮廷は夢のような場所。
美しい調度品に囲まれて、美しい衣装に身を包んだ人々が
優雅に社交をしている。
フルーツをふんだんに使ったフワフワのケーキ
色とりどりのキャンディーやクッキー
繊細なラインのグラスには、泡が舞うシャンパン。
そこで生まれ育った人々は、そこを永遠の楽園だと思い込む。
吹きすさぶ木枯らしに背を向けて
窓のこちら側で、自分たちは選ばれし者だと悦に入る。
私には、その世界は退屈だわ。
だけど女性に生まれてきてしまったので
せめて、参政の義務がある王妃になりたかったのだけど・・・
あの冬の日、王とふざけて越境した暖かい南国の
別荘らしき建物のベランダで歌う少女を盗み見た瞬間
・・・王妃の地位は諦めた。
続く
関連記事: 継母伝説・二番目の恋 4 12.6.12
継母伝説・二番目の恋 6 12.6.14
継母伝説・二番目の恋 1 12.6.4
カテゴリー 小説・黒雪姫シリーズ
小説・目次
カテゴリー: 小説
あしゅの創作小説です(パロディ含む)
-
継母伝説・二番目の恋 5
-
継母伝説・二番目の恋 4
「今宵の宴は、ちょっとした見ものですわよ。」
この言葉を王の叔母が囁くのを、公爵家の娘が耳にした時
嫌な予感はあった。
そしてそれは当たり前のように的中する。
「今夜は王妃さまが、お国の踊りを舞ってくださるそうよ。」
どこから呼ばれたのか、リュートや横笛の奏者が音楽を奏で始め
会場は一瞬にして、南国の花々を空想させる
異国情緒があふれる空間になった。
初めて城へとやって来た時に着ていた
あの民族衣装をまとった王妃のシルエットが
明かりを背に浮かび上がる。
細い体から伸びた長い足が、弧を描き
手に握る短剣が、光を散らす。
肌の上を艶が流れる。
その姿は、まるで花が降るように幻想的で
男たちは言葉なく見とれ、女たちは嫌悪の表情を浮かべた。
公爵家の娘は、舞う少女の影が伸びる手前の床を見つめていた。
曲が終わり、踊り子が一礼をした瞬間
公爵家の娘がスッと立ち上がった。
「王妃さま、素晴らしい舞いをありがとうございました。
お疲れでしょうでしょうから
あたくしがお部屋まで付き添わせていただきますわ。」
突然の退場勧告に、おどおどする王妃の肩を抱え
公爵家の娘は、毅然と会場を後にした。
自室へと強引に連れ戻された王妃の、青ざめた顔を見て
公爵家の娘は冷酷に言う。
「どうやら、ご自分のなさった事が
あまり褒められた事ではなかった、という判断を
出来るぐらいの頭はお持ちのようですわね。」
王妃は、公爵家の娘の事務的な笑みに
胸の前で握った拳を震わせている。
「どなたが、あなたに舞いのお話をなさったの?」
「・・・王さまの叔母さまが・・・
王さまも喜ぶと・・・」
やっぱり、と公爵家の娘は思ったけど
表情はあくまでも、にこやかに忠告をした。
「そう。
今の話は、王さま以外にはなさらないようにね。」
「あの、あたしの国、王族の舞い、祈り・・・」
王妃の “説明” を、公爵家の娘は無常にはねのける。
「あなたのお国ではそうであったとしても
東国では、そのように肌を露出して舞うのは
体を売る女性のみなのですよ。」
王妃の目が潤んだので、公爵家の娘は
自分の口調が、ついキツくなった事に気付いた。
「・・・王妃さまの舞いは、あたくしは好きですわ。
慣れない事ばかりで、お辛いでしょうけど
ゆっくりとでも、この国の習慣に合わせていきましょうね。
今夜はきっと、早めに王さまがおいでになるでしょうから
今の内に身支度をしておきましょう。」
「あ・・・、あの・・・」
王妃が何かを言おうとしているのに気付かないふりをして
公爵家の娘が、さっさと召使いを呼びに行ったのは
王妃を泣かせたのを悔やんだからかも知れない。
続く
関連記事: 継母伝説・二番目の恋 3 12.6.8
継母伝説・二番目の恋 5 12.6.14
継母伝説・二番目の恋 1 12.6.4
カテゴリー 小説・黒雪姫シリーズ
小説・目次 -
継母伝説・二番目の恋 3
