カテゴリー: 小説

あしゅの創作小説です(パロディ含む)

  • 殿のご自慢 28

    予定よりも随分早かったが、まず新婦が席を立つ。
    “普通” は、女性の方が身支度に時間が掛かるからである。

    伊吹は風呂場に入って驚いた。
    乾行が手拭いを持って、待っていたからである。

    「おお、おまえも一緒に入るのか?」
    伊吹の間抜けな質問に、たすき掛けの乾行は苛付く。

    一応、伊吹の名誉を守るために
    湯殿の周囲から人を追い払った高雄は
    風呂の火の番をする羽目になった。

    宴会場は安宅が上手くやってくれる事であろう。
    高雄は焚き口前の石に座り、燃え盛る火を見つめた。
    湯殿から乾行の声が聞こえるが、反響で話の内容まではわからない。

    揺れる火に、友人の楽しそうな声
    それまでの疲れが一気に吹き出したのか
    さすがの高雄も、カクンカクンと舟をこぎ始めた。

    杯をクワッとあおって、八島の殿は考えた。
    いくら乾行と言えども、伊吹相手にこの短時間でどこまで仕込めるか
    ちょっと様子を・・・

    「人に様子を見に行かせるなど、下衆な事はなさいますなよ?」
    隣に座っている正妻が、八島の殿に釘を刺した。

    八島の殿が側室を取らなかったのは、この農民上がりの妻のためであった。
    まだ地位が低い八島の殿を、本気で愛し支え
    ともに苦労をしてくれた、糟糠の妻には頭が上がらない。

    「ま、まさか。」
    八島の殿は笑って誤魔化したが、ギンッと睨む妻に
    自ら見に行こうとしたなど、冗談でも言えなかった。

    乾行は一言目を、何と言い出せば良いのか悩んでいた。
    ちっ、女をくどく方が全然ラクだぜ。
    もう何人もの女と遊んでいてもおかしくねえ歳のこいつの
    自尊心を傷付けずに、“説明” をするには・・・

    あまりに考えすぎて、頭がもうろうとしてくる。
    湯に浸かっている自分より、汗をダラダラ流している乾行を見て
    伊吹の方が、口火を切った。

    「なあ、乾行、おまえは初夜の心配をしてくれているのだろう?」
    その直球さに乾行はギクッとしたが、同時に笑いが込み上げてきた。
    そうだよな、真っ直ぐなこいつには真っ直ぐにぶつかるしかねえんだよな。

    「おう、おまえが “やり方” を知ってるのか不安でなあ。」
    伊吹は黙り込んだ。
    しかしその沈黙は拒絶ではなく、思考のようである。
    乾行は湯船の淵に腕をかけて、伊吹の返事を待った。

    「乾行・・・、俺はさっきまで緊張でガチガチだった。
    好いた姫が隣にいて、何と俺と結婚してくれているのだ。
    不自由な思いをさせたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、と
    今後の暮らしの事で頭が一杯でな・・・。」

    乾行は衝撃を受けた。
    あの場にいた誰もが、伊吹の緊張は初夜への不安だと思っていたが
    伊吹の頭に、それがなかったとは。

    「だが、姫は俺よりも緊張していたんだ。
    うつむいて、ひとことも喋らない。
    それが花嫁の作法なのは、女にとって初めての同衾 (どうきん) は
    男よりも重い意味を持つからだと思うんだ。
    俺はそんな姫の気持ちを、おもんぱかってやるべきだった。
    乾行、ありがとう。」

    乾行は一瞬、感動しかけた。
    が、“経験値” がそれを許さなかった。

    「で、おまえ、やり方を知ってるのか?」

    伊吹は爽やかな笑顔で答えた。
    「愛があれば乗り越えられるさ!」

    乾行は、湯殿の床に倒れ込んだ。
    駄目だ、こりゃ。
    それが上手くいかなくて愛が壊れる場合もあるんだぜ?

    だが新婚馬鹿には通じるまい。
    どれ、こいつが聞きたがらなくても、事務的に一通りの手順は喋っておこう。
    「困った時にはいつでも相談に来いよ」
    の、一言も添えて。

    “純情馬鹿” の伊吹に、しにくい話題を振って
    しかも理解してもらわねばならない、という重責と
    湯殿の暑さと湿度にヘトヘトになって
    ようやく伊吹を寝屋へ送り出して来てみれば
    消えかかった火の前で、いつもは気取った美しい男が
    ススまみれになって、コックリコックリと寝入っている。

    乾行は高雄を起こさぬよう、ソッと隣に座った。

    そして消えかかった火に、薪をくべる。

    こいつが目覚めたら、一緒に風呂に入ろう。
    そして嫌がるだろうが、こいつの背中も流してやろう。

    伊吹よ、高雄のこの炭で汚れた寝顔が、こいつの真の結婚祝いだ。

    続く

    関連記事 : 殿のご自慢 27 13.4.30
    殿のご自慢 29 13.6.

