衝撃的なCMを見た。
中年サラリーマン風の男性が、一軒家の庭にいる。
普段はボールを握ってたり、サンダルを臭ってたりして
ブラブラと庭をウロつき、地面にゴロゴロ寝ている。
宅配がチャイムを鳴らすと、庭の生垣越しに
「誰? 誰? 誰? 誰?」 と叫ぶ。
郵便屋さんが来ると、庭の隅で怯えながら
「誰? 誰? 誰? 誰?」
雨が降る日は、家の軒下で膝を抱え、ブルブル震えている。
それでもブロック塀の向こうに、歩行者の差した傘が見えると
「誰? 誰? 誰? 誰?」。
時には隣の家で飼われている犬と一緒になって
「誰? 誰? 誰? 誰?」
そんなある日、ふと男性の鼻先にシャボン玉が飛んできた。
生垣の隙間から、女の子がシャボン玉を吹いている。
男性は、舞い飛ぶシャボン玉と一緒に楽しそうに踊る。
寝ている男性の頭を、女の子が優しく撫でる。
女の子は男性に手を振りながら、ランドセルを背負って走り去る。
これ、番犬を擬人化したセキュリティのCMだったのだ。
それがわかって、そのアイディアに感動した。
だけど、このCMを見ている時に
何とも言えない悲しみで、思わず涙が出そうになった。
男性が実は犬だった、とわかって新たに悲しかった。
その理由のひとつは、庭で飼われている犬の悲哀を感じたからだ。
私は犬は家の中で飼うべきだと思っている。
庭で飼うのと家の中で飼うのとは、同じ犬でもまったく別物になる。
犬と言えば、必ず外飼いだったが、家の中で飼って初めて
犬ってこんなに表現豊かな生き物だったんだ!
と、気付いたからである。
あの生き物は、外で飼って良い動物ではない。
(家の中で政権争いを繰り広げているのもどうかと思うが)
私は庭で飼われている犬を見ると、「可哀想に」 と思う。
犬だけでなく、飼い主に対しても。
色々と事情があるだろうから、私が口を出す問題じゃないが
庭飼いでは、犬の良さは本当に知る事は出来ないだろうから。
私の悲しみのもうひとつの理由は
この男性が気が狂った人に見えたからである。
気が狂っている人は、本人は幸せだろうと思う。
気の毒に思うのは、普通の世界に生きている (と思い込んでいる)
自分の感覚に当てはめて考えるからで
それが必ずしも正解ではない事もわかっている。
でも、自分とは違う世界に生きている人を見ると
とてつもなく悲しくならんか?
これは同情とかではなく、もっと他の
よくわからない絶望感みたいなものだと思う。
わかりあえないんだな、みたいな共有部分の少なさ、と言うか。
相手からしたら、いらん世話! な話ではあるが
正直な気持ちである。
この場合の正直さは、何の免罪符にもならんがな。
これを書いてて、ちょっと検索してみたらそのCMがあった。
興味がある人は見てみてくれ。
セコムCMのページ ← の番犬編のとこ。