さて、土人の姫への嫌がらせは、わかりやすかった。
フォークが足りなくても、ドレスがその場にそぐわなくても
宮廷の人々はクスクスと口の端を歪ませて笑うだけで
誰も、そう、王すらも何も言わなかった。
その余りにも浅はかな嫌がらせに、公爵家の娘は呆れたが
周囲と同じく、傍観を決め込んだ。
可哀想だけど、それはあのお方自身が乗り越えないとね。
血筋が高貴なだけでも裕福であるだけでも、人は寄ってくる。
だけど、それらしい振る舞いをしないと認めては貰えない。
尊敬されない者や、畏れられない者は
利用され、喰い尽くされて、捨てられるだけである。
ましてや、この東国の王妃たる者、
社交のひとつやふたつ出来なくては。
王妃への単純な嫌がらせは
新参者が群れの中に入るための洗礼のようなものであった。
あるいは単なる妬み。
周囲は固唾を呑んで、王妃の出方をうかがっていた。
しかし王妃は何もしなかった。
皿に肉が乗っていなくとも、天井掃除の水を頭に掛けられようとも
ただ困ったように微笑んで、部屋へと戻っていくのだ。
誰ともなく、その姿に絶望の言葉を口にするようになる。
あんな小娘がこの東国の王妃とは
あのような気の弱い事で王妃が務まるのか
王妃は気が弱いのではなく、頭が弱いのではないか・・・。
公爵家の娘は、さすがにこの状態が続くのは不味い、と思い始めた。
国内は平和だけれど、宮廷内は混乱しつつある。
あんな女性を妃に選ぶ王に、不信感を持つ貴族が出るやも知れない。
貴族の不信は内戦へと繋がる。
もちろん、その内戦に乗じて
更に公爵家の領地を拡大する道もあるのだけれど
小国である南国はともかくも
商業国の西国をも傘下に治めていられる、今の東国を崩すのは
公爵家にはデメリットの方が大き過ぎる・・・。
公爵家の娘は、どうやって宮廷を安定させるべきか
ボンヤリと考えながら
今日も部屋へと逃げ帰っていく王妃に、背を向けた。
続く
関連記事: 継母伝説・二番目の恋 2 12.6.6
継母伝説・二番目の恋 4 12.6.12
継母伝説・二番目の恋 1 12.6.4
カテゴリー 小説・黒雪姫シリーズ
小説・目次 -
継母伝説・二番目の恋 2
南国の姫が城に着いた。
出迎えの中に、公爵家の娘もいた。
馬車から、編み上げのサンダルを履いた素足が降りてきた時には
その場の空気が瞬時に落胆したのが、わかるほどであったが
その全身が現れた時、一同が息を呑んだ。
長い布を巻きつけたデザインの民族衣装の
赤やオレンジの鮮やかな原色に、褐色の肌が映える。
クセの強い黒い髪も、布でまとめられ
首筋に垂れる後れ毛に、透明な色気が感じられた。
黒という色に、このような清楚感があるとは・・・
それほどに、この南から来た少女は華奢で美しかった。
その場の一同は、屈辱的な気分で頭を下げた。
公爵家の娘だけは、頭を下げながらも心は静まり返っていた。
だってあたくし、2年前の王の避寒旅行で
東国の南部に行った時に、同行いたしましたもの。
南国の姫が来ているらしい、と噂を聞き
王が好奇心で、こっそりと国境越えをし
南国の温泉で覗き見をした “冒険” の時も
あたくし、一緒でしたもの。
盛大な結婚式が終わった後
公爵家の娘は、王と “王妃” の前へ呼ばれた。
「あ・・・なた、お友達、なってくれると聞いた
あたし、こ、この国、ひとり、だ、だから、嬉しい
よ・・・ろしく。」
たどたどしい東国の言葉で話す、モジモジとした少女。
そのオドオドとした言動は、公爵家の娘が一番嫌う態度である。
東国の大臣たちは、南国からの従者を許さなかった。
外見が違いすぎる者が、宮廷をウロつくのを嫌ったのである。
南国との姻戚も、通常なら第2か第3夫人に迎えるべきであるのに
王自身がこの姫との結婚を強く望んだので
異例の “王妃” として、迎え入れられたのだ。
恥ずかしげに微笑む王妃に、オズオズと見つめられた公爵家の娘は
そんな王の “愚行” を、完全に理解していた。
この少女を何を差し置いても我がものにしたい、という