    殿のご自慢・目次

  • 殿のご自慢 27

    豪勢な嫁入り道具とともに、青葉が輿入りをしてきた。
    伊吹と青葉の婚姻は、八島の殿がすべてを仕切った。
    八島の殿の城で、臣下の祝言が挙げられ宴が催されるのも異例な事であった。

    確かに八島の殿は派手好きである。
    だがそれにしても、この待遇は特別すぎて
    誰もが羨むどころか、“その後” にくるものを恐れた。

    青葉は風流な父の下で、行事慣れをしていたものの
    孤児の伊吹にとっては、祝い事、それも自分の結婚、
    しかも想像する事さえ畏れ (おそれ) 多い、恋焦がれたお姫さまとの、
    など、どこからが夢でどこまでが現 (うつつ) なのかさえわからず
    ただひたすら、言われた場所に座って固まるしかなかった。

    高雄はいまだに、この結婚の “言い出しっぺ” として
    何やかやと “世話” をさせられていた。

    気が利く高雄にとっては、そういう雑用は大した仕事でもないのだが
    何よりも参るのは、伊吹の様子であった。

    「よお、高雄、忙しそうじゃねえかあ。」
    廊下で足りない酒の手配までしている高雄に、乾行が声をかける。
    「そんな事までおまえがする必要はねえだろう。
    ちょっと座って何か食えよ、顔が青いぞ。」

    確かに高雄の顔色は真っ青で、気分が悪そうである。
    「いや、これは伊吹の緊張が移ってな・・・。」

    見ると、新郎席に座っている伊吹もカチコチに緊張して真っ青である。
    「ありゃあ・・・、おりゃあ下座だから伊吹の顔色までわからなかったが
    確かに見てると、こっちまで具合が悪くなってくるな・・・。
    あいつも大丈夫か?」

    「うむ、だから伊吹の側に寄りたくないのだ。
    ああ・・・、いかん、見てしまったんで吐き気が・・・。」
    「大丈夫か?」

    高雄を支えながら、乾行は再び伊吹の方を見た。
    大殿は人の心配などをするお方ではないから
    伊吹の様子にも動じてないのもわかるが
    隣の青葉姫も、ただうつむいているだけだ。

    あの姫さん、鈍感なのか冷淡なのか、どっちだ?
    「うう・・・」
    おっと、いかん、誰より繊細なこいつが一番危なっかしい。

    「おまえ、ちょっと奥の座敷で休め。」
    乾行が高雄を抱えようとすると、高雄が止める。
    「いや、いかん、仕事が山のようにあるのだ。」

    「だけど、もう皆すっかりデキ上がっているし
    後は床入りの儀だけだろ?
    あいつ、あんな緊張してて務まるのかねえ。」

    乾行の何気ないひとことに、二人はハッと顔を見合った。
    「・・・いや、普通は知っているはずだ!」
    牽制したのは高雄。

    「おまえのは “知識” としてだろ?
    おまえは知っていても、あいつが知っていると思うか?」
    「いや、いくら何でも、そこまで純情では・・・」
    「あいつがそういう猥談を耳に入れる性格かねえ?」

    呆然とする高雄に、乾行がこめかみを押さえる。
    「・・・何でこの土壇場になってしか、思いださないんだよ?
    一番大事な事じゃねえのかあ?」

    高雄がガバッと乾行にすがった。
    その泣きそうな目に、乾行が後ずさりをする。
    「い・・・嫌だね、あの純情馬鹿に手ほどきなど。」

    「私は色んな用意で忙しかったんだ。
    おまえが城下の女のところに行ってた時も
    俺は式の段取りなどを調整してたんだぞ。
    初夜の事など考える暇もないぐらいにな!」
    相変わらず、高雄の眼力は鋭い。

    「“一番大事な事” なんだろう?
    友の結婚が失敗しても良いのか?」
    高雄の一撃に、乾行は観念した。

    確かに、あのいくさの時よりこっち、ずっと高雄は忙し過ぎた。
    そうではなくとも、こいつらにそういう知恵は回らねえ。
    しょうがねえ、ここは俺の出番、ってとこだろうな。

    「・・・大殿、少し早めに新郎に床準備をさせたいのですが・・・」
    八島の殿の耳元で、高雄が囁く。
    「何故じゃ?」

    高雄はちゅうちょなく理由を告げた。
    「新郎を落ち着かせるためにございます。」
    八島の殿が見ると、伊吹は杯を手に固まったまま青い顔をしている。
    その緊張のせいで、あまり人が近寄らない。

    八島の殿は、ブーーーッと吹き出した。
    そして高雄の耳元で言う。
    「湯殿に乾行を呼んで、“男の心得” も教えさせろ。」

    高雄は、大殿にまで指摘されるとは、と落胆したが
    はっ と返事をして、廊下に出て改めて乾行を呼びに行かせた。

    続く

    関連記事 : 殿のご自慢 26 13.4.25
    殿のご自慢 28 13.6.4

    殿のご自慢・目次

  • 殿のご自慢 26

    高雄は伊吹の舞い上がりを乾行に言わなかった。
    馬鹿笑いをしたあげくに
    高雄までも堅物扱いをされるのがわかりきっていたからだ。
     
    しかし乾行がやってきた。
    「伊吹の野郎、えらくウブな事をしでかしたらしいな。」
    「・・・何故知っている?」
     
     
    答は簡単だった。
    「荷運びのヤツらが言ってたぜ。
     評判になってるよ、“敷島さま” の純愛がよお。」
     
    「ああ・・・。」
    高雄は乾行のからかいを覚悟した。
    だが乾行は予想外の反応をした。
     
    「あまりに素っ頓狂な事をやらかしてると
     “噂の姫さま” に、良からぬ興味を持つ輩も出て来るんじゃねえのか?
     伊吹に注意しとかにゃなんねえな
     あまり浮かれると足元をすくわれるぞ、ってな。」
     