権力者が決して持ってはならない、“恋心” を。
続く
関連記事: 継母伝説・二番目の恋 1 12.6.4
継母伝説・二番目の恋 3 12.6.8
カテゴリー 小説・黒雪姫シリーズ
小説・目次 -
継母伝説・二番目の恋 1
王都から西に離れた見晴らしの良い丘に、公爵家の城が建っていた。
宮廷へは馬で通える距離である。
東国中に広がる領地は、どこも平和であり
それは公爵が有能だという証しであった。
その公爵家の一室で、父公爵が言う。
「王と南国の姫との婚姻が決まった。」
娘がお辞儀をしながら応える。
「それはお目出度い事ですわね。」
娘の気のない返事に、父公爵がドン!とテーブルに拳を叩きつける。
「目出度くなぞない!
本来なら、おまえが揺るぎない王妃の第一候補であったのに
王は事もあろうに、あの南国人と姻戚関係を持つのだぞ!」
南国人は、黒い髪と黒い目に褐色の肌を持つ。
決して未開の地などではないのだけど
この付近の国では、東国が一番大きいので
奢りがない、とは言えないのが現実であった。
「しかも王から、おまえを王妃の友人に、と言うてきおった。
この国一番の貴族である、わしの娘に
田舎娘の相手をせよ、と言うのか!」
いきり立つ父親に、娘が微笑んで言う。
「お父さま、あたくしは喜んで参りますわ。
宮廷にいれば、政情も把握しやすいですし
他国の王族とも知り合えるでしょう。
我が公爵家のためになりますわ。」
父は娘のその冷静さに、感服せざるを得なかった。
「・・・そなたはわしの誇りじゃ。
本当にそなたこそ、この国の王妃となるに
ふさわしい知恵と美貌を持っておるのに
わしの根回しが足りなかったせいで、すまぬ・・・。」
「いいえ、お父さま、諦めるのはまだ早いですわ。
王妃さまが長生きなさるとは限りませんしね。」
父は驚いて娘の顔を見た。
そして強く抱きしめた。
「ほんに、そなたが女であるのが口惜しい・・・。」
娘は強気な言葉とは裏腹に、瞳を曇らせていたが
その陰りは、父親には気付けなかった。
東国では過去に女王がいた事により、女性でも爵位を持てる。
貴族たちの爵位の継承は、基本的には嫡男優先であるが
各家ごとに、独自のルールを持つ事が出来た。
この相続者選びには、かなりの自由を許されてはいたが
女性が相続者として立つ場合は
嫡子に男児が生まれなかったから、というのが主な理由であり
跡継ぎとしては、依然として男子が望まれているのが現状であった。
庶子に跡継ぎの可能性を与えない貴族が多いのは
お家騒動を出来る限り回避したいからである。
現公爵には正妻との間に、男児が何人もいるので
跡継ぎには困らなかった。
しかし東国でも、最も古い歴史を持つ貴族のひとつである公爵家の
先祖代々の財産を維持するだけではなく、より一層、強固にしていき
数家ある公爵家の中でも、常にトップの権力を握っている現公爵に
その気質、思考とも、誰よりも似ているのは、
跡継ぎの可能性がある兄弟たちではなく
この公爵家の娘であった。
続く
関連記事: 継母伝説・二番目の恋 2 12.6.6
カテゴリー 小説・黒雪姫シリーズ
小説・目次 -
かげふみ 63
グリスは、リリーを心からの笑顔で見送る事が出来た。
リリーは死ぬまで館にいるつもりであったが
アスターの存在を知って、退職しての旅行を計画したのである。
その事が、結果的にアスターの願いを叶える事にもなる。
アスターが、リオンのリアル育成ゲームをクリアせずに
グリスの側へと着任できたのは
リリーのグレーへの想いのお陰である。
リリーは、死ぬ前に一度は見てみたかったグレーの故郷、
日本に長逗留をして、病で人生を終えた。
その亡骸を迎えに行ったのは、下品な資産家のリオンであった。
ついでに京都に不動産を買う事も忘れなかった。
「スイーツとニンテンドーの本場でーすからね、京都はー。」
庭をぼつぼつと歩きながら、グリスが少し振り向くのを見て
後ろにいるタリスが、確認のように静かにうなずく。
それを見て、グリスは微笑む。
グリスは40代も半ばになっていた。
後ろにはタリスがいて、部屋ではアスターが待っていてくれる。
リオンは州知事になり、精力的に活動をしている今でも
館にゲームをしにやってくる。
次期長老会メンバー予定であるリオンの子供たちも、グリスに懐いている。
館の職員も住人も村人も長老会も、皆がグリスを助けてくれる。
幾重にも守られた真ん中に、空洞があるわけがない
のに。
ラムズの墓の前で、しばらく立ち止まった後に
ローズとバイオラの墓の前を、うつむきながら足早に通り過ぎ
グレーとリリーが隣り合って眠る場所で、また立ち止まる。
大きな桜の木を従えたジジイの墓の隣は、自分の還るべき場所。
そして丘の上の主の墓の前に立った。
遠くに見える山には、もう雪が降っているようで
青いはずの山陰が、モヤでかすんでにじんでいる。
「ねえ、知ってましたー?
あなたと私の名前は同じ意味なんですよー。」
主がカーテンのサンプルを見ながら言った。
「まあ、厳密には違うけど、どっちも灰色関係なんですー。」
「あ、それで不思議だったんですけど
主様のお名前は、日本語じゃないですよね?
何故ですか?」
「ああ、それは日本人の名前は発音しにくいんで
英語名を考えてくれ、と言われたからなんですよー。
兄が “グレー” と付けていたんで
じゃ私も灰色関連で良いかな、と簡単に考えただけですー。」
「主様の本当の名前は何とおっしゃるんですか?」
グリスのこの問いに、主は頬杖を付きながら答えた。
「その名前を持つ者は、もう存在しないんですよー。」
何の感情も入ってなかったその言葉が、何故に重たく感じるのか。
そろそろ跡継ぎを探そう。
今度は明るい名前の子供を。
この館にふさわしい、美しい色の名を持つ子を。
グリスは館を見た。
冷たい風が時折吹き抜け、空が薄暗く曇っているにも関わらず
澄んだ空気が建物を取り巻いているかのようである。
何て美しい風景なのだろう
今でもこんなに悲しいけど、何度やり直したとしても
ぼくは、わかっていながら付いて行っただろう。
落ちる陽に真っ直ぐに挑むあの人の、倒れるあの影を抱きしめるために。
終わり
関連記事 : かげふみ 62 12.5.29
かげふみ 1 11.10.27
カテゴリー ジャンル・やかた
小説・目次 -
かげふみ 62
机の引き出しからは、何十冊にものぼるローズの日記が見つかった。
いや、それは厳密に言うと、ローズの日記ではなく
ローズが感じた、主の様子の記録であった。
○月○日
今日のアッシュは、溜め息が多かった。
そういう時は、大抵が微熱がある。
アッシュは意味なく熱を出す。
きっと体の抵抗力が弱いのだろう。
ジンジャーを定期的に摂らせよう。
○月○日
アッシュがアイスクリームを食べ始めた。
食べ物が飲み込めないようだ。
体の調子は悪くなさそうなのに。
ロイヤルミルクティーにミントを入れてみよう。
○月○日
アッシュが眠れないようだ。
夕べもおとといもドアの向こうに座っていた。
クッションをそこに積み上げてみよう。
アッシュには紺色が似合うから
白いクッションも散りばめて、明るさを出そう。
○月○日
最近のアッシュはリラックスしている時がない。
明け方にドアの向こうから歯ぎしりが聴こえる。
フラワーウォーターの調合を変えてみよう。
アッシュは柑橘系を嫌うので、配合が限られて困る。
○月○日 アッシュが
○月○日 アッシュが
○月○日 アッシュが
・・・・・・・・・・・
主のためのアロマオイルの調合も
別のノートに毎日、事細かに記してあり
それらを読んだ時に、アスターは激しい敗北感に襲われた。
文字通り、死線をくぐってきたふたりの繋がりに
自分たちの友情など、“ごっこ” にしか思えなくなったのである。
だけど・・・
アスターはグリスの気持ちを第一に考えた。
これを読んだグリスが、また悲しむかも知れない。
グリスの世界では、主様がすべてなのだ。
ぼくにはぼくの戦いがある!