     
    乾行が心配をしていたのは、高雄と同じく
    八島の殿の “興味” であった。
     
    だがいくら注意をしても、こればかりはどうにもならない。
    二人は、八島の殿が他の事に気を逸らしてくれるよう、心中で祈った。
     
     
    そんな二人の苦悩を知る由もない八島の殿は
    若い二人の恋の成就の “お手伝い” に夢中であった。
     
    「のお、伊吹よ。
     わしの今の一番の楽しみは、そちたちの結婚じゃ。
     わしは、そちに破格の厚遇をするぞ。
     それによる弊害は、そちが自分でどうにかせえ。
     とにかく、わしは今わしがしたい事をする。」
     
    はっはっはっ、と高笑いをする八島の殿に
    苦い顔をする者、気の毒そうにする者、反応は様々であったが
    高雄はそのすべてを記憶しようと、目だけで皆を見回した。
    誰が敵で誰が味方か・・・。
     
     
    当の伊吹は、不安そうな表情を隠さなかった。
    「無骨者ゆえ、槍を振るう事しか出来ませぬ。
     まことに、どうしたら良いのか・・・。」
     
    この率直さが、伊吹が人に好まれる理由であった。
    裏表を感じさせないのである。
     
    いや、伊吹には本当に “裏” がない。
    ゆえに私が代わりに考えねば・・・。
     
    高雄の険しい顔を横目に見ながら、乾行は思った。
    本当に庇護が必要なのは、この坊ちゃんだろうに
    これから一層、気苦労が増えて難儀な事だな。
     
     
    乾行は “政治” というものに、まったく興味がなかった。
    孤児であるという事は、逆に乾行を自由にしてくれる
    そう思っていた。
     
    「乾行どのも嫁御が欲しくなったのではないか?」
    家臣たちの軽口に、顔では笑っても心の底では嫌悪していた。
     
     
    “家” なんぞ持ったら、その重さで、おりゃあ潰れちまう。
    結婚なんて、冗談じゃねえな。
     
    可愛い女たちと一回二回楽しくやって、じゃあなと別れて
    戦場で握り飯を食って、星を見ながら陣で寝て
    お天道さまが上ったら、馬に乗って一番槍を取って
    そして俺もいつかは土に落ちるのさ。
     
    墓石なんぞ、いらねえ。
    鎧はぎが身ぐるみ剥ぐついでに、手を合わせでもしてくれたら
    それが最高の供養さね。
     
     
    乾行は馬を引きつつ、城門を出た。
    「今夜も夜遊びですかい?」
    馴染みの門番に、声を掛けられる。
     
    「今宵も良い女が待っててくれりゃあ、嬉しいんだがねえ。」
    乾行は、馬の背をペシペシ叩きながら
    ブラリブラリと城下町へと歩いて行った。
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 25 13.4.23 
           殿のご自慢 27 13.4.30 
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 25

    姉上の相手が “苗字を貰った” と聞いた時に、父上は
    「どの名家にも “初代” はいる。」
    と、八島の無礼を気にしなかった。
     
    それは良い。
    私の思うところは他にある。
     
    “どうせなら千早さまが良かったのに・・・”
     
     
    元服を済ませ、矢風 (やかぜ) という名になった弟は
    姉の結婚相手が結納の品を持って来る、と聞いた時に
    父親と同様に、しかし密かにそう思った。
     
    だがその婚姻は千早家の身分を更に引き上げ
    敵対視されて高雄を、引いては青葉をも危険に晒す事になりかねない。
    どうやら “血統” というものは
    自分が思っている以上に、立場に影響を与えるものらしい。
     
    矢風が高雄に憧れる、その気持ちも
    自分と似た境遇にいながら、私欲を抑え
    立派に家を背負っているからである。
    しかも今の矢風よりも、ずっと幼い時に家を継いだという。
     
     
    結納の品々を揃えた部屋で、一向は龍田家と顔を合わせた。
    「敷島伊吹と申します。」
     
    その声に、ハッと顔を上げた青葉は
    部屋の向こうに愛しい人を見つけた。
     
    まさか愛する人と結ばれるなど、夢にも思っていなかったので
    目の前の現実が信じられない。
     
    一方、父と息子は納得していた。
    さすが高雄の友で、娘が好きになった男。
    その晴れ晴れとした男っぷりには、文句の付けどころもない。
     
     
    だけど、気に食わぬ。
    矢風は、よくわからない不愉快さを感じた。
    あいつに姉上を守れる気がしない。
     
    八島の殿は、この婚姻による同盟に大いに乗り気で
    祝いとして、城下に立派な屋敷も用意してくれ
    所領 (領地) までくれるという。
    家柄以外、龍田家がこの婚姻に異議を唱える隙はない。
     