アスターは、グリスの心のサポートを常に優先した。
グリスがそのノートを読んで、正気でいられたのは
主が生きて自分と出会えたのは、ローズのお陰だと感じたからであった。
日記の “アッシュ” は、日に日に具合が悪くなっていっている。
アッシュの狂気への傾倒を止めたのは、間違いなくローズの死だった。
ローズさんがいなければ、主様はきっと生きていらっしゃらなかった!
グリスのこの考えを裏付ける根拠はどこにもない。
だが、否定する証拠もまたないのである。
ぼくが悲しむと、アスターが心配する。
グリスは、自我を抑えた。
グリスとアスターは、互いをきめ細かく思いやっていた。
それはアッシュとローズの “それ” より
遥かに美しく健全な関係であった。
しなくて良い戦いも、ある。
ローズのアロマオイルの調合は
“ローズ・レシピ” と名付けられて、館に受け継がれた。
中でも、住人には “アッシュローズ” という
バラを基調に配合された香りが人気で
それをつけて館の屋上に行くと主様が現れる、という伝説まで生まれた。
グリスは、それを試せなかった。
主も “あれ” 以来、一度も屋上に行かなかったが
グリスにとっても、屋上は踏み入る事が出来ない場所となってしまった。
主が自ら香水をつけるのを止めたのは
ローズからの移り香を好んだからであった。
後に、館ではアッシュローズという薔薇の品種が栽培されるようになる。
主の墓前に供えるためだけに。
続く
関連記事 : かげふみ 61 12.5.25
かげふみ 63 12.5.31
かげふみ 1 11.10.27
カテゴリー ジャンル・やかた
小説・目次 -
かげふみ 61
「ちょっと休憩してきます。」
アスターにそう言うと、グリスは執務室を出た。
アスターはリオンとの面接の後、すべてを捨てて職場を辞めた。
その決意を認めたリオンは、彼を秘書として雇った。
グリスくんとタリスくんに加えて、アスターくんとは
館は、甘ちゃんだらけになっちゃいそうでーすねえ。
まあ、先代たちがケタ外れ過ぎたんでーすけども
とりあえずアスターくんを、鬼養成してみまーすかねえ。
一連のその出来事を、グリスに内緒にしていたのは
ゲーム画面がかすんで見えるようになったリオンの
リアル育成ゲームが、無事にクリア出来るか怪しかったからである。
失敗した時に、グリスを失望させたくない。
その想いは、リオンもアスターも同じであった。
だがしかし、日本旅行のためのリリーの隠居願いを長老会が受理し
打ちひしがれているグリスの前に
アスターが “後任” として現われる瞬間を
長老会総出で見物したのは、悪趣味以外の何ものでもないが。
グリスはアスターを見た瞬間、泣き出し
抱きついて、“お願い” をした。
「どうか、ぼくより先に死なないでくれ!」
この言葉に、誰もがグリスの心の傷の深さを感じた。
アスターはグリスを抱きしめ、即答した。
「もしぼくが先に死ぬ場合でも、その時のきみに大事な人がいなかったら
きみを一緒に連れて行くよ。」
アスターが側に来てから、ようやくグリスはローズの部屋を開けた。
館の過去も現在も、全てを保護、管理するのが役目なのに
ローズの事だけは直視できないままで
そんな自分を、グリスは弱虫だと責め続けたが
アスターの言葉が、グリスに勇気を与えた。
「主様だって、戦いはローズさんに任せたんだろ?