     
    一通りの儀式も終わり、帰途に就く時に
    高雄が、矢風と話があるから待てと言う。
     
    別に話などなかった。
    伊吹の懐に、組み紐があるのを知っていただけだ。
    高雄は矢風を連れて、スタスタと歩いて行った。
     
     
    伊吹は、どうしたものかと迷った。
    八島の殿が笑った安物の組み紐。
    そんなものを再び渡されても、相手も困るであろう。
     
    結婚の申し込みをしに来たのに、そしてそれを受け入れられたのに
    それでも伊吹は弱腰であった。
     
    馬具を整えていたら、従者が何か言いたげである。
    振り向くと、花が、いや、青葉が立っていた。
     
     
    いかんいかん、俺にはどうしても姫が花に見えるようだ。
    伊吹が目をこすっていると、従者が見かねて言った。
    「敷島さま・・・、おなごから来させるものじゃありませんぜ。」
     
    「あ、ああ。」
    伊吹は慌てて、青葉の元へと走って行った。
     
    伊吹が青葉の間近に立ったのは、それが初めてである。
    近くに行くと思ったより、その背が小さく感じたのは
    美しさの迫力で、大きく見えていたのであろう。
    しかし伊吹はやはり圧倒されて、声すら出せずにいた。
     
     
    いつまでも無言で、ただただ青葉を見る伊吹に
    木の陰、柱の陰、馬の陰、荷物の陰、軒下、屋根裏、
    潜んでいるすべての者たちが、ジリジリと苛立たされた。
     
    「あの・・・、いただいた組み紐は・・・。」
    青葉が言い終える前に、伊吹が大慌てで
    バタバタと袖や胸元を捜し始めた。
     
    「こっ、これ!」
    見つけた組み紐を、青葉の手にグイッと押し付ける。
     
     
    その時に手が触れ真っ赤になる伊吹に、青葉まで赤くなる。
    その空気に耐えられず、伊吹は背中を向けた。
    「そ、それではっ!」
     
    馬の方に向かったが、急にきびすを返し、再び青葉の方に走って来る。
    青葉の目の前に、つんのめりそうに止まって叫ぶように訊いた。
    「お、俺で良いんですか?」
     
    驚きつつも青葉がうなずくと、もう一度訊く。
    「ほ、本当に、お、俺で良いんですか?」
     
     
    青葉はその真っ直ぐさが、たまらなく愛おしくなった。
    「伊吹さまですから良いのです。」
     
    伊吹はその答を聞くなり、無言で走り出し
    馬に飛び乗って駆けて行ってしまった。
     
    従者は呆気に取られて、身動きすら出来なかった。
    青葉は渡された組み紐を胸元で握り締め
    伊吹が見えなくなっても立ち尽くしていた。
     
     
    塀の陰で、高雄は苦々しい顔で矢風に詫びた。
    「すまぬ。
     あいつは、ああいうヤツなのだ・・・。」
     
    矢風も思わず苦笑いをしてしまった。
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 24 13.4.19
           殿のご自慢 26 13.4.25 
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 24

    これは結婚を餌に、大殿に相当な難題を押し付けられたのか?
    そう高雄が危惧していたら、伊吹がようやく喋った。
     
    「青葉姫と結婚をしろ、と大殿に言われた。」
    ふむ、それで?
    高雄は次の言葉を待っていたが、伊吹はそのまま口を閉じた。
     
     
    ・・・・・・・・・・・?
     
    まさかとは思ったが、念のために訊いてみる。
    「嫌なのか?」
     
    それを聞いた途端、伊吹は激昂する。
    「嫌なものか!
     あの姫を、じ、自分のものに、で、でき・・・るなど
     嫌な男がいるものか!!!」
     
    耳まで真っ赤になる伊吹に、高雄は腹が立った。
    私は嫌だがな。
    あのような美しいだけの能なし女など。
     
     
    「大殿は、龍田家の権威を貶めよう (おとしめよう) としているのだと思う・・・。
     おまえだって、そう思ったからこそ、詳しく言わなかったのだろう?」
    伊吹は岩にヘタり込むように座って、両手で顔を覆った。
     
    「帝の血を引くお姫さまを、孤児である俺に嫁がせるなど
     姫がこれから、どれだけの苦労をなさるか・・・。
     考えただけでも恐ろしい。」
     
    高雄は伊吹の気持ちを聞いて、自分の考え足らずを後悔した。
    それを言おうかどうか迷っていると、伊吹が再び立ち上がった。
     
    「俺は姫を陰ながら守りたかった。
     それだけで良かった。
     それ以上、望んではいなかった。
     それは姫を穢す (けがす) 事に・・・」
     
     
    「言うな!」
    高雄は伊吹を抱き締めた。
    それは慰めのためではなく、自分の顔を見られないようにであった。
     
    「すまぬ・・・、伊吹・・・。」
    高雄は伊吹を抱き締めたまま言った。
    「この婚姻を計画したのは私なのだ。」
    伊吹の体がピクッと動いた。
     
    「あの時、戦場で相対したおまえたちが
     好意を持ちおうている事を知った時に・・・。
     それしか思いつかなかった、すまぬ・・・。」
     
     
    高雄は罵倒を覚悟した。
    まさか伊吹が、身分の違いを気にするとは。
    そこまで気が回らなかった自分の不覚。
    私は伊吹の人生を狂わせてしまったのかも知れない・・・。
     