じゃあ、きみの戦いはぼくが引き受けるよ。」
20年以上も封印されていた部屋。
ドアがあったはずの場所の壁を壊したその時
まるで中から誰かが出て行ったような気がして
作業をしている者たちが手を止め、周囲を見回したのは
一瞬、漂ったバラの香りのせいであろう。
同時に窓を塗りこめていたレンガも外された。
久々の日光が、厚く積もったホコリをきらめかせる。
怒っていた主は、強引に部屋を閉ざしたが
その際に、リリーに命じられた清掃部によって密かに
家具などは全部、速やかに布で覆われたのであった。
よって、テーブルの上も机の上もキレイに片付けられ
まるでこの日を待っていたかのように、そこにあった。
続く
関連記事 : かげふみ 60 12.5.23
かげふみ 62 12.5.29
かげふみ 1 11.10.27
カテゴリー ジャンル・やかた
小説・目次 -
かげふみ 60
「私の後任の手配を、長老会にお願いしました。」
リリーがこう言い出したのは
ジジイの葬儀後、1ヶ月ほどしてからである。
「え・・・? まさかお辞めにはなりませんよね?」
グリスが事務の手を止めて、不安そうに訊く。
「はい、後任に仕事を徐々に教えておきたいのです。
私は死ぬまでお仕えします。」
リリーの答を聞いて、ホッとするグリス。
「ですけど、私も必ず先に死にますよ。」
リリーの縁起でもない言葉に、グリスは真面目な顔でうなずいた。
「はい。 わかっております。
だけど・・・、出来るだけ長く側にいてくださいね?」
「努力いたします。」
いつものように冷たい口調でリリーが答えた。
「お忙しい中、ありがとうございます。」
リオンを前に、頭を下げたのはアスターであった。
「いいえー、グリスくんの親友の頼みなら
聞かないわけにはいかないでーすからねえ。」
アスターはリオンに、“面接” を申し出ていたのである。
主の葬儀の後、国中を騒がせた館スキャンダルによって知った
館の意味と、主たちの素性には驚かされたが
それでも遠くからグリスを見守ろう、と我慢していた。
しかし祖父とも呼べるジジイが死んだグリスの孤独を考えると
いたたまれなくなったのである。
何よりここを逃したら、もう一生グリスの側に行ける可能性はなくなる
そんな気がしたので、アスターは思い切ってリオンにすがる事にした。
「しかし、館は基本的に
クリスタル州の人間にしか関われませーんしねえ。」
そう言われる事は、アスターは予想していた。
「はい。
でも、私は主様に頼まれたのです。
グリスの側にいてやってくれ、と。」
リオンの目が光った。
「それは本当でーすか?」
アスターの口元に、一瞬だけ動揺の歪みが現れる。
「は、はい、別荘に招待していただいた時に・・・。」
アスターは、主とふたりきりになった時の事を
正直にリオンに話した。
「都合の良い解釈かも知れませんが
私にはどうしても、主様はあの時
『グリスを頼む』 と、おっしゃってた、としか思えないのです。」
リオンはそれには答えずに、履歴書を見ていた。
「ほお? あなたは弁護士資格を持っているのでーすね?」
「・・・はい・・・。」
話を聞いてもらえない、と感じたアスターは力なく答えた。
「館でグリスの側にいたいのなら、主を盲信しなければなりませーん。
それが、条件でーす。」
「私は主様を尊敬しております!」
慌てて言いつくろったアスターを、リオンは容赦なく斬った。
「それは嘘でーすねえ。
あなたは主を信じていませーん。
現に、主がその時にあなたに伝えたかった事を
あなたは確信していませーん。」
「リオンさんにはわかるのですか?」
リオンはただ微笑むだけで、ケーキを頬張った。
主はストレートな人でーすから、無意味な謎掛けはしませーん。
本当にアスターくんを、館に連れて来たかったのでしょーう。
それを口にしなかったのは、人任せにする罪悪感でしょーうねえ。