    だが、伊吹の声は逆に落ち着きを取り戻していた。
    「そうか、それならよい。」
     
     
    驚いた顔で伊吹の体を離すと、伊吹は高雄に微笑みかけた。
    「おまえの考えだったのならば、安心だ。
     姫の苦労は、俺が出来る限り守れば良い。」
     
    これが伊吹の性格であった。
    答が出たら、あっさりと受け入れる。
    その単純さに、高雄も乾行もどれだけ救われたか。
     
     
    「高雄・・・、ありがとう。」
    背中を向けた伊吹の言葉に、高雄は意表を突かれた。
    「・・・何がだ?」
     
    「陰で見守るだけで良い、などと綺麗事を言ったが
     姫が他の男に嫁いで平気なわけがない。
     どうせ同じく苦しむのなら姫が欲しいのが、俺の醜い本音だ・・・。」
     
     
    どう応えて良いのか迷う高雄から
    遠ざかるように数歩進んで、伊吹は振り向いて笑った。
     
    「ああ、姫を貰うから、と大殿から苗字を拝領したぞ。
     敷島 (しきしま) だとさ。」
     
    再び前を向き直って歩を進めながら、つぶやいた。
    「俺は今日から、“敷島伊吹” だそうだ。」
     
     
    高雄はその場に立ち尽くしたまま
    竹林に遮られて遠くなる伊吹の背中を見つめた。
     
    身分違いの婚儀は、普通は身分のない側が
    相手と釣り合いがとれる、どこかの家に養子にいき
    その家の苗字になって、取り行なわれるのが慣例。
     
    新しく家を興す (おこす) だと・・・?
     

    大殿はそこまでして、龍田家の “恩恵” を他家に与えたくないのか・・・。
    これを私は龍田の殿にどう言えば・・・。
     
    高雄は自分の浅薄さに、自己嫌悪に陥った。
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 23 13.4.17
           殿のご自慢 25 13.4.23 
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 23

    青葉が無事であった事に安堵した伊吹であったが
    高雄の言葉に、叩き落とされた。
     
    「龍田の姫が同盟のために嫁いで来るゆえ
     龍田の本城に結納の品を持って行け。」
     
     
    伊吹が立ち去る背中を見つめる高雄の真横に、乾行が並ぶ。
    「あーあ、ありゃ、相当の衝撃を受けてるせえ。
     何ではっきり言わねえんだ?」
     
    「私は何ひとつ嘘は言っておらぬ。」
    ぶっきらぼうに言い放ち、立ち去る高雄だったが
    廊下の角を曲がり、乾行の姿が見えなくなった途端
    壁に手を付いてうなだれた。
     
     
    伊吹の青ざめて唇を振るわせる顔に、しまった! と思った。
    傷付けるつもりではなかった。
    ただ、少し意地悪な気分になっただけなのだ。
     
    あいつが勝手に勘違いしたのだ!
    「じゃ、ねえだろお?」
     
    はっ、と振り向くと乾行がニヤニヤしながら、そこにいる。
    「ちょっと妬けただけなんだよなあ?
     思い合ってる二人が結ばれちゃう事によお。」
     
     
    「別に羨ましくなどないっ!」
    睨む高雄に、乾行のニヤニヤは止まらない。
     
    誰も羨んでいるなど言っちゃいねえんだが
    これ以上つっついても、本気で怒りだすと高雄はめんどくせえからなあ。
    「ま、さっさとあいつの早とちりを解いておかないと
     落ち込みすぎて、体でも壊されたら大変だぜえ?」
     
     
    乾行のその言葉を聞き、今度は高雄が青ざめて走りだした。
    どっちもガキだな・・・。
    やれやれ、俺がいないとあの二人はどうなるやら。
     
    すべてを見通している、と、気分に浸る乾行も
    そんなガキの群れの一員であった。
     
    だがそのような “仲間” は、ひとりの異性の出現によって
    いとも簡単に、その均衡を崩す。
     
     
    高雄が伊吹を見つけたのは、かなり時が経ってからであった。
    「おまえ、どこに行ってた?」
    「・・・大殿に呼ばれていた・・・。」
     
    伊吹の顔色は、まだ優れない。
    何だ? 大殿も勿体を付けているのか?
    それとも婚姻の話ではなかったのか?
     
    「・・・大殿に何を言われた・・・?」
    伊吹が顔を上げ、高雄を見つめるその目に
    とてつもない不安がにじんでいたので、高雄は伊吹を引っ張った。
     
    きっと、こんなところで立ち話をする内容ではない。
    高雄は三人だけの秘密の場所へと伊吹を連れて行った。
     
     
    そこは城の一角にある竹林の中の岩場であった。
    竹に阻まれて、人目には付かないし
    人が来ても、笹の音ですぐわかるので
    内緒話をするにはもってこいの場所である。
     
    風に奏でられる笹の葉の音が心地良いので
    高雄はひとりでも、よくこの場所に来ては寝転んでくつろいでいた。
     
     
    いつもの岩のところに来ると、座る時間も惜しむかのように
    高雄は伊吹を問い詰めた。
    「どうした? 何があった?」
     
    伊吹は口を開いたが、言葉を選んでいるのか
    中々喋り出そうとしなかった。
     
    これは困った時の伊吹の癖であった。
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 22 13.4.15 
           殿のご自慢 24 13.4.19 
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 22

    「では、わたくしは戻らねばなりませぬ。
     これが今生のお別れとなりましょうが
     親不孝な娘をお許しください。」
     
    長女の葬儀が終わった直後に、挨拶にきた青葉を父親が引き止める。
    「いや、弟の元服の儀が終わったあと
     おまえには八島に嫁いでもらわねばならぬ。」
     
     
    青葉の胸に何かが刺さった気がした。
    「で、でもわたくしには約束が・・・。」
     
    「八島家とは新たな約束を交わしたのだ。
     これから東の地は、同等の勢力の大名家たちが主権争いをする。
     この前のいくさで山城に加勢が来なかったのは
     理が完全に我が方にあったせいもあるだろうが
     一番の勢力を誇示していた山城家が、他大名には邪魔であったせいであろう。」
     
    龍田の殿は地図を畳の上に広げた。
    主な領地争いは、北や東の方で行われていた。
    山城家が東の地のほぼ中央に位置し
    地の利を良い事に、あちこちにに手を出していたからである。
     
    龍田家は東の地の南西の端に領地を持っている。
    八島家は、西の地の中央少し北に領地を構えているのだ。
    地図上では近いようでいても、実際にはかなりの距離がある。
     
    「いくさに意欲的ではない、つまり他の大名家に “敵” と見なされない龍田家は
     領地と自治権を守るためにも、八島家と同盟を組まねばならぬ。
     八島家が遠方ゆえ、この同盟が差し迫った脅威とは見なされにくいところが
     我が龍田家にとっては、この上なき好都合なのだ。」
     
     
    それはそうですわね・・・
    青葉は納得した。
     
    お姉さまも、そうやって山城に嫁いだ。
    わたくしの結婚もそれが当たり前。
    でしたら、置いてこなければ良かった・・・。
    返していただけるかしら?
     
    青葉は胸元から、古ぼけた灰色の手拭いを取り出した。
    それをただボンヤリと眺めていると、胸が苦しくなってきた。
    青葉は手拭いを握り締めて泣いた。
     
     
    「姉上が泣いておられるようですが、何故ですか?」
    息子の質問に父親が答える。
    「八島に嫁ぐよう言ったからであろう。」
     
    その答を、息子は理解できない。
    「嫁ぐ相手は姉上のお好きな方なのでしょう?
     何故、泣く必要があるのです?」
     
    「相手が誰かは言うておらぬ。」
    父親が苦々しい顔で言う。
     
    「あの時とは状況が違うのだ。
     八島の殿の気が変わっても、うちは文句を言えぬ。
     青葉に下手な期待を持たせたくないのだ。」
     
    「しかし千早さまが約束なさってくれたでしょう!」
    「千早どのは、八島の家臣だ。
     大殿には逆らえぬ。
     そしてうちも同様に、強国には逆らえぬ。」
     
     
    怒りを隠そうともせず立ち上がる息子を、父親がたしなめた。
    「おまえには弱い男に見えるだろうが
     この父の教えを、しかと聞け。」
     
    そして父親も立ち上がる。
    「自分の現在の力量を見誤るな。
     わしは戦わぬ道を選んだが、戦うおまえなら尚更に。」
     
    優しく微笑みながら、息子の頬をペシペシと叩く。
    「心を顔に出すな。
     それはいくさ場で鎧を脱ぐのと同じ事。
     おまえは強い男だが、まだ未熟だ。
     それを忘れなければ、もっともっと強くなれるであろう。」
     
     
    変わらず仏頂面になっている息子の見下ろし、父はつぶやいた。
    「本来なら戦場で斬られるか、陵辱されてうち捨てられるはずの娘を
     無傷で帰してくれただけでも
     千早どのには、感謝してしきれぬものよ・・・。」
     
    そして息子から目を離すと、眩しそうに言った。
    「おお、山桜が咲き始めたようであるぞ。
     今年の春は、早いのお。」
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 21 13.4.11 
           殿のご自慢 23 13.4.17 
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 21

    今度は山城側にも加勢は来なかった。
    帝の血を引く正妻を、自害を邪魔してまでも首をはねたなど
    さすがの属国も、顔をしかめる所業であった。
     
    しかもそこに、捕らわれたはずの青葉が戻って刀を握る。
    龍田家は八島家に組み込まれた、と見られて当然。
     
    だが加勢が誰も来なくとも、さすがの山城家。
    大義を得て、総力で来る龍田家にその大部分を削られながらも
    山城の殿には容易に辿りつけない。
     
     
    「出てこーい!
     山城、おのれ、卑怯者めーっ!」
     
    「あなたがたに恨みはありません。
     わたくしどもが憎むのは、山城の殿だけなのです。」
     
    血に濡れ叫ぶ弟と、涙に濡れて訴える姉。
    馬上の二人は、対の飾り雛のようで
    その美しさを、人は見た事もない “帝” と結びつけ
    畏怖すら感じていた。
     