散々グリスくんを放置してきたあげくに
アスターくんのキャリアをムダにさせて平気なほど
無責任な人でもありませーんしねえ。
この子は主を知らないので、拒絶しちゃったんでしょーうね。
そして、それを主が珍しく敏感に察知した
と、いったところでしょーうかねえ。
リオンは目の前に暗い顔で座っている若者を、チラリと見た。
惜しいでーすねえ。
この子に、もうちょっと狡猾さがあったら
グリスくんは安泰なんでーすがねえ。
ああ、もったいない、もったいない、と。
リオンは2個目のケーキにフォークを刺した。
続く
関連記事 : かげふみ 59 12.5.21
かげふみ 61 12.5.25
かげふみ 1 11.10.27
カテゴリー ジャンル・やかた
小説・目次 -
かげふみ 59
葬儀での全員の悲しみを撮ったマデレンは
ジジイの最期も撮っていた。
「あっ、マデレンさん。」
住人の女性がマデレンに駆け寄るところから、シーンは始まっている。
「何だか元様の様子がおかしいんだけど・・・。」
マデレンのカメラは、ジジイの背中を写した。
「SPが付いてるから大丈夫ですよ。
私も後を追いますから、心配しないで。」
マデレンの声が入っている。
ジジイはいつも、キレイな服を着せられていたが
今日はいつにも増して、カッチリとしたスーツ姿に
靴もピカピカに磨き上げられていた。
わき目も振らずに、堂々と歩いて行くその姿に
マデレンは、“目的” を感じた。
「私にはわかりました。
これが最期なんだ、と。
わかるんです、カメラを覗いているとそういうのが。
・・・主様の時は意外でしたけど・・・。」
マデレンは即座にジジイを追った動機を、こう語った。
ジジイは主の墓の前に立った。
「えらい良い夢を見とったような気がするんじゃが
起こしたのは、あんたかね?」
ジジイは主の墓標に向かって喋り始めた。
「・・・そうじゃなあ・・・。
いつまでもこうしていると、あんたに怒られるじゃろうな。
『ジジイ、ボケてんじゃねえよー!』 ってな。」
ジジイは穏やかに微笑んだ。
「グリスには辛い想いばかりさせて、本当に申し訳ないと思っておる。
じゃが、館中があの子を愛しておる。
だから大丈夫じゃろう。」
ジジイは主の墓の前で、しばらく館の方を眺めていた。
何故、別れはいつも “春” と呼ばれる季節なのだろう
気持ちの良い風が、そよそよと吹いている。
ジジイは目を細めて、館の風を味わっているようだった。
そして主の墓に視線を戻して、また話しかけた。
「あんたにはバラがおるから、わしには桜が良いのお。
本場の日本には、“千本桜” というのがあるらしいのお。
それが散るさまは、さぞかし見事じゃろうなあ・・・。
それをおねだりは、ちょっと無理かも知れんが
うちには品位のない権力者がおるんで、不可能ではないな。」
はっはっはっ と声を上げて豪快に笑った。
「さて、そろそろ行くかの。」
「うっ・・・」
マデレンの嗚咽がかすかに入って、一瞬画面が揺れた。
こんな奇跡を見るのは初めてである。
自分の死を知って、制御する事が可能なのか?
ジジイは、大木が倒れるように前に沈んだ。
SPもマデレンも、助けようとしなかったのは
倒れてなお、カッと見開いたその瞳が
命がもう、そこにはない事を示していたからである。
誰もしばらく、ジジイの側には近寄れなかった。
この映像を観た誰もが、驚愕した。
尊厳ある死を目撃した気分になった。
「葬儀の映像とともに、この映像も流します。」
マデレンは、プロに徹したというより
ジジイの立派な最期を、多くの人に誇りたかったのである。
ジジイは、歴代の主の墓の並びに眠っている。
その隣には、いずれグリスが来る。
続く
関連記事 : かげふみ 58 12.5.17
かげふみ 60 12.5.23
かげふみ 1 11.10.27
カテゴリー ジャンル・やかた
小説・目次