    自然と人垣が割れ、道が出来て行く。
     
     
    表に出て来ない帝は、いまやその秘密主義で
    神にも等しい印象を持たれている。
     
    高貴な血は必要なくとも利用されるのだ、息子よ・・・。
    父親は、陣営から子たちの進撃を見守りつつ
    戦いを選んだその行く末を、案じるばかりであった。
     
     
    混乱の戦場に出来た一筋の道の先に、総大将の旗が立っていた。
    いた! 山城だ!
    先に走り出したのは青葉。
     
    負けじと弟が馬の腹を蹴ろうとした時
    何と青葉は急に馬を止め、降りてしまった。
     
     
    「姉上、何をやっておられる!」
    「お姉さまが・・・」
     
    青葉が駆け寄ったのは、上の姉の亡骸。
    討ち捨てられた時のままなので、見るも無残な姿になっている。
    「誰か布を。」
     
    「姉上、今はとにかく山城を!」
    焦る弟に青葉が叫ぶ。
    「お姉さまをこのままにして行けない!」
     
    くそっ、こうなれば私だけでも
    弟は山城の陣に突っ込んで行った。
     
     
    山城の殿は生き延びて、行方をくらます。
     
    龍田家は長女の遺体を回収し、手厚く弔う事で
    振り上げた刀を下ろすしかなかった。
     
     
    それだけでも悔しいのに
    弟には、ひとりでは仇討ちを果たす事が出来なかった情けなさが残った。
     
    やはり私はまだ子供なのだろうか?
    姉上がいないと、いくさひとつ出来ないのだろうか?
     
     
    “仇討ち” に関わらぬよう、近くの丘陵から戦いを見守っていた高雄が
    その夜、ボンヤリとかがり火を眺める弟の隣に立った。
     
    「私の初陣はオロオロして、それはもう無残なものだった。
     そなたは凄いな。」
    「慰めはいりませぬ。」
     
    高雄はニコリともせずに言った。
    「事実を言っているだけだ。」
     
     
    弟は、高雄の冷徹な言い草に救われる。
     
    「山城は、どこの誰ともわからぬ輩に殺されるのが似合うておる。
     最初のいくさで、そなたの刀に汚いものを斬らせるな。」
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 20 13.4.9
           殿のご自慢 22 13.4.15
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 20

    「龍田家はすべてをかけて戦います。」
    龍田家嫡男はきっぱりと言った。
     
    「父上には姉上の仇を取るこのいくさで、総大将として構えていただきます。
     一歩も立ち上がらなくて結構。
     ただ、そこにいてください。
     私と青葉の姉上が、父上に勝利を捧げます。
     龍田家は、勝って八島家と同盟を結び
     自分の国を平和に治める事に専念できる道を模索します。」
     
     
    青葉はうつむいたまま、ひとことも発しなかった。
    その顔に垂れた短い髪を、父親が撫ぜる。
    「美しかったあの長い髪を・・・。」
     
    青葉がうつむいたまま、か細い声で言う。
    「わたくしの命は、捕らわれた場所に置いてまいりました。
     わたくしはこのいくさ、勝って、死にに戻らねばなりませぬ。」
     
    「そのような・・・」
    父親の言葉を息子が遮る。
    「私たちは戦わねばならないのですよ、父上。」
     
     
    平和な世なれば、身分ある者は歌を詠んで鞠を蹴って過ごせば良かった。
    なれど今は乱世。
    刀を抜いて向かってくる相手に
    戦いたくない、と叫びつつ殺されるのもひとつの選択。
     
    なれど、“大名” に生まれてきた以上
    その一手一歩が、自分ひとりの問題ではなくなる。
    意に沿わぬ事でも、自国の民の多数が生き残れる道を・・・。
     
     
    多くの雑兵を従えた2人の若武者の姿を見て
    山城の陣中は驚愕した。
     
    ひとりは蒼の鎧、もうひとりは赤の鎧。
    遠くからでもわかるほどの、堂々とした誇り高さ。
    蒼の武者が手を挙げ、赤の武者が走ってくる。
     
     
    龍田の殿の美しい3人の子供たち。
     
    優しく儚げな上の娘は、椿のようにその命を地に落とし
    嘆く娘と怒る息子が、羽ばたくように荒れ野に舞い降りる。
     
    龍田家の戦う地には、いつも見事な花が咲く。
     
     
    青葉が実際に人を斬ったのは、これが初めてであった。
    骨に当たったのかキインと戻る刃に、思わずキャアと叫んだ瞬間
    まるでそれを待っていたかのように、弟が怒鳴った。
     
    「姉上、地獄はこれからですよ!」
     
     
    馬上の青葉を守る槍兵たちに、水滴が降りかかる。
    それは血ではなく、青葉の涙であった。
     
    泣きながらも馬を止めない青葉に、槍兵たちが叫ぶ。
    「姫さまを守るぞーーーーーーーっ!」
     
    おおおおおおおおおお と、戦場が揺れた。
     
     
    「まるで子供の喧嘩のような有り様でしたよ。」
    密かに紛れ込ませた物見が、クックッと笑いながら語る。
     
    「青葉姫の腕はどうじゃ?」
    「まるで駄目ですな。」
     
    「ふむ、それもまた一興。」
    八島の殿は、その報告に満足した。
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 19 13.4.5 
           殿のご自慢 21 13.4.11 
           
           殿のご自慢・目次 

  • 殿のご自慢 19

    青葉の供は、高雄と安宅のふたりだけであった。
    しかし青葉に用意された馬を見て、高雄は納得した。
    八島の殿の愛馬の1頭だったからだ。
     
    それは、青葉の後ろに八島の殿がいる事を示す。
    供が何人だろうが、何かあれば即座に八島家が介入をする、という意味。
     
    だが、青葉はそういう事に構わずに
    さっさと馬に乗る。
     
    この女は賢しい (さかしい) のか馬鹿なのか・・・
    高雄は青葉を測れずにいた。
     
     
    走り去る馬を、城から見送る伊吹を八島の殿が呼ぶ。
    「行ったか?」
    「はい・・・。」
    伊吹の声に張りがない。
     
    「これは、そちから再び渡してやるがよい。」
    八島の殿が差し出したのは、青葉の髪。
    伊吹が贈った組紐で束ねられている。
     
    「そちというやつは・・・
     名家の姫なのに、もうちょっと良いものをやれぬのか。」
    八島の殿は呆れていたが、伊吹の返事に興味を惹かれた。
     
    「はあ・・・、町娘だと思い込んでおりましたので・・・。」
    「何と! 素性を知らずに惚れ合うたのか!」
     
     
    高雄が心配していた “大殿の邪念” は、ここで消え去った。
    八島の殿の性格では、たかが女ひとりの味見より
    この、滅多にない奇跡の手助けをする方が、楽しそうに思えるからだ。
     
    「名家相手に、そちが恥をかかぬよう
     わしがすべて整えてやるから、案ずるな。」
     
    この言葉は、逆に伊吹の気を重くさせた。
    相手が何者であろうと、気持ちに変わりはないのだが
    現実というものは、そうそう思い通りにはいかない事ぐらいは
    思い知っているからである。
     
     
    伊吹が重い現実に葛藤をしている時に
    青葉の現実は、残酷なものとなっていた。
     
    山城の殿が、いくさを再開するよう言ってきた。
    「捕らえられた娘など、もう死んだも同じ。
     もし生きて戻って来れたのなら、わしの妾にでもしてやろう。」
     
    その伝令は、正妻である青葉の姉の前で行なわれた。
    反論する者はいなかったが、青ざめた正妻に
    さすがの家臣たちも皆、同情をした。
     
    気が進まぬいくさを押し付けられたあげくに
    2人目の娘 “も”、山城の殿の犠牲にさせられるのだ。
     
     
    その夜、龍田の家臣の手引きで、姉は城を逃げ出す。
    それに気付いた山城の殿は、馬を駆る。
     
    草履が脱げても必死に走る妻に、後を追う夫。
     
    真後ろから蹄の音がし、振り向いた姉の目に映ったのは
    満月に浮かび上がる鬼畜の形相の、馬上の我が夫。
     
    姉は諦めて懐刀を取り出した。
    首を突こうとしたその手が、腕から離れる。
    返す刀で、頭が宙を舞った。
     
    逃げる手引きをした者を見逃したのは
    野ざらしにした亡骸を龍田自身が取りに来い、という意味なのだろう。
     
     
    「わしが甘かったのだ・・・。」
    涙に暮れる父を、青葉は責める気にはなれない。
    自分が捕まったからこうなった、と思ったからである。
     
    だが弟は違った。
    まだ元服も済ませていない少年は言った。
    「事なかれ、と願う心が、次の犠牲を生み出すのです。」
     
    この言葉に、高雄は感動を覚えた。
    無能な父親に代わり、自分が家を背負わねばならない辛さはわかる。
     
     
    しかしこの少年の境遇は、更に過酷であった。
    「八島家とのいくさに、山城家の者は誰ひとり来ませんでした。
     父上、この意味がおわかりでしょうか?」
     
    あの三日の遅れの理由を、高雄は納得した。
    なるほど、うちと同じく龍田家も加勢が来なかったのだな?
    しかし、うちの場合と違って、龍田家側は・・・。
     
    「山城家は龍田家を潰すつもりでしょう。」
    息子の言葉に、父親は反論しようとした。
    「しかし、うちは帝の・・・」
     
    「・・・高貴な血など、もういらないのですよ、父上。
     世は力の時代。
     それをわかっているからこそ、帝は都から出て来ない・・・。」
     
     
    あどけない顔をしていながら、その目には
    世の中に対する憂いが含まれていたが
    父親と違うのは、そこに諦めがなかった事である。
     
     
     続く 
     
     
    関連記事 : 殿のご自慢 18 13.4.3 
           殿のご自慢 20 13.4.9 
           
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